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「新世紀メディア論」に触発される

新世紀メディア論 スゴ本ブログから、外に出てみるきっかけとなった一冊。

 著者は「ワイアード(日本語版)」や「月刊サイゾー」を創った小林弘人で、日経ビジネスオンライン「誰でもメディア宣言」をまとめたのが本書。連載中はちょくちょく覗いていたが、こうして一冊のボリュームになると、メディア人の熱が直接伝わってくる。

 しかしながら、blogやtwitterに入り浸っている人にとっては、至極アタリマエなことばかり書いてある。梅田望夫のいくつかの著作がウェブの「こちら側」向け入門書であるように、本書は、メディア業界の「あちら側」向けのウェブメディアの報告書なのだろう。ただし、言ってることはかなり過激で、丁寧な断定口調は、メディア業界への檄文に見える。

 そう、「中の人」にとっては切実だ。押し紙・残紙問題は新聞の凋落を物語っており、雑誌の売上激減は、「新聞・雑誌が死ぬ前に」という本書のサブタイトルが現実のものであることを伝える。しかし、旧来の新聞・出版社といった既存のメディア企業は、インフラや制度的な構造に縛られ、なにもできないのが現状だという。

 これに対し、紙とウェブを股にかけた著者のメディア戦歴を紹介する。成功プロジェクトだけでなく、上手くいかなかった事例も解説されており、これからウェブメディアを立ち上げたい人にとってはバイブル級になる。ただ、具体的な施策やセオリー・ノウハウは皆無で、「ご自身でググッてね」といなされる。本書で示される海外のナマモノ情報は腐ったり枯れたりするので、「そういう方向に【も】進んでいる」事例としてとらえたい。

 だが、さすが編集人、情報のスクリーニングと加工のセンスがすごく上手い。新聞・出版社の旧メディアと、ネット上のウェブメディアとを比較するにあたり、銀板写真とデジタルカメラに喩えるセンスが素晴らしい。あるいは、サンデー・ブロガーやパートタイム・パブリッシャーが、本業とは別にメディアを運営することになるという。しゃかりきに稼がなくても、副業として「趣味や嗜みの発表の場」としてのメディア。読み書きソロバンではなく、「読み書き出版」の時代だそうな。本業の人は涙目だろう。

本の現場 似たようなことは「本の現場」でも指摘されている。インターネットによって増えたアマチュアが、ライターの相場を押し下げているのだそうな。本業は別にあるので、原稿料にうるさくないのをいいことに、ライターの価格破壊が始まっているのだという。「誰でもメディア」になれるこの状況が、メディアのデフレーションを招いているのかもしれない。

 ただ、ウェブメディア万歳なところに大いに疑問が。紙メディアへの最終通牒みたいな言い方をされると、「紙」は死なない、と反発したくなる。紙は電源もドライバもプレイヤーも必要としないメディアで、それ自身がインタフェースであり情報「ブツ」であるのだから。

 さらに、書籍はなくならないと断言できる。わたしはいわゆる、「オールドタイプ」なのかもしれぬ。通して読むためには、あの質感とあの形態がどうしても必要なのだ。Amazon Kindleを触らせてもらったことがあるが、DSの日本文学全集と同様、進み具合や感触が得られない、味気ないものだった。断片的な情報をつまみ食いすることが「読書」だと本気で信じている方は、この違いは分からないかも。

 本は手で読むもの。ページをめくる行為を神聖化するつもりはないが、「本」という一定のパッケージされたまとまりを通して得られるものは、ディスプレイに映ったものをスクロールして得たものとは違う。なぜなら、彼の文章をウェブで読んだときと、この本を読んだときと、受けた熱が違う。浴びた挑発が違うのだから。

 彼の扇動に反応してみよう。このブログをメディアとみなし、わたし自身がプロデュース能力や編集力を磨こう。ネットに引きこもって語るのではなく、わたし自身がメディアとなって、このブログから出てみよう。たとえばtwitter、ラブプラス中継の合間に、「読んでいる本」をレポートしていこう。あるいはオフ会、出不精を解消しよう。「あなた」とリアルでお会いすることを、楽しみにしてますぞ。

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コメント

私も紙媒体の”本”が無くなるとは思えません。
DSiのDLCで名作30作を落として読んでましたが…
「なんか違うよなあ」と思いましたね。

文庫は読み捨てにするので気軽にページ折ったり、メモしたりと重宝するんですがデジタルはそういう情緒がないですよね。

”本”は文字やタグ以外の、”何気ない手検索”とか辞書をめくった時の驚きが無いので意外な創作意欲の惹起に繋がらないですね。

ただデジタルも好きですよ!(^-^:

投稿: STしん | 2009.09.27 15:39

>>STしんさん

その「惹起」、その「驚き」、よく分かります。けれども、そういうものもひっくるめて、「オールドタイプ」と呼ばれる日も近いような気が…(もちろんわたしは、オールドタイプで充分だし、デジタルも好きです、少なくとも辞書はICでないとダメです)

投稿: Dain | 2009.09.27 23:10

むしろ自分はキンドルの日本での普及に期待しています。
現在おっしゃるように程度の低い本が氾濫し、さらにキンドルで「一著者一出版社」のようになればさらにその傾向が進むかもしれません。
しかしその一方でいわゆる「黒い本」「堅い本」が売れ筋でないということで出版社から敬遠されていたのが、市場に出てこられるという利点もあるのではないかとおもいます。
現在アメリカのアマゾンのキンドルの電子本を検索してみると、こんな昔のマニアックな本が、とびっくりしています。

投稿: ひらやま | 2010.02.05 10:23

>>ひらやまさん

はい、ひらやまさんと同じような期待を、わたしも抱いています。10年前は本屋や図書館というチャンネルだったのが、Amazonという出会いの場が増えてありがたいです。同様に、携帯型ブックリーダーが、新たなスゴ本と出合うチャンネルとなることを期待しています。

ただ、実際に"何冊"か読んでみると、耐えられないのです。Nintendo-DS の「DS文学全集」でいくつか読んだのですが、小説を読んでいるというよりも、情報を摂取/消費しているようでした。画面やインタフェースの問題かもしれませんし、単に慣れの問題かもしれません。しかし、ある程度のボリュームを通しで読むのはムリでしょう(もっとも、マンガや記事のナナメ読み・部分読みにはいけそうですが)。

新しいモノ好きが飛びついて吹聴しているのを見かけますが、彼・彼女らが最初から最後まできちんと読んだ、という話を聞かないのです。わたしが知らないだけなのか、Kindleは「そういう長編・大作」に向いていないのか……

投稿: Dain | 2010.02.06 07:37

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