「生命の跳躍」はスゴ本
How(いかに)を追って、Why(なぜ)に至る。
分子レベルのメカニズムから、深海の熱水噴出孔の生態から、地球の歴史から、生きる営みの"わけ"に迫る。つまり、構造に理由を物語らせるわけだ。もちろん、生命現象すべての理由が明らかになっているわけではない。だが、最新の科学的解釈や研究の成果・仮説を元に、分子レベルから地球規模まで、スコープを自在に操りながら、なるべくしてなった必然と、そうとしか考えられない偶然の握手を提示してくれる。その推理の推移が大胆・周到・スリリングなのだ。
ニック・レーンは、進化における革命的な事象を10とりあげ、俯瞰と深堀りを使い分ける。この10の革新的事例を "invention" と銘打っているのは面白い。「発明」というよりも「創造」というニュアンス。自然選択がすべての形質を厳しい検査のふるいにかけ、そのなかで環境やパートナーに最も適応したデザインが生き残ってきた。この "invention" の成果こそ、無数の選択を経ている、「いま」「ここ」の「わたし」だと考えるに、ただ驚くしかない。ここにいる「わたし」は、それなしでは世界を認識できない前提のような存在なのに、同時に生命進化の最新鋭の "invention" なのだ。
その10の "invention" は以下のとおり。
- 生命の誕生
- DNA
- 光合成
- 複雑な細胞
- 有性生殖
- 運動
- 視覚
- 温血性
- 意識
- 死
蒙を(強制的に)開かされたのは、4章の有性生殖と10章の死。要するに、「なぜセックスするのか?」「なぜ死ぬのか?」という疑問に正面から応えたもの。少数のアメーバのように、クローンでいいじゃないか。生存の観点からは最高に不合理な行為なのに、多くの生物はセックスをするのか。あるいは、どうして老いて死ななければならないのか(そしてその過程で悲惨な病気で苦しめられなければならないのか)。ともすると哲学的な応答になってしまうのを、生存闘争の視点から科学で斬り込む。
まずセックスについて。生物である限り、変異は必ず起きる。そして、変異のほとんどは、集団全体の適応度を低下させる働きをするという。これを何度も繰り返すことによって、集団全体が衰退し、絶滅に至る。クローン生殖を行う場合、適応度を変化させる変異と、それを押さえ込む変異が、同じ子孫に起きない限り、衰退をとめることができない(と、わたしは理解した)。
だが、有性生殖はこの窮地を救う。変異のない遺伝子をひとつの個体に持ち寄れば、変異のない個体をまた作り出せるからだというのだ。著者はユニークな喩えを用いる。2台の車が故障した場合を考える。1台は変速機がいかれ、もう1台はエンジンが壊れているような場合、修理工は使える部品を組み合わせてちゃんと走る車1台に仕立てられる。有性生殖はこの修理工のようなものだというのだ。
さらに、クローン生殖と有性生殖を、それぞれ旧約聖書と新約聖書になぞらえているところが面白い。要するに、変異とは罪のようなものなのだ。変異率が1世代あたり1個に達すると(=だれもが罪人ということ)、クローン集団において罪をなくすには、旧約聖書のように大洪水でおぼれさせ、集団全体を罰して滅ぼすしかない。だが、有性生殖は違う、新約聖書のように。
有性生殖をおこなう生物が多数の変異を(後戻りのできない限界まで)蓄積しても危害を被らなければ、有性生殖には、健常な両親のそれぞれに多数の変異をためこませて、すべてを1体の子に注ぎ込む力があることになる。これはいわば新約聖書のやり方だ。キリストが人々の罪を一身に引き受けて死んだように、有性生殖も、集団に蓄積した変異を1体のいけにえに押し付けて、処刑してしまえるのだ。
また、有性生殖は寄生虫対策でもあるという。捕食者や飢餓よりも、寄生虫のもたらす病気によって死ぬ可能性のほうが明らかに高いことを指摘する。急速に進化する寄生虫は、宿主に適応するのに長くはかからないし、適応に成功したら今度は集団全体に取り付き、全滅させてもおかしくない。一方、宿主に多様性があれば、一部の個体がたまたま寄生虫に耐性をもつまれな遺伝子型を備えている可能性がある(はず)。そして、そのような個体は繁栄し、次は寄生虫の方がこの新たな遺伝型への対応を余儀なくされる───寄生虫と宿主とのたゆまぬ競争こそ、有性生殖が大きな利益をもたらすというのだ。
一種のショックを受けたのは、「死」について。医学の発達によって、たしかに人の寿命は延びた。だがそれは、既に死んでいるはずの存在を人為的に伸ばしているだけであるということが、遺伝子により証明されている(とわたしが感じた)からだ。たとえば人の場合、150歳まで生きられない。したがって、「150歳で病気を発症させる遺伝子」は、自然選択により排除できないことになる。同様に、70歳が寿命だった自然選択では、71歳でアルツハイマーを発症させる遺伝子は排除されなかったことになる。
いま、まさに起きていることがこれで、「老い」とは、ヒトが死んでいるはずの年齢をはるかに超えてから働く遺伝子がもたらしている衰えだと定義しなおせる。捕食者や感染症などにより、統計的には死んでいるはずの個体への自然選択の力がおよばなくなっているのが「現在」なのではないかと考えるとゾッとする。主要な死因を排除する方法で伸ばしてきたが、まさにその方法により「死」がそこらじゅうに顕れている。著者はもっとスマートに「われわれは、墓場から掘り返した遺伝子に、墓場へと追い立てられている」と述べる。
喩えの秀逸さも特筆すべきだ。「老化の原因と言われるフリーラジカルは、危険を知らせる火災報知機のようなもの。だから、そのシグナルを押さえ込むことは、火災報知機のスイッチを切ることに等しい」とか、エネルギーの伝達メカニズムで、分子から分子へリン酸塩が運ばれてゆく様子を「鬼ごっこ」になぞらえる。意識の存在を量子のふるまいによって説明しようとする説に、「量子にとってシナプスとは海だ」というたとえは腑に落ちたし、細胞の中を巨大な都市空間とみなした描写は壮麗なり。熱力学での電子のやりとりをエロティックに、「求める」「斥ける」「放出する」といった用語で書き表し、あまつさえ「熱力学とは『欲求』を扱う科学なのだ」と断ずる。この独特・ユーモアあふれるセンスのおかげで、理解が一気に深まる。
著者の口ぶりから、科学者の楽観を垣間見るのも嬉しくさせられる。太陽エネルギーを使って水を分解し、されにはその産物をまた反応させて水を再生することができ―――水素エコノミーを夢見るのではなく、本気で目標としている。そしてこれは、近い将来、きっと成功をおさめるだろうと言い切る。人類が水と少しの日光で暮らせるようになるのも、遠い未来ではあるまいと構える───この楽観主義が、現在そして未来の科学を支えるのだろう。経済支配だとかジェネリック囲い込みとか科研費獲得の奔走とは別のもの。
intelligent design に対しては、名指しこそ控えめだが、ずばりトドメを刺している。著者はラストで、進化を疑うのは、分子からヒトへ、最近から惑星全体へと証拠が収斂していることを疑うに等しいと主張する。これは、生物学の証拠を疑い、それが物理学や化学、地質学、天文抱くとも矛盾しないのを疑うことでもあるというのだ。そして、実験と観察の正しさを疑い、現実による検証を疑うことになる。つまり、現実を疑うのだとID論者に突きつける。残念ながらID教の方にとって、これは最後に手にする本になるだろう。だが、このメッセージは、科学に対してわたしがどんな態度をとるべきかを厳しく定義している。
本書を手にしたきっかけは本屋オフ@丸善ジュンク堂で同著者の「ミトコンドリアが進化を決めた」を紹介されたから。「けっして簡単な本ではありませんが、読むたびに発見があります」に惹かれて「跳躍」から手をつける。@thinkeroid さんありがとうございます、スゴ本でした。p.302 の「眼の最初の原型は、藻類で生まれたのである」あたりがビビビとくると思います。
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