ルポルタージュの最高傑作「黒檀」
ルポルタージュの最高傑作。スゴ本。
開高健「ベトナム戦記」が一番だった。しかし、アフリカの本質をえぐりだした、リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」が超えた。この一冊にめぐりあえただけで、河出文学全集を読んできた甲斐があった。スゴい本を探しているなら、ぜひオススメしたい。ただ、合う合わないがあるので、「オニチャの大穴」を試してみるといい。十ページ足らずの、アフリカ最大の青空市場を描いた一編だが、ここにエッセンスが凝縮している。貧困としたたかさ、そしてカプシチンスキ一流のユーモアが輝いている。
アフリカの多様性を言い表すパラドクスがある。ヨーロッパの植民地主義者はアフリカを「分割」したと言われているが、それはウソだ。「あれは兵火と殺戮によって行われた野蛮な統合だ!数万あったものがたったの五十に減らされたのだから」というのだ。アフリカはあまりに広く、多様で、巨きい。だから、大陸全体について書くなんて無茶な話。だから、「アフリカ文化」「アフリカ宗教」と括りたがるエコノミストや人類学者は二流以下になる。では、どのように書けば?
著者は、「見たこと」を中心に据える。その場所に飛び込んで、目撃者としての観察と経験でもって、アフリカを点描してゆく。たしかに伝聞や噂よりは信憑性が高いだろうが、「点」にすぎないのでは?どっこい、個々のトピックやルポは点にすぎないが、時間や場所の異なるいくつもの点を並べていって、そこから全体像が浮かび上がらせる(お見事!)。個人的な体験と庶民の視線を使い分けながら、より大きな問題、より全体的な問題が見えてくる。本人曰く「文学的コラージュ」と呼ぶこの手法により、本質は細部に宿ることをルポルタージュで証明する。
たとえば、こんな小話がある。炎天下で待っていて、ようやくバスが来た!いそいそと乗り込んで、落ち着けない新米さんは、きょろきょろ辺りを見回して、こう尋ねる「バスはいつ出るの?」。「出るのはいつ、ってかい?」運転手は不審げに返事をする。「満員になったらに決まってる」。あるいは、著者自身が、ある集会を取材しようと出かける。予定された広場に到着するのだが、人っ子ひとりいない。このとき、「集会はいつですか?」と訊くのはナンセンスだという。答えは初めから知れているから→「みんなが集まった時ですよ」
これは、「時間」の受け取り方が決定的に違っているからと考える。人間の世界の外側に客観的・絶対的に位置していると捉えるヨーロッパ的な考え方と異なり、もっと主観的に「時間」を受け取るという。時はそれ自体で流れているのではなく、人の介入があって、はじめて「進む」というのだ。そんなアホな!しかし、上述はの小話は実話だ。時間の存在は、出来事によって示されるが、出来事が起こるか起こらないかは、人間次第というのだ。
だから、対立する両軍があったとしても、矛を交えなければ、戦闘は発生しない。逆なんだ、因果が起きてないのなら、時間はそこに存在しないというのだ。時間は、人の行動の結果として顕在化する。行動を中止するか、そもそも行動に取りかからないのであれば、時間は消失する。時間というのは受動的な物質であって、なによりもまず人間に依存するものなんだと。
この考え方は頭ガツンとやられると同時に、激しく頷きたくなる。これまで、さまざまな「アフリカ本」を読んできた。さらに、ネットやテレビなどのメディアを通じてアフリカの「部分」を見てきた。
- セックスと噂とメルセデス・ベンツ「クーデタ」(アップダイク)
- 10ドルの大量破壊兵器「AK-47」がもたらした世界
- 良いニュースです、「貧困の終焉」が可能であることが証明されました。悪いニュースです、それにはお金がかかります
- だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」
- いま読むべきスゴ本「ルーツ」
- 松本仁一「アフリカ・レポート」から行動する
- アフリカは"かわいそう"なのか? 「アフリカ 苦悩する大陸」
- 時間感覚を変える「アフリカの日々」(ディネセン)
- 人を魔にするもの「闇の奥」
- 「コンゴ・ジャーニー」はスゴ本
- 子ども兵──「見えない」兵士たち
おそらくわたしの理解は、著者のいう「上っ面の」でしかない。それでも、虚飾の上から見るのではなく、ベールの中に頭つっこむような感覚なんだ。ルワンダ虐殺の要因、子ども兵の戦争がなぜ起きているのか、「食人大統領」という悪名を頂いたアミンの素顔、個々の描写を重ねるようにして現れてくる。まさにコラージュ。
これは、個々の場数を踏んできたからこそ書けるもの。カプシチンスキは徹底的に現場の人だった。銃撃されること四度、銃弾飛び交う最前線に立つこと十二回、革命・クーデターの目撃証人になること二十七回、ウガンダで脳性マラリアに罹り、体重が四十五キロにおちこんだこともあったそうな。ネット情報をかき集め・編集して一丁あがりという「ルポライター」がいるといったら、嘆くだろうなぁ。
大事なことなので、もう一度。本書は、ルポルタージュの最高傑作。これと「ベトナム戦記」に匹敵するようなものがあるなら、ぜひ教えてほしい。

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コメント
『文藝』の2011年春季号に、池澤夏樹とナイジェリア人作家のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの対談記事が載ってまして、『黒檀』にも言及していました。
そこでアディーチェ氏が『黒檀』に関して懐疑的な(決して否定しているわけではない)見解を述べていました。この、「ナイジェリア人」「アフリカ人」である彼女が読んだ『黒檀』も興味深かったですよ。
投稿: 赤亀 | 2011.01.08 17:41
>>赤亀さん
おお、情報ありがとうございます。早速チェックしてまいります。彼女がどのような観点から読んでいるかわかりませんが、「アフリカ」「黒人」の"代表者"かのような語りだと悲しいかも……
本文中にも書きましたが、「アフリカ」はあまりに広くて多様なので、丸めるような物言いは、それだけで矛盾していると思うのです。
投稿: Dain | 2011.01.09 07:57
件の「文藝」の対談を読みました。
まずは赤亀さんに感謝。教えていただいたおかげで、知ることができました。ありがとうございます。
アディーチェの「黒檀」に対するコメントを読んで、疑問符がたくさん頭につきました。彼女は、カプシチンスキがアフリカを包括しようとしていると批判します。そして、(「黒檀」では)日が出ると白人は外へ、黒人は屋内へ入ると描いてあるが、事実ではないと指摘しています。
ところが、アフリカを「まとめ」ようとすること自体の愚を説いているのは、ほかならぬカプシチンスキ本人です(p.41、p.376)。そして、日が出ると、黒人の主婦は通気性の悪い屋内よりも、屋外に出て世間話や家事をすると「黒檀」に書いてあります(p.12)。どうやら彼女、飛ばし読みしたんじゃぁないかと。
そして、ナイジェリアという一つの国の内外だけの経験を元にした小説と、銃撃されること四度、銃弾飛び交う最前線に立つこと十二回、革命、クーデターの目撃証人になること二十七回の経験を基にしたルポルタージュと、どっちが現実に近いか、言うまでもないでしょう。
投稿: Dain | 2011.01.12 06:54
ぶっちゃけてしまうと、あまり参考にはならなかったみたいですね。お時間取らせてしまって申し訳ないです。
恥ずかしながら僕はまだ『黒檀』はおろかアフリカ関連の本を全然読んだことがなくて(アフリカのどこかが舞台になってるような小説は別として)、対談読んだとき実はちょっと困惑したんです。違うか。困惑というより、『黒檀』読む前だったのでなんとなく読む意欲、というか気分?に水を差された、みたいになって。
でもアディーチェ氏の言はとりあえず脇に措いておいて良いみたいですね。
Dainさんのコメント、大変参考になりました。ありがとうございます!『黒檀』読み終わったときにまたこのエントリ読ませていただきたいと思います。
投稿: 赤亀 | 2011.01.23 22:18
>>赤亀さん
いいえ、逆です、たいへん参考になりました。
教えてもらえなければ見過ごしていました。しかし、赤亀さんのおかげで彼女のインタビューに触れることができました。自身が出身だからといって、「アフリカ代表」たりえないことは、よく分かっているでしょうに……周囲がそうさせないのだろうか?池澤もあえて(?)ツッコまないし……などと邪推しながら楽しみました。
繰り返しますが、「黒檀」はルポルタージュの傑作です。でないというなら、これより上を教えてほしいくらいのものです。安心してハマってください。
投稿: Dain | 2011.01.26 00:09
これ…圧倒されました。スゴ本!!
ポーランド人作家っておもしろいですね。と言ってもこのカプシチンスキと、レムとシンボルスカしか読んだことないんですけど、いわゆる「純文学」ではない文学で存在感がある気がします。
『ベトナム戦記』も近いうちに読んでみます。それと、『千の顔をもつ英雄』もスゴ本です。
投稿: 赤亀 | 2011.03.25 16:03
>>赤亀さん
おぉ、なんたる偶然!
「千の顔」は、明日松丸本舗のオフで探すつもりの2冊です。スターウォーズを書くつもりはありませんが、神話をモノにしたいので……
投稿: Dain | 2011.03.26 01:31