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ゲームで子育て「レッド・デッド・リデンプション」

 Z指定のゲームで子育て。

RedDeadRedemption 「ゲーム脳」を信じる人がいる。ならばゲーム暦ン十年のわたしなんざ、汚染されまくっとるわい。ゲームを目の仇にして、親の不甲斐なさを棚上げするのは止めにしよう。むしろ、ゲームは現実のシミュレーターだ。現実の人生は一回こっきりだが、ゲームはやり直せる、くり返せる。

 これまで子どもに、「ロードランナー」や「イナズマイレブン」をやらせてきた。時間を決めて、時にはエンドレスで「クリアするまで試行錯誤する」に挑戦させてきた。失敗したり負けたりするたび、本気で泣いたり怒ったりしながら、それでも工夫を重ねてきた。リアルが失敗・即・終了を強要するなら、ゲームで「失敗の練習」を積んでほしいんだ。本当の失敗とは、転ぶことではなく、起き上がらなくなることなのだから。

 いっぽう、ゲームを通じ、子どもに「現実」を与えてきた。わたしの子供時代と異なり、いまの新聞テレビから巧妙に「死」が隠されている。高速で大破した軽は映すが、ボンネットべったりの血はカメラに入れないようにする。いいや、時速100キロでぶつかったら死ぬ。人を斬ったら血が出るし、死ぬこともある。そうした想像を喚起させるためのゲーム。「オブリビオン」や「バーンアウト・パラダイス」は、プレイするにはちと早いが、「暴走」や「殺人」がどういう結果を招くか、見ることができる。カッコつきの「現実」だが、シミュレートは可能だ。

 今回は「レッド・デッド・リデンプション」。アメリカ西部開拓時代を丸ごと、なんでも、どこまででもできるゲームだ。正義を貫くも、極悪人になりきるもよし、西部劇版GTA(グランド・セフト・オート)がピッタリの極ゲーだ。Z指定(18歳以上)なので、プレイするのはわたし、ギャラリーとして入ってもらう。わたしがなりきるのは、元無法者のジョン・マーストン。スカーフェイスのガンマンなり。銃にモノを言わすプレイスタイルで行く。ストーリーはこんな感じ(wikipedia「レッド・デッド・リデンプション」より)

連邦捜査官に家族の幸せを脅かされた元無法者のジョン・マーストン。 ジョンは幸せを取り戻すために再び拳銃を手にし、かつて友と呼んだギャング達を追う。 彼は己の体に染み付いた血染めの過去と決別するため、過酷な闘いの中、一人、また一人と葬っていく。
 解体するときに飛び散る血潮、街中での撃ちあい、ナイフで刺し殺すなどといった、子ども向けとは言いがたいシーンが続出する。そのいちいちを「解説」しながら、画面のジョン・マーストンは「正義の味方」として活躍してもらう。子どもらは喝采を送るが、悪い奴は撃ち殺してもいいんだなんて思ってるんじゃ……

 次に、「悪いこと」をやってもらう。このゲームは、簡単に「悪いこと」ができる。死体漁りは序の口で、銃を向けて脅し取る、金庫破り、馬どろぼうまで(もっと酷いやつは自粛)。子どもがいちばん衝撃を受けたのは、血や暴力そのものではなく、「悪いこと」が罰せられないことだった。罰は逃れられるのだ。「この国は、『自分の身は自分で守る』のが正しいとされている。だから、銃を持つのは警察だけじゃない。もちろん『話し合い』も大切だが、最終的には銃が解決する。そういう場所なんだ」と説明する。銃は確かに暴力だが、善悪どちらにも使える。

 しかし、そういう「悪いこと」を最後まで見ている人がいる。それはわたしだ、キミだ。どんなに隠そうとも、目撃者を皆殺しにしようとも、やってる本人は「それ」を知っている。そして、その「悪いこと」を「悪い」と意識するのが、「良心」と呼んでいるもの。「罪と罰はセット」という欺瞞は、人生のどこかで、遅かれ早かれ暴かれる。そのとき、良心の重さが分かる。「バレなきゃいいんだ」ではなく、それを知っている自分の価値観で測れ。

 メキシコにて反乱を鎮圧するミッションがある。政府軍の助っ人として、砦に立てこもった暴徒をバタバタと打ち倒していく。鎮圧後、命乞いをする生き残りを、政府軍は処刑してゆく。銃殺シーンを背景に、マースティンは吐き捨てる。

      There're too many justice.

 銃の数だけ正義がある。

ブラッドメリディアン 荒涼とした西部を舞台にした作品なら、「ブラッド・メリディアン」をオススメ。 アメリカ開拓時代、暴力と堕落に支配された荒野を逝く男たちの話。

 感情という装飾が剥ぎとられた描写がつづく。形容詞副詞直喩が並んでいるが、人間的な感覚を入り込ませないよう紛れ込ませないよう、最大限の努力を払っている。そこに死が訪れるのならすみやかに、暴力が通り抜けるのであれば執拗に描かれる。ふつうの小説のどのページにも塗れている、苦悩や憐憫や情愛といった人間らしさと呼ばれる心理描写がない。表紙の映像のように、ウェットな情緒が徹底的に削ぎ落とされた地獄絵図がつづく……この続きは、「ブラッド・メリディアン」はスゴ本をどうぞ。読む「Red Dead Redemption」なり。


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コメント

このエントリーがずっと気になってました。
でこれを読んだわけです。
『人生で大切なことはみんなRPGから教わった』
たぶんDainさんならば楽しめるのでは。

私は子供にゲームやネットを与えるのは
自分自身がゲームから学ぶというより単に時間を無駄にしただけだったので、きわめて慎重ですが
こういう風に学べる賢い子であれば・・・・・。

脳トレの川島先生だって、自分の子供には
「ゲームは週に1時間!」と制限していたぐらいですからね。それが彼の本音でしょう。

投稿: | 2010.12.15 00:31

うあ。うえの書き込みはnobuです。失礼しました。

投稿: nobu | 2010.12.15 00:35

>>nobuさん

ありがとうございます、この記事書いた価値があるってものです。

ただ、「人生で大切なことはみんなRPGから教わった」は、そのタイトルだけで想像つくので、わたしが読むよりも「読んだ人の話を伺う&語り合う」ほうが面白そうな気が。
単位時間あたりの「学び」で考えるなら、ゲームは効率が悪いです。それ込みで、ゲームが重要だと考えているのです。……なんというか、「学ぶべき年齢でいかに効率よく習得するかゲーム」に参加させたくないので。逆説的にTV・携帯ゲームをすすめているのです。

ゲームを「だし」にするオトナは、今ではゲームをやってませんよw

投稿: Dain | 2010.12.15 00:47

ゲームから学んだというタイプは二種類います。

1 もともと賢いので、その賢さをゲームで勝つためにはどうしたらいいか考えるのに使い、そこから知恵を学んで、なおかつそれを他分野に応用できるタイプ

2 それほど賢くなかったが、ゲームが好きで上手くなりたくいという一心で考える習慣を身に付けて、なおかつ、それを他分野に応用できるタイプ

大半の人間はゲームしてもたいして学べません。
かつての私のように漠然と時間つぶしにしかなってないんですよね。
(Dainさんのお子さんの場合はDainさんがナビゲートできてるからゲームから学ぶチャンスは飛躍的に高まってると思います)

>「学ぶべき年齢でいかに効率よく習得するか
>ゲーム」に参加させたくないので。逆説的に
>TV・携帯ゲームをすすめているのです。
たぶん、すごく勉強しろっていわれませんでした?私は特に言われなかったので逆にきっちり勉強するというスタイルを子供のときに付けたかったですね。私は子供には逆に「学ぶべき年齢のレベルを超えていかに効率よく先取り学習するかゲーム」に参加して欲しいんです。中学3年ぐらいで『解析概論』とか読んでたのが中高時代の同期のトップですが現在でも順調に人生ゲームで駒を進めてます。まあ、同期で負け組みの私としては三島由紀夫の父親と同じで子供には
「親の仇」をとって欲しいわけですw。

 強制したり、短期的な目標と報酬で釣る(中学受験が終われば遊べるから)みたいなのはほぼ確実に途中で崩れるというパターンを私はたくさん見ているので、勉強するのが当たり前、人生は一生勉強、人より先手先手を打つ、人生は短いから遊んでる暇などない、テレビゲームより人生ゲームで勝とう!みたいな価値観を植えつけて強制されなくても高みを目指すように設計するつもりですが。

投稿: | 2010.12.15 11:13

>>名無しさん@2010.12.15 11:13(nobuさん?)

「ゲームからの学び」について、鋭い分析ですね。
わたしの場合を振り返ってみると、いいゲームに「勝つ」「クリア」することに熱中するうちに、そういう自分を相対化して、「そのゲームの『どこ』が面白いのだろう?」という問いから、面白さの本質(インタラクティブ性、物語性、主人公=自分の巻きこまれ具合)に近づけたと思っています。「いいゲーム」とはどういうゲームを指すのか分かりませんが、少なくとも自分がやってハマったものは共有したいのです。いい本を読めというように、いい映画を観とけというように、いいゲームをやっておけ、若いうちに……というのが本音です。

仮に人生がゲームなら、そのゴールは「しあわせな日々を生きること」だと思います。なので基準は自分でよいかと。「人と比べる」学習(受験が典型ですね)ではなく、「好きを極める」学びであれば、nobuさん(?)に完全同意です。

わたし自身、「勉強しろ」といわれなかったので、反動でわが子には「やるべきことをやれ」と口を酸くしていっています。「やるべきこと」とは、勉強だったり片付けだったり手伝いだったりしています。「勉強」が単独であるというよりも、「掃除」「料理」といった生活の枠組みに組み込まれています(←ここがわたしの親と違うところかも)。

投稿: Dain | 2010.12.17 01:36

失礼しましたnobuです。
Dain さんの子育てはすごいと思うんですよ。
ゲームひとつとってもちゃんとナビゲートできてるし、なんていうか全体像を把握してそれによって導いているというか。勉強させていただいてます。

投稿: nobu | 2010.12.17 23:40

>>nobuさん

お褒めいただいて恐縮です。
数年もしたら立派なヲタクになりそうで愉しみ(怖い)です。

投稿: Dain | 2010.12.18 17:32

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