真摯さは、ここにある「夜間飛行」
ピーター・ドラッカーが強調する「真摯さ」は、サン=テグジュペリの「夜間飛行」にあった。
飛行士が書いたものとして有名だし、じっさい操縦席に居るように生々しい。まぶしいほどの星明りを浴びながら、嵐の目を上昇するシーンは、同じ光を肌に手に瞼に感じるだろう(絶望感とともに!)。徹底して削ぎ落とされ・濃縮されており、描かれなかった場面が、幻肢のようにうずく。そう、飛行士の嫁さんのとこだ。彼女の不安とその先の感情は、削られたからこそ、わたしの肉が削がれたように感じる。
しかし、ここでは夜間飛行の指揮を執るリヴィエールについて書く。郵便会社のマネージャーとして欧州-南米航路を受け持つ。自分に厳しく、同じ厳しさを部下にも強いる「情け容赦のない」プロフェッショナルだ。飛行士や整備士と交わす会話の端々から、畏れられ絶対視されていることが分かる。だが、リヴィエールの内省に触れると、彼の繊細さ、思いやり、感受性の高さが直に伝わってくる。部下が感じる痛みを手に取るように分かっていながら、そのそぶりを毛ほども見せない。
リヴィエールは自虐的(?)に独白する。「ひとに好かれたければ、ひとの気持ちに寄り添ってみせればいい」。ところが、同情しようとする自分を、それを外面に出そうとする自分を鉄の意志で押さえつける。なぜなら、自分の仕事は、状況を制することにあるから。部下を鍛え上げ、郵便事業を進める「状況を制する力」をもたせてやらなければならないというのだ。
ときには部下を危険にさらし、おもねる整備士は無慈悲に斬る。「夜間飛行を続行させる」―――この目的のために、自分を、部下を、文字どおりささげるのだ。「人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受の中に存在するのだという事実を、明らかにしてくれた点に感謝する」と平然とつぶやく。仕事人間の残忍さにも見えるこの態度は、ドラッカーのいう「真摯さ」そのもの。だが、リヴィエールは「仕事人間」ではなく、強いていうなら「目的人間」だ。
原語は "integrity" という「真摯さ」は、よく言い換えられる「誠実さ」「率直さ」とは異なる。マジメで素直な性格という意味ではない。その証拠に、不真面目で、ひねくれた性格だが、「真摯なボス」というのは確かに存在する。その違いは、「目的」にある。"integrity"は、まず「目的」を要するのだ。それに対し、ひたむきに厳密に向き合う。目的に対して、正直さや誠実さを一貫して発揮できる―――これこそ、ドラッカーが強調したマネージャーに必須の条件「真摯さ」であり、リヴィエールそのものなのだ。
「ものごとというものは」と思った。「ひとが命じ、ひとが従い、それによって創り出される。人間は哀れなものだ。そしてひと自身、ひとによって創られる。悪がひとを通じて現れる以上、ひとを取り除くことになるのだ」彼は、マネージャーの孤独を知っている。目的を遂げること、そこへ向かって進む・進める全ての打ち手を実行する。そのために「誠実」「率直」に振舞うのだ。態度は、自分で決めることができるから。自分のしていることが善なのかどうか、分からない。仕事をするうえでの正義の価値もわかりやしない。それでも、折り合いをつけて努力していくことしかない……部下に声をかけるリヴィエール、「いいから、ロビノー、言われたとおりにするんだ。部下を慈しめ。だがそれを口に出すな」。本当は、自分に向かってつぶやきたかったのではないだろうか。
リヴィエールの描写が彼の内面に寄り添ういっぽう、彼が下した決断・行動・指示を受け取る人物は客観視した書き口だ。いわば、上長は内から、部下は外から見ていることになる。そのため、彼の独善性の出所を知っている読者は、その結果を受ける整備士、飛行士、その新妻の心象を思いやって、二重の苦しみを感じる。つまり、リヴィエール側からの「あなたのことは分かっている…だが、やらざるを得ないのだ」と、部下側の「どうして分かってくれないんだ」に挟まれて動けなくなる。夢中に読んでるときは、サン=テグジュペリの"手"は見えなかったが、考察するに、狡猾なほど巧妙なテクニックだ。
さらに、加速性や多角的な展開で進行感を高める手法は見事だ。作中時間はわずか2時間、そこに12章の「シーン」を詰め込んである。全体像はあたかも設計図を引いてつくりあげたような構成美を成し遂げている(光文社古典新訳の解説に詳しい)。特に後半、展開がトロットからギャロップへ駆け上がるように、「シーン」を小さく間を狭くとるように配置する。この結果、最も濃密となる時間は、ほぼ読む速度に合わせるリアルタイムなスピードになっており、否応なしに臨場感を促す仕掛けだ。
本書はスゴ本オフ@松丸本舗(読まずに死ねるかッ編)でMOTOさんにオススメされたもの。ありがとうございます、MOTOさん。食わず嫌いは良くないですな。
新潮文庫は美文の誉れ高い堀口大學訳。時代がかったカタさがまたいい、という方もあろうかと。納得いかないのは、併録されている「南方郵便機」の方を持ち上げているところ。おそらく当時流行のフレームにムリヤリ合わせて書いたようにしか見えぬ。
愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。
ところが僕は決して同情はしない。いや、しないわけではないが、外面に現さない。僕だとて勿論、自分の周囲を、友情と人間的な温情で満たしておきたいのはやまやまだ。医者なら自分の職業を遂行しながら、それらのものを勝ち得ることもできるのだが、僕は不測の事変に奉仕している身の上だ。不測の事変がいつでもこれを使いえるように、僕は人員を訓練しておかなければならない。

ひとに好かれたければ、ひとの気持ちに寄り添ってみせればいい。いわゆる「名訳」は新潮文庫。だけど「読みやすさ」は光文社古典新訳になる。お試しあれ。
だがわたしはそんなことをまずしないし、心で同情していても顔には出さない。とはいえ友情や、人としての優しい感情に包まれたいと願わないわけではないのだ。医師であれば仕事を通じてそうした交流を得られるだろう。だがわたしの仕事は状況を制することにある。だから部下たちも鍛え上げて、状況を制する力をもたせてやらなければならない。

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コメント
新潮の方を昔読みました。大好きな作品です。光文社版のスゴそうな解説にとっても興味をそそられましたぜ。
投稿: | 2011.05.18 04:33
>>名無しさん@2011.05.18 04:33
コメントありがとうございます、光文社古典新訳の解説は、念と熱気が入っております。作品を「テクスト」として俎板に乗せ、徹底的に分析して(切り刻んで)います。
投稿: Dain | 2011.05.19 00:27
お久しぶりです。いつも楽しみに拝見しております。
私は新潮文庫派ですが、主人公の独白の他に、非常に印象深かったシーンと台詞があります。
自分の傍らで眠っていた「夫」が飛行服を身につけ、恐らくは最も還りたい場所(帰りたいでなく)である空へ飛び立つ準備をしているのを見ている妻のシーンです。
鏡の前に立ってるその人は、どんなに愛しても手の届かない人になってしまっている。
「お星様のためにおめかし?」という台詞が、ひどく切なく感じられました。
投稿: zemukuripu | 2011.05.20 09:42
>>zemukuripuさん
コメントありがとうございます。その後のセリフどおり、妬かれて燃え尽きることを考えながら、うなだれながら二読しています。
夫とのやりとりを濃密に描き、凶報を受け取った後や、その後の応対を「書かない」ことで、読み手に見事に訴えかけています。
投稿: Dain | 2011.05.20 21:41