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一粒の砂に世界を見、地球という系を無数の砂粒で理解する「砂───文明と自然」

砂 砂粒から地球を見る試みは、時空スケールの縮小拡大が急激すぎて、目眩するほど。

 潮流、ハリケーン、窓、堆積岩、古代の埋葬砂、風船爆弾のバラスト、ナノテクノロジー、医療品、三角州、化粧品、集積回路、小惑星イトカワ───これらに共通するのは、「砂」だ。砂がとるさまざまな形態を科学的知見で分析するだけでなく、砂を利用する人の文化的な側面にも光を当て、民話、数学、芸術から本質に迫る。ありふれた砂が、特別なものに見えてくる。そして、砂の惑星とは、DUNEではなく地球のことなんだと思えてくる。

 最も興味深かったのは、「個としての砂」の様相が、「集団としての砂」になると変わってしまうこと。そして空中と水中では、砂の振る舞いがまるで逆になること。砂粒の一つ一つは、分析の対象であり、石とシルトの間の、ちょうど風で飛ばされるだけの(そしてずっと空中に滞在しないだけの)大きさをもつ粒子になる。

 ところが、砂丘を作るほどの集団になると、風で飛ばされた砂が落下してぶつかった砂が曲線的な跳躍をし始める。個々の粒は跳ねているのに、粒子というよりも、なめらかな布や流体のような振る舞いをする。さらに、水の中に入ると、微細なシルトの粒子は互いにくっつき合って流れに抵抗し、反対に砂は泥土の上を流れ下っていく。

 個々の砂は流体のように振る舞うのに、水混じりの締まった砂は固体のようになる。流砂に飲み込まれた人を無理に引抜こうとすると、体が真っ二つになるそうな。その場にコンクリートで固められたのと同じ状態になるという。

 解決策は、「体をくねらせる」。体の周りにできた空間に水が入りこめばよく、後はゆっくり泳ぐように動くことで脱出できる。砂地獄が命に関わるのは、「吸い込まれる」からではなく、日射にさらされたり、潮が満ちてきておぼれ死ぬから。流砂に捕まることはまずないだろうが、覚えておこう。

 Wikipediaのような砂にまつわるエピソードも面白い。1944年に米国へ飛ばされた風船爆弾は、バラスト用の砂を解析されることで、日本東部の沿岸にある二カ所の砂の組成と同定される。さらに近隣の水素製造工場を空爆するあたりなどは、スパイ小説よりも奇なり。また、砂の科学捜査による古代遺跡の(当時の)位置の割り出しや、殺人犯行現場の特定は、ミステリ丸出しの描写だ。

 砂に触発された著者の発想がとてもユニークだ。砂山斜面でのなだれのダイナミクスを、「自己制御された臨界状態」と評したり、地層の年代の不整合を「地球の台帳」と呼んだり、堆積された砂の粒子が熱や圧力で化学反応を起こし、岩化する様を「地球の堆積岩というケーキ」と表現する。

 莫大な数を示す比喩として、「砂を数える」という言い回しが、どの文化圏にも存在する。著者はそこから想を得て、一粒の砂を「一年」として地球の歴史を砂山で表現する。コップ一杯の砂は300万粒だから、山盛りコップ三杯で初めて原始的な単細胞生物が出た頃だという。ちなみに、人類が出現するには、コップ12杯と1/3を加えて"現在"にしたのち、ひとつまみ取り除けばよいそうな。つまり、人類の歴史は砂ひとつまみ分なのだ。

 芸術から見た砂のウンチクもたっぷりある。ウィリアム・ブレイク「一粒の砂に世界を見る」から始まり、安部公房の「砂の女」が出てくる。鳥取砂丘に浸食される村を守るため、砂を片付けるために生きている女と、それに取り込まれた男の話なのだが、なんとリアル「砂の女」が出てくる(ただし日本ではなく、マリ共和国)。押し寄せる砂丘から村を守る、プロの砂掻き屋なのだ。また、砂丘のくっきりした陰影を官能的に描いた映画「イングリッシュ・ペイシェント」は、別名「砂とともに去りぬ」だそうな(観た人は納得できるエイリアス)。

 本書から得たのは知見よりも視野の深浅。たとえば、ダムが遮るのは水だとばかり思っていたわたしには、衝撃的な事実がつきつけられる。もちろんアスワン・ハイダムが引き起こした環境破壊は有名だが、長江の三峡プロジェクトはそれを上回る。上海の北に注ぐ長江のダム湖は、満水時に300kmになり、流下する土砂量は半減することが予想される。もともと上海は13世紀に形成された河口の砂州の上に建設されたので、海からの防護には砂の堆積と移動のバランスが欠かせない。これが崩れると、上海が「物理的に」流出するかもしれないのだ。

 また、ドバイの砂上に建てられた高層ビル、高層ホテル、レクリエーション施設は、マタイ伝7章26節「砂の上に家を建てることは、なんと愚かなことだ」に対する挑戦になる。ただ著者にいわせると、どんなに堅固な大地でも、砂は必ず含まれているため、すべての楼閣は砂上に建てられていることになる(それを実際に知るのは液状化後になる)。

 「砂」をめぐる旅は地球を越える。著者は、タイタンの細長い砂丘を見て、大気の潮汐から引き起こされる風が、(地球と同じように)複数の方向から吹いているという。また、火星の地表にある砂から、かつて火星には多量の水があり、海があったことを指摘する。谷や蛇行する水路や州があり、典型的な浸食の跡が残っているというのだ。

 つまり、砂があるということは、そこに大気や海洋、岩、生命体の相互作用が及ぼし合うエンジンとなる「駆動力」が存在するというのだ。砂だけが存在する惑星というものはなく、砂を砂たらしめるものが、惑星に系として影響を与え続けているのだ。粒としての砂から、水中、海中、空中を圏のように巡る砂のうごめきを想像すると、この星は砂に包まれて生きているように見えてくる。

 文明と自然を見る、新しくて馴染み深い視点としての「砂」を得る一冊。

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