人類は、麺類「ヌードルの文化史」
小麦や米、稗など穀物の栽培の歴史をはじめ、穀類を挽く道具の発明や製造手法の開発史を追い、さらには「粉」の流通路を制する覇権争いを眺める。いっぽうカメラを引いて、衛星の視点から、「麺」がシルクロードに沿ってユーラシア大陸を行き来した構図を見る。身近なのに壮大な、麺の歴史。
いちばん面白かった視点は、蕎麦とパスタ。シルクロードを軸として、日本の蕎麦とイタリアのパスタは、驚くほど相似形だ。どちらも当初は、貴族が食べるぜいたく品だったが、時とともに階級を移動して、一般的な食べ物となったという。時代も同じで、江戸の庶民に蕎麦が広まったのは、ナポリにパスタの屋台が出回ったのと同じなんだって。
新興都市・江戸も、国際都市・ナポリも、当時は職を求めて流入してきた労働者にあふれていた。そして、地方で作られた穀類を都市で消費する「街の食べ物」となるべく、蕎麦やパスタといった麺類の形をとる。早い・安い・旨い(保存が利く)からね。もっとも、江戸は東京になるとき、蕎麦からラーメンに代替わりしてるのはご愛嬌。
次に面白かったのは、「パスタ・麺とフォーク・箸」の構図。地域的にも歴史的にも、麺が広まるにつれて、フォークや箸が伝播していったというのだ。著者はビザンティン帝国からヴェネチア、さらにそこからヨーロッパじゅうにフォークが広がっていく様を描いてみせ、それはパスタの伝播と軌を一にしているという。
また、箸が伝わった地域と麺類が伝わった場所も重なっている。タイではスプーンとフォークが使われるが、麺は箸で食べる(ここが境になる)。さらに西のバングラデシュやインドではヌードル料理を食べる習慣はないし、箸も使わない。つまり、ヌードルが伝わった地域と箸が伝わった地域は重なりあっているというのだ。理由は単に「麺が熱いから」とミもフタもないが、「シルクロードは麺ロード、箸ロード」は事実だろう。
著者は、東京に住むジャーナリスト。スイス出身で、中国人の嫁さんで、子どもは日本人として育てている。国際派を実践しており、偏りのない筆致を心がけているものの、「食品民族主義」には手厳しい。特定の料理に、国家のアイデンティティを押し付ける馬鹿らしさを説く。
特にイタリアのパスタに対する態度はシビアだ。並々ならぬ愛着があるのは認めているものの、その起源には少なくとも5つの民族(ペルシャ、アラビア、スペイン、イタリア、ドイツ)がベースになっていることを示す。さらに、最もポピュラーなパスタソース「チーズ+トマト」はフランス起源だとか、最高のデュラム小麦はカナダ産だとか、イタリア人が聞いたら怒りそうなことをしれっと書いている。
疑問に感じたトコもちらほら。ペンネやラザニアはパスタだから、これらを「ヌードル」だというのはいいだろう。だが、生春巻きや餃子、包子、焼売を「ハイクラスのヌードル料理」というのはヘンだ。まぁ、ラビオリはパスタだからアリかも… あと、ヨーロッパとアジアに偏った視線も気になった。築二百年の米国ガン無視は仕方ないとしても、ラテンアメリカやアフリカ(広いぞ)にも「ヌードル」相当はあるんじゃないかと。
とはいえ、わかっていらっしゃる。イタリアンのパスタ好きを念入りに語った後、日本人の麺好きを、丸々一章使って、これまた徹底的に語りつくす。そしてラストは次のシーンで締めている。
まず、ラーメンをよく見ます。どんぶりの全容を、湯気を吸い込みながら、しみじみ鑑賞して下さい…スープの表面にキラキラ浮かぶ油の玉を、油にぬれて光るシナチク、はやくも黒々と湿りはじめたノリ、浮きつ沈みつしているネギたち…なによりも、これらの主役でありながら、ひかえめにその身を沈めている焼き豚…
では箸の先でですね、ラーメンの表面をならすというか、なでるというか、そういう動作をして下さい…ラーメンに対する愛情の表現です
箸の先で焼き豚をいとおしむようにつつき、おもむろにつまみあげ、どんぶりの右上に沈ませ加減に安置するのです。そして、これが大切なところですが、このとき、心の中で、わびるがごとくつぶやいてほしいのです
「後でね」

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コメント
掲載書を見ていないのでよくわからないのですが、いちばんさいごの引用部分、著者自身の言葉に聴こえますが、もし引用元の表示がなかったのなら、モロ東海林さだお「ラーメンをいかに食するか」での無斎先生の講義のパクリでは?
投稿: taktak | 2011.09.17 20:58
>>taktakさん
引用元の表記はあります。このエントリでは、わざとボかした謎かけですが、東海林さだおさんを元ネタとした、ある映画のシーンです。
ヒント:伊丹十三
投稿: Dain | 2011.09.18 00:07