がんを覚悟する生き方
別に宣告されたわけではないのでご安心を。
ただ、充実した医療サービスが受けられる日本人でいるかぎり、わたしを「殺す」方法は、かなり限定されている。自殺は、メンタル面でフラグ回避を心がけている。交通事故はそこらの歩行者・運転者よりも気をつけている(もちろん"運"の要素もあるだろうが)。
統計によると、わたしの死因は「がん」になる。
実は、身近な人をがんで亡くしている。彼の、日常を続けることに極端にこだわった生き方は、いまのわたしにも影響を与えている。というのも、いま、ここの、わたし自身が日常生活にこだわっているから。自分のカラダを意識して食べる。排泄に注意し、睡眠に気を配る。家族とのコミュニケーションは、一期一会といったらはおおげさだが、いずれ別れるときをアタマの隅においている。
同時に、フィクション・ノンフィクションを問わず、本や映画からもそういう「覚悟」めいたものを受け取っている。ひとが自分の人生に集中するために、「癌」という仕掛けが施されているのだ。黒沢明「生きる」や、マイケル・キートン「マイ・ライフ」、あるいは「死ぬまでにしたい10のこと」―――これらは、癌を宣告された主人公が、死を自覚することで逆に生の輝きを取り戻す。
宣告されて初めて、自分の人生でやりたいことを10のリストに書き出し、順番に実行する。映画「死ぬまでにしたい10のこと」は、そのリストが単純で簡単なものであればあるほど、観る人は自らを振り返るだろう。「いま」「ここ」「わたし」にとって、やりたいことを、やる。ただそれだけが、いかに困難でスリリングで"日常"なのか、病気になってはじめて気づくのだ。
その一方で、「いま」「ここ」「わたし」の関係を壊したくない。もっと言えば、家族へのショックを「ないもの」にしたい。もちろん自分も精神的ダメージを受けるだろうが、家族への衝撃を慮って言い出せない、言い出しにくい―――わたしの場合、むしろこっちになる。やりたいことは「もう充分」とは言えないけれど、「やってない」「手をつけてない」わけではない。けれども家族は?と考えるだけで熱くなってくる。できれば黙って消えていきたい。
しかし、そういうわけにはいかない。遅かれ早かれ、いずれは分かる。そして、わたし自身が家族のサポートを必要とするときがくるだろう、必ず。「冷蔵庫のうえの人生」は、人生が有限であること、よりよく生きるには、家族の支えが必要なことが、新しい文体「メモ」で表されている。思春期の娘と、その母親との他愛のない日常が、冷蔵庫に張られたメモの往簡でつづられる。いつまでも続くかに見えた日常は、ある出来事を機に変わり始める。
話そうか、話すまいか、母の葛藤がつたわってくる。たかが冷蔵庫のメモなのに、病気のことを娘に伝えるのに躊躇する姿が見える。すれ違いがちの、めまぐるしい日常、それがあまりにも愛しく、最後まで黙ってたほうがいいんじゃないのか、という思いが透ける。エゴなのか優しさなのか、分からない。
あなたにいてほしかった。でも、口に出してそう言う勇気がなかった。こんなことのためにあなたの人生を台無しにしたくなかった。あなたには普段通りの生活をしていてほしかった。私のかわいい娘でありつづけてほしかった
もしわたしが同じ病気になったら、やっぱりこの母親と同じように悩むだろう。エゴと優しさを一緒に抱えたまま、少し泣くかもしれない。今から態度を決めるのは無理だろうが、ただ、それでも、「そういう気持ちになるだろう」と予め知っておくことは可能だ。「覚悟」には程遠いが、そのとき考えるのではなく、いま考えておきたい。
このとき重要なのは、「がんと闘う」のではなく、「がんとつきあう」こと。がん細胞という"悪いやつ"がいて、そいつをやっつけるわけじゃない。もともとオレの細胞なんだし、それを否定することは、オレを否定することだろ?だからがんをひっくるめて生きるんだ―――彼はそういった。
その態度は、米原万里と対照的だ。彼女が遺した書評集「打ちのめされるようなすごい本」の後半は、がんの闘病記となっている。「私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」「万が一、私に体力気力が戻ったなら」といった語句のすきまに、あせりのようなものが読み取れているうちに、ブツっと途切れるように終わっている。
残念なのは、闘う相手を医者にしてしまったこと。「どこか」に「なにか」があるはずだと、ネット相手に療法を探し回り、「勉強」をはじめてしまったこと。自分の時間を生きるのであれば、医師を信頼するのが最初だろう。もちろん、わたしも同じような罠にはまるかもしれない。だが、これをlifetime-eaterという「罠」だと気づいたことは記しておこう(後で思い出すために)。
ちょうどぴったりの勉強会がある。「生活目線でがんを語る会」というもので、がんにかかるってどういうことなのか?何が起こるのか?といった疑問を、現在闘っている人、かつて闘っていた人、家族が闘っているのを経験している人に語ってもらうのだ。医療関係者がテクニカルな部分を語るものではなく、もっと身近な病としてのがんを知る良い機会。案内と申込みは以下の通り。
人間の死亡率は100%。そして可能性が最も高いのが「がん」なのなら、少しでも人生の質を上げておきたい。そのための助けとなるかもしれない。
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コメント
昨年祖父を亡くした時に『死にゆく者からの言葉』という本を読み、感銘をうけました。死にぎわについて考えさせられた一冊です。
投稿: MOGGY | 2010.07.07 18:51
こんにちは。
なかなか、この手の本は読めない人間なのですが、TVドラマを見てから
『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』を読みました。
医者でもある著者は、強い人間であるとともにやさしい人間で
医者であると同時に患者であるから、患者の目線の理解ができた
すばらしい方だと思いました。
感想がうまくいえなくて、すみません。
投稿: ざわ | 2010.07.07 20:21
>>MOGGYさん
「死にゆく者からの言葉」は知りませんでした、オススメありがとうございます。「死ぬときに後悔すること25」のような本ですね。「がん=死」ではないのですが、がんの覚悟以上に、死ぬ覚悟も必要ですね。
「死ぬときに後悔すること」ベスト10
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2009/08/10-654e.html
>>ざわさん
オススメありがとうございます。ベストセラーは基本的に読まないつもりでしたが、いい機会なので手を出してみますね。
投稿: Dain | 2010.07.08 00:17
はじめまして、浮雲屋のかもめです。
本ではないのですが昨日知ったスレッド
戦争の体験談を語るわ
が、なかなか読むのも語るのも覚悟のいる内容だなぁ。
http://mamesoku.com/archives/183772.html
ぜひ、一読いただければと思いご紹介させていただきました。
既にご存知でしたら流してください。
投稿: 浮雲屋 | 2010.07.08 15:41
初めまして。
今回の本とは関係ないのですが、ナボコフがいけてボルヘスの円環に惚れ惚れするならば、ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(例の『文学全集を立ちあげる』にも載っていますね)はいかがでしょうか。
ナボコフとボルヘスって同年の生まれで、取り扱うテーマなんかも似たようなものが多くて、ナボコフが明でボルヘスが暗という風な感じがします。
投稿: Cell_44 | 2010.07.08 23:55
>>浮雲屋さん
まなめはうす経由で知ってはいましたが、全読していません。推していただき、ありがとうございます、いい機会なので読んでみますね。この戦争なら、高木徹「戦争広告代理店」ですね。
>>Cell_44さん
オススメありがとうございます、ナボコフだと今借り出しているのは、「ドン・キホーテ講義」です。ナボコフとピンチョンは全読するまで死ねません><
投稿: Dain | 2010.07.09 00:27