「土の文明史」はスゴ本
土壌の肥沃さと土壌浸食から歴史をとらえなおす快著。文明の発展は土壌の搾取と放棄のくり返しによるものだということが分かる。
■ 結論
本書のシンプルな結論を図で説明する(p.17より引用)。「土」はもっとも正当に評価されていない、かつ、もっとも軽んじられた、それでいて欠くことのできない天然資源である。肥沃な土壌は、地下からの岩石の風化と地表での侵食、およびその間の微生物・昆虫・ミミズなどの生物と植物類の生態系のバランスの上に成り立っている。あらゆる文明の興亡は、「いつこの土壌を使い尽くすか」「肥沃度をどのように保(も)たせるか」に依拠する。土壌の生成を上回るペースで浸食を加速させる農業慣行により、肥沃な土壌を失ったときが、文明の滅ぶときである。つまり、土の寿命こそ文明の寿命なのだ。
■ 超広角で大深度で人類史的な視座
環境破壊が歴史を変えた着眼点に「土」をもってくるところがユニークだ。しかも著者は、堆積物のコアを放射性炭素年代測定で調査する。どの年代にどの程度の侵食/風化がなされたか、さらに遺跡物からどのような農耕慣行がなされていかをファクトベースで主張しており、非常に説得力がある。土地の劣化がそのまま帝国の衰亡の直接的な引き金ではないにしろ、社会の基盤そのものを脆弱にしたのは、土壌の流出による人口を養うコスト増を指摘する。
そして、面白い/恐ろしいことに、同じ指摘はくり返されてきたという。古代ギリシア・ローマ帝国の衰亡、ヨーロッパの植民地制度、北米大陸におけるアメリカの西進において、土壌肥沃度の重要性はさまざまな形で訴えられてきたというのだ。家畜の放牧や肥料などにより、土地に再投資することで土壌を維持する方法を試みた者もいる。土壌肥沃度を高めることが重要であるとわかっていながら、その主張はくり返し無視され、土壌は喪失されてきたという。
著者は、あたりまえのように使われてきた農耕技術についても、土壌の荒廃を加速するものとしてダメ出しする。たとえば灌漑には、隠れた危険があるという。灌漑をくり返すことにより、地下水が毛管現象で蒸発し、土中に塩分が残るようになる(塩類化)というのだ。また、鋤の使用により単位面積あたりの生産高は向上したが、風雨による侵食スピードと土壌の流出を加速することで、土地は荒廃しやすくなるという。目先の収穫のために長期的な生産量が犠牲にされ、数百年で土地は使い物にならなくなる。
この著者の広角視点により、人類が土地を消費してきた歴史があらわにされる。土壌の形成は非常にゆっくりとしたものだから、それを捕らえる視線も長期スパンになる。だいたい文明は800年から2000年、おおむね30世代から70世代存続している。簒奪や植民地化により、新たに耕作する土地があるか土壌生産性が維持されている限り、社会は発展し反映する。いずれも可能でなくなったとき、すべては崩壊する。
■ アスワン・ハイ・ダムの皮肉
この例外であるナイル河流域の運命は、笑ってはいけないのだが笑い話にしか見えない。エジプトの農業はファラオからローマ帝国を経てアラブの時代に至るまで7000年ものあいだ持続可能だったが、これにはちゃんとわけがある。ナイル河の毎年の氾濫により、塩類がほとんど含まれない肥沃なシルトが沿岸に運ばれているからなのだ。
しかし、アスワン・ハイ・ダムの建設により、農業環境が破壊される。氾濫がなくなり灌漑用水のおかげで二毛作・三毛作が可能となったが、シルトは運ばれなくなり塩類化が進んでいるという。氾濫防止と灌漑用水を目的として建設されたダムが、逆にそれを加速するなんて、皮肉な話だ。
さらに、低下する収穫量を回復させるため、農業生産は化学肥料で維持されるようになるのだが、その化学肥料は、アスワン・ハイ・ダムで発電される電気によって生産されるのだ。いまではナイル河沿岸の農家は、世界有数の化学肥料の消費者となっている。アスワン・ハイは、もはや皮肉は通り越したところにある記念碑だな。
■ 植民地化→グローバル化=土壌搾取のアウトソーシング
近現代の欧州および北米の歴史は、土壌流出のアウトソーシングの歴史だといっていい。ヨーロッパは繰り返される飢餓問題を、食料を輸入し人間を輸出することで解決した。言い換えると、ヨーロッパは食糧生産をアウトソースしながら、工業経済を築き上げたというのだ。
著者の視線があまりに幅広なのでピンとこないのだが、要するに、遠く離れた大陸の土壌肥沃度を搾取するいっぽうで、自国の経済の工業化を推進するものが植民地政策の本質なのだそうな。結果、その流れは現代の「市場のグローバル化」につながる。より豊かな市場を求めて農産物が海外流通するのが、今日のグローバル化した農業だ。これは、ヨーロッパの都市への食糧供給を助けるために成立した植民地プランテーション遺産の反映なのだ。つまり、土を現金に換えているだけにすぎない。そして収穫物が搾り取れなくなった土は棄てられ、新たな市場を含めた開拓がなされる。植民地は、文字通り「食い物にされた」というのだ。
北米も同様だという。植民地の拡大ではなく、農地の西進化が土壌を搾取した歴史になる。タバコと綿花栽培は、手っ取り早く農作物を現金化することで大いに開墾されたが、農場経営者は地力を回復させるためになんの努力もしなかったという。土が与えるものを受け取り、何も与えてくれなくなれば捨てる。古い土地を蘇らせるより、新たな土地を開墾するほうを好んだ結果、土地の荒廃が西へ西へ―――太平洋へ達するまで続くことになる。
■ ローマ、欧州、北米の土壌搾取の歴史に共通するもの
良好な土地が無造作に使い捨てされるのを見て、アメリカ農業の愚かしさを嘆くイギリス人の手記があるが、自国も同じ歴史をたどってきたことに反省しない罠に笑ってしまう。ローマ、欧州、北米における土地荒廃の歴史には、共通した罠―――地主制度が潜んでいる。
つまり、プランテーションの所有者が、自らの土地を耕していなかったことが問題の本質だという。土壌疲弊の問題をもっとも認識すべき人々が、実際に農地で働いていなかった。そこでは雇われた監督と小作人が働いており、彼・彼女らは出来高で給料が支払われる。土壌肥沃度を維持して地主の利益を守るよりも、各年の収穫を最大にするほうを目指すことになる。土地が荒廃すれば、次の場所を開拓し、開拓する土地がなくなれば、他国を収奪する。二千年前の古代ローマと同じように、不在地主制度が土地を浪費するシステムを助長したのだという。
さらに現代では、この土壌搾取の構造が、より巧妙になっている。地代や農耕機械・化学肥料のローンだ。かつてのような植民地の支配-被支配構造に取って代わり、農業を営む人は、機械化と化学肥料の購入費を稼ぐために、土壌を収奪する。機械化されてた大規模農場は「経営」されるものなのだ。つまり、買ってきた養分を"インプット"し、もっとも市場で求められている収穫物を"アウトプット"する。その間の"メンテナンスコスト"を最小化することが求められており、土壌喪失だとか持続可能性だとかは問題にすらされない―――今のところは。
■ 地球という「島」
人類史をたどりなおすようにして、土壌が果たした本質的な役割を探る試みは、とても新しく感じた。さらに、農耕の発達が人口増をもたらす一方、それらをたゆみない収穫量の増加によって養うという終わりのないレースだと喝破する視点はスゴいと思う。広く、深く、長いスパンを持った目線でないと、見えない。
そして、ちと恐ろしいシミュレーションを、過去の「実験」に求めている。大ざっぱにいって、文明の寿命は、農業生産が利用可能な耕作適地のすべてで行われてから、表土が侵食されつくすまでにかかる時間を限界とする。もちろん気候や地質学的条件は異なれど、土地の荒廃は文明の生命線を断つことにつながる。このシミュレーションを、土地利用が限定されたイースター島の歴史に求めている。限られた土壌資源を使い果たし、ついには互いに喰い合う食人にまで行き着いた事例はヒトゴトに思えない。
荒廃のテンポは非常にゆっくりしているので、なくなったことに気づかないのだ。そして、次の、次の次の世代では、「なくなったこと」がデフォルトとしているため、失いつつあることに気づかないのだ。土壌を地球の「皮膚」に喩え、地球を「島」に喩える著者の皮肉は、ジョークにしたくでもできない。
■ では、どうすればよいか?
これだけ脅してきたのだから、対策について考えているかな?かな?とおそるおそる読むのだが、めぼしいものはない。ペルーの「土地を耕さない独特の農法」「輪作・休耕・堆肥と灰の使用」の事例を挙げたり、地産地消を目指す農業の非グローバル化や、都市農業の可能性を模索している。バイオテクノロジーはほんの触れる程度で、土を一切使わない水耕栽培も含めると、別の可能性も見られたかも。さらに、流れ出した「肥沃さ」の行き着く先―――海洋についてまったく触れていない。土壌の肥沃さを吸収する海洋資源を目指すのが近未来だと予測しているので、このテーマは別の本で追ってみよう。「土」に軸足があるのだから仕方ないかもしれないが……
もちろん人類史をひっくり返して「土」の面から再評価を行ったのはスゴい労作だが、どうすれば土壌を保全する動機付けができるとか、非グローバル化の潮流を作り出せるかとか、持続可能性を高めるテクノロジーについては、別の資料を探すべきなのかもしれない。ただ、すべてをゼニカネで換算するグローバル資本主義の下では、泥の価値は非常に低くみられがちだ。けれどもさらに見方を変えると、銭金を泥に換えられるのなら、地球という土壌を使い尽くす未来を変えられるかもしれない。そして、「銭金を泥に換える」方法(慣行、技術、事業)を見つけた人は、そのまま世界を手にすることになるだろう―――ずいぶんとスケールがデカい話になったが、読み手をそうさせてくれる危機感と視野感覚を煽って広げてくれる、それが「土の文明史」なんだ。
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