「ヴァインランド」はスゴ本
もちろん持ってますぞ、「V.」も「重力の虹」も新潮社の「ヴァインランド」も。
そして、どれも最後まで読んでないwww たまに発作的に、「いつかは、ピンチョン」とつぶやいて、あのずっしり詰まったハードカバーを手にとるのだが、イメージの濁流に呑み込まれて読書どころでなくなる。注釈と二重解釈と地文と話者の逆転とクローズアップとフラッシュバックと主客の跳躍に翻弄され、読書不能。まれに、「読んだ」「面白かった」という方がいらっしゃるが、どうやって読んだのだろうあやかりたい頭借りたい。
逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと河出書房の新訳に手を出す。今回は池澤解説(ピンクの投げ込み)と池澤書評[URL]で予習したからバッチリさ――とはいえ、極彩色で蛍光色の【あの】60年代70年代を、ゲップが出るまでたっぷり喰わされる。ロック、ドラッグ、サイケデリックな【あの時代】を駆けぬけ突きぬけくぐりぬけてきた人なら、諸手をあげてラブ&ピース(「友愛」ですなwww)と讃えるだろう。訳者はご丁寧にも注釈で唆す――ネット動画検索等に役立つよう、固有名詞の多くを英語表記する――ので、Youtubeを傍らに読むとノれる。
わたしといえば、【あの時代】の残滓と微妙にシンクロしており、「初体験リッジモンド・ハイ」のフィービー・ケイツのおっぱいを思い出して愉快になったり、「ブレードランナー」の大富豪のエレベーター(詰みチェスのシーン)もかくありやなむと感慨ぶったり。あるいは'84ゴジラの武田鉄矢「でっかい顔しやがってこの田舎もんがッ」を思い出すし、ピンクに染まった加藤茶の「ちょっとだけよ~」のBGM(テンテケ・テンテン・テンテンテン~)に浸る一瞬も!
ページをめくるたびに登場する新キャラとエピソードと、複雑に折れ曲がってゆく展開と、現在、過去、大過去を一瞬で行き来する自由度、さらには、独白と会話と一人称と三人称と神の視点と信用できない語り手とピンチョンのコメントが入り乱れ、ついには誰の何の話なのかどうでもよくなる。原書読んでないけれど、訳文から察するに、何の断りもなく過去を現在形で書いたり、話の途中で主客を変換してるんじゃぁないかと。
脇役が主となるエピソードの脇役が主となるエピソードの脇役が……という因果の連鎖が続き、人物や場所にまつわるエピソードから別の人物や場所にリンクさせるので油断ならない。カメラワークで物語を転がす映画的手法はありがちかもしれないが、この跳躍は尋常じゃない。タランティーノの「パルプ・フィクション」やガイ・リッチーの「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」のような、めまぐるしいシーンの切り替えに戸惑う。読み落として、なんでコイツがこんなことヤってるの???と不思議に思うこと幾度か。
ちょうど、TVのチャンネルを替えるかのように話が変奏していくのだ。別のチャンネルにさっきの人がちゃっかり登場したり、あるいは、キライなCMを見ないようにチャンネル変えたらまさにそのCMが始まるところだった――といった感覚に囚われる。
エピソードと人物の連鎖は、ちょうど物語の最深部、ロックンロール人民共和国の崩壊を境に、二つ折りのようにシンメトリックに並んでいる。ダブルミーニングやおふざけワードだけでなく、構成そのものからも仕掛けがある。ストーリー追いかけるだけなら単純な筋を二つ三つ押さえているだけでいいが、これは、物語性を蒸留したりナントカ思想を抽出するようなシロモノじゃないね(やったら死にまする)。ハマる音楽は「聴く」というよりも身を「委ねる」ように、これは読むというよりも「ひたる」「もぐる」感覚を楽しむべし。
運命に抗おうというよりも波にノって上手くヤっていこう的なノリが【あの時代】の若者っぽい。けれども、ヒッピーをハッピーできるのはわずかな間だけ。いつまでも「若者」ではいられない。トシとっても子ども気分を味わっていたいピーターパンはゾイド・ホィーラ、逃げ回る母親役ウェンディはフレネシ・ゲイツ、海賊フック船長はブロック・ヴォンドにダブってくる。さしずめ、トリックスターのプレーリィは、ティンカー・ベルといったところか。この14歳のプレーリィがまたカワイイんだ、こんなイカすセリフを吐いているぞ。
(「入力と出力に責任をとれない人間は入れるべからず」という規則に)「口から入れるものは自分で稼げ、お尻から出すものは自分で始末しろ、ってこと?あたしなら大丈夫。もう何年もそれやってきてるもん」欲望の赴くまま公権力を暴走させるブロック・ヴォンドの名ゼリフはコレ。
「いいかね、二つの世界があるんだよ。どこかにカメラがかならずある世界と、どこかにかならず銃がある世界。見せもののゴッコの世界とリアルな世界だ。そのはざまに、いまきみは立ったんだと思ってごらん。さあ、どっちの世界を選ぶんだね。ん?」パラノイアに満ちた読むドラッグに懐かしんだり酔っ払ったりしてるうち、カリフォルニアの架空のこの街「ヴァインランド」は、「ネバーランド」に見えてくる。あるいはヴァインランド(VINELAND)ではなくヴェインランド(VAINLAND=虚栄の世界)に空目してしょうがない。
以下、訳者解説より引用した自分メモ。一昨年から出る出ると噂されていたピンチョン全集がじきに刊行開始となるそうな。現時点でのピンチョンの全著作の概要は、以下の通り。
V. 1956年のニューヨークを基地とし、謎の「女」の暗躍を追って世界史の複数の地点(サイト)に飛んでいく物語。1963年発表。
ナンバー49の叫び声 1964年か65年のカリフォルニアに、17世紀以来、歴史の陰で暗躍してきた対抗コミュニケーション・システムが浮上してきたようすが幻視される。1966年発表。
重力の虹 V2ロケットの降り注ぐ1944年初冬のロンドンから翌年初秋の焼け跡のドイツを舞台とするが、帝国主義下の軍と産業カルテルの進展を追いつつ、話の蔓はアフリカ、アラビア、ロシア、東欧、アルゼンチン、アメリカの便器の奥、地球内部、天国の死者たちへ延びる。1973年発表。
ヴァインランド 1984年のカリフォルニアを現在として、60年代闘争期にズームイン。1990年発表
メイソン&ディクソン 独立戦争前のアメリカに、後に国を二分することになった線を引いていく天文学者と測量技師の物語。面妖なキャラクターが実在の建国の父たちに混じって登場する。珍妙な擬古文体によるポストモダン歴史大作。1997年発表。
逆光 1890年代から第一次大戦直後まで、荒々しい資本主義発展期の地球を、複数の物語がかけめぐる。2006年発表。
Inherent Vice 1970年、カウンターカルチャーの「祭りの後」を舞台とした探偵小説。「内在する愚」と直訳されるタイトルは「もともと傷物」(なので保険の適用なし)という意味の業界フレーズ。2009年発表。
本書の訳者、佐藤良明氏は、現在「V.」の新訳中で、その後「重力の虹」に取り掛かるという。「ピンチョン・コンプリート・コレクション」がそろうまでに、わたしの本棚の肥やしを読みきれるか――
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