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「ブラッド・メリディアン」はスゴ本

 アメリカ開拓時代、暴力と堕落に支配された荒野を逝く男たちの話。

 感情という装飾が剥ぎとられた描写がつづく。形容詞副詞直喩が並んでいるが、人間的な感覚を入り込ませないよう紛れ込ませないよう、最大限の努力を払っている。そこに死が訪れるのならすみやかに、暴力が通り抜けるのであれば執拗に描かれる。ふつうの小説のどのページにも塗れている、苦悩や憐憫や情愛といった人間らしさと呼ばれる心理描写がない。表紙の映像のように、ウェットな情緒が徹底的に削ぎ落とされた地獄絵図がつづく。

 感情を伴わない暴力は、自然現象に見える。しかも、その行為者が人間の場合、一種奇妙な感覚にとらわれる。即ち、その殺戮は必然なのだと。生きた幼児の頭の皮を剥ぐといった、こうして書くと残忍極まる行為でも、実行者は朝の歯磨きでもするかのようにごく自然に「す」る。もちろん行為の非道徳性を批判する者もいるが、どちらも感情が一切混じえてない会話・行動なので、読み手は移入させようがない。起きてしまったことは撤回されることはないのだ。

 たとえば「悔恨」という言葉があらわれたとしても、それは否定するために持ち出され相手を推し量るのは殺す・逃げるための力量であって感情ではない。自分の進む道が他の人間や諸国家の進む道と一致してようがいまいが関係ないと言い切る。思い煩うことは断固としてやめてしまった男でありどんな運命も定まった上でなおこの世界がある←その世界をも丸ごと引き受けようとするんだ。

 せいぜい読み手ができるのは、自分の護るちっぽけな世界と比較してうなだれたり、ナマの野性に食あたりするくらいだろう。ここには加工されていない野蛮が慎重に放置されているのだから。小説ばかり読んできて世界を分かった気になってる蛙たちはぺしゃんこになること請合う。あるいは理解を拒絶するだろう、今度は自分を護るために。

 そう、読み手に対して「描写」しているくせに、読者の判定を一切拒否っている。この書を手にする人の感情の一片をも割り込めないような強靭で的確でスケールのでかい記述にたじたじとなる。地の文と会話が区別なくよどみなく進み、接写と俯瞰の切替は唐突で、動作は結果だけシンプルに続く。人間のセリフだけが意味あるものとしてカッコ「 」に特権化されていないため、人の声も風の音も銃声もすべて等質に記述される。試しに引いてみよう。

公平だの公正だの倫理的な正しさだのの主張は問答無用で却下され両当事者の世界観などは無視される。生か死か、何が存在しつづけ何が存在をやめるかという問題の前では正しいかどうかの問題など無力だ。この大きな選択に倫理、精神、自然に関する下位の問題はすべて従属しているんだ。

上はホールデン判事の台詞。この人物、誰かに似ているなーと想像するに、コンラッド「闇の奥」のクルツだろう(訳者も同じことを指摘している)。次は絶望的なワンシーン。ただし、「絶望」だなんて勝手に判断するのは、読者なのだが……

二人が行く砂漠は絶対的な砂漠で特徴がまるでなく前に進んでいることを示す徴がなかった。大地はあらゆる方向に同じように離れていって曲線を描く限界に達しているがこの限界線に囲まれた二人はその円の中心だった。

読点が極限まで排されたなか、息をとめ潜行するような読書になる(句点で息つぎをする)。ところどころに光らない黒いナイフのようなユーモアがあばら骨のすき間に差し込まれ呼吸できないくらいのヒステリックな笑いにおそわれる。

 このどこにもない物語は、あたらしい神話と呼ぶのがふさわしい。

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コメント

新年早々スゴそうな本ですね。
今訳あって読書どころではないのですが、「血と暴力の国」のマッカーシーの新作というだけあって迷います。
あの読点のない独特の文体はクセになりますし、内容のものスゴさも心に焼き付いています。今回もさぞやスゴいドラマが展開されると思うと・・・
文庫になった「越境」ともども必読だなあ。
読書する時間を作れるように、がんばろう。

投稿: よしぼう | 2010.01.09 00:44

>>よしぼうさん

ハイ、「血と暴力」がお好きなら、マッカーシーの最高傑作と断言していいです。あの独特の文体と、価値観と、ラストの置き去りにされた感覚は、◎です。

ぜひ、お時間を作って読んでください。

投稿: Dain | 2010.01.09 00:55

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