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「短篇コレクションI」はスゴ本

松岡正剛の書棚

 ぜんぶ当たり、ハイスペック短篇集。

 選者には申し訳ないが、わたしにとって、池澤夏樹という作家は、小説家というよりも、一流の読み手となっている。思想や歴史臭が鼻につくようになってからこのかた、彼の小説は手をださなくなってしまった。代わりにエッセイを、特に書評を高く買っている。すぐれた作品を掘り出しては、いかにも読食欲を刺激するように紹介する。作品の根幹を短いフレーズでずばりと言い当てる技は、詩人のキャリアが生かされている。踏み込みすぎてほとんどネタバレ状態のもあるが、それはそれ。この河出世界文学全集も、池澤夏樹さんだから読んでいるようなもの。

 その期待に100%応えているのが、この短篇集。どれもこれも珠玉だらけ。プロット・キャラ・オリジナリティに優れた短篇のお手本のような傑作から、不条理譚なのに巨大な隠喩だと解釈すると仰天するしかない作品、「もののあわれ」とはコレだという指摘が腑に落ちる、でも異質な物語など、読み終わるのがもったいないものばかり。幸せな数時間に感謝。特に気に入った三篇について話そう。

 まず、フリオ・コルタサル「南部高速道路」が気に入る。渋滞に巻き込まれただけなのにサヴァイヴァルになる不条理感覚もさることながら、道路を走ることはそのまま人生のメタファーでもあることに気づく。わたしは、周囲のほとんどを分からないまま生きている。知ってはいても外見だけ、互いがぶつからないようにゆずりあって生きている―――というか、場所を分け合って生きているのだ。「出会い」や「別れ」なんて、クルマが近づいたり離れたりするようなもの。ラストシーンを読み終わるとき、濃密だった時間がほどけてゆく"はかなさ"を味わう。

 そして、アリステア・マクラウド「冬の犬」。これは大好きかつ唯一の既読だったりする。これも池澤氏の紹介で読んだもの。犬の動き方の「犬らしさ」がものすごく良く書けており、読みながらクスクス笑うことしきり(まちがいなく目に浮かぶ)。子どもと一緒に遊んでいる犬から、かつて自分を深く関わった犬のことを思い出す。そのカットバックが鮮やかだなぁーと思っていると、ただならぬことになる。その不安感をいきなり出さぬように、導入で親の病気のことに触れてる技巧が上手い。テクニックばかり言及しててすまぬ。実はこれ、ストーリーがいいから明かしたくないのだ。ぜひ、あたたかい場所で、ゆっくりと読んでほしい。

 レイモンド・カーヴァー「ささやかだけど、役にたつこと」はグッっとなった。感情を廃した、乾いた文体でレポートのように描写した"悲劇"。これは狙って翻訳したんだろうが、神業だな、村上春樹。具体的に踏み込まず、淡々と記録するように進めてゆき、最後の、「ささやかだけど、役にたつこと」のところで綿密・詳細に書き込む。そのワンシーンだけが読後もずっと後を引くという仕掛け。あと、パン屋のキャラの作り方が上手い。人物はその外貌や行動だけで印象を与えるのではなく、作者の手による演出で、いくらでも変えられることに(いまさらながら)気づく。さらに。わたしが"親"である分、その重苦しさは気が気じゃなかった。描写を省いただけ、想像で具体化するから。母親の気持ち、父親の感情にどんどんシンクロしてゆく。

 本書に収録されている作品は以下の通り。地域性に目配りの利いた、良い選だと思う。こういう短篇で目を磨くと、いい作家になるのか。

  フリオ・コルタサル「南部高速道路」
  オクタビオ・パス「波との生活」
  フアン・ルルフォ「タルパ」
  張愛玲「色、戒」
  ユースフ・イドリース「肉の家」
  P.K.ディック「小さな黒い箱」
  チヌア・アチェベ「呪い卵」
  金達寿「朴達の裁判」
  ジョン・バース「夜の海の旅」
  ドナルド・バーセルミ「ジョーカー最大の勝利」
  トニ・モリスン「レシタティフ─叙唱」
  リチャード・ブローティガン「サン・フランシスコYMCA讃歌」
  ガッサーン・カナファーニー「ラムレの証言」
  アリステア・マクラウド「冬の犬」
  レイモンド・カーヴァー「ささやかだけど、役にたつこと」
  マーガレット・アトウッド「ダンシング・ガールズ」
  高行健「母」
  ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」
  目取真俊「面影と連れて」


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コメント

おお、さすがこのシリーズチェックされてましたか!さっそくこれも図書館で予約しておきましたw
現在このシリーズのカプチシンスキ『黒檀』を読んでます。
「20世紀最高のジャーナリスト」らしくルワンダ講義などアフリカ政治・社会関連の文章ももちろん良いのですが、
マラリアにぶっ倒れた挙句金もないし帰国も嫌だと地元の病院に行く話とか、現地人の語る象の遺体はどこに消えるのか?なんかが
非常に旅情感溢れてて気に入っています。
以前何本かアフリカ関連のエントリを書かれていたDainさんなら、この臨場感に惹きこまれること請け合いです。

投稿: mymemo | 2010.10.13 23:11

>>mymemoさん

おっ!
「黒檀」は既に出ているのですね、教えていただきありがとうございます。河出世界文学全集は全読してますよ、なんせ選者が池澤夏樹御大ですもの。アタリもあるし、大外れもあるスリリングな読書をしています。

投稿: Dain | 2010.10.14 00:57

この本自体とはあまり関係ない質問なのですが。僕自身もこの全集を読んでいるのと、参考にもしたいので、お尋ねします。

以前『アメリカの鳥』のエントリで「彼とは趣味がかなり違うことも分かっている」とも書かれていましたが、「思想や歴史臭が鼻につくようになってから」云々というのは、「池澤夏樹の思想や歴史観が自分のそれとは合わないから」あるいは「そういった要素を主要素(テーマ)として扱うのものはもっとべつの系統の本や人に任せるとして、小説にそこを求めてはいないから」といったことなのでしょうか?

投稿: 赤亀 | 2010.10.17 18:18

>>赤亀さん

ご質問ありがとうございます。おかげで再考することができました。

誤解を恐れずにいうなら、「小説として面白くなくなったから」になります。「真昼のプリニウス」や「マシアス・ギリの失脚」なら、もっと普遍的なテーマ(男と女とか銭金とか学問とか出世とか、独り身の浮世の寂しさとか)で物語を楽しめます。この頃の池澤氏の動機は「ひたすら面白い話を書きたい」でしょう。

ところが、そのモチーフが歴史臭をかもすようになってから、池澤史観が鼻につくようになったのです。
ホントにその歴史(思想)ベースで書きたいのなら、もとからそうしたでしょうに。書く動機が、とってつけたかのように見えるのです。

(わたしも含め)人は時間で変化します。モチーフが変わったのでしょうか…

投稿: Dain | 2010.10.17 22:53

なるほどです。

「書く動機が、とってつけたかのように見える」っていうのはあるのかもしれませんね。池澤さんは9.11あたりに関心のベクトルがクッと変わった感があるんかなと、『虹の彼方へ』というコラム集をパラ見したときに個人的には思いました。加えて、北海道出身ということもやはり(今は北海度にお住まいのようでもありますし)大きいのかもしれません。

とわかったふうな口をきいてしまいましたが実は、池澤さんの小説に関しては『スティル・ライフ』と『マシアス・ギリの失脚』くらいしかまだ読んだことがなくて、次は『静かな大地』でも読んでみようかと思っていました。が『真昼のプリニウス』にしようと思います。

もとより厳密には述べにくい類のことを丁寧に返答してくださり、ありがとうございました!

投稿: 赤亀 | 2010.10.18 13:22

>>赤亀さん

おそらく、カフェ・インパラを立ち上げた頃から変わりはじめたと記憶しています。

カフェ・インパラ
http://www.impala.jp/

りっぱなウェブサイトですが、最初はメールマガジンでした。そこで旅の話とかだらだらやっているうちに、9.11にぶつかったのではないかと……いま確認したのですが、あたかも9.11を契機にメルマガ企画が立ち上がったようにアーカイブされています(わたしの記憶ちがい?)。旗幟が不鮮明で弱弱しいので「あれ?」と思ったのですが、編集や時間のフィルタが掛かりにくいデジタルメディアならではかも→「新世紀へようこそ」これを読むと、池澤氏の変節(?)が見えるはず。

記事にも書きましたが、池澤さんは「読み手」として高く評価しています。みすず書房の「読書癖」や、新潮社の「世界文学を読みほどく」は、ガイドとしても、評論としても一流です。

投稿: Dain | 2010.10.20 00:36

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