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この「ゆん」大好き! 「佐藤くんと田中さん」

佐藤くんと田中さん
 目ェキラッキラさせながら断言、この「ゆん」はエエで。

 語れるほど読んでるワケではないが、「LOVELESS」のようなベトつき感や「妖精事件」みたいな絶望がない。サラっとヒヤっと非日常へ(でも萌えはあるよ、燃えじゃないよ!)。ぞっこん「ゆん」な嫁さん曰く、「ゆんらしからぬ、でもゆんなラブコメ」禅問答かよ…

 「転校生の佐藤くんが吸血鬼だと見破った田中さん」というプロットから膨らむお話が好きだ(予想調和な展開で)。怜悧なインテリ吸血君と、猪突猛進不思議ちゃんのお馬鹿な掛け合いが好きだ(シリアスとギャグの落差で)。メガネ+スレンダー(小柄)+秀才と一部女子の秘孔を直撃する佐藤くんの激しい独白が好きだ(東京大学物語マイルドみたいで)。「吸血鬼は手が冷たい」ことを確かめるためいきなり腕をからめて手をぎゅっと握る(反則!)田中さんが好きだ。「アンタの全てを知りたい」と普通ならゼッタイ顔真っ赤にしてもいえないようなことを、マジメ全力目と目を合わせて言い切る田中さんが好きだ。

 何度も読んで、掛け合いの「間」にニヤニヤしている。ラノベで見かける設定を上手ぁくネームに広げている。ふつうなら、ラノベ→コミカライズ→アニメで消費されてく物語世界を、「ゆん」ならではの語りで支える。

 この「ゆん」っぽさって何だろう。

 「あたしって、アンタの全てを知りたい女なの」という宣言は、コードでもなんでもなく、愛の告白だ。でも言ってる田中さんは吸血鬼への好奇心100%の動機。もちろん(賢い)佐藤くんはそんなことは100も承知、でも、コトバそのものに捕まってしまって赤らんでしまう、その恥らいにきゅーんとなるのだ。対話の勢いが「あなたを知りたい」→「あなたになりたい」→「あなたとひとつになりたい」と十六歳のように会話を膨らませてしまう。最後のセリフを言ってしまって初めて自分がどんだけ恥ずかしい告白をしていたかに気づいて田中さん照れまくる……とまれ妄想!

 そう、この照れ照れした気分にさせてくれるのが、「ゆん」の好きなとこだな。一字まちがえると、デレデレしてしまうが、寸止めで濁点を回避している、それが「ゆん」。

 無理に風呂敷を広げて収拾つかなくなるのでなく、最後まで描いてくれたらそれだけでありがたい。でもラストは、田中さんの密やかな願いをかなえてあげない寸止めになると照れ照れ妄想している。

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「幅書店の88冊」はオススメ

 なぜ本を読むのか?

幅書店の88冊 この疑問に冒頭で答えている、いかにも幅さんらしい。「幅さん」なんて親しげに書いたが、一方的に慕っているだけでお話したことはない。ブックコーディネーターをなりわいとしており、ときどき小さな会を開く([BACH]で告知してる)。その語りを聞けばすぐに気づく、この人、ホントに本好きなんだってね。モノとしての本も含め、本屋から本を解放するのが幅さんのミッションなのだろう。

 最初の質問に対し、幅さんはなんて答えたのかというと―――

少なくとも僕にとっては、本を読むこと自体が目的ではない。その読書が、どう自らの日々に作用し、いかに面白可笑しく毎日を過ごせるかの方が重要だと思っている。言い換えると、本よりも人間や毎日の生活の方が好きなのだ。
 この姿勢は幾度も耳にする。本を読むことそのものではなく、読んだ後に何をしたかが重要なのだと。何かを読んで、誰かに話したくなって会いにいったとか、何かを料理して食べたとか、リアクションを重視する。本とは、誰かの経験や感情をテキストという言霊(ことだま)に情報化したものだという。その経験や感情を血肉化し、自分の言動に還元することが大切なのだと。

 このスタンスは好きだ。たとえば、作りたくなる読書。からだに叩き込む料理として、檀一雄の「檀流クッキング」を紹介する。分量度外視の、野蛮で偏った、涎のたれそうな料理が紹介されているという。あるいは、でかけたくなる読書。小沢健二の「うさぎ!沼の原編」では、好奇心の扉を実際にその手でノックすることを説く。クラウドに保存された思い出でなく、ダイレクトに記憶に触れる、その鍵が好奇心なのだと。日々の生活や感情への相互作用としての読書、このスタンスはいい。

毒書案内 だが、言い換えると「そういうスタンス」に沿った/合った本ばかり並ぶことになる。経験のストレッチを強要する読書や、人間の感情の限界や閾値を引き上げたり破砕するような、エゲツない読書とは無縁だ。身の丈に合わない怪物に食らいついてヒイヒイ泣きながらヘシ折られることはないだろう。そういうドMには、「人生を狂わせる毒書案内」あたりがお似合いだ。

 幅さんは極端に振れることなく、本の"効き目"にふみ込む。読書経験が血肉化し、自分の抽き出しにしまわれる。この遅効の抽き出しという考えは、3月11日を境に表に出ているように、見える。「厳密に言えば、本は誰も救ってはくれないのかもしれない」と予め断った上で、こう述べる。

だけれども、目を背けたくなるようなタフな現実からなんとか自分が持ち堪えるための耐性を、その引き出しの中にある小さな経験は授けてくれる気がする。だから僕は、本を読むと「救われはしないけれど、耐えられるかもしれない」とは言える。
終わりと始まり その盾や碇として、シンボルスカ「終わりと始まり」を紹介する。不条理に満ちた、「世界」という名の他者に、ただ言葉でもって向かい合う。イデオロギーやプロパガンダとは異なり、個から個へと語りかけてくる、翻訳されても壊れない、直接そのままの伝言だ。これは幅さんの会で知ったスゴ本で、この出会いに非常に感謝している。また、花森安治「一銭五厘の旗」を示して、「僕たちはかつての『少しだけずれてしまっていた毎日』の生活を鑑みる機会を噛み締める必要」をうったえる。救われはしないけれど、耐えられるための読書。

なぜ私だけが苦しむのか この答えには応えられない。「目を背けたくなるようなタフな現実」が何であるかは言うまでもないだろうが、わたしは目撃者でしかないから。現実は見せつけるだけでなく、身体やココロに直接触ってくる、撃ってくる、押し寄せてくるのだ。ヨブをもちだすまでもない。いまある家族や生計や身体の喪失や別離に「耐えられる」かどうかとなると……かなりアヤしい。「なぜわたしだけが苦しむのか」でさんざ予習してきてこの体たらく。

 それでもわたしには好ましい、「起きるに値する朝」を毎日くり返して生きていくための88冊が集められているのだから。

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ニュースの追記
昨日(7/30)松丸本舗でサイン本を見かけたぞ。
松丸本舗のレジそば、好位置に「幅書店の88冊」が面置きしてある。
何気に表紙を開いてみると、本体に幅さん直筆のメッセージが!
ご来店の際はぜひ、チェックあれ。
(残り2冊なのでお早めに!)

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要求の品質

 BABOKの最重要ポイントは、要求の品質にある。

 そもそも論をぶちあげて責任韜晦するなら、まだ賢いほう。ふつうの顧客は、「要求部門が違うと言うから」「書いてないことはこっちのフリーハンド」などと逆ネジを食い込ませてくる。要するに、仕様書には無いが無償(ただ)で対応しろ、という圧力だ。テストフェーズ後半か、シミュレータでもエミュレータでもなく「本当に使う人」「本当に接続するシステム」が使い出す頃に出てくる。いわゆる、宴もたけなわの頃だ。不備、誤読、漏れ抜け、ほころび、食い違いを、堂堂と「バグ」と読んではばからない。昔は殺意が湧いたが、これでかなり丸くなった[怒らないこと](とはいえ、ここでは仏教ではなくBABOKからのアプローチを続ける)。

 しかしながら、反論が困難なことも事実。「仕様書に無い」「要件定義に書いてない」「そもそも要求すらない」という反論ができるほどトレーサビリティが無いのだ。もちろん要件定義書っぽいドキュメントは存在するが、網羅性も、完全性も、一貫性も、実現可能性も、具体性もないし、正確でもなく、修正もされておらず、検証もできない有様。どっかのコンサルティングファームが書きちらしたあるべき論が延々とコピペされた代物で、そいつをもう一段ブレークダウンした「要求」が無いのだ。

 どう"あるべき"かではなく、どう"したい"のか、こいつを明確化しないままプロジェクトをムリヤリ進めた連中は先月栄転してもういない。よくプロジェクトが廻ったね? 不完全な部分や曖昧で不正確なところはどうやって明確にしたの? 分からなくなる都度に訊いたの? あたり~、SEから、プログラマから、テスタから、(ひょっとすると)移行、運用、接続先システム担当者、マニュアル作成者から、「質問」が出るたびに、メールで問い合わせる。粒度もタイミングも範囲もバラバラで飛び交わされた膨大なメールこそが、「要求」になる。さもなきゃ会議室や電話で一方的に通告される「顧客の思いつき」が「要求」と化す(みんなの心の中にある仕様やね)。

 当然の結果、やたら詳細な要求(ユーザインタフェースまわりのチェックとかボタンのデザインとか)と、曖昧なままの部分(エラー系とか接続先システムのインタフェース、あとパフォーマンスw)と濃淡が出る。互いに矛盾する動作も、もとは膨大なメールのどこかにあるそれぞれの「要求」を現実化したもの。そのうち、SEも、プログラマも、テスタも、移行も運用もマニュアル作成者も(オペレータさえ!)、「いまある動きが正しい=プログラムが仕様です」と言いだす。矛盾した要求を検証しないまま実現しようとする「ひずみ」「ねじれ」をなんとかするためのバッチジョブ、プログラムの修正、手運用、虎の巻が生まれる。

 どうしてこうなった? これは、ドキュメントの品質でもプログラムの品質でもテストの品質でもない、要求の品質が貧弱、貧弱、貧弱ゥ~だからだ。

 じゃあどうする? BABOKの6.5「要求を検証する」では、要求の品質を提唱する。ここから先はおなじみだろう。品質特性の話になる。

  1. 凝集性が高い(cohisive)
  2. 完全である(complete)
  3. 一貫性がある(consisitent)
  4. 正確である(correct)
  5. 実現可能性である(feasible)
  6. 修正が容易である(modifiable)
  7. 曖昧さがない(unambiguous)
  8. テストが容易である(testable)
 ビジネスアナリストは、適切で充分な記述によって要求が仕様化されていることを検証する。この「検証」は要求アナリシスのプロセスを通してくり返し実行される。完全性や網羅性、一貫性をチェックリストやウォークスルーといったテクニックを用いて、見える化する。なんのことはない、レビューやペアプロでさんざやってきた成果物へのツッコミを「要求」にも適用するというわけ。

 だが、BABOKは先がある。「要求」の扱いだ。BABOKは「要求」と「表明された要求」と厳密に分ける。「表明された要求」とは、分析が行われてない要求のため、検証の対象にはならない。「メールで書いた」「会議で言った」だからやれ、というのはBABOKでは受け付けないのだ。プロジェクトで定義された「要求」の形にするために、「6.3 要求の仕様化とモデリングを行う」タスクを必要とする。すなわち、「要求」をまわす仕掛けがない限り、「要求」扱いされないのだ。顧客の思いつきで押し付けられる「要求」は、「要求」ではないのだ。

要求を仕様化する技術 「表明された要求」を「要求」にすることを意識するだけで、解決のアプローチが見えてくる。「表明された要求」に番号を振って、「6.3 要求の仕様化とモデリングを行う」のタスクを通し、「要求」化する仕掛けを作ればいい。これをExcelでやったのが、「要求を仕様化する技術」だ。Excelというインフラを援用すればここまで要求管理ができますよという好例だし、ソース管理ツールとかバージョン管理システムの発番体系に、「要求」をつなげる仕掛けなら、ちょっとしたカイゼンテクニックでやったことあるでしょ? こいつをもっとアタリマエ化して有無を言わさず見せ付ける。

 わたしが始めた方法は、メールの返信タイトルに要求管理番号をつけるという小技。顧客も最初は「何これ?」と言っていた。だが、自分の要求を「先先週のチェックのアレ」とか「明後日リリースのやつ」と言わなくて済むので、「番号」で伝えるようになってきた。だけどこの「番号」、チームでレビュー済みなんだよね。番号を払い出すためには、クリアすべき条件「仕様化、期限、確認手段」が必要なの。「期限が分からないので番号が出せません」と伝えたら、要求部門とネゴシエートしてくれた。

 もし、プロジェクトの最初から関われるのなら、「表明された要求」を精査して、番号を振るところから始める(トレースできるようにね)。ポイントは、「表明されていない(でも後から必要になる)要求」を先回りして、番号を予め振っておくこと(この辺は、「6.2 要求を体系化する」が詳しい)。

 「要求」と「思いつき」を厳格に分け、「要求の品質」をくり返しレビューする。これだけでも糞システムから糞がかなり取れる。だが実は、BABOKにはもっと先がある。ここでは、要求が品質を満たしているかを検証しているだけで、その要求は妥当かどうかは、別の問題になる。ビジネスの前提条件に合っているか、やることに意義(=便益)があるのか、機会費用とKPIとリスク分析を厳密に行う、「6.6 要求を妥当性確認する」が待っている。ホラ、あるでしょ、仕様も明確、一貫性も完全性もある要求だ。だけど、「ホントにそれ、今するの? オマエの意地とか意固地じゃないの?」というツッコミを入れる。そういう"仕掛け"を準備するのだ。

Babok


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スゴ本オフ@ジュブナイル報告

 本を介して人と会い、人を介して本と会う、それがスゴ本オフ。今回は、わたしが知らないジュブナイルを、ざくざく発掘した夜だった。

 書店のジュブナイル(ヤングアダルトは死語?)の棚なら、だいたい想像がつく。イマドキならあさのあつこ「No.6」や「ハリーポッター」、気の利いた選者なら「トランスフォーマー」(今夏公開)か「タンタンの冒険」(今冬公開)をいそいそ準備するだろう。そんな話題性よりも、みなさんの、それぞれの、「ガチ」をずらりと並べると、この世のどこにもない「ジュブナイル」棚ができあがる。まずはこの成果を見てくれ。

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  • 【Dain】「シルバーチャイルド」クリフ・マクニッシュ
  • 【Dain】「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ
  • 【Dain】「イルカの島」アーサー・C・クラーク
  • 【やすゆき】「どこからも彼方にある国」ル・グゥイン
  • 【やすゆき】「ライ麦畑でつかまえて」サリンジャー
  • 【金巻ともこ】「キングダム ハーツ Re:コーデッド」金巻ともこ
  • 【金巻ともこ】「クレヨン王国の十二か月」福永令三
  • 【金巻ともこ】「クレヨン王国の新十二か月の旅」福永令三
  • 【ろき】「ペルソナ4」アトラス
  • 【ろき】「ふたつのスピカ」柳沼 行
  • 【ろき】「それいけズッコケ三人組」那須正幹
  • 【ろき】「空色勾玉」萩原規子
  • 【ろき】「トレジャー・ハンター八頭大I」菊地秀行
  • 【倉数茂】「ツバメ号とアマゾン号」アーサー・ランサム
  • 【倉数茂】「黒揚羽の夏」倉数茂
  • 【master】「エグザイルス」ロバート・ハリス
  • 【ぽかり】「銀河鉄道の夜(ますむらひろし版)」宮沢賢治
  • 【ぽかり】「星の王子さま(池澤夏樹訳)」サン=テグジュペリ
  • 【佐藤博人】「旅のラゴス」筒井康隆
  • 【佐藤博人】「ヨッパ谷への降下」筒井康隆
  • 【sako】「十二国記」小野不由美
  • 【sako】「カラワンギ・サーガラ」津守 時生
  • 【スガ】「茄子」黒田硫黄
  • 【セベ】「オオカミさんと七人の仲間たち」沖田雅
  • 【ゼムクリップ】「東京石器人戦争」さねとうあきら
  • 【林田】「銀河英雄伝説」田中芳樹
  • 【林田】「スパイダーマン」池上遼一
  • 【林田】「世界ケンカ旅」大山倍達
  • 【林田】「謎の拳法を求めて」松田隆智
  • 【でん】「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ
  • 【でん】「池袋ウエストゲートパーク」石田衣良
  • 【とく】「氷菓」米澤穂信
  • 【とく】「愚者のエンドロール」米澤穂信
  • 【とく】「クドリャフカの順番」米澤穂信
  • 【husaosan】「ゲイルズバーグの春を愛す」ジャック・フィニイ
  • 【chibizou】「ラストソング」野沢尚
  • 【エアー】「涼宮ハルヒの憂鬱」谷川流
  • 【エアー】「MOTHER」久美沙織
  • 【永田】「だれも知らない小さな国」佐藤さとる
  • 【永田】「ハイブリッド・チャイルド」大原まり子
  • 【ズバピタ】「とらドラ!」竹宮ゆゆこ
  • 【ズバピタ】「たったひとつの冴えたやりかた」ジェイムズ・ティプトリー・Jr.

 わたしが「シルバーチャイルド」を持ってきたのは、「ジュブナイル=少年少女の成長譚」という構図を崩しているから。もちろん普通なら、成長はポジティブな意味合いを持つ。だが、親視点の「成長→変化→可愛かった子どもが別物になる」からすると、そこに一種の不気味さを伴う。これはもっと拡大させ、怪物と闘うために選ばれし子らは、それゆえにおぞましい怪物に変化する。理性に反していようと、わが子だと信じようとする・つながろうとする親があわれだし、シンクロする胸が痛い。SF+ダークファンタジーならではの空想実験だ。

 ジュブナイルの王道を持ってきたのはやすゆきさん「ライ麦畑でつかまえて」。新訳ではなく、白水のハードカバーなのが粋だね(Uブックスじゃないよ)。佐野元春のBGMとあわせると急にノスタルジックになるのは、わたしがオジサンになったせい。ぽかりさんの王道「銀河鉄道の夜」は朗読つき!岸田今日子さんの声の演じ分けに皆聞き入る。音楽もアリだが、オーディオブックという手もあったか。そして、でんさんの王道「はてしない物語」は、わたしと被ったので嬉しくなる。誰かと被るかなーと予想はしていたが、まさかでんさんとは。「子どもに読んでほしい選」に必ず入る逸品ですな。

 作家の乱入が、金巻ともこさんと倉数茂さん。どちらも鉄板ジュブナイルだから良いようなものの、ちゃっかり自著の宣伝になっている(ちなみにスゴ本オフでは宣伝歓迎)。「キングダム ハーツ Re:コーデッド」はサンプルの一冊だけだったけれど、「黒揚羽の夏」は複数冊放流されたので、争奪ジャンケン戦となる。見事勝ち抜いてゲットできたので、読むぞ。このモチーフとなったのが「ツバメ号とアマゾン号」だそうな。スティーヴンソン「宝島」に憧れているけど、もうそんなフロンティアはなくなっている1930年代が舞台。だからゴッコをするのだが…という骨組みらしい。湯本香樹実「夏の庭」かトウェイン「トム・ソーヤー」を反射的に思い出す。

 ビブリオバトルの乱入が、紀伊國屋書店のセベさんとスガさん。黒田硫黄「茄子」を持ってくるのが好事家だなーと思いきや、茄子の本質「栄養がないけど美味しい。無駄に対する愛情」と喝破する。それはまさに、ジュブナイルの本質につながる。そして「オオカミさんと七人の仲間たち」はラノベはラノベでも、ちょっとエッチで甘酸っぱいな王道学園モノだそうな。萌え属性と神話性がリンクされ文学としても面白いんだそうな。放流されてきたので読む!

 こうやって見ると、作家や編集者、書店の中の人が増えてきた。読み手どうしの出会いを作る場が、本にまつわるコミュニティに拡張されてきているのが分かる。今までのテーマは「ジャンル」だったけれど、書店しばり、出版社しばりでやっても面白そう。ホントは「編集者しばり」「編プロしばり」だと色が出てユニークだろうけれど、マニアックすぎるか(というより、黒子なので探しにくいという難もあり)。

 他に惹かれたのが、「クレヨン王国の十二か月」。12の悪癖をもつお姫様が、一つ一つ改めていくという成長モノらしいが、続編とあわせて読みたい。また、池上遼一「スパイダーマン」は必読。というより、そんな傑作があるとは知らなかった。アメコミの輸入物なのに、「よりパワーアップして濃くなっている」らしい。後半になると事件すら解決しなくなるという槍投げテイストに、よりソソられる。また、ろきさんが熱くプッシュしてたP4(ペルソナ4)はPSPで出ないかなぁ…

 やる度にゴソっと読みたい山が増えてくるスゴ本オフ。参加いただいた方、ありがとうございます。受付から発表者フォローまでありがとうございます、ともこさん。ズバピタさん、twitter実況ありがとうございます。やすゆきさん、司会ありがとうございます。そして、会場をお貸しいただき、ありがとうございます、KDDIウェブコミュニケーションズさん。

 過去のスゴ本オフは、以下からどうぞ。

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ブログの「外」の活動予定

 今夏の活動予定だ、いっしょに狩りをしよう。

7月22日(金)1900~2100 スゴ本オフ(Book Talk Cafe ジュブナイル編)
7月30日(土)1000~1700 スゴ本オフ(グループ・ハンティング@松丸本舗)
8月21日(日)1600~1700 ビブリオバトル@紀伊國屋書店
日時未定  エロ本オフ@渋谷まんだらけ

 まず、7月22日のオフ。オススメ本を持ち寄って、まったりアツく語り合うBook Talk Cafe形式。今回はジュブナイルについて夏っぽく熱っぽく話すつもり。鉄板の一冊と、ジュブナイルの新しい読み方を紹介するつもり。募集は締め切っているので、twitter実況やブログレポートをお楽しみに。

 次は、7月30日のグループ・ハンティング。棚替えした[ 松丸本舗 ]で、オススメあいながらブックハンティング。一人より二人、三人のほうがゼッタイ楽しい。自由参加・自由退出方式なので、都合がつく時間に寄ってわたしを探してくださいませ。目印は、背中にナナメにかけた赤いウェストバック。孤独な狩人ではなく、グループハンティングを目指すべし。

 そして、8月21日のビブリオバトル。オススメ本をプレゼンして、「いちばん読みたくなった」チャンプ本を多数決するというイベントだ。前回は惨敗だったが、捲土重来を期するナリ。本の紹介ばかりに拘泥するのではなく、斬新性、シズル感、決め惹句を練る錬る煉る。案内は→[ ビブリオバトル in 紀伊國屋 2011年8月開催 ]、観覧お待ちしておりまする。まだ応募しただけで、抽選にもれたらスミマセン(そのときは観戦記でも書くか)。

 これまでのブログ「外」の活動をご紹介。狩りの成果をごらんあれ。

 2010/04/07 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@SF編
 2010/05/14 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@LOVE編
 2010/07/16 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@夏編
 2010/08/07 スゴ本オフ@松丸本舗(7時間耐久)
 2010/08/27 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@BEAMS/POP編
 2010/10/20 スゴ本オフ@赤坂
 2010/10/23 スゴ本オフ@松丸本舗(セイゴォ師に直球)
 2010/12/03 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@ミステリ
 2011/03/04 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@最近のオススメ報告
 2011/05/27 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@元気をもらった本
 2011/05/28 ビブリオバトル@文京区図書館
 2011/06/26 ビブリオバトル@紀伊国屋書店顛末記


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「10代の子をもつ親が知っておきたいこと」はスゴ本

10代の子をもつ親が知っておきたいこと あと数年で思春期にさしかかる。「なってから」読むのでは遅い。だから、「なる前に」やれる準備はしておこう。そのための心強い一冊となった。一読、「思春期の親業」に自信がつく、スゴ本というよりも、心構えをつくる本。

 もちろんマニュアル世代ですが何か? こういう手引き本というかマニュアル本を良しとしない人がいる。だが、むしろ先達の経験+専門家の知識を短期間で吸収できる。あたって砕けろ的な現場主義はいただけない。本で練習して、実地に適用する。教本ばかりも情けないが(ビジネス書フェチの畳上水練)、選んで読んで、実践とフィードバックをしていこう。

 思春期のポイントは2つ、「自尊心」「コミュニケーション力」を育てること。「自尊心」とは、そのままの自分の存在を肯定する気持ちのこと。「コミュニケーション力」は気持ちを分かりやすく伝えることで、他者とのつながりを深めたり、求めるものを得る能力のこと。両者は密接な関係にあるという。自尊心が低いと、「どうせ誰も自分のことなど聞いてくれない」と思い込んでコミュ力も低下するが、反対にコミュ力を通じて相手とのつながりを感じると自尊心が育つそうな。そして本書の目的は、その具体的な育て方にある。

 このエントリでは、受け取ったものをいったん咀嚼して自分向けに"まとめ"直している。

 まず、著者の姿勢が潔いというか謙虚だ。著者自信も10代の子を持つ母親。だから親の不完全さはよく分かっており、本書を「こうすべき」と読まないでと釘を刺す。ありがちな「親の不安を煽って売ろうとする育児書」とは一線を画している。そして、彼女の基本スタンスはこうだ。

  変えられるものは、変える
  変えられないものは、折り合い方を考える

 ラインホルト・ニーバーのコレを思い出す。

  神よ願わくは我に与えたまえ
  変えられるものを変える勇気を
  変えられないことを受け入れる忍耐を
  そして、その二つを見分ける知恵を

 本書はその「知恵」を、クロニンジャーの7因子モデルで紹介する。

 つまりこうだ。遺伝的な影響を強く受ける4因子(冒険好き、心配性、人情家、ねばり強さ)と、環境的に作られる3因子(自尊心、協調性、精神性)が、その人となりを作り上げる。変えられない「性格」を受け入れて折り合いをつけ、変えられる要素を意識して補強する。

 たとえば「ねばり強さ」、これは後から訓練して身につくものではない。だから、「どうしてコツコツやれないんだ!」「なんでガマンが足りないの!」となどと怒ることの無意味さに気づけという。代わりにこう考えておくのだ。「ねばり強くないほうだから、ねばり強さが要求されることは避けておこう。コツコツやらねばならないときは、特別な工夫をしよう」というのだ。

自己信頼 そして、後天的な影響を受けるのが「自尊心」。これを育むためには、親はどう対応するのか。エマソンの「自己信頼」(Self-Reliance)を思い出す[レビュー]。自分の考えを徹底的に信じて、付和雷同せず、自己をよりどころとして生きろ、というのだ。梅田望夫「自分を信じろ、好きを貫け」や、カミナ「お前を信じろ。俺が信じるお前じゃねぇ。お前が信じる俺でもねえ。お前が信じる、お前を信じろ」でずいぶん勇気付けられてきたが、子どもにどう教える?天元突破グレンラガンでも見せるかw

 著者は「子どもにとって安全な環境」と「一貫性」が重要だと説く。安全な環境とは、「自分が何を言っても、批判・評価せず、とにかく聞いてくれる環境」のこと。そして、「一貫性」とは、親が突然キレたりすることなく、自分が続ける限りコミュニケーションが続くことだという。

 それには、まず子どもの感情を否定するなという。感情とは痛みのような身体感覚と同じく、本来は自分を守るための防御能力だという。感情によって状況の意味を理解し、自分に何が起こっているかを知ることができるという。だから、味わうべき感情は味わい、必要なら状況を変えろという。

 たとえば、「怒り」などネガティブな感情を否定し、押さえ込んだり無かったことにするような対応はご法度だという。怒りを感じるのは人間として未熟だということではなく、その怒りをどう扱うかが成熟度によって左右されるのだ。どんな感情であっても、本人がそう感じた以上、すべての「感情」は正しい。その表わし方や伝え方に上手下手、未熟成熟はあるが、それこそトレーニング次第だろうな。

女の子が幸せになる子育て いわゆる「キレる子」は、伝え方こそ極めてつたないが、きっと何か伝えたいことがあったのだろう、という前提に立てという。本当は何を伝えたかったのかを聞いて、その後に「キレる」コミュニケーション効率の悪さを認識させるのだ。「女の子が幸せになる子育て」で知ったアドバイスを思い出す[レビュー]

  「なぜ、そんなことをしたのか?」
   と問い詰めるのではなく、
  「本当は、どうしたかったの?」
   と受けとめる

 この姿勢は本書のなかでくりかえされる。「どうして」で始まる質問は要注意
なのだ。なぜなら、「どうして」には非難の響きがつきまとうから。多かれ少なかれ、現状を否定する響きを伴う。「どうしてあなたはそうなの?」は、現状が気に喰わないというメッセージになるし、「どうしてプラスに考えれないの」は「マイナス思考のあなたはよくない」というメッセージを伝えていることになる。話し手にとって、いつ否定されるか分からない、安全でない環境になってしまう。

 「どうして」と聞いている限り、どうしても問題行動に焦点が当たってしまう(子どもは防御の姿勢をとる)、だから代わりに、「どういう気持ちだった?」「どうしたかったの?」とたずねるのだ。そして、とにかく話をさえぎることなく、「どういうつもりでそれをやったのか」という子どもの意図をよく汲み取れという。すると、子どもの説明の中で「なるほど」と思うところが見つかるはず。そのときは口に出して「なるほど」と言ってあげて、意図したことを、実際に起こったことはどう違うのかを子どもに考えさせるのだ。「なんでそんなことをしたのよ!」と叱るのではなく、「本当はどうしたかったの?」と教えてもらうキモはここにある。

 この聞き方は「非暴力コミュニケーション」だという。相手に評価を下すのではなく、自分の事情を話すコミュニケーションだ。主語は「わたし」で「述語」は「~と思う」やり方。まずは暴力的コミュニケーションから。

 「おまえはいつも、嘘ばかりつく」
 「今日も塾をサボったな!なんで塾に行けないんだ」

 代わりに、このプロセスで伝えるのが非暴力コミュニケーションになる。

 「○が起こったとき」(客観的な事実の説明)
 「自分は~と感じた」(自分の気持ち)
 「なぜなら、わたしは△を求めているから」(自分の要望)
 「だから、□をしてもらえませんか?」(具体的な依頼)

 言い換えると、こうなる。

  • 「おまえはいつも、嘘ばかりつく」→「あなたが本当のことを言わなかったので、わたしは悲しかった。親として信頼してもらいたいから。これからは、本当のことを言って欲しい」
  • 「今日も塾をサボったな!なんで塾に行けないんだ」→「君が今日も塾に行かなかったと聞いて、心配している。親として必要な教育をちゃんと与えられているか確認しておきたいから、塾に行かない理由を教えて欲しい」
 これは、親子の会話だけでなく、わたしが接するあらゆるコミュニケーションにつながっていく。意見の相違が見えるとき、ロジカルな帰結を説明すればすんなり納得してもらえると思ったら大間違い。論理が明白であればあるほど、心を閉ざし頑なになる人がいる(大人の自己防衛やね)。そんなとき、「これだと嬉しい/したいから"お願い"」と、自分の感情を差し出すとうまくいくときがある。

男の子が自立する子育て そして、子育ての原則となる「待つこと」の重要性を強調する。「男の子が自立する子育て」[レビュー]で再確認したとおり、親の仕事は「準備」と「見守る」こと。そして、あとは子どもが成長していくのを待つことなのだ。著者はこれを、子どものペースを尊重するこという意味で伝えてくる。成長にはそれぞれの子どもに合ったペースがある。「今すぐ結果を出してちょうだい」というのは大人の都合であって、子どもは「いつ結果を出すか」「そもそも、結果を出すのかどうか」を自分で選べばいい、というのだ。

 このように、思春期の子育てを越えて、いまのわたしの姿勢を見直すことができた。「子どもが『死にたい』と言ってきたら」とか「親の離婚の影響」など、今のわたしにそぐわない、でも覚えておくべきアドバイスも多々ある。すべてを実践できるわけではないが、折に触れてここで振り返ってみるつもり。

 今までの子育ての再確認と集大成となる一冊。

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わが子に読ませる「この世でいちばん大切なカネの話」「ぼくんち」

 スゴ本オフ「元気をもらった本」で手に入れた逸品。

この世でいちばん大切なお金の話 サイバラ節が炸裂しつつも、「これからオトナになる人に読んで欲しい」想いが詰まっている。というのも、お金がないことが人をどれほど追い詰めてボロボロにするか、お金があることでどれほどの不幸から身を守れるかが、文字通り身を削って描かれているから。

 そう、「カネさえあれば幸せになれる」といったら異論が出るだろうが、「カネさえあればかなりの不幸を回避できる」は本当だ。カネを使って不幸を撃破しつつ、幸せに匍匐前進するのが"勝ち目"のある戦い方だろう。まちがえてはいけないのは、戦う場所と相手。彼女が目指したのは、予備校の順位で最下位からトップを目指すのではなく、「この東京で、絵を描いて食べていく」こと。これが、最下位による、最下位からの戦い方だという。

 そして、自分の得意なものと、自分の限界を知ったうえで、「ここで勝負」という、やりたいこととやれることの着地点を探す―――後からふりかえると、こんなにキレイにまとめられているが、当時はその日その日をクリアすることで手一杯だったんだろうなぁ。「まあじゃんほうろうき」をリアルタイムで読んでいた当時、あれは「聴牌即リー全ツッパリで原稿料が毟られていく様を、サイバラと共にヒリヒリしながら笑う漫画」だと思ってた。カネの話なのに彼女の破天荒な生きざまの動機付けみたいだ。

 いいな、と感じたのは次の一節。子どもが「夢」と「現実」のFIT/GAPに気づいたとき、使ってみよう(さも自分で考えたみたいに)。

「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶ諦めてしまいそうになるけれど、そうじゃなくって「どうしたら稼げるか」って考えてみてごらん。そうすると、必ず、次の一手が見えてくるものなんだよ。
ぼくんち 次に「ぼくんち」を読む。自伝的要素の入った物語のようなエッセイのような漫画で、絵柄ほのぼの、中身リアルに叩きのめされる。えずくように読まされる。貧乏がしがみついてくる生活のなか、死に物狂いで生きる姉兄弟の物語なのだが、不思議と"生活臭"がない。貧乏を書くと、臭いだとか騒音だとか、空気や床が"ベタベタした感じ"が練りこまれるもの。だが、そんな属性はきれいに漉し取られて、ヤクザやホームレスたちの言葉に"酔う"ことができる。「幸せの閾値を下げる」ことの大切さを思い知ろう。

 これは、子ども向けではなく、オトナの絵本(児童書)やね。全編ありったけに詰め込まれているメッセージは、一言「生きろ」。

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題名のない読書会(またはジュヴナイルで選ぶならコレ)

 次回のスゴ本オフは「ジュブナイル」ですぞ

 どれ持っていくか、再読したり悩んだり……この時間がとても楽しい。この記事では、その"楽しさ"について語る。本のタイトルは出さないのでご安心を。題名を出さずに本を紹介するという、難度の高いレビューになる。いわば、「題名のないオンライン読書会」やね。もちろん、スゴ本オフでは実物を持っていくので、予想してみてほしい。

 まず、以下の言葉わけは意味ないですな。

   児童文学
   ジュブナイル(ほんとは"ジュヴナイル"が肌に合う)
   ライトノベル
   ヤングアダルト

 「子ども向け」「若者向け」とラベルを貼っても無用、読みたい子ども/若者は、ラベルにちゅうちょせず手にとるから。いっぽう、既に子持ちでかなり若者から遠ざかったオッサンにとってみれば、ぜんぶ一緒、同じものの方言に見える。だから、「自分がジュヴナイルと思ったらジュヴナイル」でいいかと。学校の図書室にありそうなやつとか、○○コーナーに並んで沿うな一冊にこだわらなくてOK。

 さらに進めて、「若者/子どもが主人公ならジュヴナイル」もありかと。子どもが困難や恐怖を乗り越えて成長する物語なら、学校の図書室になくても"ジュヴナイル"の資格は充分にありかと。たとえば、スティーヴン・キングといえば"モダンホラーの旗手"(もう古語やね)だけど、以外と子ども視点の成長譚がある。子どもの読み物→ファンタジー系から連想する、すぐ隣の芝生「ダークファンタジー」「モダンホラー」に目を向けるわけ。

 そして、親視点で読んだら別の感触を抱くものを選んだ。子どもにとっては、主人公が成長する冒険譚として読める。だが、親にしてみれば、見慣れたわが子が、見知らぬ化物に変わってしまう恐怖譚に読めるもの。そう、子どもが成長するということが、"おぞましい"ほど強烈なショックを与える物語、でも子どもが読むものを選んだ。ツカミの、「ママ助けて…」といいながら、どんどん子どもが膨張していくシーンは、親トラウマ本になりかねない。ダークファンタジー、恐るべし。

 もう一つ、いわゆる王道をもってきて、別の読み方を提案することもアリだ。わたしが持ってく鉄板の一冊は、まちがいなく誰かと被るだろうが、問題ない。オッサンになった今、読み返してみたところ、新しい経験を得たから。

 まず、記憶が残酷なこと。自分の記憶が、いかに改ざんされていたかが分かった。可愛げのある少年だったはずだが、「でぶ」で「ちび」で性格的にもちょっとアレなことがキッチリ記されている。とすると、上書きされたんやね、映画にw 脳は選択的に覚えているもの。読んでる途中、主題歌がずーーーーっとリフレインしていたもの。

 それから、再読で気づいたのが、これは、ドン・キホーテを裏側に持っている。シェイクスピアで遊んでいるのは分かるが、ドン・キホーテは隠しつつ伏水流のように物語を潤している。お話の構造はまるで違うが、少年は彼の狂気を引き継いでいる。ドン・キホーテはお話が始まると速やかに旅立つが、これは"ドン・キホーテになりきるまで"が前半で、後半は"なったあと"と取れる。

 さらに気づいたのが、これは「ループもの」であること。通常はループというネタが登場人物を翻弄させたり利用させたりするいち現象として扱われる。しかし本書は、ループを物語に組み込んでしまいつつ、そのループをたどっているのは誰?という気にさせてくれる。登場人物だけじゃないのだ、そのループにハマるのは。自己言及の罠を回避しつつ、なおかつ外出しに堂堂と見せつつ、それでいて物語として成立している傑作だ。

 さて、お分かりだろうか?二つ目は、おそらくアナタの浮かんだ一冊でアタリだ。では会場で/twitterで/ブログでお会いしましょう。

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なぜ糞システムができあがるか

 納期が、予算が、バグフィックスが、性能、デザイン、インタフェース、使い勝手、保守が、可用性が、移行にマイグレーション、稼働率が、糞だ。そもそも要求を満たしとらんまともに動かない糞システムが、なぜ莫大な銭金かけてできあがってしまうのは、なぜか?

 アナリスト、コンサル、PM、SE、プログラマ、テスタ、ヘルプデスク、メンテ、ユーザー、そして経営者と、それぞれの立場から言いたいことは山ほどある。それぞれの立場から「これぞ真の原因!」と叫びたいのも分かる。経営者を除き、全てのキャリアをやってきたから。だから、自信をもって断言する。糞システムができあがる、最も根っこの原因はこれだ。

  一つ前の仕事をしている

 それぞれの立場で「やるべきこと」は分かっている。だからこそ、そのインプットが体を成していないことが明白なのだ。仕方がないので、自分で「インプット」相当を作るハメになる。

 例えばプログラマ、プログラミング以外のタスクが多すぎ。正常系(の一部)だけの業務フローを渡されて、「他の場合は?」とか「エラーの場合どう返す?」といったプログラミングするために必要な情報をかき集めたりすり合わせたりするのに時間やエネルギーを使い果たしていないか?プログラマは叫ぶ、「SEは何やってんだ!」ってね。

 じゃSEは? そりゃ、要求を仕様に煮詰めたり設計に落とし込みたいさ。でもね、そもそもシステムを作るための予算を確保するための戦略会議の資料をせっせと(ロハで!)作らされたり、どこぞの常務の脳の代わりに知恵を絞ってFIT/GAPやマーケティング分析に精を絞り尽くしてはいないだろうか? SEは叫ぶ、「発注元は何やってんの?」ってね。

 こんなカンジで、なぜかコーディングをするテスタ、なぜかテストをする運用、「やるべきこと」を果たすための一つ前の仕事にかかずらわっているうちに、「やるべきこと」をやる時間とパワーは無くなっていく。サプライチェーンがちゃんとしてても、いっこズレているんだよ、中身が。では、どうして一つ前の仕事をしているか?根っこは、これだ。

  何を作るか分かっていない

 これに尽きる。ゴールのために解決すべき課題や構築するべきシステムが、そもそも分かっていないのが原因だ。この「作る」はコードや成果物に限らない。「整理された業務フロー」や「人力化した業務」も含まれる。(その会社/部門/チームにとって)本来業務を効果的にまわすための仕掛けが"システム"なのだ。

 マネジメントや殿上人の発想はこうだ。売上が下がったから、目標を「売上○パーセントアップ」にする。「売上」を「利益」「即応率」「歩留まり」「ロスト率」「応答時間」「生産性」などに置き換えて、適宜文章を直すだけ。ちがうだろ! 実績のために目標を決めるのがテメェだろ! 目標とは、銭やパーセントで示さない。銭やパーセントを達成するための策や課題やベクトルが、「目標」だろうに。売上を上げるのか、コストを削るのか、新しいバクチを始めるのか、ヨソに委託するのか云々。それも、どうウェイトを配分するのかでぜんぜん違ってくる。

 その「目標」すなわち「何を作るのか」を検討すらしないまま、放り投げる。サプライチェーンのそれぞれは、成すべき内容は把握しているが、「何を」なすべきかが渡されない。仕方がないので、自分のポジションに合うように、投げられたものを加工し始める。受注元は殿上人のアテンドを、SEは経営戦略を、プログラマは仕様を、テスタはコードを担当する。そりゃ糞になるわさ。

 では、どうするか。わたしが見つけた答えは一つ、BABOK。一言でいうなら、組織の目的達成のためのタスクとテクニックの集まり。つきつめると、組織の目標を定義づけるための方法論だ。個人が頑張ってチーム/部門/会社の目標をまとめるのは、もう無理。だからこうした外出しの知識体系に頼り、これを共有することで、目標を決める仕事を一般化させたい。

 コンサルティングはポートフォリオ寄りだが、ビジネスアナリシスは"システム"に近い。To-Beをバラしてマイルストーンにして「システム化へのロードマップ」などと恥ずかしげもなく言い切る机上コンサルティングとは異なり、もっと現場で"システム"を考える。そういう道具とやるべき仕事が詰まっている。そう、マネジメントが一番避けてきた、「目標を定義するための仕事」を果たすのだ。

 これによって、FIT/GAPを"システム"化する際、人力からIT化からアウトソースから「何もしない」までを視野に入れて定量化できる(理想は)。また、効果を測定するトレーサビリティだけでなく、糞仕様が会社に与えるダメージまで追いかけることができる(理想は)。そもそも「仕様の品質向上」を至上とする(理想では、ね)。10年前、「なぜデスマーチプロジェクトになるのか」を追いかけてたどり着いたPMBOK、今度はBABOKを極める。

Babok

この記事はフィクションであり、筆者の所属する会社、組織、団体等とは一切関係がありません。ただし、「BABOKを極める」はホントですぞ。

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スゴ本オフ@ジュブナイルのお誘い

 おすすめ本を持ち寄って、まったりアツく語り合うスゴ本オフのお知らせ。

 知らない人と知ってる本でつながるワクワクと、知ってる本から知らないスゴ本へ拡張される興奮に酔いましょう。プラチナ本は、ここで狩るべし。

 今回はジュブナイル(juvenile)、児童文学やヤングアダルト、最近だったらライトノベルと呼ばれるジャンルだ。深く考える必要はなく、定義は「本人がジュブナイルだと思ったらジュブナイル」なのでご安心を。定番・鉄板を持ってくるもよし、的をズらした変化球を投げ込むもよし。読み手がヤングアダルト層である必要はなく、主人公が若者だったらジュブナイルになる小説があるんじゃないかと。

  日時  7/22(金) 19:00開場、19:30開始~21:30終了予定
  場所  KDDI Web Communicationsさんの会議室(6階です)
  参加費 千円(軽食と飲み物が出ます)
  申込み Book Talk Cafe の申込フォームからどうぞ

  1. テーマに合わせ、好きな本を持ち寄って、みんなで語り合います。プレゼンの時間は一人5分くらい。本を介して新たな読み手を知ったり、人を介して知らない本に触れるチャンスです
  2. 本に限らず、CDやコミック、詩や雑誌、写真集なんてのもアリ
  3. ブックシャッフルやります。「ブックシャッフル」とは、本の交換会。オススメ本をランダムに交換しあいます。交換する本は「放流」だと思ってください。「秘蔵本だから紹介したいけれど、あげるのはダメ」という方は、「紹介用」(見せるだけ)と、別の本で「交換用」を準備してくださいませ
  4. ネットと連動します。Twitter/Blogで、オススメ合いをさらに広めます。「その本が良いなら、コレなんてどう?」の反響は、時間空間を超えて広がります。顔出し抵抗がある方には、「見てるだけ」もアリ
  5. オススメが被っても無問題、というかよくありマス。自分にとっての思いを熱く語ってくださいまし

 これまでの戦果(のごくごく一部)は次の通り。奮って狩りにご参加あれ。

スゴ本オフ@夏編
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スゴ本オフ@最近のオススメ
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スゴ本オフ@元気をもらった本
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2010/04/07 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@SF編
2010/05/14 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@LOVE編
2010/07/16 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@夏編
2010/08/27 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@BEAMS/POP編
2010/12/03 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@ミステリ
2011/03/04 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@最近のオススメ報告
2011/05/27 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@元気をもらった本

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本を愛する人へのごほうび「おかしな本棚」

 本の「触った感じ」や、「手に取った重み」との相性は大切だ。

おかしな本棚 さて買うとなれば、その色合いや風合いに合った「最も映える場所」を考えたりする―――そんな人には、Queerな"おかしさ"が詰まっている。一方、「本=データ塊」だからpdfでいいんですとか、裁断をためらわない本ばかりが蔵書です、なんて人には難しい。insaneな所業に見えるだろうから。

変身 たとえば、フランツ・カフカの「変身」といえば、新潮文庫のあの色あの薄さを思い出さないか? 「おかしな本棚」の著者も、あの完璧なデザインにやられて、古本屋で見かけるたびに必ず(必ず!)買っていくという。だから、「おかしな本棚」には、文庫の「変身」ばかりの棚がある。様々な年代、刷、活字の印字の、旧かな新かなの、「変身」が並んでいる。癖のように集めてしまうのだ。これが「分かる」人なら、「おかしな本棚」は宝物のような一冊になる。

 あるいは、著者のこんな独白が「分かる」だろうか───「ぼくにとって本棚とは「読み終えた本」を保管しておくものではなく、まだ読んでいない本を、その本を読みたいと思ったときの記憶と一緒に並べておくものだ」。つまり、本はまぎれもなく一箇の物なのだ。ブツとしての本を見た/手にした/読んだときの記憶やら感情を託したり媒介するメディアなのだ。だから重みやにおいや触った感触も込みで「本」になる。「本」好きには有名な、クラフト・エヴィング商會の中の人ならではの感覚だね。

「この本を読みたい」と思ったその瞬間こそ、この世でいちばん愉しいときではなかろうか。それをなるべく引きのばし、いつまでもそこに「読みたい」が並んでいるのが本棚で、その愉しさは、読まない限りどこまでも終わらない。
 そう、読まない限りいつまでも続く喜びがある(けして積読の言い訳ではない)。クラフト・エヴィング商會の中の人によると、本には三つの醍醐味があるという。まず、いちばんの醍醐味は、本を「探すこと」。その次に「なかなか読めない」醍醐味があり、三番目にようやく「読む」醍醐味がやってくる。

 ネットやリアルを徘徊して、やっと見つけたお気に入りとはいえ、未読だから未だ片思いの一冊を買い求め、一番映える場所に鎮座してもらう。いつ読もうか、週末の楽しみにしようかと、「取っておき」にしているうちに、別の一冊に浮気して「これ読んだらキミだから」を繰り返すうちに棚の奥へ行っていまい、何かのはずみに手にとって、買ったときの喜びや想いがわーっと沸き立って、あれよあれよと一気読み。そういう経験がたくさん詰まっている。

  終わらない本棚
  ある日の本棚
  森の奥の本棚
  金曜日の夜の本棚
  美しく年老いた本棚
  年齢のある本棚
  蜂の巣のある本棚
  遠ざかる本棚
  見知らぬ本棚
  ...

 テーマごとに、ありがちなもの、意外なもの、全く知らなかった「棚」と出会う。本書は、「本の背中の本」ともいえる。背中は本の入り口、そこに徹底し、説明を省き、見た人の「おや?」「こ・これは!」というシズルをあぶってくる。誘惑に満ちた「本の背中の写真集」なのだ。

 「本」の作り手としての興味深いアイディアも紹介されている。「読まない」という企画なんかがそうだ。ドストエフスキー「罪と罰」は有名だし、あらすじなんか誰でも知っているだろう……が、その割に読んでない人は多い。そんな人が集まって、ああでもないこうでもないと白熱の妄想推理合戦をくりひろげる企画だそうな。きわめて2ちゃんで面白そう。

 また、「年齢のある本棚」というアイディアは(やるほうの本屋は大変だが)ぜひとも見たい。つまりこうだ。売り場の本をジャンルや名前ではなく、「年齢」で仕切るのだ。「二十歳」の棚には、さまざまな時代の二十歳が書いた本が並ぶ。「二十一」「二十二」「二十三」と数字だけが記された仕切り板によって並べられ、その歳に書かれた本がプレゼンされる。松丸本舗の窓側(東京駅側)には、「年代」すなわち出版年ごとにソートされ仕切られたラインナップが並んでいたが、近現代史を早回しで見るような棚だった。「年齢」棚は、きっと人類の精神史を早回しで見るような、ものすごく濃い棚になるだろう。

 遊びゴコロも愉しい。本書に載っていることが「おかしな本」がある。というのも、本書、つまり「おかしな本棚」そのものが紹介されている。作中作というか、自己言及の極みだね。ご丁寧に装丁も一緒だが、唯一のほころび(というかツッコミどころ)は、背表紙の文字「おかしな本棚」の「本」の文字が白抜きなところ(ホンモノは赤色)。この世に存在しない本が、しれっと出でているところや、未刊行本を「本の中の本」としている試みは、斬新で懐かしい。ほら、"無い本"とか"作中作"なんて、スタニスワフ・レム「完全な真空」やジョン・アーヴィング「ガープの世界」みたいじゃないか。

 本書は、「持った感じ」がまたイイのだ(計算し尽くしている)。まずは、書店でおためしあれ。


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