恋の感覚は第七感「第七官界彷徨」
読むとヘンな気になる乙女小説。読むと気がヘンになる、ではない。
よほど遠い過去のこと、
秋から冬にかけての短い期間を、
私は、変な家庭の一員としてすごした。
そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。
オープニングはこんな感じ(改行はわたし、句点上手いと思う)。男三人の生活に参加する少女のろうばいっぷりや、逆に彼女の感情をもてあます男衆の困惑が、ときにユーモラスに、ときには憂哀たっぷりに描かれる。人物&小道具の配列や、会話・表現上の韻のイフェクト、人称のゆらぎが、読みという行為に一定のリズムを与え、物語を追うというよりもむしろ、彼女の感覚を通じた体験になる。
尾崎翠は主人公・町子の一人称で描きたかったようだが、いかんせん田舎からポッと出てきた小娘の観察や会話で詳らかになるはずもない。そのため、独白や告白や手記の形で登場人物が内心を吐露する。そう、この一家は全員、各々の恋に苦しんでおり、その真情をタメ息といっしょに吐き出す様子は、見ているこっちもいたたまれない。
もちろん主人公の町子も恋を「したようである」ようで、読み手はこの相手を探すちょっとしたミステリを解いている気になる。だが、彼女の慕いはハッキリとは語られない(一人称なのに!)。これはスゴい技だと思う。だいたい彼女は極度のひっこみ思案で、人糞まみれの菜っ葉を初対面の隣人と洗うとき、一度も口を利かずに意思伝達させることができるし、そもそもこの作品中で一度しか会話体で発言しないのだ→「大根畠をとってしまわなければならないの。けれど――」
ふつうの描写にそろりと、おかしな動きが混じっている。その「ふつうじゃなさ」へ横滑りしていく感覚が可笑しい。人間の五感に第六感をくわえ、さらにそれらを超えた「第七官」をさまようような日々がテーマなのだが、語り手の町子が受けたものが第七官なのではないように思えてくる。むしろ本書を手にした人が読中感覚としてうける、この「ふつうじゃなさ」こそが第七官なんじゃないかと。
あるいは、町子が男衆の一人ひとりの心情に同期をとる「感覚」こそが第七官なのかも。惚れた腫れたでくっついたり離れたりはしない。ただ、しばらく側にいて話を聞いたり髪を切られたり、声を出さずに泣いたりするだけ。ときめきのない好意のようなものが香のように立ち上る。
実はこの作品、読み直しになる。片想いのあの子がひそかに読んでいた尾崎翠―――という甘酸っぱい期待に満ちて頁を開いた、あの頃を思い出す。そのときは何が面白いのかサッパリ分からなかったのだから、笑える。だが、だからといって、高校生のわたしをオッサンになったわたしが嘲えるだろうか?小説の技巧は分かれども、恋を感じる第七官はずいぶん頽廃してしまったようだ。
女の子の恋感覚とはこんなものか?よく分からない。むしろ男衆の「女の子はじつによく泣くものだ。女の子に泣かれると手もちぶさただ」とか、「女の子というものは感情を無駄づかいして困る」のほうに共感してしまう。やっぱりわたしは、"男の子"なんだなぁ。
川上弘美や多和田葉子の系譜に連なる、"女の子という存在"に寄り添う一冊。
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コメント
おお、流石にここまで来ましたか。私も以前に読みました。文章は素晴らしいんですが、この先は男子禁制のようです。
投稿: 金さん | 2010.03.17 17:05
尾崎翠は大好きな作家です。
投稿: ある | 2010.03.17 23:31
尾崎翠は最近再評価が進んでいる作家ですよね。私の大好きな作家です。
投稿: めめ | 2010.03.17 23:34
文章、巧いですね。ちょっと驚きに近い。
第七官が頽廃した、というよりも何と言うか“青年の時にしかない、青臭い自意識”とでも言うものが別の形に変容しただけなんじゃないですかね~。まあ、僕の場合、Dainさんのそういう単なる本読みに留まらない部分に魅力を見出したので、マイノリティな意見だとは思いますが。
早速、図書館で借ります。良書の予感。
投稿: nodbood-k | 2010.03.18 00:17
>>金さんさん
「この先は男子禁制」……いい得て妙で、思わずニヤリとさせられました、確かにそうですね。でも本の扉は万民に開かれているのです、いざ!
>>あるさん、めめさん
練達の言葉の編み手だなぁ……と思います。どちらかというと、「第七官」より「こおろぎ嬢」とか好きです。
>>nodbood-kさん
「青臭い自意識」ですか、なるほどー。ところで、某CMの「恋は遠い日の花火ではない」というキャッチがありますが、ようやく自分の側として実感するようになりました。その彩りは、青色の花火なのかもしれませんねw
投稿: Dain | 2010.03.18 06:50