異文化と異性と「マイトレイ」
あの娘は何を思っているのだろうか?わたしのことだろうか?わたしとのあのことをイヤがってなかったのだろうか?それとも…好きなのだろうか?
男性の一人称でつむがれる物語の中心に彼女(マイトレイ)という謎があり、読み手は、彼と一緒に悶々とさせられる。男性側の一方的な予断・妄想・思い違い、自分ひとりで極端なことを考えていることにぎょっとなり、自身の思考に中毒する。
しかも男はイギリス白人で、相手の少女は16歳のベンガル人、舞台は植民地なのだ。文化のコードがぜんぜん違っているから、すれ違いがたくさん起きる。無防備なしぐさや振る舞いは、好意の表れなのか、そういう伝統だからなのか、分からない。
異文化が接するところから起きている、すれ違いや衝突が面白い。さらに、異文化を通じて自分を再発見する過程が愉しい。異性に触れることで自分の性を発見し、異文化と交わることで自分のアイデンティティを発見するのだ。彼は、そうした当時の気持ち、情熱が育ってゆく様子を、日記体で綴っている。読み手はやきもきすることおびただしいだろう。そして、語っている現在から振り返った真相をカッコ書きの注釈で記す。
ここまでくると、鋭い読者は気づくだろう。この恋が、どんな結果を迎えたのかを。
しかし、予想を裏切る「その後」の展開に、かなり驚くかもしれない。この恋は、あまりに犠牲が大きすぎる。悲恋の代表格として、「ロミオとジュリエット」があるが、そのナナメ上をいっている。解説まで含めると、すごいドンデン返しだね。ぜひ、マイトレイから見た小説「愛は死なず」を読んでみたい。
この小説から一番おいしいところを抜いてみた。むせ返るような息苦しさを味わって(思い出して?)みてほしい。
こうした散策は今も鮮やかに、苦しいほど甘く記憶に残っている。肉の記憶は易々と過ぎ去り、体の結合は、どれほど完璧だったにしても、渇きや空腹と同様に忘れられるが、街の外での私たちのあの濃密な交感からは何一つ消え去らなかった。あのとき、目だけですべてが語り合われ、抱擁一つが愛の一夜の代わりをなしていた。そこでのみ、あの飽かず動かず眠りを誘う視線を取り戻すことができた。恋の中心にいるときは、目くばせひとつで想いが伝わり、触れたところから体がおののく。恋のチカラを全身に感じる。もうぜんぶ全部あげたくなる、あせりと苦しさと切なさが爆発する。異文化の異世界の異性に、そういう想いを思い出せるかも。

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