無常観のリマインダー「ルバーイヤート」
人生は有限だが、この事実を忘れることが多い。賢者タイムのときなどは人の世の儚さを思い、後悔しないための読書に励む。これは、臨終のときに「あれ読んでおけばよかった」とならないための選書。必然的に古典・名作モノになるが、必ず発見がある。もちろん、何をどれだけ読んでも満足することは無いだろうが、そういう心がけをしているのといないのとでは、かなりの違いがあろうかと。
今回は12世紀のペルシアに生きた、オマル・ハイヤームの「ルバーイヤート」。無常観あふれる詩を遺したハイヤームは、実は当時の最先端の科学者であったところが面白い。数学・天文学に通じ、現在のイラン暦の元となるジャラーリー暦を作成した。当時のグレゴリウス暦よりも正確なものであったという。
袖にかかる砂塵をやさしく払うがよい、
それもまた、はかない女の頬であった。
ハイヤームは、自然や人間の変転を、物質の変化としてとらえる。身体を構成する物質の粒子は、死後、土に還るというのだ。そして職人の手によって捏ね上げ・焼かれ、美しい壷や盃となる。詩人は、壷のくびれや盃の把手に、かつての美女や王族の粒子を見つけては恍惚とする。
この生々流転、わたしの心情と寄り添うところが大いにある。生物に限定された輪廻転生と異なり、モノとしての身体も含んだ再生思想なのだから。人は死んで土に還るだけではなく、その土から新たなモノが造られるのだ。その土から作られた盃を酒でみたせと、ハイヤームはいう。
盃に酒をみたし、この世を天国にするがよい、
あの世で天国に行けるかどうか分からないのだから。
もちろん酒はイスラームで禁じられている。しかし詩人は、「もし酒が法に許されない楽しみであるなら、なぜ神はそれを造ったのか」という疑惑を持つ。天国は大きな黒い瞳の美女でいっぱいだという。そして、酒、乳、蜜があふれていると人は伝える。ならば、この世で酒や女を選んで、何の不都合があろう、と高らかに謳う。さらに、あの世にもある楽しみを、この世でガマンする必要はないではないかと問いかけてくる。
虚無と享楽がセットでくると、エピキュリアン?と思いたくなるのだが、ちょっと違うようだ。人生の空しさを酒色に耽ってまぎらす快楽主義者ではなく、「人事を尽くした。天命を待つあいだ、一杯いっとく?」という感じ。時と距離を越えて、ペルシャの詩人を身近に感じるとともに、自らの無常観を再確認できる一冊。
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コメント
この荒屋に来ず、行かず、住まずだったら…と思っていた時期がありました(今でもたまに)。でもこれは晩年、しずかに酒を飲みながら読みたい本ですよね。普段詩なんて全く読まない私がスラスラ読めたのは訳がよいからか(小川亮作訳のを読みました)、思想が日本の無常感と通じるものがあるからか。ただ単に酒飲みだからだったりしてww
ルバイヤートは有栖川有栖氏の著書(著名失念)がきっかけで読んだので、せっかくなので氏のマジックミラーをおすすめしてみます。西村京太郎氏の殺しの双曲線とどちらがお好みでしょう?(既読でしたらすいません)
投稿: | 2009.11.04 10:47
>>名無しさん@2009.11.04 10:47
コメントありがとうございます。未読ですが、google先生によると、「孤島パズル」にルバーイヤードが引用されているようです。西村モノはつまみ食い程度、有栖川モノは全く手を付けていない――はずなので、ミステリ味が欲しいときには手を出してみますね。
投稿: Dain | 2009.11.04 22:53