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愛ある辛口「ナボコフのドン・キホーテ講義」

Nabokov

 言葉の魔術師ナボコフが、「ドン・キホーテ」をメッタ斬り。

 傑作と名高い「ドン・キホーテ」は、ナボコフに言わせると、「残酷で粗野な昔の作品」になる。本当の姿は、『気の狂った正気の男』を総がかりでいじめぬく、無責任で、子どもっぽく、痛烈で野蛮な世界を描いた作品なんだと。それがうっかりベストセラーになり、長年の誤読のおかげで真の姿が見失われてしまっているのが現状だそうな。

 この大長編をナボコフは、章節単位に解体し、吟味し、審判を下す。批評のいちいちが的確で、強い説得力で迫ってくる。面白いと言えるのは、ドン・キホーテとサンチョの会話や、冒険を織り成す幻想なだけだという。そこを除けば、この小説は、ばらばらの出来事、ありふれた筋、凡庸な詩句、陳腐な書き入れ、信じられない偶然の寄せ集めにすぎないと手厳しい。さらに、この残忍な物語をユーモラスだとか慈悲深いとか考えるような輩は、まともな見解を持っているとは言えないとまで言い切る。

 かつてわたしは「ドン・キホーテ」を大いに楽しんだ[「ドン・キホーテ」はスゴ本]。だが、ナボコフの目を通すなら、大いなる幻想に目ェくらんでたことになる。裸の王様症候群よろしく、「大ボリュームの古典を読み通すオレ様ナイス」と思ってたからかも。「ドン・キホーテ」の作品のみならず、その読者までも徹底してこき下ろされるので、いっそすがすがしく思えてくる。

 しかし、それでもやっぱり夢中になるのをやめられない。今で言う「厨二病」に侵されて現実と幻想を取り違える"痛々しさ"や、クソもゲロも一緒くたの強烈な下品さなどは、とりすました古典の姿をかなぐり捨て、生々しい噂話のように湧き上がってくる。もちろんリアリティは書き割りのお粗末さで、スーパーご都合主義的展開は鼻につくけれど、だからといってこの作品のパワーを損ねたりはしない。

 強力な物語に取り込まれる騎士ドン・キホーテの物語は、「ドン・キホーテ」の読者を取り込む、いわば「食い合い」の構造を持つ。後編に入り、ドン・キホーテとサンチョの、(それぞれにとっての)常識が相互に伝染しあう様子だとか、小説の中の「現実らしさ」「物語らしさ」に疑問を呈する主人公だとか、危なっかしくて目が離せない。いわば、小説の中の人が突然、「これはウソだッ!」と気づくようなもの。ナボコフという超一流の読み手に導かれながら、小説というフィクションのなかで「現実だ」とお約束されている現象とは何かについて、あらためて考えさせられる。

 辛辣なだけではなく、評価しているところもある。ばらばらのプロットの寄せ集めで、テキトーな展開であるにもかかわらず、ドン・キホーテの勝負の回数は、ちょうど20対20になると指摘する。テニスよろしく、ストーリーを追いながら勝敗をカウントしてゆく様は、本作への愛に満ち溢れている。構成らしい構成のない、無計画としか思われないような物語において、勝利と敗北の、これほど完璧な均衡は驚くべきことであるとまで言う。なんだ好きなんじゃないか、つんでれ、ってやつだね。さらに、この高潔な狂人ドン・キホーテを、リア王やキリストにまでなぞらえている。その読み方はできなかったが、本人の"扱われ方"は、確かに共通しているね。

 本書は、もともとは大学の文学講座のためのノートを編集したもので、六回分の講義に分けられている。さらに、公平を期するためか、あの大作を通読させる手間を省くためか、全編のレジュメまで付いている。編集者は「レジュメで読んだ気になるなよ」とクギを刺すが、あらすじは完璧に追えるかと。

 一冊で「ドン・キホーテ」がわかり、なおかつナボコフ一流の読みまで手に入る。辛口だけど。

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コメント

残酷で粗野で痛烈で野蛮な世界だからそこそ、垣間見える人間の嘘偽りのない心が胸を打つのこともあるのではないかと思いました。
わたくしも大いに楽しんだ手合いで、サンチョが騾馬を抱き寄せてさめざめと泣きながら語るところでは、思わずもらい泣きしそうになりましたものです。
ですので本日のエントリーを拝見し、このナボコフの講義は即買いだな!と思い早速amazonに行ったのですが、なんと中古で5,000円オーバー.....................。

悪しき魔法使いの陰謀に違いありません.........

投稿: 狸林 | 2010.10.11 08:59

>>狸林さん

  > 残酷で粗野で痛烈で野蛮な世界だからそこそ、垣間見える人間の
  > 嘘偽りのない心が胸を打つのこともあるのではないか

はい、ご指摘の通りともいえます……が、ナボコフはそうした「まとめ」をも引き裂くように、本作を解剖します。なので、(わたしを含む)「ドン・キホーテ」を楽しんだ読者も一緒くたに解剖される心地がするかもしれません。

投稿: Dain | 2010.10.13 00:34

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