「逆光」はスゴ本
終わるのがもったいないし、終わらせる必要もない。ずっと読んでいたい。
辞書並みの上下巻1600頁余から浮上してきたときの、正直な気分。読了までちょうど1ヶ月かかったけれど、この小説世界でずっと暮らしていきたい。死ぬべき人は死んでゆくが、残った人も収束しない。エピソードもガジェットも伏線もドンデンも散らかり放題のび放題(でも!)いくらでもどこまででも転がってゆく広がってゆく破天荒さよ。
ストーリーラインをなぞる無茶はしない。舞台は1900年前後の全世界(北極と南極と地中を含む)。探検と鉄道と搾取と西部と重力と弾圧と復讐と労働組合と無政府主義と飛行船と光学兵器とテロリズムとエロとラヴとラヴクラフトばりの恐怖とエーテルとテスラとシャンバラとデ・ニーロがぴったりの悪党と砂の中のノーチラス号と明日に向かって撃てとブレードランナーと未来世紀ブラジルとデューン・砂の惑星とiPhoneみたいな最終兵器とリーマン予想とどうみてもストライクウィッチーズな少女たち(でもありえない)。
いちお、SFちっくなガジェット―――鶴田謙二「チャイナさんの憂鬱」に出てくるようなやつ―――が満載なのでピンチョン初のSFと評する人がいるものの、これサイエンス・フィクションでも「すこし不思議」でもなく、「すげー不可思議」の略だろう。こんな奇天烈な小説は比するものがない。荒唐無稽なガジェットも疾風怒濤のエピソードも、ピンチョンが思う存分遊び倒したのが分かる。
第一印象を一言でいうならヘビ、しかも複数のヘビが互いの尾を飲み込んでいるようなやつ。しかも、普通の一本のウロボロスではなく、しっぽや頭がいくつも分かれているnマタの多頭オロチが、何匹もからまりあって、飲み込みあっている。遠目には巨大な塊で、近寄ると蛇身がストーリーライン、ウロコの一枚一枚が輝く描写の一つ一つとなっている。「ヴァイランド」ほどではないが、それでも山ほど出てくる登場人物は、意外にこの蛇身に沿って行動するので、誰がナニか見失うことはないだろう(←ピンチョンにしてはリーダビリティが高い、といわれる所以)。
この飲み込み/呑まれ感覚にめまいする。さっき描写していたエピソードが、今度は登場人物が読む三文小説としてカリカチュアライズされる。作中作とその読者が言葉を交わすシーンは、ずばりドン・キホーテの後編。のめりこんだ物語から顔をあげるとき、現実に息つぎするものだが、これは息つぎしようと頭を振ったらまた別のストーリーにフェード・インするようなもの。光と意識の具合で瞬時に地と図が反転する感覚。3D立体視を小説で実現させる。混ざるのでなく交じる。もつれあい、からみあう物語のダイナミズムが、そのまま前へ、上へと転がりだす。挿話と格闘していくうちに、くんずほぐれつ巻き取られる。
転がってゆくうち、下がどこか分からなくなる。重力は一方向にしか働かないはずなのに、ここではさりげなくシカトされる。同時に時間の方向も無視される。なにげない会話の行間で知らぬ間に一晩たってたり、写真を"微分"することで過去に、"積分"することで未来を逆転させる。一葉の写真に世界を再現させる手腕は、かつてセガ・サターンでハマったMYST(ミスト)を彷彿とさせる。
この時間軸の遡上や図地反転を意識して、つまり、逆行(ぎゃっこう)という音を考慮して原題"Agains The Day"を「逆光」と訳したそうな。原題には、いわゆる「逆光」と、も一つの意味「裁きの日に備えて」が隠されている。訳の多寡は分からんが、原著は手をだすのが無謀というもの。だから、生きてるうちに読めて幸せ。
わたしの滅裂な妄言よりも、Pynchonwikiの「Against-The-Day」に集められた画像を眺めているほうが、イメージが湧くかと。Pynchonwikiの翻訳はtwitterにて@snowballarcさんがやってますぞ。
いつかはピンチョン、そう言ってるうち人生終わる。だからいま読む、ピンチョンを。
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