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"自我"とは記憶か客観か「ECCENTRICS/エキセントリックス」

 自分を得て、自分を喪う話。謎と伏線とドンデンと「えっ?」「えっえっ?」てんこ盛りで、読むときっと読み返すこと請合う。

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 現実の居心地のわるさに辟易しているが、行動するのは難しい。もっとも単純な解は逃走だ。少女は家を出て、記憶を失い、別の人格を得る。本当の自分を確かめるため、「自分を知っている人」から聞きだそうとするが、同時に忌まわしい過去と向き合うことになる。

 このドラマは「自分とは何か」というテーマも隠しているので、答えを確かめる読みをしても愉しい。例えば、「自分とは(一貫した)記憶だ」「自分とは他者の目に映るキャラクターだ」と信じる人には、記憶喪失のヒロインが揺さぶりをかける。読者は、冒頭数ページを除き、物語の大部分を喪失後のヒロインとつきあうことになる。つまり偽の人格だ。だが、そのニセモノのほうが素直で愛らしい(かわいく描いているようにも見える)。彼女がそのキャラを喪い、本来の千寿(彼女の名前だ)を取り戻すとき、読み手はかなり居心地の悪い思いをするだろう。

 あるいは、千寿の記憶を失くした彼女のみならず、同一のキャラクターを持つ双子が登場する。便宜上、「天」と「劫」という名前を持っているが、千寿との間で擬似三角関係を結ぶようになる。「擬似」というのは、双子は事実上一人であり、「三角」になりえないから。二人は要所要所で入れ替わっており、これが物語をややこしくしている。さらに物語世界だけでなく、読者の前でもスイッチしているようで、同じセリフでも、「もしこれが『天』だったら?」と疑いだすと二重三重に深読みができる。

 これはおかしい。同一キャラクターを二人が保っているのなら、「天」でも「劫」でも同じでしょ?と指摘したくなるかもしれない。そのツッコミは正しくて間違っている。最初の頃はそう宣言してふるまうのだが、いつしか、彼女の「精神面担当」と「肉体面担当」と役割分担するようになる。人格は共有しても、感覚や記憶までは共有できず、それぞれに秘密を抱くようになったのが、破綻と悲劇に結びつく。

 この三人を軸に、エキセントリックな変わった人たち(ECCENTRICS)が配置され、利己的な愛、同一性障害、母娘の確執、ダブルバインドといったネタが折りたたまれている。そのほどきかたがミステリ仕立てで、ヒヤッとしたりゾッとしたり。知り合いの知り合いが知り合いだったというご都合満載の人物相関や、街を歩けば偶然ばったりのエロゲ的フラグ立てが鼻につくが、んなとこにリアルを追求しても仕方ない。

 ああでもないこうでもないと辻褄あわせをするのだが、ある筋を通すと無理筋が生じ、その筋を生かすなら死に筋が浮き上がってくる。どうやっても割り切れないやるせなさは、読了後ずっと妄想で遊べて良い。困惑しているわたしに嫁さん曰く、「大丈夫、どれが本当かなんて、作者にも見分けつかいないから」。なるほど、慰められまする。

 これは、スゴ本オフ@ミステリのコメント欄でオススメされて手にした作品。浮雲屋さん、ありがとうございます。いまは嫁さんが「それが良いならコレは?」とオススメしてくれた、「少年は荒野をめざす」を読んでいる。吉野朔実の描く女子(おなご)はかわいいのう。

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コメント

ども、取り上げていただいてアリガトございますってのも変な挨拶ですが。
楽しんでいただけたようでよかったです。

この作品は何度読んでも???と、良く分からない迷宮にはまりますよねぇ。

奥様のおススメも良いですが、吉野ファンもどきとしては以前も書いた"いたいけな瞳"はよいと思います。
それと"恋愛的瞬間"、"ジュリエットの卵"もおススメします。

それ以降に書かれた作品もかなりおススメですが、まぁ、気が向いたらお手にとって見たらいいんじゃないかと思います。

そうそう、Sinkで書き忘れていたんですが、Sinkの終わり方を見た時ふと中島らもさんの"ガダラの豚"を思い出しました。
終わりのどんでん返しが唐突なんですよねぇ。
どちらも面白いんですけどね。

ではでは、次回のお深いこそと思いつつこのへんで。

投稿: 浮雲屋 | 2010.12.20 16:24

>>浮雲屋さん

おお、ありがとうございます。おかげで楽しい迷路にハマれました。天と劫と千寿の結末は、(一応)自分なりに決着がついているのですが、そいつを述べると完全ネタバレになるので控えました。ミステリを紹介するのは難しいですね。

そして、控えめなオススメありがとうございます。sinkより前に、今年の冬休み読書は「ガダラの豚」にしようとしていたので……

投稿: Dain | 2010.12.20 22:26

以前「リリス」で興奮してとちくるったコメントを書いてしまいご迷惑おかけしました。
懐かしいタイトルが出てきたので、少し書きます。

「エキセントリクス」は「いたいけな瞳」の毎月読み切り連載の後に描かれたまとめ的作品だったと思います。
そのため、両作品には登場人物やモチーフがリンクしていたりします(兎さんとか)意味があるというよりは、カメオ出演みたいなものでしょうが。
ただ私には「いたいけ」を読んでも「エキセントリクス」の謎は解けません。

ぶ~けコミックス繋がりだと「星の時計のLiddell」というファンタジーの逸品があります。

投稿: 十萌 | 2010.12.21 00:31

>>十萌さん

うわー、「星の時計のLiddell」懐かしすぎる~とはいうものの、15年くらい前にオススメされて一回読んだっきりなので、忘却の彼方に失せてます。実家帰ったら掘り出しますね。

「ECCENTRICS」は自分なりに解いてるつもりなのですが、割り切れていないのも事実……

投稿: Dain | 2010.12.21 22:10

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