ルーヴルを使ったコラージュ「氷河期」
「荒木飛呂彦がハマった」という惹句に招かれる。なるほど、これは珍しい発創だ。
本書は、ルーブル美術館のバンド・デシネ・プロジェクトの一環として製作されたもの。バンド・デシ ネ(bande dessinée)とはフランス語で「描かれた帯」という意味で、漫画に相当するのだが、わたしが馴染んだマンガとは偉い違う。もっと芸術性の高いもの で、フランス語圏では、「9番目の芸術」(le neuvième art)として認識されている(wikipedia[バンド・デシネ]より。
マンガという先入観をいったん捨てて、ここは「画集」としてページを開いてみよう―――時は未来、場所はパリ。た だし地球に氷河期が訪れ、人類は歴史の記憶喪失に陥っている。つまり、現在との連続性が喪われた人類の末裔により、氷に覆われたルーブル美術館が探 索される。膨大な美術品を前に、調査団は失われた文明を読み解こうと、奇想天外な解釈を並べ立ててゆく。
この解釈が面白い。裸婦に「ふしだらだ」とか「奔放だ」とか考えをなすりつけるのは、評者の性格に因る。同じ理由で、宗教や戦争から独立して見 立てると、作品に込められたメッセージはいくらでもすり替え可能になる。解釈は経験に因るように、解釈は歴史に裏打ちされているなぁ、とアタリマ エながら再確認させられる。
モチーフのキングともいえる、キリストが群れをなして登場する場面がある。それぞれが「オリジナル」であるにもかかわらず、カリスマ性を剥ぎ取 られ、大量の複製のように見えるのは、「キリストは一人しかいない」というわたしの『常識』がそうさせているから。人類の歴史や芸術について偏見 も先入観も持たない人にとって、「ルーヴル」がどのような意味を持つのか?一種の思考実験やな。
マンガのように「読み流し」はむずかしい。一コマ一コマ、静止画像のように独立して描いているうえに、連続して組み立てられている。コマの大小 に関係なく、精密に描いたり大胆に塗ったりしてて、面白い。人物を前面に立てて、「動き」や「語り」をコマに詰め込む日本のマンガとは、かなり違 う。まるきり別物だと思ったほうがいい。
日本のマンガで思い起すと、絵的には異なるが、田中政志「ゴン」なんかがそうかも。極めて実験的なマンガで、セリフ、ト書き、音喩、擬音、擬 態、を排除して、完全に「絵」だけでストーリーを転がし、メッセージを伝える作品がある。あるいは、これは絵本のジャンルになるが、「風が吹くと き」なんて近い。一コマ一コマがそれぞれ独立した絵のようで、つなげて始めて漫画のように「読める」。
「バンド・デシネ」というフランス名で呼ばれると、まるで新しい何かのように誘導されがちだが、逆だろう。日本のマンガが開拓しつくした鉱脈の 一 端が再発見されているようで、むしろ別の作品を思い出して懐かしさを覚えるかもしれない。創発本として、ルーヴル美術館のユニークな案内として、楽しめる。荒木飛呂彦センセは、バンド・デシネで一冊モノにしている→「Rohan au Louvre」…「ルーヴルの露伴先生」といったところか。フランス語なので邦訳を正座して待っているところ。

| 固定リンク
コメント
> フランス語なので邦訳を正座して待っているところ
いや、既にあるのでは。
岸辺露伴ルーブルへ行く、とかいうタイトルだったと思います。
投稿: 一滴 | 2011.02.03 19:25
>>一滴さん
はい、googleった最初の10件くらいは探しましたが、どうしても見つからないのです(ウルトラジャンプに半分載ったとかは聞くのですが)……amazonで見つからない本は「ない」と判断するには早急すぎますよね。
投稿: Dain | 2011.02.04 01:43