わが子に読ませる「この世でいちばん大切なカネの話」「ぼくんち」
スゴ本オフ「元気をもらった本」で手に入れた逸品。
サイバラ節が炸裂しつつも、「これからオトナになる人に読んで欲しい」想いが詰まっている。というのも、お金がないことが人をどれほど追い詰めてボロボロにするか、お金があることでどれほどの不幸から身を守れるかが、文字通り身を削って描かれているから。
そう、「カネさえあれば幸せになれる」といったら異論が出るだろうが、「カネさえあればかなりの不幸を回避できる」は本当だ。カネを使って不幸を撃破しつつ、幸せに匍匐前進するのが"勝ち目"のある戦い方だろう。まちがえてはいけないのは、戦う場所と相手。彼女が目指したのは、予備校の順位で最下位からトップを目指すのではなく、「この東京で、絵を描いて食べていく」こと。これが、最下位による、最下位からの戦い方だという。
そして、自分の得意なものと、自分の限界を知ったうえで、「ここで勝負」という、やりたいこととやれることの着地点を探す―――後からふりかえると、こんなにキレイにまとめられているが、当時はその日その日をクリアすることで手一杯だったんだろうなぁ。「まあじゃんほうろうき」をリアルタイムで読んでいた当時、あれは「聴牌即リー全ツッパリで原稿料が毟られていく様を、サイバラと共にヒリヒリしながら笑う漫画」だと思ってた。カネの話なのに彼女の破天荒な生きざまの動機付けみたいだ。
いいな、と感じたのは次の一節。子どもが「夢」と「現実」のFIT/GAPに気づいたとき、使ってみよう(さも自分で考えたみたいに)。
「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶ諦めてしまいそうになるけれど、そうじゃなくって「どうしたら稼げるか」って考えてみてごらん。そうすると、必ず、次の一手が見えてくるものなんだよ。次に「ぼくんち」を読む。自伝的要素の入った物語のようなエッセイのような漫画で、絵柄ほのぼの、中身リアルに叩きのめされる。えずくように読まされる。貧乏がしがみついてくる生活のなか、死に物狂いで生きる姉兄弟の物語なのだが、不思議と"生活臭"がない。貧乏を書くと、臭いだとか騒音だとか、空気や床が"ベタベタした感じ"が練りこまれるもの。だが、そんな属性はきれいに漉し取られて、ヤクザやホームレスたちの言葉に"酔う"ことができる。「幸せの閾値を下げる」ことの大切さを思い知ろう。
これは、子ども向けではなく、オトナの絵本(児童書)やね。全編ありったけに詰め込まれているメッセージは、一言「生きろ」。
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コメント
>詰め込まれているメッセージは、一言「生きろ」
私が受け取ったメッセージは「まだまだいける!」(笑)
ひさしぶりにサイバラ節を堪能したくなりました
投稿: ラッキーマン。 | 2011.07.16 12:20
>>ラッキーマン。さん
「まだまだいける!」も入ってますねw
「まあじゃんほうろうき」読みたくなってきた…
投稿: Dain | 2011.07.16 15:48