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子育ての原則=待つこと「男の子が自立する子育て」

 最初に結論。子育てで最も大切なことは、「待つ」こと。

男の子が自立する子育て 「父親」をやるようになって十年たつ。もう赤ちゃんでも幼児でもなくなり、いわゆる「手がかからない」状態だが、もうしばらく父業は続くだろう...子が自立するまで。本やネットを読み漁り、近所の同業者と相談したり、試行錯誤をくりかえしてきた。育児関連は沢山あるが、子育ての原則はこれに尽きる、「待つこと」。

 具体的に何をどうケアするかは時期それぞれになるが、準備をしたら、あとは見守る。助走を手伝ったり、しばらく併走することはあるかもしれない。だが、構えは「待つ」だ。実のところ、わたしはこの「待つ」が苦手だ。つい、口を出したり手を出したり「なんでできないの!」と叱ったりする。そのたびに反省しながら、子どもの成長を待つのが親の仕事だと自分に言い聞かせる。

 放任ではなく、見守る。環境を整えたら、あとは子どもは育っていく。子どもの「育ち」を信頼するのだ。「誉める」ひとつをとってもそうだ。「誉め過ぎると天狗になる」という意見もあるが、ポイントを誤っているから。ポイントは「昔のわが子」、つまり、昨日の、先週の、先月の、去年のわが子と比べて、その成長っぷりを指摘するのだ。わたしは思い出す、初めてつかまり立ちできたとき、初めて"パパ"って言ったとき、わたしがどんな気持ちだったかを。種を剥いて発芽させることはできないし、馬にムリヤリ水を飲ませることは不可能。子どもの頭を引っ張ったって、背は伸びない。

 育ちを促すことはあっても、基本は「待つ」。この姿勢は著者と同じだったので、新たな気づきは少なかった。しかし、「促す」「準備する」アイデアは得られた。子どもの気づきや自覚を待つのは、大人の役割だが、子どもを導く「仕掛け」を施すのだ。「教え育むという教育の、子どもたちに『学ぶ意味と自覚』があってこそなのです」。まさに馬と水場のたとえやね。馬にムリヤリ水を飲ませることはできないが、ひと走りさせた後、水場に連れて行けば勝手に飲みだす。この、「ひと走り」と「水場に連れて行く」が具体的に書いてある。

 たとえば、生活記録表を提案する。営業日報やビジネスダイアリーのようなものだ。目標、目標を分解した課題、課題達成に必要なタスクを書き出し、日々の行動に落とし込む。毎日の行動を記録して、週単位でFit/Gapを分析し、振り返りとフィードバックを行う。要するにPDCAなのだが、提示のタイミングが重要。中学最初の中間考査の直後にするのだ。この洗礼で、「成績上位」のイメージが崩れたところ、「こんなものがあるのだけど...」と教える。やらされ感を抱かせないように「仕掛ける」のがポイントだそうな。また、勉強に閉じず、手伝いや楽しみのイベントも盛り込めという。わが家では普通の大学ノートでやってきてたが、中学になったらビジネスダイアリーにしてみよう。

 また、反抗期に現れる言動は、「自己表現の引き出しの少なさ」がそうさせているという。何を聞いても「フツー」としか返さなかったり、いかにも煩わしそうな顔をみせたり、荒っぽい言動を投げつけたりする。大人なら抑制した表現手段があるのだが、社会経験のなさから「つたない表現」しかできないと見るのだ。ここはかなり共感。わたしは、もういいオッサンなのに、うまく表現できなくてもどかしい思いを未だにしている。

 著者はこう提案する。Yes/Noで答えられる質問ではなく、どうだったか、どんな風に思ったか、そんな「How」の問いかけをせよという。そして、返事を聞いたとき、大げさな合いの手をいれろという。これは、自己肯定感を与えるための会話のセオリーやね。また、直接が難しいなら、落書きホワイトボードを間に、ワンクッションおいた「会話」を提案する。ここでも「ほめ上手」になることを主張する。小さいときはあんなにほめていたのに、子どもが大きくなると、親は「ほめ下手」になるという。耳が痛いナリ。

 さらに、子どもと語り合う場面を意識してつくれという。わたしの親は、「黙って背中をみせてやればいい」「家族だからわかってもらえる」「あ・うん」が大好きだったが、それが、いかにコミュニケーションエラーを引き起こしてきたか、今になって分かる。以下、著者が提案する「話のネタ」。いくつかは話したことがあるが、これを機に、意識して振ってみよう。

  1. 自分の子ども時代を語る。どんな遊びをしてて、何に悩んでいたかを話すつもり。
  2. 親が自分の親について語り継ぐ。どちらかというと批判的になりがちだが、わたしがどうやて克服したか、いまにどのように生かしているか、反面教師としての親を語る。
  3. 仕事の話をする。職場の雰囲気や、自分のキャリアプラン、過去の苦労(リアルデスマーチ)が良い?ネタになるだろう。
  4. 自分の失敗談。おそらく改まって話すというよりも、子どもがしでかした失敗を「わたしもやったことがある...」と伝えることで、次にどうすればよいかを考えてもらおう。
 不安はあっても、わが子を信じて、頼る。そんな「親の思い切り」が子どもの自覚を促すという。そして、親から信頼されているという感覚が自己肯定感につながる。そうだね、あれこれ手や口を出していじり回すということは、翻ってみれば、子どもを信頼していないことになる。さらには、「弄る=教育している」自己満足により親が自分を安心させていることにもなる。この負のスパイラルから親が自律することが、子どもの自立につながるのかもしれないね。

 一つ気になったのは、「親が」と書くべきところを、「お母さんが」になっている文がちらほらあったこと。父親不在の教育論はよくいわれるが、それを前提に語られると違和感がある。ソコを除けば、大いに賛同できたぞ。

 女の子バージョンとして、娘親限定「女の子が幸せになる子育て」を書いたけれど、やはり本書は男の子バージョンとして、親の振り返りに役立ったぞ。

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