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JUST DO IT!「正法眼蔵随聞記」

 仏法ライフハック。

正法眼蔵随聞記 道元禅師から聞き書いた仏道修行の至要をまとめたものとして有名。歴史や倫理でタイトルだけは見知ってたし、やたら持ち上げる人がいるのも知ってる。だが、難しがることもありがたがることも無用、シンプルでパワフルなライフハックと思えばよろしい。

 たとえば、「病気が治ってから仏門に帰依しよう」とか、「この事業が完遂したら修行を始めるぞー」なんて言ってるうちに人生終わる。「この戦争が終わったら、故郷に帰ってフィアンセと結婚するんだ」と一緒やね。死亡フラグにならないよう、お灸とかで症状をだましながら修行しなさいと説く。

 あるいは、語録や問答を集めた本を読んでもダメダメという。そんなの読んでいるくらいなら、ひたすら坐禅せよとくり返し述べる。ライフハックとか称して、「○○の効率を10倍にする20の方法」なんかをリッピングしてるよりも、素直に○○をやれと同じ。中学の頃、学習雑誌の勉強法特集を読みふけってばかりで、一度たりとも徹底したことがなかったことを思い出す。勉強法が仕事術に変わっただけで、同じことをくり返していおり、痛々しくて、情けなくて、恥ずかしい。

 きわめてプラクティカルな考え方も学べる。海の向こうでは、「七軒だけ托鉢せよ」と言うけれど、この国は庶民が貧乏だから七軒じゃ足りなくね? とか、そもそも道が汚いから、袈裟つけてたら汚れちまうだろという。それぞれの場所、時勢、風俗習慣に即した修行をすればいいと割り切る。郷に入ってはの精神やね。さらに究極の問題→「老母の介護と仏道と、どっちが大事」という難問には、「よく考えてね」と突き放す。とはいえ、彼のアドバイスはこうだ。

もし、この一生を捨てて仏道に入ったならば、老母はよしんば飢え死にしても、ひとり子をゆるして仏道に入らせる功徳は、将来道を得るすぐれた因縁ではないか。また自分も、今までの長い長い間、生まれ変わり死に変わりしても、捨てることのできなかった恩愛の情を、今この世に人として生を受け、難値難遇の仏の教えにあった時に捨てたならば、これこそ真実の報恩者というべき道理である。どうして仏の心にかなわないことがあろうか。
 しかし、疑問なトコもある。「我見を離れよ」だ。この身に執着するな、自分のために仏法を学ぶな、自分の身も心も一切捨て去って、仏法にむかって投げ捨てよと、これまたくり返し主張する。道を得ようと「望む」「願う」「求める」こと、それ自身が我執に囚われているとまで言い切る。これが分からない。

 なぜなら、我そのものを本当に捨て去ってしまったら、仏法を「学ぶ」「行する」「得る」存在はなくなるから。我があるからこそ認識できるその意識を捨てたら、もはや主体なしの世界になってしまうではないか。まっすぐに読んだら、只管打坐で心神喪失をめざせ、になる。理由は言葉で伝えられない、そういう境地に至ったら自ずと悟るよという逃げもアリだが、それなら言葉で伝えようとする行為を否定しているではないか。ひょっとすると、わたしの誤読で、「我=我欲我執」かもしれないし、「自分を捨てる覚悟で」という方便なのかもしれぬ。凡夫の仏教ではなく、法の仏教か。ありがたがるより JUST DO IT! 分かった気になって威を借るよりも、この「分からない」を核に進めよう。

 本書はfinalvent氏に背中を押された一冊。いい出会いでした、ありがとうございます。

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ビブリオバトル@紀伊国屋書店顛末記

 オススメ本を紹介しあい、「チャンプ本」を決めるビブリオバトル。6/26に行ってきた→惨敗だった。まずは敗因分析をレポートし、ビブリオバトルの傾向と対策を分析しよう。そしてチャンプ本や印象に残った本を紹介しよう。まずは参戦した本の山をご覧あれ。

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 参戦者の持ち時間は5分。観覧者に向かってオススメを一冊プレゼン+質疑応答する。一巡したら、最後に挙手で多数決を採るシステム。わたしは第一ゲームの最初の発表者で、持ってきたのは永江朗の「本の現場」。けして他の参戦者の本と遜色ない(というか、ダントツでスゴ本)、さらに「スゴ本知ってる人います?」と聞いたら、かなりの人が反応したので、こりゃイケると思いきや、得票は最低。読書意識が高く、本が好きなら必ず食いつくネタなのにーというわたしの思いは空回り。

 なぜ、わたしのプレゼンは最低だったか?

 それは、「読みたくなった本」を選んでもらう場だから。本をダシに自分語りをしたり、本をネタに一席ぶつ場ではないから。もちろん自分語りをしてもいいし、「親爺の主張」をしても問題ない。だが、評価は"語り"や"主張"ではなく、そいつを通じて、観客が「読みたくなったか」に懸かっている。

 わたしは、これが分かっていなかった。「本が売れていない」「最近の若者は本を読まない」というマスコミ・ストーリーに統計情報で対抗する姿勢を評価したかった。あわせて、本との付き合い方がドラスティックに変わったことを伝えたかった([このへん]でアツく語っている)。わたしの熱意は伝わったようだが、だからといってその本が「読みたくなった」かは別だ。

 それよりむしろ、純粋に「これ面白いよ」と差し出されたエンタメや、大好きだーという気持ちがダイレクトに分かる作品の方が、「読みたい」気分を後押ししたようだ(なぜなら、わたし自身が読みたいと思ったもの)。

 もう一つ。観覧者からのフィードバックで知ったのだが、「スゴ本ブログで知ってた/もう読んだ」(だから改めて読みたいとは思わない)という意見がかなりあったこと。なるほど、確かにおととしこのテーマで誉めまくってたからねぇ…古かったかもしれぬ。ここ経由で見に来てくれる人のために、このブログで出してない奴を引っ張ってこないと【課題1】。

 非常に参考になったプレゼンがあった。中身には全くといっていいほど言及せず、その周囲をウロウロしたり、その本と自分のエピソードを思い入れたっぷりで語る語る。持ち時間をシズル感でいっぱいにするやり方、これはいい。特に、最初は訥々としたしゃべりなので、場慣れしていないのかと思いきや、だんだん熱っぽく饒舌になり、「ああ、この本が本当に好きなんだな」という愛情が素直に伝わってくる。

 後になってパラ見したら、なあんだという気分になったが、実際に開くまでは「読みたい」とワクワクさせられたから、これは成功といえる。悪い言い方になってしまうが、ビブリオバトルの必勝法は「読みたい気分にさせる」ことだから。中身を圧縮して伝えればいいと思い込んでいるわたしは、学ぶべき→中身に触れず魅力だけ伝える【課題2】。

 あと、決め文句重要。POPみたいなもので、本そのものを伝える短い決めゼリフは練っておかないと。今回のチャンプ本では、「この本を読むと、"本が呼ぶ声"が聞こえてきます」と「恐い本は好きで沢山読んできましたが、これが一番恐いです」。あざといかもしれないが、「レジまで持って行かせれば勝ち」に通じるものがある。それでも、レジの後、読ませるまでの動機付けとなるような、磁力ある惹句を準備するぞ【課題3】。

 ビブリオバトルの傾向と対策は、次の3つのポイントに絞られる。

 まず斬新性。必ずしも新刊でなくてもOKなんだが、聴衆にとって「未知の本」であればなおよろし。「本が好き」で集まってくる人たちは、そのまんま小説好き、ストーリー好き。マイナー出版社や傍流の翻訳文学がねらい目。あるいは、逆サイドを突いて、メジャーな作品の新しい読み方を提示できるなら―――かなり上級だが―――勝利に直結する。若手が集まりそうなら、ちょい古め(ボルヘスとか石川淳)を持ってくると目新しがられるかも。

 次はシズル感。すべて言う必要はないし、むしろ言わぬが華。ポイントをまとめて伝えるということは、「読まなくてもいいや」という気にもさせる。正確に伝えるよりも、むしろボかすことで聞き手が都合よく「面白そうだ」と採ってくれるように仕掛ける(やりすぎ注意)。本のタイトルを冒頭にもってこず、イントロダクションでジらすという小技も使える。内容を最低限に魅力だけを伝えるには、話術が必要、エピソードを組み立てろ、熱っぽく語れ。

 そして決め惹句。「この本を読むとこんなオトク感がありますよ」などと、メリットを短く強く言い表す言葉を選ぶ。冒頭のツカみとラストでくりかえす。「人生でありえないほど泣きじゃくる」「ご飯も食べずにイッキ読み」と、五七調を心がけろ、韻を踏め。面白い理由を観客に考えさせない、5分かけて刷り込ませる。ランキング重要。シズル感にもつながるが、「第3位~」「第2位~」と並べることで、聞き手の既読本と友釣りで釣れる。紹介本は一冊限定だが、別の本を出してもいいらしいので、ランキング形式は使える。

―――こうやって文章化すると、あざとさが透け見えるなぁ。だが、そんな後ろめたさを吹き飛ばすようなスゴ本を選べばヨロシ。

 では、どんな本が「チャンプ本」すなわち「一番読みたくなった一冊」に選ばれたか?

WWZ 第1ゲームはマックス・ブルックス「WORLD WAR Z」でゾンビもの。しかもゾンビ戦争が終結した後に、関係者にインタビューをするという異色作だ。紹介者の「得体の知れない恐怖がゾンビというメタファー」という評に惹かれた。あと、普通のゾンビものと違って、最後に人類が勝つのだそうな。ではどうやって? それは読んでのお楽しみ! なんだって。ドキュメンタリーなゾンビなら、ヒロモト森一の「少女ゾンビ」あたりを思い出すなぁ。

小さな本の数奇な運命 第2ゲームはケルバーケル「小さな本の数奇な運命」で、本好きな人のためのファンタジーだという。本よりも「語り」が抜群にうまい。その一冊と自分とのエピソードを積み重ねることで、中身を言わずに面白さだけを伝える、かなり高度な技術だ。"ある本"が二人称で自らを物語るのだが、シズル感満載のプレゼンに、衝動買いしたくなる。わたしが発した質問「"その本"のタイトルは?」への返答がまた秀逸→「明かされていません、これは、読んだ人があれかな、これかなと思い巡らすものでしょう」

 第3ゲームは井上靖「補陀落渡海記」。人生で一番こわい思いをした短篇なんだって。即決だったね(聴衆の反応もそう)。自分の人生が、ある日、期限付きの人生になってしまう怖さ、人生が時限爆弾になってしまうという惹句に、これは! と即買い→即読んだ……が、この怖さは生の一回性の可視化の怖さ。トルストイ「イワン・イリイチの死」のほうが、同じベクトルでより怖い。どんどん「死」へ向かう恐怖をイヤというほど思い知らされる。死に無縁なフリをしている人が想像できる、"最も恐ろしい死の形"を覗き見ることができる(自分は生きながらね)。

補陀落渡海記イワン・イリイチの死

着倒れ方丈記 チャンプ本ではないけれど、最も戦闘力の高かったのが、「着倒れ方丈記 HAPPY VICTIMS」、都築響一の写真集だ。良く言えばファッションマニア、悪く言えば服オタ、ブランドにハマって染まって貢いだ半生が、服・服・服の洪水で満たされた生活空間で語られる。ふつうの、マニアたちを写した一枚一枚が、痛くて切なくて、ちょっとあこがれる(その清清しいほどの潔さに!)。「トーキョースタイル TOKYO STYLE」の服版だね。

 ……しかしリアル書店は危険だ。本をオススメに行ったのに、帰ったときはこんなに買ってる…本マニアならぬビブリオマニアかもしれぬ。所有に拘泥しないから、読書マニア(もしくは読書狂)やね。

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鹿目まどか@SWITCH vol.29

 ひさびさにSWITCH、もちろん、まどか☆マギカ。

switch29 ブックレビューとか作家の青田買いの特集のときは買っていたが、インタビューアーがいいよね。今回は「ソーシャルカルチャーネ申|〇〇」だそうな。2011年を象徴する神話としての「まどか☆マギカ」の虚淵玄をはじめとし、竜騎士07や今日マチ子にといった大御所への取材の集大成といったとこか。

 ニコ動クリエイター20の全員知らなかったし、他のネ申たちも知ってるほうが少ないくらい。だからといって、知らないから行って見てみたいという気分にならないのも正直なところ。観たいものしか見ないからね、「自分の観測範囲=世界」と見誤らないように気をつけよう。

 面白かったのが、見せ方。右開きなのに90度回転させて、上下開きにさせる。表紙まどかを横向きになるように。これ、読み手の便よりも、読み手込みのたたずまいを見せるための構造になっている。読みにくいけどユニークなつくりなり。

Switch

 ちょっと惹かれたトコを引用しよう。まず新房昭之監督のこれ。

キュウべえって、言ってみればマイケル・サンデルみたいなキャラクターですよね。「あなたはどちらを助けますか?」みたいな部分では。ちょうどあの本を読んでいたので、「ああ、これはわかりやすくていいな」と思ってました
 クレヨンしんちゃんで正義の相対性をやった人には"おさらい"になるだろうね→「正義の反対は悪なんかじゃない。正義の反対は『また別の正義』なんだ」。皮肉を利かせるなら、「『正義が勝つ』のは当たり前だ、勝ったほうが正義を唱えるのだから」(via Tumblr)。あと、脚本を担当した虚淵玄のコレ。「第10話のループ設定の意図は?」の質問に答えて。
プロットの段階で、主人公(鹿目まどか)に対比される、ライバルないし親友的なキャラクター(暁美ほむら)は、一ヵ所に立ち止まってグルグル回っている子にしようというのがあったので。それで逆に、足踏みしていた主人公が先に進み始めるというオチにしようという思惑は漠然とあったんです
 ループ構造ばかりに目がイっていたわたしにとって、新鮮な気づきが得られる。傍観者としてオロオロしていたまどかが、たしかに自分で前に進もうとするのは、確かに第10話だわ。このあたりをさらってから見直すと、ほむほむからまどかへの駆動が伝わってくる。ソーシャルネット的な後押しを評価していた発言も面白い。

沙耶の唄 また、虚淵作品の"容赦のなさ"は、自身のリアリズムから来ているらしい。「沙耶の唄」の、腐肉と内臓に満ちたギーガーばりの世界はアンチ・リアリスティックそのもの。だが、あれは世界の見え方の寓話。沙耶のラストは無残かもしれない。だが、どんなに陰惨であろうとも、その主観内ではリアルな「愛」が完結している。

 「ソーシャルネットワークを評価する」紙の雑誌の特集と位置づけてもいいが、わたしには「今時のソーシャルネットをクリッピングしたスクラップブック」だね。

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ビブリオバトル@紀伊國屋に参戦するよ

 オススメ本を紹介しあい、最も読みたくなった一冊を決める、ビブリオバトルに参戦するぞ。

 スゴ本認定した一冊をダシにして、世の常識の嘘を斬り落とそう。でもって断面図と未来予想図を描いてみようかと。題して「『最近の若者は本を読まない』の嘘」、観覧される方は新宿南店(タカシマヤタイムズスクエア)へいらっしゃい。マッタリ感覚たっぷりのスゴ本オフとは違った、熱っぽいトークをおたのしみあれ。入口は、ここ「本と出会える。人とつながる。ビブリオバトル in 紀伊國屋」

 日時 6月26日(日) 14:00~(第1ゲームに参戦)
 場所 紀伊國屋書店新宿南店4階
 内容 ビブリオバトル(書評合戦)
  1. 「本の魅力を5分で語る+質疑応答」×参戦者
  2. 参戦者と観覧者で投票して「最も読みたい一冊」を決める

ビブリオバトル案内

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徹夜SF「戦闘妖精雪風+グッドラック」

 「オススメされなかったら読まなかった傑作」というのがある。もちろん読んだからこそ傑作と言える。タイトルだけは知っていて、なんとなく敬遠していたのを、3人に強力にプッシュされる(マヂで感謝!)

 「これから読む徹夜小説」でオススメいただいたハナレさん、「スゴ本オフ(SF編)」でガチ宣言してたyuripop師、「SF好きで雪風読んでないって、アニメ好きでジブリ見てないレベル」と喝破したrokiさん、感謝・感謝です。確かに、自称SF好きなら鉄のモノサシとなる作品やね。

戦闘妖精雪風グッドラック

 主役はなんといっても「雪風」、近未来の戦術+戦闘+電子偵察機だ。いちおう主人公っぽいパイロットやら上司がいる。地球を侵略する異星体(ジャム)と戦うヒトたちだ。が、この戦闘妖精を嘗め回すような描写のデテールを見ていると、著者はこの"機"に惚れこんで書きたくて、こんな設定やらヒューマンドラマをでっちあげたんだろうなぁと思い遣る。

 論理的にありえない超絶機動を採ろうとしたり、合理的な意思を突き抜けた真摯さをかいま見せるので、読み手はいつしか雪風を人称扱いしはじめる。非情・冷徹が服着てるようなパイロットも、"彼女"を恋人扱いするので、ますますそう見えてくるかもしれない。彼にとっては雪風こそ全てで、折に触れ「人類がどうなろうと、知ったことか」と嘯くため、人格破綻者か、非人間的な第一印象を抱く。

 そんな孤独なパイロットが、戦闘を生き延びて行くにつれ、人間味のある一面を見せるようになる。反面、"女性的"に扱われていたマシンが、残忍かつ非情な選択をする瞬間も見せる。テクノロジーとヒューマンの融合、人間味と非人間性の交錯がメインテーマなのかも。けれども、その演出がニクい。先ほど使った「人間味」や「残忍」という修飾は、あくまでヒトたるわたしが外から付けた表現だ。そんな甘やいだ予想を吹き飛ばすような展開が待っている。次のセリフが示唆的だ。人とは何かをテーマにするため、いったん、ヒトを突き放して考えているところが、とてもユニーク。

戦争は人間の本性をむき出しにさせるものである。だがジャムとの戦闘は違う、ブッカー少佐はそう言っていた。ジャムは人間の本質を消し飛ばしてしまうと
 そう、戦況が膠着化するにつれて、ヒトからますます離れてゆく。テクノロジーが先鋭化するにつれ、搭乗する"ヒト"の存在が、機動性や加速性へのボトルネックになってくる。無人化・遠隔化が進むにつれて、「戦いには人間が必要なのか」という疑問が繰り返し重ねられてゆく。もちろん現代でもプレデターやモスキートなどのUAV(Unmanned Aerial Vehicles)が使われているが、あくまでも遠隔操作。打ち出すミサイルの終端には、コントローラーを持つヒトがいる。

 だが、この世界では収集・判断・実行という一連の流れがマシンに委ねられる。空、雲、傘の全てを機械に代理させることで、戦士たは戦線から排除されてゆく。これとシンクロするように、防衛組織が地球の人々から乖離してゆく。防衛組織内だけで通じる発話や語彙がどんどん進んで、地球の一般人とのコミュニケートが困難になる。さらに、厭戦気質をつのらせた地球人が、「なかったこと」にしようとする。すなわち、防衛組織や異星体との戦争をファンタジー扱いし始める。

 マシンとヒトの融合と軌を一にするように、ヒトとヒトの疎外が進んでゆく。人類の危機に直面すると、いがみあってた人々が一致団結するようなものなのに、「地球には人類がいるが、地球人というまとまった集団はない」というセリフまで吐かせる。これはおかしい……という予感は正しい。"見えない"異星体の正体、戦争の行方、疎外されたヒトがどう変化(へんげ)してゆくのかといったもろもろの疑問は、次の独白でトドメを刺される。

地球を侵略すること、それから、人間社会を侵略すること、この二つは、まったく別の行為だと理解することだ。地球の支配者が人類であるというのは、外部から見れば、事実ではない。何度も言うが、それは人間の思い込みであり、思い上がりといってもいい。地球の支配者は植物だとか、海そのものだ、あるいはコンピュータ群である、という見方もできるんだ。
 ちょっとした"お遊び"もまた楽し。心理解析用のアプリケーションの名前が"MacProⅡ"だったり、哲学的ゾンビを敷衍するあまり、きわめてゾンゲリアなグロテスクシーンを持ち出したり、遊びゴコロに満ち溢れている。最初の動機は、実験的な設定を準備して、その中で思うぞんぶん"リアルな戦闘"を追求していくといったものだろう。その試みは大成功で、アニメ化された「雪風」が楽しみでならない。

転校生とブラックジャック ただ、コギトとアイデンティティの命題は食傷気味。独在性をめぐる思考は、「転校生とブラックジャック」でさんざんヤったので、いまさらその縮小コピーを見させられても飛ばしたくなる。おそらく著者は、テクノロジーとヒューマン・アイデンティティの行き先を心脳問題に着地させるつもりだろう(そっちが好みなら、「転校生と…」はスゴ本になるだろう)。ヒトでもマシンでもない存在をつくりあげ、"それら"が異星体と人類の仲立ちとなるような決着をつけるに違いない。

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暁美ほむらの慟哭「紫色のクオリア」

 「まどかマギカの種本」と教えてもらって手にする。

紫色のクオリア 本書は、真っ二つに割れている。前半は、「人間がロボットに見える少女」の話だし、後半は、「その少女の親友が彼女を救けようとあがく」話になる。なるほど、後半は、まどかマギカをホーフツとさせる設定が見え隠れする。

 特に、どうやっても救えない助けられない瀕死で微笑む手遅れ状態のまどかに向かって銃口を向けながら「う゛ーーーっ!!」と叫んだ暁美ほむらの咆哮を、確かに共有できる。後半の主人公に移入して、あの、身を揉むような絶望をシンクロする。

 ただ、誰かを助けること+「時」やり直すこと、たくさんの可能性をくり返し試し続けること……といった設定だと、湯水のように使われる設定になる。うる星とドラえもんとハルヒのゴッタ煮のなかに、アルフレッド・ベスターやシュレディンガー、哲学的ゾンビのネタが混ぜ込んである。書いた人、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」を泣きながらプレイしたんじゃないかなぁと勘ぐって、結末が心配になってくる。ヒントのような表紙が、非常に示唆的で、前半の主人公「ゆかり」の瞳に、後半の主役「まなぶ」が映っている。つまり、まなぶがゆかりに「観測」されているんだね。

 面白いというよりも、どんどん暴走する設定を、どうやって収束させるかにハラハラしながら読む。なぜなら一人称の物語は、物語られた瞬間(=語りの末尾)、「その語り手はどうやってその『物語る場所』へたどりついたのか」という疑問に応えなければならないから。話がどんどん広がって、とうてい追いつけない遠いところへ話者が行ってしまったら、どうやって「いま」「ここ」で語ることができようかと。しかしながら、心配するなかれ、あれだけ広げた超巨大風呂敷は、キチンとたたみきっているから。

伝奇集 平行世界をループするなら、「語り手」はどこにいるのか?「聞き手」は存在しうるのか?このテのネタに触れるたびに、いつも、いつまでも思い出すのは、ボルヘスの傑作「八岐の園」になる。語り手が平行世界に気づくことは可能だが、そちらへシフトした瞬間(時間を撒き戻した瞬間)、その世界の自己を取り戻す(手に入れる)から、同じ自我でありえない。したがって、平行世界が「平行世界モノ」だと聞き手に伝わるためには、複数の語り手/聞き手を準備するか、一人の聞き手の錯誤といった形状になる。

 可能性は無数にあれど、確かめられるのは一度で一人きりなのだから。そう、読書がそうであるように。

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3週間でやりなおす「高校数学の教科書」

 習うより慣れろ、学ぶより真似ろ。

 やりなおし数学シリーズ。いつもと違うアタマの部分をカッカさせながら、3週間で一気通貫したぞ。もとは小飼弾さんへの質問「数学をやりなおす最適のテキストは?」から始まる。打てば響くように、吉田武「オイラーの贈物」が返ってくる……が、これには幾度も挫折しているので、「も少し入りやすいものを」リクエストしたら、これになった。

高校数学の教科書1高校数学の教科書2

 本書の特徴は、「つながり」。アラカルト方式を改め、高校数学の体系を一本化しているという。なるほど、上巻の「数と式」の和と差の積の形に半ば強引に持ち込むテクは、下巻の積分の展開でガンガン使うし、図形と関数はベクトルと行列の基礎訓練だったことに気づかされる。ベクトルが行列に、行列が確率行列に、さらに行列がθの回転運動や相似変換に「つながっている」ことが「分かった」とき、目の前がばばばーーーっと広がり、強制覚醒させられる。

 上巻
    1章 数と式
    2章 方程式・不等式と論理
    3章 平面図形と関数
    4章 順列・組合せと確率
    5章 指数・対数と数列
    6章 三角関数と複素数平面
 下巻
    7章 ベクトル・行列と図形
    8章 極限
    9章 微分とその応用
    10章 積分とその応用
    11章 確率分布と統計

 高校ンときと明らかに違うのは、テストするのは、自分であること、期限がないこと。期末試験も受験もない(そういや、「数学=テスト」という構図から、ついに逃れられなかったなぁ、高校時代)。好きなだけしがみついてもいいし、早々とあきらめてもいいわけだ。おかげで、全体のなかの部分として学びなおすことができた。要するに、高校数学とは微積分なんやね。

 概念やテクニックの集大成として微積分に収斂されていく全体像が見えてくる(確率・統計という例外もあるけど)。微積分を理解するために極限があって、それを支えるアプローチや、同じ本質の別のふるまいとしてのベクトルや行列、三角関数や対数が説明される。それらの理解の基礎として、図形や関数、方程式や論理が準備されている。逆順に話したが、数学という道具を使いこなす段階を考慮した章立てだね。

 最初は扱いやすい「こんぼう」から始まって、慣れてくると「はがねのつるぎ」、体力をつけて「バトルアックス」、技を重視して「レイピア」、熟練を重ねて「エクスカリバー」を使えるようになる……そうした過程をトレースするような3週間だった。

 同時に、かつての強迫観念(?)「数学は役に立たない」を木っ端微塵にしてくれる。たとえば、対数の学習で複利計算をするんだが、「ヤミ金融でトイチで『1円』借りたら」で爆笑した。トイチ(10日で1割、複利)で1円借りて、10年間返済しなかった場合、元利合計は1000兆円を超える。1年を365日とすると、10年は3650日である。10年後の元利合計は、10日ごとに1.1倍だから、3650/10で365となるから、

  1×(1.1)^365(円)

  x=(1.1)^365 をとると
  logx=log(1.1)^365 
   =365log1.1
   =365×0.04139   常用対数表よりlog1.1=0.04139
  =15.10735

したがって、

  x>10^15=1000兆

となる。

 その前に救済法が発動するんじゃないの? というツッコミはともかく、この計算ができない(理解できない)人がいることは事実だし、その人を食い物にして肥える人がいることも事実。理解できない人を気の毒に思うのか、肥える人を非難するのか、反応が割れるところだが、少なくともわが子にはちゃんと仕込んでおこう。

 また、方程式や不等式と図形の関係から、「線形計画法」につなげる手腕は、鮮やかさと懐かしさがない混ぜになる。複数の材料を仕入れ、最も高い利益をたたき出す製品を作るには、何をどれだけ作ればいい? といったコンサルタントが喜びそうな問題が並んでいる。そういや、マッキンな人が武器のように振り回してたなぁと遠い目になる。本当に使えるかどうかの分かれ目は、

   1. 変数を何にするか
   2. 条件式をどう設定するか

による。言い換えると、ここをいじれば、欲しい結論に誘導する説得材料を得られる。確かに数学は仕事に不可欠だけれど、「数式にもっていく」前段で勝負ついているのが、ビジネスの現場なのかも。同じ理屈で経済学の乗数理論や、株式投資のポートフォリオ、標準偏差も解説されるが、あくまで数式として、道具として学びなおす。数式に意志を抱かせるのは、人の役割なのだ。

 著者のスタンスとして素晴らしいのは、「説明」を主としているところ。やり方を覚えて答えだけ導けばよい、という受験対策ではなく、自分で組み立てられることが大切だと説く。かつて暗記数学でしのいだわたしにの耳が痛い痛い。

 高校数学を通して、ストラテジー(発見的問題解決法)を身につけろという。個々の問題に対するテクニックとは異なるものだ。何らかの発想上の工夫を見つけないと解けない問題を解決するための手段を、いくつかの型に一般化しなさいというのだ。

 昔ならチャート式、今ならデザインパターンだろうか。「~が分かるためには、……が分かればよい」という推論をいくつかくり返す「逆向きにたどる」方法や、問題を特殊な状況に落とし込むことによって解決しようとする「特殊化」、既知の解決法を新たな問題にあてはめようとする「類推」といった手法が、演習で解説される。車の運転やビジネスプロセスと一緒で、実際に動かして身につける能力やね。

 取り組み方について。ちびちびやると挫折するので、キアイを入れて「通しで」やることを心がけた。演習の難度は青チャートぐらい。しかし、「ウォリスの公式」や「シュワルツの不等式」など、とうてい歯が立たないものも平気で展開してくる。嬉しい(?)ことに、「難しかったら、○ページまで飛ばしてよろしい」とささやいてくれる。ありがたく飛ばさせてもらう。目的は通し稽古なので、拘泥しないようとにかく進め、進めのノリで行く。

 面白いことに、高校のときと同じ所でつまづいている。ベクトルの和や差はベクトルなのに、積が「量」なのは何故かとか、操作としては理解できるが、腹の底から納得しきれない微積分など、同じ部分で壁にぶつかる(というか思い出す)。要するに、のびしろは自分自身なんだね。

 これで、いつでも戻れるベースができた。「高校数学の教科書」をもとに、次は「オイラーの贈物」に進もう。「数学ガール」の再読がもっと楽しくなるぞ。小飼弾さん、いい道しるべを示していただき、ありがとうございます。


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子どもをダシにオトナが遊ぶ「子どもが体験するべき50の危険なこと」

 突然だが、掃除機オナニーというものをご存知だろうか。

子どもが体験するべき50の危険なこと T型ヘッドを取り外した吸込み口に突っ込んで、スイッチオンして、激しい震動に身を任せるという、非常に危険な行為だ。吸込み口は、ほぼ詰まった状態になる。そのわずかな隙間をムリヤリ空気が通ろうとするとき発生する気流が、すさまじい勢いで"揺さぶる"のだ。大きすぎて入らない御仁は蛇腹でやるとよろしいって開高健が言ってた。快楽とは摩擦ではなく震動である、これに気づくと世界が変わる。

 「子どもが体験するべき50の危険なこと」は、もちろんそんな提案はしない。だが、「電気掃除機で遊ぼう」の件で懐かしく思い出した。ここでは、吸込み口に大きなビンを近づけて音を出したり、細長い紙を吸い込ませて震動させたりする「実験」を紹介する。キチンと危険性を掲げ、「目が見えなくなる」(要するに、目玉が吸い込まれる)リスクも説明する。

掃除機のホースを絶対に顔に近づけないこと。衛生的でないうえに、強力な吸う力が目などに重大な危険を及ぼす。
冷静になって考えると、確かにあそこはキレイなものではないね……

 タイトルから連想する「危険」な本ではない。むしろ、危険とは何か、なぜ危険なのかを安全に体験させようという趣旨で書かれている。イマドキの子どもは、「あれをするな」とか「入っちゃダメ」とか、制限事項が多すぎる。がんじがらめのリミッターをカットするための提案本としても使える。

 さっそく試したのが、「電池をなめてみよう」。味蕾に直接刺激を与え、どう感じるかを言葉にするという実験だ。こわごわやってみたものの―――結果は「冷たい味がする」だって。電池の冷たさなのか、電気の刺激なのかは分からないが、興味深い。

 次は、「車を運転しよう」。わたしのヒザの上に乗せてハンドルを握らせる。「ハンドルを回す」という感覚と、タイヤが向きを変える感覚がダイレクトに伝わってきて楽しいらしい。早くオトナになってほしいような、まだ子どものままでいてほしいような、不思議な思いに包まれる。

 「ドライアイスで遊ぼう」や「太陽を見よう」や経験済みなので、「火遊び」か「野宿」がしたいなぁ……嫁さんに叱られながら、「次はどれにする?」とイタズラ顔を見合わせる。これ、子どもをダシにオトナが遊ぶ本なのかもしれないね。

  1. 9ボルト電池をなめてみよう - 電気の味見をする。
  2. あられの中で遊ぼう - 母なる自然に身をさらす。
  3. 完ぺきなでんぐり返しを決めよう - 学校で禁止される前にマスターする。
  4. フランス人のようにキスであいさつしよう - Faire la bise.(キスしましょ)
  5. 車の窓から手を出してみよう - 鳥のように空気を感じる。
  6. 釘を打とう - ハンマーでものをたたく技術をマスターする。
  7. 車を運転しよう - 1トンの鉄の塊を動かす。
  8. やりを投げよう - 本能を目覚めさせる。
  9. ポリ袋爆弾を作ろう - 何かを爆発させる。
  10. 電気掃除機で遊ぼう - 掃除が楽しくなる。
  11. 石を投げよう - 原始人になる。
  12. ドライアイスで遊ぼう - すごく冷たい世界。
  13. 紙コップでお湯をわかそう - 相容れない要素の出会うところ。
  14. 電子レンジに変なものを入れてみよう - お台所の電磁場で実験する。
  15. 走っている車から物を投げよう - スピードと重力と空気の抵抗で遊ぶ。
  16. 高いところから落ちてみよう - 五点着地法を身につける。
  17. 虫めがねで物を燃やそう - 太陽の強力な光をあやつる。
  18. ひとりで歩いて帰ろう - 自由行動の子どもになる。
  19. 屋根の上に立とう - そこに屋根があるからだ。
  20. ノコギリを使おう - ノコギリで木材を切る技術をマスターする。
  21. 目かくしで1時間すごそう - 目を使わないで世界を見る。
  22. 鉄を曲げよう - 火の力で金属を変化させる。
  23. ガラスビンを割ろう - 自分のカラをやぶる。
  24. 空飛ぶマシンを作ろう - ヘアードライヤーで気球を飛ばす。
  25. 太陽を見よう - 明るすぎて見えないものを見る。
  26. かっこいい殺陣を学ぼう - 映画や舞台の隠された技。
  27. パチンコを作ろう - 原始的な道具を自分で作る。
  28. 木登りしよう - 親指に本来の仕事をさせる。
  29. パフォーマンスに挑戦しよう - 楽しんでお金もうけ。
  30. 小川をせきとめよう - 歴史の流れを変える(少しの間だけ)。
  31. 地下にもぐろう - 地下世界を探検する。
  32. タイヤを交換しよう - 自分で車を整備できる大人になる。
  33. ゴミ箱に飛び込もう - 埋められてしまう前に使えそうなものをひろう。
  34. 家電品を分解しよう - 隠された秘密をあばく。
  35. ゴミの埋め立て地を見に行こう - ゴミ収集車を追いかけて、ゴミの行方を捜す。
  36. 友だちに毒を食べさせよう - しょっぱいクッキーでね。
  37. 強風の中で手作り凧をあげよう - 強さと感覚の限界をテストする。
  38. つなわたりをマスターしよう - バランス感覚を磨く。
  39. 食洗機で料理をしよう - 機械の隠れた才能を使う。
  40. ミツバチの巣を見つけよう - 毒を持つ生物との接近遭遇。
  41. 公共の乗り物で街を横断しよう - 世界のナビゲーターになる。
  42. レシピ本にさからおう - 自分だけの焼き菓子を作る。
  43. ナイフで削ろう - ナイフを使って木を削る方法を学ぶ。
  44. ロープスイングで遊ぼう - 自分で作ったものに命をあずける。
  45. 火遊びをしよう - 自然界でもっともおそろしい力をあやつる。
  46. 指を瞬間接着剤でくっつけよう - 指が使えない生活を体験する。
  47. ガラスを溶かそう - 火をすごく高温にする。
  48. 冷凍庫でビンを破裂させよう - スローモーションで見る。
  49. 野宿をしよう - 暗闇の恐怖に打ち勝とう。
  50. なにかしよう - 自分で活動を考えて、書いてみよう。


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努力の最適化「上達の技術」

 正しい努力の仕方。

上達の技術 伸び悩むアスリートや、受験勉強に苦労してる方には福音となるかも…あるいは「知ってたよ!」とウソブくかも。上達上手とは無駄な努力をしないこと。漫然と練習を重ねたり、やみくもにひたすらにガンバルだけでは、決して「最高の自分」にたどり着くことはない―――著者は警告する。むしろ、"時間"という貴重な資源のムダになりかねないという。だから、上達のルールにのっとった「正しい努力」をするべきなんだって。

 では、「正しい努力」「上達のルール」とは何か。以下の8章で応える。

  第1章 最高の実力をだす技術
  第2章 結果をだせる練習の技術
  第3章 勝負強くなる技術
  第4章 集中力を高める技術
  第5章 記憶の達人になる技術
  第6章 高いやる気を発揮する技術
  第7章 打たれ強くなる技術
  第8章 創造性を発揮する技術

 例えば第2章の「結果をだせる練習の技術」に、「分習法」と「全習法」が紹介される。運動課題を部分に分けて、順番に分けて練習をするのが「分習法」で、それぞれを結合して行うのが「全習法」だという。スゥイング練習が相当しそうやね。最初は分習法で、技能水準が上がるごとに全習法にしていくのがセオリーだそうな。なぜなら、練習のテーマを決めて、一つ一つクリアしていくことで上達効率が上がり、さらにモチベーションが高められるから。

 また、第3章の「勝負強くなる技術」に、反復練習のメリットが紹介されている。それは、「技の再現性」「技の省エネ」になる。まず、反復練習の究極の目的は、最高のプレーを高い確率で再現できるようになることだという。そして、むだな体力を使わなくなるというメリットがついてくる。反復練習により、より少ない酸素や消費エネルギーでやれるようになる。つまり、同じ結果を"ラクに"出せるようになるのだ。

 さいきん空手を始めたのだが、確かにこのセオリーに沿って効果を上げているね。構えからの突きや受けを個々に分解し、集中的に反復練習する。一つの動作に習熟すると、組み合わせる。ステップを登るように上達していくと、一連の動作が流れるように実感できる。おまけで、同じ型を反復していくうちに疲れなくなってきているのが分かる。無駄な力を使わずに、同じ突きや受けができるようになる―――これが「型」の目的だね。

 また、アフォーダンス理論が紹介されてて興味深い。人は、「感覚されたものが脳で情報処理されて運動を制御するシステム」ではなく、「与えられた環境に則した選択的システム」で生きているのだという。つまり、状況に応じた最適なプログラムを、そのつど脳が作り出しているのではなく、蓄積されているプログラムから、状況に適したものを選んでいるのだと。テニスで瞬時に体の動きをコントロールしてナイスショットを打つことは、「事前に知っていない限り」不可能だろう。文字どおり、「体が知っている」やね。

上達の技術 伸び悩み現象についても考察されている。練習期間(回数)に応じて、学習量(成績)が右肩上がりに伸びていくが、ある一定の時期になると進歩が鈍ることがある。いわゆる伸び悩みで、プラトー(高原)と呼ばれることは知っていた。これは名著「達人のサイエンス」[レビュー]で教わったことだが、たとえ上達が具体的な形で現れていないときでもあなたは上達しているという一言に、どれだけ勇気付けられることだろう。

 伸び悩みを打ち破るために、目標を正しく設定することが大切だという。よい目標は「自己ベストを更新」になり、よくない目標は「○○大会で一位」になる。なぜなら、自分のベストはコントロールできるが、他の選手はコントロールできないから。そこでイチローの至言を思い出す。

  1. 自分にコントロールできることとできないことを分ける
  2. コントロールできないことについては関心を持たない
  3. そして、自分にコントロールできることだけに集中する
 本書の著者は、イチローの思考を本にしているくらいなので、イチロー語録が多いのもうなずける。スポーツが中心だが、「上手くなりたい」ものを持つあらゆる人に一読をオススメ。

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愛し愛されて生きるため「上手な愛し方」

 喧嘩で怒っている嫁さんへの唯一解は、ルール32にある。

上手な愛し方 ご存知のとおり、ヒートアップした彼女に対して、「やってはいけない」ことは山ほどある。冷静に反論、誤謬の指摘は、火に油。適当に「ゴメン」で済ますなら、「本当に悪いと思ってる? 」と逆ネジ喰らい、説明を求められるのがオチ。そして、説明に失敗すると、今度は火にガソリンになる。

 では、どうすればよいのか?

 ルール32は、「自分から先にあやまる」。さっきと一緒と思いきや、まるで違う。「なにを謝るのか」が違うのだ。ホントは自分が正しいと思っているのに、「ごめん」と言うのは偽善だろう。自分の意見や行動について、謝罪するわけではない。互いの意見の違いについての"議論"を"ケンカ"に変えてしまったことを謝るのだ。ケンカは一人でできない。つまり、ケンカを成立させてしまうほど自分が子どもじみていた、この一点に集中するのだ。

 異なる意見の是是非非を唱えるなら、火にガソリンの逆戻りだ。彼女は、論理的な結末ではなく、お互いの妥協点を見出すことではなく、単純に、純粋に、謝ってほしいだけのだ。自分の感情を害したことについて、「感情を害している」ことに鈍感なことについて、そもそも「アタシを怒らせた」という事実について、ひたすら謝ってほしいのだ。

 だからひたすら、ソコを突く。「こんなに怒らせてしまって、ゴメン」とか、「ボクがガンコだったよ」と"ケンカになったこと"を集中して謝罪する。ケンカを終わらせるためには、どちらかが先に謝る必要がある。それは、あなたの役目だ―――著者は言う、あなたが先に、大人であることを証明するのだと。

 本書で最重要のルールは既に述べた。だがこれは、「今」の「わたし」にとってリアルかつ実証済の黄金律なのだ。彼女や嫁さんがいない人は、第1章(ルール1~19)を、パートナーを見つけたなら第2章(ルール20~67)を、別れることを考えてるなら第3章を読めばいい。そこには、それぞれの立場にとって、あたりまえだけど、忘れがちなルールが並んでいる。ルール32は、知ってしまえば拍子抜けする"常識"かもしれない。だが、わたしは10年間の試行錯誤を経て、そこに行き着いたのだ。

 どうしたら愛する人と出会い、愛を確かめ、長続きさせることができるのか? 愛することは本能だが、本能だけで上手に愛することは難しい。愛には"秘密のテクニック"なんてなく、なにが一番大切かを、ときどき思い出す必要があるだけ。本書は、このリマインダーとして役立つ、愛の取扱説明書なんだな。

 たとえば、相手を選ぶもっとも重要な基準とは? と問うてくる。ルックス、地位、収入は時とともに失われるし、セックスの相性でパートナーを選んではいけないという(性的魅力を愛情と勘違いするほど危険なことはないから)→答えはマウス反転ほかのだれよりも、あなたを笑顔にしてくれる人こそ選ぶべき。それもただ笑わせるだけでなく、自分の失敗や悩みを笑い飛ばせるようにさせてくれる相手を選べ。

 あるいは、言葉で相手を承認せよと主張する。誰もが承認を必要とし、人間はそうできているそうな。そして、相手を承認する一番の方法は、「口に出して感謝する」に尽きる。「いつもありがとう」ではなく、「○○してくれて助かるよ」と、具体的に感謝する。要するに、言われたいことを、相手に言うのだ。本書には無かったが、tumblr経由で、「男は行動を誉めろ、女は性格を誉めろ」というのがある。「無口→知性的」、「おしゃべり→明るい」、「細かい→気がつく」など、ネガティブ語はポジティブに変換するのをお忘れなく。

 逆説的ながら訊けば納得できるアドバイスもちらほら「子どもよりパートナーを大切にする」や「愛はたくさん手渡せば、たくさん戻ってくる」などがそうだ。トドメはこれ→「愛とは時間のこと。相手が自分を必要としている分だけ、自分の時間を与え続けられるか」。愛し上手は愛され上手。「愛され女子のゆるふわコーデ」とか「モテる○○」といった、被愛者を目指して自分磨きに励むのでなく、能愛的に行くべし、生くべし。

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ビブリオバトル@文京区図書館

 行ってきた・見た・勝った。

 オススメ本をプレゼンして、聴衆に「いちばん読みたい一冊」を決めてもらうビブリオバトルに行ってきた(もちろん発表者として)。まったりアツく語り合う「スゴ本オフ」とは真逆のベクトルだけれども、テーゼは一緒「人を通じて本を知ること、本を通して人を知る」になる。

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 バトル形式とはいっても、殺伐感覚は無い。討論やディベートではないそうな。だいたい、話し手も聞き手も「本が好き」で共通しているから、未読本なら「そんな本があったのか!」になるし、既読本なら「そう読んだのか!」で和気あいあいとなる。持ち時間は1人5分でプレゼン+質疑応答を2分で1ターン、これを発表者分まわす。一巡したら投票して多数決で「チャンプ本」を決める。

 今回は文京区図書館で初開催のやつに参加してきた。若者からお年寄りまで、40人くらいの観客に、発表者は7名という構成。普通は大学や大型書店で実施されるので、図書館でやるのは珍しいらしい。スゴいやつから懐かしいやつまで、イイのを見つけてきましたぞ。さらに「死ぬまでに読みたい」長年の課題本も出てきたので、背中を後押しされた気分。

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 図書館ならではの特色は、プレゼン本にまつわる本が展示されているところ。「○○といえばコレも」を図書館がプロデュースしてくれている。いくつか撮ったのでごらんアレ。

 トップバッターは図書館員の方、高野秀行「ワセダ三畳青春記」をプレゼンする。三畳一間のボロアパートを舞台にした青春記だという。著者がアフリカの幻獣「ムベンベ」を追いかけてたことは、「コンゴ・ジャーニー」で知ってたが、こんな前章があったとは……

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 次は学生さん、城山三郎「素直な戦士たち」を持ってくる。懐かしい……って、若い娘さんが城山三郎というのも珍しい。これは動機が面白い。いわゆる受験戦争にハマった教育ママゴン(と息子たち)の狂想曲なんだが、なぜこれを選んだか?「わたし自身が、ムリヤリ勉強させられたから」だそうな。親の絶対命令「勉強しなさい!」がいかに子どもを蝕むかについて語る語る。城山作品には珍しいシリアスコメディで、今でも充分通用する。

 そして今度は住職さん、袈裟懸け装備で道元「正法眼藏」岩波文庫を持ってくる。すげぇ、リアルに読んでいる人はじめて見た。かれこれ15年かけて何度も読み直しているという。難解なのと受けての自分の移り変わりによってイメージが変転するのとで、死ぬまで読み続ける本になっている。そろそろ読むつもり(同じ理由で、人生最後の本になるんだろうなぁ)。

 あとは「もしドラ」「オタクはすでに死んでいる」「純愛カウンセリング」といったラインナップ。「もしドラ」は、40人の観客の半分くらい読んでいて驚く。長いことわたしの疑問だった「もしドラの女子高生は、電話帳くらいの何千円もする本を、中身を見ずに買ったのだろうか?」が解けたのはありがたい。エッセンシャル版だったのねッて……あれは引用集みたいなもの。あのフラグメンツからドラッカーを理解・分解・再構築するなんて偉いね。

ヴァギナ わたしのオススメは、2010年のNo.1スゴ本「ヴァギナ」。医学宗教人類学、文学言語芸術神話と多角的に徹底的に「あの場所」を考察した傑作で、読んだら人生変わるぞ、あそこは入り口じゃなくって、出口、しかも未来への出口だと思い知らされるぞと5分間アツく語ってきた。表紙がアレなのと、タイトルがストレートなので、引かれるかと思いきや、女性陣が食いつくように見入ってくれて面白かったぞ。

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 ちなみに、「スゴ本」が全然知られてなくてヘコんだが、そんなもの。「わたしが知らないスゴ本を伝え合う仕掛け」、リアルでも広めようっと。

 で、次回予告。6月26日(日)、紀伊國屋新宿南店で開催されるビブリオバトルにエントリー申込みしてきたぞ。入口は「本と出会える。人とつながる。ビブリオバトル in 紀伊國屋 2011年6月開催のお知らせ」からどうぞ。合戦も観覧も、喜んで受けて立ちますぞ。

ビブリオバトル案内

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東大生100人、オススメ100冊

 東大五月祭に行ってきた。

 東大生100人から借りてきた100冊のオススメ本の展示会だそうな。どういう本が並べられているか興味があるし、どういう見せ方(魅せ方?)をしているかは、もっと気になる。理II、理IIIの学部生が中心となって企画し、「あなたのオススメ本を貸してください」という呼びかけに集まった本、本、本を見てきた。

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 硬軟とりそろえているが、いいのを読んでるなぁと感心する。ハルヒやミシマは予想ついたが、カミュやオーウェルに浸る学生さんってちょっと想像がたい。"The Selfish Gene" がデンと鎮座してたのにのけぞる。「利己的な遺伝子」を原著で読もうという気概もさることながら、読んだんだろうなぁとひたすら感心する。

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 「詐欺とペテンの大百科」があるのは、立花隆がベタ誉めしてたからだろうか。「西の魔女が死んだ」を選んだのはきっと文学部の女の子だろうなと予想したら当たってた。このブログでもオススメした「夜の来訪者」「アルケミスト」「生命とは何か」そして「存在の耐えられない軽さ」があって、親近感覚増しまくる。

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 残念だったのが、本の見せ方。選者のコメントがワンペーパーで立てられているが、文字が小さすぎて読みづらいことおびただしい。本も「適当に置いてあるだけ」状態なので、スタンドやコーナーなどで"演出"すれば映えも良くなるだろうに……字数を絞って書店のPOP風にプレゼンすることを提案。ついでに「書店」そのものを持ってきて、展示即売会にすれば二度三度おいしいカモ。大型書店と手を組んで、プレゼンテーションを教えてもらう。書店はプレゼンス+売り上げを狙う。

 妄想たくましくしているのは、シェフみずから取り分けならぬ、選者みずからオススメの場。その本を手にした動機や、読みどころ、そもそもこの本をこの場に持ってきた理由を熱っぽく語って欲しい。でもって「これが気に入った人は、これも読んでいます」なんて本つながりの情報交換をするワケ。法文1号館219教室は奥まった狭い部屋にもかかわらず、人いっぱい状態だった。この企画にこれだけ集客力があるのだから、本を介した出会いも相当あるはず。

 本はノード、ノードに立つと、それを書いた人、読んだ人、気に入った人、気になる人が見えてくる。東大というブランドを生かして、ノードをつなげる仕掛けがあればなぁ……

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「がんの練習帳」で予習する

 いきなり初体験はキツい。だから練習・練習。

がんの練習帳 受験であれ性交であれ、結婚であれ親業であれ、人生は初めてに満ちている。そして、初めてのときはドキドキ(ワクワク?)するもの。いざ本番になって慌てないように、予行演習をするのだ。過去にさかのぼるように赤本を解いたり、暗闇でコンドームを(裏表をまちがえずに)装着したり、さまざまなな「予習」を積んできた。

 今回は、「がんにかかる」予行演習をする。日本人の2人に1人はなるといわれており、目耳ふさいで知らんぷりにはムリがある。受験や性交と違って、突然・唐突・直接だから、準備なしの初体験は危険でもある。「あのときに訊いておけばよかった」とか「あんなガセに振り回された時間が…」というのが、ずっと後になって分かるから。もちろんそうなったら、ショックを受けるだろうし、かなり慌てることは間違いない。しかし、予習するとしないとでは雲泥だ。受験や性交がそうだったようにね。

 さらに、自分に限らず、パートナーや近しい人がなった場合のシミュレーションにもなる。たいていは、ショック→なんで私が(怒り)→ネットで検索しまくり→サプリや民間療法に取り込まれる構図のようだ。その良し悪しはともかく、「主治医とのコミュニケーション」が鍵になる。

 本書は、患者とその家族の目線からみたケーススタディ集だ。人生のさまざまなステージで「がん」と出会い、どうやって乗り越え/付き合い/闘ってきたかの演習になる。予防から告知されたときの心構え、検診や療法選択のコツ、費用から最期の迎え方まで、すべて「練習」できるぞ。もちろん具体的な療法や症状は人さまざまだが、どうやって「がんとつきあっていく」かを考える羅針盤になった。

 練習の中で、わたしのがんに対する態度が変わってくる。定期検診での早期発見は「めでたい」ということや(米国では"Congratulrations!"と祝うらしい)、飛び散ってしまった場合は「室内から屋外へ逃げた鳥を捕まえるようなもの」など、"がんを視る目"が変わってくるのだ。「どんなに気をつけても"なる"ものだから、定期健診は保険と思え」なんて発想は目を引いたぞ。

 「練習2」のサラリーマン40男の事例は切実だ。「治療費は?期間は?」や「会社へどう対応する?」といった気になる疑問をトレースしてくれる。もちろん症例によって費用も期間も様々なので一概にいえないが、それでも先達の跡は参考になる。著者は、こうした事例を収集し、療法を評価する「がん登録制度」の提案をする。プライバシーを保護しながら、診断情報、治療方法、結果を登録し、分析する仕組みで、「過去の患者さんからの贈り物」だという。

 こうした取り組みをやってない方がオドロキだった。全国統一的なものではなく、都道府県ごとにまちまちなのが現実らしい。某党のマニフェストには「法制化」を謳っていたが、翌年には消えてしまったとチクりと刺す一文もある。

 著者は強調する、「どうせ一度は死ぬ身ならば、何で死ぬのがいいか」を。日本人がピンピンコロリを望むのは、死の恐怖と向かい合う時間が短ければ短いほどよい、と思っているからだという。いっぽう、がんで死ぬということは「ゆるやかで、予見される死」を迎えることを意味する。これを、「死刑執行までの期限」と考えれば恐ろしいが、「人生の総仕上げ」の期間と捉えれば、まったく別のものになる。「練習6」の「余命3ヶ月と言われたら…」は、この視点の転換のトレーニングとなった。

がんの練習帳 最後に。在原業平のこれを思い出させてくれてありがたい。そして、「最高の人生の見つけ方」という映画を教えてくれて感謝。余命6ヶ月を宣告された主人公が、人生でやり残したことを実現するために旅に出るというお話らしい。がんを覚悟する生き方で紹介した、「死ぬまでにしたい10のこと」の爺版みたいだな。

 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを
 (いつか死ぬとは分かってたけど、こんなにすぐとは知らなんだ)

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