「最近の若者はダメ論」まとめ
近ごろ「最近の若者はダメ」が、(また)流行っているようなので、自エントリをまとめてみる。もし、「最近の若者は…」を見かけたら、ここを思い出してほしい。
きっかけは、職場の飲み会。「近ごろの若い連中はダメだ!」と一席ぶつオッサンがいたこと。それって、昔から言われてますね、と返すと、「何年何月何日に誰が言った!?出典どこだよ?何の根拠でそう断定できるんだよ?」ってオマエは小学生か。そこで調べてみたところ…
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1. 近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について [URL]
「最近の若者はダメだ」と昔から言われているが、特に今の若者はひどい。当事者意識が欠如しており、いつも何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけている――という小論。出典を隠すと、内田某とか香山某がいかにも言いそうなネタ。ただこれ、30年前のベストセラーだったんだよね。弱いものたちが、人生の夕ぐれ時になって、さらに弱いものを叩く無限ループ。世代間に受け継がれる自虐ブルースなのか?
これを「論文」として読むと支離滅裂で、記述の重複、無根拠の主張、非論理的展開、無意味な提案内容とお粗末極まりないチラ裏。こんなのがベストセラーになる当時の知的レベルをうかがい知ることができて、二度たのしめる。今どきの若い人は読んでおこう。「ネット」と「ニート」と「ひきこもり」を足せば、今でも売れるぞ。
2. 日本語壊滅 [URL]
内田某が日本語の崩壊状況を語ってたことに反応したのがこれ。不思議なことに、このテの話の枕はメディア経由であって、自分のガッコの学生ではないこと。ま、「顧客」をダシに売名するようになったら終わりだが、それを「やらない」という線引きが彼の矜持のように見える。この点は非常に尊敬している。
そういや内田さんって、ちょうど、「1. 近ごろの若者は…」で批判されていた年代だったはずじゃぁ…と思いを馳せると二度おいしい。「当事者意識が欠如しており、いつも何かに依存し、消費し、批判するだけ」…なんというブーメランって笑っている場合ではないな。もう一回転した刃先は、わたし自身にも向くのだから。
ちょっと違った「日本語」を使っている人がいると、自分が「遅れてるゥ~(死語)」ような気になる。しかも、文筆で名を立てている人ほど、その思いが強いのだろう。さもありなん、枕草子や徒然草にもそんな「あせり」が見られるから。これは1000年前から変わってなかったんだね。
自分と異なる運用の仕方をしたからって、「日本語がダメになる」と批判するのは早計かと。言語は変化しているであって、批判者は単に取り残されているだけ。時代に置き去りにされる恐怖がヒステリックに「日本語滅亡論」に直結するサマを眺めて楽しむのは、毎年恒例のお祭りだい。
3. 最も古い「最近の若者は…」のソース [URL]
冒頭のオッサンの挑戦に応じたのがこれ。紀元前から言われていたよとか、ギリシアの哲学者が言ってたよとかと、常に「伝聞」の形で伝説のように扱われていたのがイヤで、ちゃんと調べて、参照して、引用した。
ソースは三つある。ひとつはプラトン「国家」で、「最近の若者はラクなほうばかり追いかけて、年長者の言うことをちっとも聞かない」と憂える。でも本当にプラトンが言いたかったのは若者批判ではなかったようだ。その辺のことは、「たしかに、プラトンは『最近の若者は』と言っていた、が… [URL]」を参照されたし。
二つ目はピュタゴラス伝にある。若者は勤勉さを厭い、不摂生や遊びを追いかけるものだという。これも単純に嘆いているのではなく、若いうちからの教育の重要性を解くための方便のようだ。
三つ目は、古代エジプト。ただし原典まで辿れなかったのが残念。柳田国男が「木綿以前の事」にて、「…と聴いた」話になっている。発掘された古代エジプトの手録によると、「この頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしいことだ云々」だそうな。
4. 学力低下の本当の原因 [URL]
最近の若者はバカばっかりだそうだ。受験勉強ばかりでまともな教育を受けておらず、オチコボレか疲弊しきって人間性を欠如している奴らばかりで、このままだと日本が危うい。原因は親か教師かその両方で、放任無視か過保護のバカ親と、無能・無意欲のバカ教師が教育の荒廃を招いている――という、30年前の教育亡国論。
ぜんぜん変わっていないのが笑える。しかも、そんな輩に育てられたのが、今どきの親なんだから噴飯モノだね(わたし含む)。じゃぁ、今どきのモンスターペアレントって、やっぱりそうなのか…?と思って調べたのが、「モンスターペアレントはどこにいるのか? [URL]」で、昔からいた「困ったちゃん」に新しい名前をつけただけなことが分かる。いわゆるバカ親たちの近現代史やね。
どの職場・教室・コミュニティにも「困ったちゃん」がいるように、どの世代・年代にも理不尽な輩がいる。一部をクローズアップして全部となすのはメディアのお手盛り。不安感と危機感を煽って→部数と視聴率を稼ぐのがメディアの常道、惑わされないように自戒自戒。
5. 「最近の若者は本を読まない」本当の理由 [URL]
最近の若者は本を読まないそうだ。「だから、まともな日本語が使えない」「だから、コミュニケーションができない」「だから本が売れない」と、これも枕詞として縦横に活用しよう。でもホントかな?と調べたのがこれ。
結論はウソで、若者はよく読むし、今どきの若者ほど読書家だ。つまり、「30年前の若者」と比べて、今どきの若い人の方が沢山読んでいる。この辺は、「じゃぁ最近のオヤヂは、若いとき本読んでたのか? [URL]」を参照のこと。特にアサドク(朝の読書)の効果がめざましく、小中高生の読書率は近年にないほど高い。そして、読書の習慣はオトナになっても続き、「読書をする若者世代」が続々と社会に出てきているのが、いま。
この根拠は統計情報として扱われており、誰も文句のつけようがない――と思っていたら、「本そのもの質が下がっているから比較できない」とか「ラノベや(最近の)新書が読書かよ(プ)」といった反論(?)が聞こえる。ううむ、数値化できないものをもってこられると、どうしようもないね。あるいは、詭弁のガイドライン第5条「資料を示さず持論が支持されていると思わせる」を思い出す(詭弁のガイドライン)
6. なぜ最近の老人はキレやすいのか? [URL]
最近の若者はキレやすいそうだ。すぐカッとなってナイフで刺す。感情の"こらえ"が利かない。命を粗末にしている。思いやりが欠けている――と言いたい放題ご満悦のご老人たち。本当かな?と調べてみたら、真逆の結果が得られた。
結論から言うと、キレやすいのは若者ではなく老人、しかも、最近の老人ほどキレやすくなっている。これも統計から得られた結果なので、文句のつけようがないだろう――といっていたら、「高齢化社会になったから」だってさ。つまり母数が増えたから目立つようになったという理屈。しかし、高齢化を上回るスピードで起きている事実はどう説明するんだ?人口構成比を上回るスピードで高齢犯罪者の構成比が増えているのだ。つまり、老人が増えているからではなく、キレる老人が増えているのだということに他ならない。
ただし、こうした調査は、「わたし」が「公開情報」を元に調べたものなので、いささか心もとない。「検挙率は警察のお手盛り」だとか「統計センスがないからダメ」だとか言われると、いかんともしがたし。「統計的センスがある人」がこねくり回すと、また違った結果が得られるのかね。
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駆け足で紹介してきたが、「最近の若者はダメ」は昔から繰り返されてきたことは、確かに事実だといえる。
しかし、(こっからが問題なのだが)これからも繰り返されるだろう、というのは、ちょっと違うみたい。世情が不安定になっていくのにつられてなのか、「よくできた若者」をよく見かける。わたしのミクロ視点がイヤなら、「読書する若者」が増えているという統計情報が、毎年更新されていることは否定しようがない。
いっぽうで「最近ダメ」になっているのは、どうやらお年寄り世代のようだ。これも昔から繰り返されてきたかもしれないが、団塊世代は特異のようだ。この世代が量においても質においても悪い意味でのピークとなっている。三十年ぐらい未来から振り返ると、日本をダメにした張本人が、「今どきの若いやつ」なのか、あるいはそうでないのか、分かるだろう。その時は手遅れかもしれないが。
もちろん、わたしが誤っている可能性はある(大いにある)。わたしの偏見のせいでサンプリングが歪んでいるかもしれないし、「人は見たいものしか見ない」せいかもしれない。自説に固執するあまり、周到に詭弁術を駆使しているのかもしれない。
それでも、あらためていいたい。今どきの若者は、上の世代と比べ優れているってね。終わらない氷河期をくぐり抜けてきた若手社員のスキルと熱意は高いし、周囲に気を使える人、公共マナーが守れる学生さんは(高齢世代と比べると)圧倒的に多い。電車で見かける「マナーの悪い連中」は還暦に届きそうか越えた連中。人は枯れてくるなんてウソ、トシをとれば取るほど、感情的で傍若無人になる。まるで、老いるとは子どもに戻ることだと言わんばかりに。
そんなわたしも、「最近の若いモンは…」と言い出したら、老人の仲間入りだろうか?あるいは、「最近の若いモンは…」を言わなくなる、最初の世代になるのだろうか?三十年後が楽しみだー(生きていればだけど)。
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コメント
「最近の若者はダメ論」まったくその通りですね。
パオロ・マッツァリーノの「スタンダード反社会講座」のサイト、「反社会学講座」ちくま文庫 でも「最近の若者はダメ」論について書かれているので興味のある方は読んでみて下さい。
話題は変わりますが、「最近の若いモンは…」と似たようなもので「昔はすごかった」というのがあります。
これは、数値化できない芸術やスポーツ分野で顕著です。
スポーツ界でいえば相撲、プロ野球などで次のような例があります。
「沢村栄治はすごかった。160キロの球を投げていた」
野球界では、なぜか昔の方がすごかったことになっています。そのころはスピードガンもなく客観的な記録は残っていません。確かにその当時はずば抜けて速い球を投げていたのでしょう。しかし今では高校生でも150キロ以上の球を上げる時代です。フォームも大きく今だったらすぐに球種もクセでわかります。ビデオのない時代ですからね。
相撲界では「双葉山」もすごいことになっています。
彼もずば抜けた実力でしたが、タイムマシンで現代につれて来たら
「双葉山」「大鵬」「北の湖」「千代の富士」「朝青龍」「白鵬」だれが一番強いのでしょうか?
しかし、陸上や水泳では誰がみても現在の方がすぐれています。陸上100mしかり、水泳にしてもしかり。これらは記録が残るため反論のしようがないわけです。道具の進歩やトレーニング方法の進化があったとしてもです。
フジヤマのトビウオこと「古橋広之進」の記録などその辺の高校生でも同じくらいのタイムで泳ぐ時代です。
もちろん、偉大な先人の功績を貶めるつもりはなく、過去と
今を比べて論じるのはナンセンスだと思うわけです。
音楽の世界でも、大人は「最近の歌はダメだ」と言いますが
私に言わせれば「ついていけていないだけ」だと思います。
最近の歌の方が日本語をしっかり曲にのせているし、テンポも良いように思いますが…
「昔はよかったと」というのはほとんどの場合、自分の青春時代や高度経済成長時代をいいます。単なるノスタルジーでしょう。
人は理解できないものや、認めたくないものは排除する傾向
にあります。
最近は年賀状も手書きでないことが多く、ダメだといわれていますが、
昔、「旧かなづかい」から「新かなづかい」の変わった時に
「新かなづかい」はだめだ。と言われたようです。
使いこなせなかったのは認めたくなかったのでしょう。
話しがそれ、長くなりましたが。
投稿: つらつら | 2009.12.18 12:02
「最近の若者はダメだ」とだれかが言っていたからと言って、実際に最近の若者はダメだとは限らない。ただしダメでないとも限らないというだけの話だと思うのです。
これから即座に「だから若者は決してダメにならない」とか「文明は最近の若者はダメだというメッセージを残して滅ぶ」とかまで飛躍する前に、色々調べないとダメだろうということですよね。
投稿: | 2009.12.18 12:05
「近頃の人間のモラル低下を嘆く」というスタンスは
儒教と旧約聖書に共通していますから、実質的に
全世界の道徳の基本なのでしょう。
そして何千年に渡って「近頃の若い者は」といい続けた結果、実際に世の中は進歩し、良くなって行ったわけです。
おそらく、情弱で理不尽な年長者に負けたくないという若者の真面目さと情熱が世の中を進歩させたのでしょう。
私たちもウソとわかって「近頃の若い者は」といい続けるべきなのでしょうか。
投稿: わなっせ | 2009.12.18 14:26
> そして何千年に渡って「近頃の若い者は」といい続けた結果、実際に世の中は進歩し、良くなって行ったわけです。
それは時間と空間をフラットにとらえすぎた酷すぎる暴論だと思います。
投稿: | 2009.12.18 14:33
少なくとも、私の知る限り、日本のマスコミは
昭和以降は戦時中を除き、いつの時代も、モガ・モボやアプレゲールや太陽族や全学連などの嘆かわしい若者を、「最近の若者は」と叩く記事ばかりです。
(戦時中は、日本は素晴らしい国だ、という記事一色で
戦場や工場で戦う若者を美化している)
そして日本の若者は、いつしか法を守る努力家が増えた。
いつの時代も、大人はわかってくれないから、
若者は成長するのではないでしょうか。
投稿: | 2009.12.18 15:06
>昔、「旧かなづかい」から「新かなづかい」の変わった時に
>「新かなづかい」はだめだ。と言われたようです。
>使いこなせなかったのは認めたくなかったのでしょう。
他のものとこれを一緒に語るのは間違い
「昔は良かった論」で全てを語るのと「アンチ昔は良かった論」で全てを語るのは何も変わらない。
「おもい」と「おもひ」の違いを無くしてしまったのは重罪。
投稿: | 2009.12.18 15:16
>今どきの若者は、上の世代と比べ優れているってね。終わらない氷河期をくぐり抜けてきた若手社員のスキルと熱意は高いし、
これは単に採用が絞られたせいでスキルと熱意が低い人間が採用されなかっただけでは?
そして上記が正しいならば、今の企業の選抜方法は有効に作用しているということになります。
特定の世代の人間だけが特別優れているなんてことがあるわけないと思いますよ。
投稿: wat | 2009.12.18 19:33
>音楽の世界でも、大人は「最近の歌はダメだ」と言いますが
>私に言わせれば「ついていけていないだけ」だと思います。
>最近の歌の方が日本語をしっかり曲にのせているし、テンポも良いように思いますが…
絵画や音楽、文芸等の芸術に関しては、個人や時代の感性が大きく作用するので
昔と今を比較し、優劣をつけること自体ができないですよね。
でも自分で比較するのがナンセンスと言いながら、その言い方はないのでは?
投稿: eee | 2009.12.18 19:53
いつの時代も優れた人はいるが,それを大きく上回る数の馬鹿が存在する.人の世は永劫進歩はしない.ある人は楽しみ,ある人は苦しむ,でFA.
投稿: anon | 2009.12.18 22:01
統計、引用等は抜きにして若者こそが時代を変えていくべき。
見守ることのできる立場にいながらもダメだと塞げ続けるのならそれこそ進化を止めている。
投稿: ima | 2009.12.18 23:21
『最近の若者はダメ』っていうのは、優劣の話ではなくて文化的な差異を指しての話だと思いますよ。
昔、大学のゼミで鎌倉時代の武家の老人が
「近頃の若者はダメだ。名乗りもあげず、戦場の作法を知らない」
という趣旨の文献をさらったことがあります。
下記のURLなど参考に。
戦場の精神史
http://blog.livedoor.jp/miki00011/archives/2008-09.html
非若者の若い頃のスタイルと、今の若者の新しい潮流の間に隔たりがあるからこそ、非若者の価値基準から『ダメ!』という話になるのではないでしょうか?
ただ、非若者が「社会人として過ごした年月から身に付く経験」の有無を勘定に入れず、若者の経験の無さを指してダメ!と言ったり
自分の若い頃を美化して、現実の若者の欠点をあげつらってダメ!と言ったりするのを含めると、若者に対する非若者の自己防衛策の一つだと思います。
若さと新しさに淘汰されまいと踏ん張る年寄りのカウンターだとしたら、いつの時代も同じですよね。
投稿: | 2009.12.18 23:34
>>つらつらさん
オススメありがとうございます。スタンダード反社会講座」は見たことがありますが、同じスタンスです。通読したことがないので、手にしてみますね。そして、「昔はすごかった」は、確かに「最近の若いモンは…」と似ています。なぜなら、二つはセットなのですから。「最近の若いモンは…」→それにくらべて、→「昔はよかった…」というコンボです。そして、その「昔」は話者の黄金時代なの、生暖かく見守ってあげるのが礼儀というものでしょう(礼儀知らずなのはこのわたし…)。
>>名無しさん@2009.12.18 12:05
あー、「Aという主張があるからといって、Aとは限らない。ただしAでないとも言えない」ですか… 難しいですね、色々調べるのは。わたしがよくやるのは、「もし『¬A』ならBという仮説が成り立つんじゃね?」と考えて、Bの証拠を集めます。例えば、「ダメなんかじゃない」というのは抽象的なので、「本を読む」とかに置き換えるのです。
>>わなっせさん
> 情弱で理不尽な年長者に負けたくないという若者の真面目さと情熱が
> 世の中を進歩させた
>>名無しさん@2009.12.18 15:06
> いつの時代も、大人はわかってくれないから、
> 若者は成長するのではないでしょうか。
これは、ある意味で正しいと思います。人生の経験値を積んできた人には。
でも、今どきの若者は、こういう言葉も知っているみたいです。
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 『若い頃の苦労は買ってでもしろ』
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' | という言葉があるが、
│ /───| | |/ | l ト、 |
| irー-、 ー ,} | / i その言葉を作ったのは売る側の人間だ
| / `X´ ヽ / 入 |
>>watさん
人数も絞っていないし、採用基準も変わっていないと聞きます。なので、ご指摘は当たらないかと。まぁ、それも「アンタの観測範囲では」という前提がつきますが…
「特定の世代だけが特別に優れているなんてありえない」のであれば、「特定の世代だけが特別に劣っている」こともありえないんじゃぁないかと。
>>anonさん
確かに真なのですが、それだと「最近の若者は…」と甲乙つけたがる老人を黙らせることはできないわけで。
>>名無しさん@2009.12.18 23:34
「戦場の精神史」は参考になりました、ありがとうございます。
価値観の隔たりがあることは確かでしょうが、それを「ダメ」と短絡するところに問題の根っこがあると思っています。そして、「若さと新しさに淘汰されまいと踏ん張る年寄りのカウンター」は言い得て妙ですね。
投稿: Dain | 2009.12.19 07:41
今回も面白く読ませていただきました.
最近このような年代全体の傾向を考察した総論の扱いって難しいな,と思っています.
あまりに大きすぎる総論は一人一人にとってあまり意味のないものだったりすることがあると思うからです.
「ある年代が優れている」「その下の年代は劣っている」というのが真であったとしても,「だからある年代であるAは優秀に違いなく,後輩のBは劣っているはずだ」というのは必ずしも真ではないでしょう.
私は就活している間,「今年の就活は厳しい」と聞くたびに「でも受かるやつは受かるし落ちるやつは落ちる.この状況でがんばるしかない以上その命題はなんら自分にメリットがない」と思った記憶があります.
つまりは平均値と分散,そして必要十分条件をよく考えた上でその命題を用いないとだめだよ,という話でしょうか.
「若いのがだめだ論」が飲み会の場にしろ,このような場にしろ色々な意味で盛り上がるのも,前提として「論者がそれぞれの年代を代表している」という概念があるからな気もします.
本質とちょっと離れた話を長々としてすいませんでした.
投稿: yowske | 2009.12.19 17:38
本(活字)の事例は読書量については私も抑えていました。割と有名な事実ですね。
活字離れの場合、
主張している人々にとって切実なこと
(それが理由とすれば分かりやすいこと)があって
単に「本が売れてない」ということだったりします。
特に一冊あたりの販売数が落ち続けてる。
もちろん、この理由は若者云々より
出版点数が多すぎることのほうが大きいと思われます。
ただ、若者の消費離れはそれが事実かどうか、
責任が若者側にあるかどうかを抜きにして
売上低迷により死活問題におちいっている業界にとって
利用しやすい題材ではあるのでしょう。
若者論を扱う知識人(?)に喋らせ、世間の危機感を煽れば一大キャンペーンが組めますから
効果はともかく、世間を巻き込むキャンペーンってのは一種の広告活動みたいなものなんじゃないでしょうか?
投稿: tohri | 2009.12.19 23:23
>>yowskeさん
> あまりに大きすぎる総論は一人一人にとって
> あまり意味のないものだったりする
これは真でしょう。そして、この前提には冒頭のオッサンも黙るしかないわけでして…
ただし、(文中でも言及しているように)「最近の若者は」説は、最近、的を外しているような気がしてならないのです。この「気がする」が決定的な事実として見えるには、も少し時間がかかりそうですが。
>>tohriさん
新聞コラムで「若者の活字離れ」を煽って、その下段に広告している本を売りつけるマスコミ商法ですね。不安感を商材にする手法は、毎年の読書週間で目にしていましたが、どうやら今年は不発だったようです。というのも、全てにおいて、「若者こそ読書している」という調査結果が得られたから。
毎日新聞は、60年以上も読書世論調査が行ってきています。毎年、どこかしら「若者が読んでいない」を探しては叩く、といった報道でした。しかし、今年は若者を貶すところがなかったので、報道も下火だったようです。憶測的な書き口ですみません。残念なことに、毎年の「若者の活字離れ」キャンペーンのログが探し出せないのです。
投稿: Dain | 2009.12.22 00:37
Your blog keeps getting better and better! Your older articles are not as good as newer ones you have a lot more creativity and originality now keep it up!
投稿: Reseller Hosting | 2010.01.08 08:46
書籍読書率と犯罪者の年齢別構成比グラフの出典が
あると説得力がまします。どこかの政府統計ですか?
投稿: | 2011.01.29 01:17
>>名無しさん@2011.01.29 01:17
読書世論調査(2005年、毎日新聞社)
読書世論調査30年(1977、毎日新聞社)
平成15年犯罪白書
です。見出しの横にある [URL] から先に、も少し詳しい情報があります。
投稿: Dain | 2011.01.29 08:33
人は快楽を覚えるとその一つの事を狭く追求する研究結果がある。俗に趣味と言われるモノで、年を取るほど視野は広く興味は狭くなるし、新たに抱いたとしても背負うものがある彼らには自由はない。
こうやって嫉妬が渦巻き老いへの呪詛を呟くようになる。
若者を憂いてるわけではない。自分を憂いているのだ。
自分では大したことが出来ないが若者とは繋がっていたい。
これを依存という。精神的に自立してない証拠。
憂うべく若者の狩猟離れ
それにしても最近やたらと目に付くのが一日中家のそばでウロウロしてる若者、いわゆる農耕系男子である。
灌漑改革によって村中至る処に水が引かれ若者の生活様式は一変してしまった。
農耕系男子は家の敷地に水を引き込んだが最後、土を掘り返し草を抜く毎日だ。夜になればコロコロと種籾を数え、朝が来るとやれ昨日より一寸大きくなっただの葉が一枚増えただの。
これでは男か女かわからない。
第一にあんなに家の側に水を引いて、湿気が多くカビで息苦しいとか目が痒いなどという健康被害の報告もある。猫も杓子も灌漑灌漑とは如何なものなのか。
そもそも我々の世代の狩猟系男子たるや、いざ狩猟となると大物を獲るまでは帰らない覚悟で、ひと月もふた月も獲物を追って旅に出た。行く先々には妾がおり、妾を何人養っているかを競い合ったものだ。
見事獲物を獲って家に帰ればもうその時はお祭りだった。毎晩の様に宴会をし、妻とは久々の夜を迎え激しく愛し合った。
それがどうだ。農耕系男子に妾はいらんのかと尋ねると、妻と子供が生き甲斐です、と答える。たまには家を出たくないかと聞けば安定した生活が一番ですよ、さて来年の作付けの準備をしますか、と来たもんだ。毎晩同じ女と顔を合わせていて欲情できるとは到底思えないのだが。
しまいには運動不足だからと言っては家の周りで動物の骨を投げたり追いかけっこしたりして、勝った負けただの言っている。呆れてものも言えない。
狩猟の世界では命懸けなんだよ。負けたら死ぬんだよ。そこを農耕系男子はわかろうとしない。
とにかく覇気を感じない。死んだ魚のような目をしている。我々も良い歳だ。将来を担うのはこの若者達なのだ。しかし宇宙人の様なこの若者達がまっとうな社会を築けるのか甚だ疑問である。これが単なる杞憂に過ぎないと一笑に付せるならよいのだが。(狩猟族追いたて役・34歳)
投稿: 禹 | 2011.02.03 19:20
>>禹さん
vipコピペで見ました、ありがとうございます。バリエーションがいろいろあったようなw
投稿: Dain | 2011.02.04 01:26
小学2年のある日のことでした。
私は気づいてしまったのです。我々の頃の1年生は普通に大きかったし賢かったし強かったのに、最近の1年生はひどく小さくて弱々しく、頼りないということに。
3年になって、1年生が去年よりもさらに小さく頼りなく、走る姿もたどたどしく、見るからに子供っぽくなっていることに驚き、「最近の1年生は…」と真剣に思ったものでした。
そして4年になって気づきました。
1年ごとに自分が相当デカくなり、走るのも上手くなり、何事にも器用になり、力も強くなり、滑舌も良くなっていたのだ、ということに。
「今時の若者は…」というおっさんたちは、小学生だった私と同じ誤解をしているのではないか、という気もするんですよね。
投稿: | 2011.02.07 04:24
>> 名無しさん@2011.02.07 04:24
自分のモノサシを絶対視する、というやつですね。プラス、若さへのやっかみと、「あの頃はよかった」過去の美化が混ざっていると思います。
投稿: Dain | 2011.02.08 07:18