食に国境なし「食の500年史」
目の付けどころは素晴らしい、だが喰い足りない。J.ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」レベルのすごい着眼点で、文明、階級、権力、ジェンダー、テクノロジー、文化、アイデンティティなど、掘れば掘るほど、「食」との密接な連関性が浮き彫りになる。にもかかわらず、250頁で駆け抜けるからもったいない。言い換えるなら、次のテーマで世界史に「切れ込み」を入れたようなもの。類書を探すもよし、自分で掘るのもよし。テーマは5つ、まとめると…
- 食物の伝播と普及:古代ローマ、中国、イスラムを主軸に料理の伝播を概観する。さらに、コロンブス以後のアメリカ産食材の普及と、人の広範囲な移住がもたらした食のグローバル化を説明する
- 農業と牧畜の緊張関係:ローマ帝国とゲルマン諸部族、中国とモンゴルの遊牧の交流・摩擦は、農民と牧畜民の常食で「見える」。現代でも然り。牧畜民を農民に転じさせようとする発展途上国の近代化プログラムの実行地域は、「マクドナル化」や「コカ・コーラの普及」の範囲と重なる
- 階級間の格差:食料配分の不均等から生じた格差は、そのまま「体格」に反映される。古代と現代が逆説的で面白い。古代エジプトの貴族は「栄養がある→巨体」だが、現代の富裕層はスリムな肉体を目指す。かつての下層階級は「骨と皮」、今は「肥満」が特徴的
- ジェンダーや社会的アイデンティティと食:男女の役割分担は食事の準備、家庭内の食物配分から生まれた。女性に食事の支度をさせるのは家父長社会だが、男が料理を作る場合は、身分が高い人のための料理や、神にささげる儀礼的な食物になる。19世紀の中国移民とイタリア移民が広めた「中華料理」「イタリア料理」は、クレオール化された料理。グローバルな味覚を形成するのに役立ったが、本土の味とはかなり違う
- 食の分配と国家の役割:食料の生産と配分に果たした族長の役割は、そのまま権力の拡大と戦争の歴史になる。支配階級は食物によって自らの権力を行使し、政府の正当性は、「国民を食わすこと」に尽きる。代表例として、国民の忠誠心を引き出すための国民料理の育成がある
国民料理も笑えた。これは「標準語」と一緒で、ネーションビルディングの手段に過ぎぬと言う。料理は地域性をもつはずなのに、国境内の食物を人為的に集めた「想像の共同体」を補強するものに過ぎないそうな。イタリアといえばパスタかもしれないが、山岳部では違うし、日本の寿司は、江戸や上方文化を「日本化」したものになる。
いっぽう、偏見や排除の象徴としての「食」は昔も今も健在なことがわかる。定住民からは、「肉食=野蛮」に見えるだろうし、トウモロコシを家畜の餌としたヨーロッパの「偏見」は、(今だからこそ)分かりやすい。「カエル食い」「豆食い」「犬食い」などは立派な蔑称だ。ひょっとすると、日本人は陰で「生蛸食い」「生卵呑み」と呼ばれているかもね。
帝国主義の欧州列強が、自らの支配を正当化するため、栄養学を持ち出して肉食のメリットを強調する件も面白い。植民地に「小麦や家畜を移植してやっているのだ」という"慈善的"態度は、可笑しいだけでなく、大きすぎた犠牲に暗澹とさせられる。それぞれの地域に合った食文化があるのに、灌漑や肥料を用いた商業主義的農業を、「文明化」と押し付ける。この背景には、自分たちの食習慣のほうが優れていると考えるヨーロッパ人の文化的偏見があるという。
―――こんな感じで、薄手なのに、読むほどに発想が湧いてくる。総花的・網羅的な説明を避け、テーマで時代や地域を絞り込んでいるため、密度の濃いつくりとなっている。だが、代償として、「なぜそうつながるのか?」の具体的視点が失われているところもしばしば。たとえば、第2章「コロンブスの交換」が具体的に何であるか、結局説明なかった。これは、アメリカ大陸とヨーロッパでやりとりされた動植物、人口、食物、鉄器、銃、病原体などを広範に指している。だが本書では、後半の言及から、「ジャガイモ」と「病原体」に絞られるようだ。
食材から調理法、文化からテクノロジーまで、ミクロにもマクロにも拡大・俯瞰できたはず。絞らず網羅的に調べあげたら、書くのも読むのも大変な大著になっただろう。
食の歴史とは、グローバリゼーションの歴史。「食は国境を越える」(NO BORDER)だね。
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コメント
>>食の歴史とは、グローバリゼーションの歴史。「食は国境を越える」(NO BORDER)だね。
2ヶ月ほど前に『栽培植物と農耕の起源』という新書を読んで、そのとき似たようなこと思いました!「作物のグローバル化ってすごい」と。それからというもの、食べる前に「いただきます」の一言を忘れないようになりました(笑)
それで最近『銃・病原菌・鉄』を読んで再度たまげ、「農耕」ないし「栽培植物(作物)」をキーワードにすると「土」が切っても切り離せないので次は『土の文明史』へでも進もうと思っていたのですが、この本もすごくおもしろそう。
世の中には「台所空間学」なるものもあるようで…食は身近であることが当たり前、とわざわざ言うまでもないほど当たり前だからだと思うんですけど、人となりや生活・文化を如実に反映ていたり、ちょっと突いただけでも途端に時空を超えては連鎖反応も起こしていったりするのでおもしろいです。
あと大袈裟な話、「食について考える」ことはほとんど「人間について考える」ことなんではないかと思ったりもして、「食」に無関心でありすぎた自分を反省したりしました。
Dainさんの「喰いたりなさ」が喰いつく次なる本も楽しみにしてます。
投稿: 赤亀 | 2011.09.30 05:54
>>赤亀さん
コメントありがとうございます。「土の文明史」は「大気を変える錬金術 」とセットで読むと、広がります。土壌流出の歴史と、それにあらがう土壌ドーピングの発明史になります。
本書の後は、「お茶」「コーヒー」「香辛料」などをキーワードに世界史を概観した本を漁ってみようかと。また、手元に「イスラームから見た世界史」という大著もあるので、しばらく世界史で楽しめそうです。
「食について考えることは、人間について考える」───その通りだと思います。物理的に人を構成するだけでなく、その材料や料理法は文化を成り立たせているのですから。開高健が好んで口にした箴言「心に通じる道は胃袋を通る」を思い出します。「食べること」にまつわる諸々の行動───育てること、選ぶこと、作ること、食べること───に、もっと丁寧になれそうです。
投稿: Dain | 2011.09.30 06:57
おぉ!『大気を変える錬金術』もチェックします(たのしみ~)。アドバイスありがとうございます!
「心に通じる道は胃袋を通る」。少し前に言われたら「?」だったかもしれません…でも今だと妙に響きます。そういえば開高健って、年を経るごとに顔が丸くなっていったような気がするのですが(笑)、もしかしてそれは「食べること」に自覚的になって、かつ貪欲になったがゆえだったのか…?と、いま思いました。
世界史といえば、Dainさんならご存知(もしくはすでに持っている)かもと思うのですが、『角川世界史辞典』が優れものです。ハンディタイプでありながら西洋史以外の用語もちゃんと載っていて、用語ごとに関連項目も示されているので辞書だけでも愉しく、重宝します。
投稿: 赤亀 | 2011.10.01 14:56
>>赤亀さん
土の歴史とは、すなわち肥沃な土地の奪い合いなので、そこに終止符を打った(かに見える)ハーバー・ボッシュの功績は、もっと評価されてもいいかと…
角川世界史辞典は赤亀さんのおかげで知りました、なんかスゴくてリーゾナブルな辞典みたいですね、ありがとうございます。まずは手にしてみようかと。
投稿: Dain | 2011.10.02 20:03