

知ってるつもりのヴァギナが、まるで違ったものに見えてくる。
のっけからのけぞる。モザイクかかっているものの、ヴァギナそのものが誇らしげに表紙に掲げている(遠目だとちゃんと認識できる)。表紙だけでなく、子を産むヴァギナや、常態のヴァギナなど、普通では見られない写真や図版も豊富にある。写真だけでなく、科学や宗教、歴史、神話と伝承に、文学と言語、人類学、芸術の幅広い資料から徹底的に調べ上げている。
そして、偏見と妄想をとっぱらったヴァギナを多角的・広角的に紹介する。同時に、ヴァギナに対する文化的・科学的バイアスを指し示すことで、どれだけ歪んだヴァギナ・イメージに染まっているかをあぶりだす仕掛けになっている。これを読むことで、男女問わずヴァギナ観がガラリと変わることを請合う。
まず、神話や伝承、民俗学では、恐れ敬われ、魔よけともなる力強い姿が紹介される。さまざまな神話や伝承が示す、着衣をまくりあげ、ヴァギナを見せるメッセージとは、女性器はあらゆる新しい命の源であり、世界の起源と豊饒を象徴しているというのだ。
たとえば、あらぶる海を鎮めたヴァギナ・ディスプレイや、スカートをまくりあげ、女性器を見せつけることで悪魔を退散させる絵図がある。天岩戸に隠れたアマテラスを呼ぶ話の顛末は知らなかった。アメノウズメが衣をたくし上げ、集まった神々に女性器(陰=ほと)を見せつけたという。神々は大笑いして喝采し、天地が揺れたのだ。フツーに宴会していたかと思いきや、そんな伝説があったとは知らなんだ。その勢いで、邦画「お天気お姉さん」のスカートまくりシーンや、ストリップ劇場でのペンライトショーを紹介し、日本にはヴァギナ・ディスプレイが息づいていると息巻く。
言語学方面からは、さまざまな文化におけるヴァギナの名称とその由来が語られる。ナボコフの「ロリータ」で「生きた肉鞘(にくさや、と読む?)」という理由も、ここで腑に落ちた。ヴァギナという言葉の由来には、剣をおさめる「鞘」という意味があったそうな。ラテン語圏だけでなく、中国語やヒンズー語、日本語なども同じ目線で評価される。面白いのは、西洋と東洋のヴァギナ観だ。地獄の門とか、厄介ごとの種とか、男の堕落のきっかけと呼んでいるのは西洋世界になる。いっぽう、生の源とか玉門いった、ポジティブな呼び方をしているのは、東洋世界だそうな。呪われる対象と、崇拝される対象、同じものでも偉い違う。
この、女性器を蔑むものとみなし、セックスは罪深いものだという考えを植えつけたのは、キリスト教だという。アウグスティヌスは「われわれはみな大便と小便のあいだから生まれでた」という言葉で、そのヴァギナ観を明らかにしている。女性器を「大きく口を開けた地獄への入り口」とたとえ、教会はヴァギナを無視するか、恥ずかしく思うように仕向け、イチジクの葉を押し付けたというのだ。そして、マスターベーションの害を防ぐためにクリトリスの切除が行われたり、ヒステリー治療のためにヴァギナ・マッサージが医師の手によって施された事例を紹介する。バイブレーターはもともと医療機器で、通販で手軽に買えていた時代があったそうな。
女性(器)蔑視の文化は科学にも影響を及ぼしたという。生殖器に関する語彙の歴史を詳らかにすることで、本来違うものに対して同じ名前をつけられたり、無視されてきたことを指摘する。女性が男性を反転させたものだという考えのせいで、女性の生殖器は発育を阻害された男性の生殖器だとみなされたというのだ。こうした誤謬と誤解に満ちた歴史を解きほぐし、矮小化された女性生殖器の真の姿を示そうとする。
著者曰く、ヴァギナは単に精子と子どもの通り道だけではない。父親となる相手の決定に関して、性交の前にも最中にも後にも支配力を振るっているというのだ。女性器の発達過程を振り返り、ヴァギナの本来の機能を洗い出す。それは、自分にとって最も適合する精子を見つけるために、精子を集め選別すること―――これこそ、メスの生殖器の本当の機能なのだという。メスの生殖器は受動的な入れ物ではなく、子孫の健康を保証し、さらには種の生存を保障するという、生命の最も重要な仕事を納める聖堂だというのだ。ヴァギナを入り口だとばかり思ってたわたしは反省すべき。あれは、未来の出口なんだね。
また、クリトリスについて理解を新たにしてもらった。快楽のための「点」から、頂部と体部と脚部をから構成され、三次元の広がりと奥行きを持つ巨大な器官であるという認識に変わった。クリトリスはラムダ(λ)型ではなく、むしろY型なんだって。見えている頂点だけでなく、むしろ体内に沈んでいるほうが、はるかに大きい。つまり、あの豆みたいなやつは氷山の一角であり、脚部はヴァギナ本体から骨盤に至るまで密接につながっている。女性の前面で骨盤のぐりっと出ているところがある。そこを刺激すると好成績を残すことは経験的に知っていたが、まさかクリトリスとつながっていたとは……! その構造を知ることは、次の性交に必ず役立つだろう。
さらに、著者のクリトリス論に驚く。「クリトリス=女のペニス」だと思っていたわたしは、誤っているというのだ。著者曰く、クリトリスとペニスを比較するのは解剖学的に正確ではない。クリトリスはペニスの相同器官ではなく、むしろ、男性にクリトリスがあるというほうがより正確だという。それは陰茎海綿体。陰茎海綿体の尖先端は亀頭表面に隠されて目に見えない。要するに、ペニスの上半分に埋め込まれて存在しているのだ。
これ言うと、ヘンタイ扱いされるだろうから……と言うのをはばかっていたことが、ここでは堂堂と主張されている。ひとつは、「ハート」の秘密だ。ハートって、心臓の象徴として用いられているけれど、違うのではないか?本当は大陰唇を指でピラッと広げた形じゃないのかな……誰にも言えず密かに思っていたが、本書でちゃんと検証されている。口絵で紹介されている、常態のヴァギナ画像をいくつか見ていると、「ハート型」そのもの。ただ、大陰唇のメタファーという考えは、これだけハートが一般化したいま、駆逐されてしまったといえよう。でないと来週のプリキュアが観れない、恥ずかしくて。
もうひとつは、「ヴァギナの匂い」だ。嫁さんに限らず、女性からココナッツのような粉っぽい匂いや、白桃の微かな匂いがするときがある。デオドラントではない。人工的な香りはすぐソレと分かるが、明らかに違う。汗や皮脂や血漿のように、「香り」ではなく、「匂い」なのだ。著者は自分の経験を語る。月経周期の4目くらいから排卵の日まで、豊かで甘く深みのある香りがして、排卵日を過ぎると果物のような香りに変わるという。おおっぴらに語られることはめったにないが、これは、ヴァギナのバルトリン腺や皮脂腺、アポクリン腺が分泌する粘液の匂いなのだという。著者は、「親密でエロチックな香り」と評価するが、わたしはいつも、「あからさまな匂い」としてドキドキしてしまうのだ(すごく好きだけどねー)。
この本を読むことは、自分の持っている、ヴァギナに対する誤解や偏見を見直すことになる。わたしが初めてナマで対面したときには、神々しさとグロテスクさで胸がいっぱいになり、思わず「はじめまして、よろしくお願いします」と挨拶したものだ。その後のお付き合いで、自分のではないとはいえ、ある程度は慣れ親しんだつもりだった。しかし、本書を読了すると、より愛おしく、いっそう美しく、もっと懐かしく感じることになった。嫁さんのに手を合わせ、「これからもよろしくお願いします」と一礼したことは秘密だ。
そうそう、ヴァギナには縁がないというのはウソだ。人は、だれもみな、少なくとも一度はお世話になっているから。その意味でいうなら、この世界を作ったのはヴァギナだといえるし、この未来を作りだすのもヴァギナなんだな。
ヴァギナ観を一変させる、決定的な一冊。
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