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現実をスウィングしろ「宇宙飛行士 オモン・ラー」

 これは傑作。現実からすべり落ちる感覚を満喫する。

宇宙飛行士オモン・ラー ベースは30年前の冷戦時代。米ソの月探索競争を背景に、宇宙飛行士を目指す若者・オモンが語り部だ。現体制を守るため理念や思想が自己目的のお化けとなるトコなんて、いかにもソヴィエトらしくて笑える。だが、ステレオタイプな「ソヴィエト」に心許してると、裏をかかれる。現実から感覚がズれてしまう。

 この感じは、「止まったエスカレーター」だ。ふつうエスカレーターは「流れて」おり、わたしはタイミングよく「乗っかる」ことで運ばれてゆく。ところが、点検か停電で止まった状態のエスカレーターで上ろうとすると、体と感覚のバランスが取れなくなる瞬間がある。目に入るのは「エスカレーター」なので、体を自然に「流れ」に合わせようとしてフラッとなるのだ。

 同様に、「戯画化されたソヴィエト」や、「一人称のお約束」に沿って乗っていこうとすると、オヤッ、フラッとなる。わたしが「現実」だと考えていたものが、「わたしが現実だと考えていた」ものに横すべりする。世界はそのまま(に見える)のに、認識だけがズれていく感覚にとらわれる。だいたい、主人公であり語り手であるオモンからして、知覚を捏造する技術を習得している。さらに、自意識に自信がもてない瞬間が出てくる。気絶するように眠って、目が覚めたらぜんぜん違う場所にいたと報告したり、平気で「いま」「ここ」と少年時代の夏を同一視する。

 でんぐり返った先が非現実的だったら、まだ分かる。マジック・リアリズムとはまさにそんなもので、リアリズムに満ちた語り口で途轍もないホラを吹く。だが、もともとのソ連が悲惨な現実として描かれているため、「悪夢から目覚めたら地獄だった」カフカ的展開となる。いや、カフカならファンタジックな逃げもあろうが、ズれてはいてもリアルなのだ。狂っていても、体制維持という目的には合理的な不条理を飲まなければならないのだ。

 この黒い笑いは、ヘラー「キャッチ=22」や、ブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」と同じツボを突く。前者の、「自分が狂人であることを証明できるのであれば、それは狂っていないという証拠であり故に狂人ではない」。あるいは後者の、「悪魔を現実に投げ入れたら、人は、悪魔付きの現実を認めるが、悪魔そのものは認めようとしない」を思いだす。オモンが、「ほんとうの」英雄、「真の」宇宙飛行士となるためには、「ハリボテの」体制を自分の血と肉でもって埋めあわせなければならない。ジレンマの笑い、いや笑いのジレンマか。奥歯にモノ挟まっているようなしゃべり方をしているのは、ネタバレたくないから。ちなみに見返しやamazon紹介はかなりネタバレだから、見ないほうが吉。

恐怖の兜 著者ペレーヴィンが仕掛けてくる「現実への揺さぶり」は、読み手にまで効くようになっている。世界なんて、「わたし」というウツワの観測範囲から定義された「現実」に過ぎないのだ。この、入れ子細工の現実というテーマは、「恐怖の兜」でもいかんなく発揮されている。これは、バラバラに閉じ込められた男女八人が、部屋にあるパソコンでチャットするという、「チャット小説」だ。一種の脱出小説でもあるのだが、脱出した先で読み手が迷宮に取り残される気分を味わうだろう。曰く、「ここはどこ?」「わたしは誰(だったんだ)?」ってね「恐怖の兜」

 ロシアン・ブラック・ユーモア、極上の黒い笑い、そして現実のスウィング感覚を、堪能あれ。

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コメント

いつも参考にさせていただいております。
紹介された「恐怖の兜」はたまたま先週図書館から
借りてきてなんとなく読んでいませんでした。
このブログのおかげでやっと読むことが出来そうです。
ちょっとロシアン・ブラック・ユーモアを堪能してきます。

投稿: GGG | 2011.02.20 23:12

>>GGGさん

おっ
「恐怖の兜」がお手元にあるのですか!入って、迷って、騙されてくださいませ。読むことがそのまま体験となる一冊ですぞ。

投稿: Dain | 2011.02.20 23:18

オモン・ラーを読んだところです。長いアネクドートという感じ。1号線の図書館駅ならすぐに乗り換え駅に着くよね。がんばれ!

投稿: 淡水魚 | 2015.10.16 00:23

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