ジワジワ傑作「笑う警官」
ひさびさ「まっとう」なミステリを読了。
キャラやシチュやトリックに拘る作品を食べてきた。最近では、「どのパターンの組み合わせか」を考えながら読むので、たいへん悪質な読者だね。猟奇描写、叙述トリック、告白形式(犯人はヤス)あたりが流行りか。そんな舌には、昔のが新鮮に感じられる。犯罪と(それを支える)社会を正面から描き出す社会派というやつ。
「笑う警官」の舞台は、スウェーデンのストックホルム。深夜バスで銃が乱射され、乗客と運転手が皆殺しになる青酸なイントロ。人種差別や移民排斥、
暴力と麻薬と貧困に満ちた当時があぶりだされる。弱者が弱者を食い物にするのが当然視され、この犯罪そのもののバックグラウンドとなっている。数十年前の作品ながら、幸福な福祉社会を喧伝する北欧に似つかわしくない。
スウェーデンといえば、福祉と教育で名高い「成功国家」としてもてはやされている。テレビの紹介なので、話の90%を切り捨てたとしても眉唾だ。イイトコばかりを持ち上げてカメラに映したからじゃぁないかと睨んでいる。そんなわたしに展開される、人種差別と他人を食い物にするゲス野郎に満ち溢れたストックホルムは、とても人間味あふれている。たとえば、犯行に使われたマシンガンがフィンランド製だったことにかこつけて、捜査員の一人は断言する。
「そりゃ、頭のトチ狂ったフィンランド人にきまってるさ。まあ警察犬でも連れていって街じゅうから気違いフィンランド人を狩りだすんだな。胸のおどる仕事だぜ、これは」
あるいは、アラブ人に部屋を貸している家主はこう述べる。
「そうねェ、アラブ人にしてはいいひとだったんじゃないかしら。ほら、アラブ人ていうとふつう不潔で信用のおけない連中ばかりざんしょう」
偏見に満ちた発言や侮蔑のまなざしにつきあたるたびに、わたしはふふっと黒く笑って、妙な検閲を経ていない昔のミステリを手にしていることを再確認する。そう、差別の事実如何にかかわらず、そういうセリフを平気で口にする人は必ずいる。そして、そういうセリフを言わしめる動機や理由が、必ず存在する。その瞬間を丹念に写し取っているのが良いのだ。かつ、犯行の背景や犯人像に効いてくる仕掛けになっているのだ。
クズでゲスのような連中にじっくりつき合わされた後、犯行の本質が明らかにされたとき、「これはひどい」感がいいようのないほど募り増してくるだろう(むろん犯人にだ)。読み手の、この「許しがたい」感覚は、捜査員の一人が叫ぶように代弁してくれる。引用はネタバラシになるので、ここでは控えるが、よくぞ言ってくれた!と拍手したくなる。
カメラをお花畑に向ければキレイな画が撮れるだろうが、肥溜めに向ければ視界はクソまみれになる。犯人の外見と本質を、スウェーデンに対してわたしが抱いている欺瞞に重ね、オトナゲない読書を楽しむ。
ちょっと「ふつう」じゃないところを見つけたので補足。捜査員の面々は、フロスト並の仕事中毒なのだが、よくある警察小説とちと違う。折にふれ、妻へのねぎらいや家族へ配慮するシーンが挿入されているのだ(北欧クオリティ?夫婦で共著だから?)。わたしの読んできた「ふつう」の警察モノだと、たいてい家庭は破綻しているか、破綻した後か。ただし主人公のベック警部は例外で、「夫婦の隙間風」が吹き始めている。聞くところによると、このシリーズの終盤に、一種の救いがもたらされるそうな。その「救い」にたどり着くために、著者は連作を続けたんじゃないかという(全シリーズ読破は大変なので、今度教えてください>やすゆきさん)。
ちと古いが、1970年にアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞・最優秀長編作品賞している。時代背景の描写(デモ隊やベトナム反戦)を除けば、今でもすんなり「傑作」として通用する。事件が迷宮入りになる瞬間と、迷宮入りした事件から抜け出る快感が楽しめる。
本書はスゴ本オフ@ミステリがきっかけ。知ってはいたものの、長年積読状態でしたな。おかげで傑作を読むことができました。やすゆきさん、ありがとうございます。
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コメント
面白いですよね「笑う警官」。出版当時からマルティンベック・シリーズは警察小説の白眉だと云われておりました。僕もこのシリーズで警察小説の世界、海外ミステリの世界へと本格的にはまりこみました。腰の据わった展開に加えて、魅力的な登場人物たち、そして10冊で10年が経過する大きな大河ドラマ的な設定も見逃せません。僕もいつかまた最初から読み返す時間を作りたいと思っております。
投稿: yooou | 2011.01.12 20:41
>>yooouさん
コメントありがとうございます、ずいぶん後からですが、読めてよかったです。「笑う警官」がイチバンだということで手にしましたが、10年時間をかけてゆっくり読むという手もありますね。
投稿: Dain | 2011.01.12 22:55