鹿目まどか@SWITCH vol.29
ひさびさにSWITCH、もちろん、まどか☆マギカ。
ブックレビューとか作家の青田買いの特集のときは買っていたが、インタビューアーがいいよね。今回は「ソーシャルカルチャーネ申|〇〇」だそうな。2011年を象徴する神話としての「まどか☆マギカ」の虚淵玄をはじめとし、竜騎士07や今日マチ子にといった大御所への取材の集大成といったとこか。
ニコ動クリエイター20の全員知らなかったし、他のネ申たちも知ってるほうが少ないくらい。だからといって、知らないから行って見てみたいという気分にならないのも正直なところ。観たいものしか見ないからね、「自分の観測範囲=世界」と見誤らないように気をつけよう。
面白かったのが、見せ方。右開きなのに90度回転させて、上下開きにさせる。表紙まどかを横向きになるように。これ、読み手の便よりも、読み手込みのたたずまいを見せるための構造になっている。読みにくいけどユニークなつくりなり。
ちょっと惹かれたトコを引用しよう。まず新房昭之監督のこれ。
キュウべえって、言ってみればマイケル・サンデルみたいなキャラクターですよね。「あなたはどちらを助けますか?」みたいな部分では。ちょうどあの本を読んでいたので、「ああ、これはわかりやすくていいな」と思ってましたクレヨンしんちゃんで正義の相対性をやった人には"おさらい"になるだろうね→「正義の反対は悪なんかじゃない。正義の反対は『また別の正義』なんだ」。皮肉を利かせるなら、「『正義が勝つ』のは当たり前だ、勝ったほうが正義を唱えるのだから」(via Tumblr)。あと、脚本を担当した虚淵玄のコレ。「第10話のループ設定の意図は?」の質問に答えて。
プロットの段階で、主人公(鹿目まどか)に対比される、ライバルないし親友的なキャラクター(暁美ほむら)は、一ヵ所に立ち止まってグルグル回っている子にしようというのがあったので。それで逆に、足踏みしていた主人公が先に進み始めるというオチにしようという思惑は漠然とあったんですループ構造ばかりに目がイっていたわたしにとって、新鮮な気づきが得られる。傍観者としてオロオロしていたまどかが、たしかに自分で前に進もうとするのは、確かに第10話だわ。このあたりをさらってから見直すと、ほむほむからまどかへの駆動が伝わってくる。ソーシャルネット的な後押しを評価していた発言も面白い。
また、虚淵作品の"容赦のなさ"は、自身のリアリズムから来ているらしい。「沙耶の唄」の、腐肉と内臓に満ちたギーガーばりの世界はアンチ・リアリスティックそのもの。だが、あれは世界の見え方の寓話。沙耶のラストは無残かもしれない。だが、どんなに陰惨であろうとも、その主観内ではリアルな「愛」が完結している。
「ソーシャルネットワークを評価する」紙の雑誌の特集と位置づけてもいいが、わたしには「今時のソーシャルネットをクリッピングしたスクラップブック」だね。

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