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とことん幻想「リリス」

 勘ぐり捨てて、浸るように潜るように読む。悪夢と善夢を混ぜ合わせた読書。

 もちろんリリスのことは知っている。NERV本部のセントラルドグマ最深部にいる巨人だろ?百年も前の英国の作家・ジョージ・マクドナルドが、どうやってエヴァンゲリオンを見てたかは謎だが……そろそろ冗談はやめにしよう。ただ、「リリス」の正体について調べたのは、エヴァがきっかけだったりする。あるいは、「ファム・ファタル」の表紙を飾っているのがリリス。

 リリスは妖魔の一種だといわれる。もとは最初の人・アダムの妻として創造されたが、彼のもとを去り、地上へ身を堕とす(肋骨からエヴァが作られるのはその後)。赤子を虐待したり、吸血鬼としても有名なんだが、その"理由"までは知らなかった……それが、本書で、明かされる。いまふうに言う、「私が私らしくあるために」だろう。アダムが強要する正常位(男性上位)を嫌ったからという俗っぽい説もあるが、あながち外れではなさそう。

 この幻想小説は、キリスト教的寓意性に満ち満ちており、いたるところに「解釈」や「分析」したくなる伏線・象徴が潜んでいる。そのいちいちを掘り起こすのも愉しいが、いったん「解釈」を捨ててみよう。ミミズがチョウになり、流血が河になり、時や場が伸び縮みし、生きることは死ぬことになる。キテレツ奇妙な展開のいちいちに意味を求めるのではなく、訳者・荒俣宏さんがオススメする、「この音楽に身を任せてしまう」読み方が正解のようだ。

 テーマは「リリス」になるが、それを描く動機・モチーフに相当する、主人公や進行役が、いい味出している。十九世紀の科学信奉者の「私」が、うっかり幻想世界に入り込んで右往左往する様や、再三の警告にもかかわらず、(わざととしか言いようのない)悪手を選ぶところは、"お約束"ながら読み手をやきもきさせるだろう。物語の進行役(またはトリックスター?)である大鴉の含蓄あるセリフに唸らされる。「本をいうものはね、あれは、なかにはいる扉だ。したがって外へ出る扉でもある」や、「人間はね、自分でそう決めただけの自由しかないんだ。それ以上はこれっぽっちも自由じゃない」なんてセリフは、その使われる場面も含め、生きてる限り心に残り続けるだろう。

 読んだ人は、ラストのめくるめく色彩の狂演のような法悦シーンを思い浮かべるようだけど、わたしはもっと白くて寒い、夜の底からぬっと出てくる月の場面が好きだ(そして何度も出てくる)。デ・キリコ「街の憂愁と神秘」のようなルナティックなとこが性に合っている。そのまま狂ってしまえと願いつつ読むのだが、先に触れたように、これは「キリスト教的寓話」でもあるのだ。

 本書は、読書の達人・松岡正剛さん直々にオススメしていただいたもの。ありがとうございます、文字どおり夢のような酒のような読書となりました。ただ、「読んだことを後悔するような劇薬小説」とは趣が違うかと。

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