レイプは適応か
「人はなぜレイプするのか」について、意見をいただいた。真面目な話題であるにもかかわらず、猥談レベルだとか、不快なエセ科学だと判断した方がいるのは、全てわたしの責任。わたしの説明がつたないせいで、彼(女)らの思考停止を招いており、とても残念だ(わたしが、ね)。
著者(ソーンヒル&パーマー)は「レイプに対し、適応から理由づけができる」と述べているが、だからといって、「レイプは"自然"である(即ち、肯定せざるをえない)」とは言わない。両者は別個の結論であるにもかかわらず、二つを直結してしまう人がいる。つまり、「もしレイプが"自然"淘汰によって選びとられたのなら、それは"自然"なものであり、したがって良いものであるか、少なくとも存在を許されるものになってしまう」(p.227)と思い込んでしまうのだ。
わたし自身、そうした「思い込み」の中にいたからこそ、本書の主張を理解することにかなり抵抗があった。進化生物学から導かれる説明が、いわゆる「道徳」に当てはまらないという理由で、受け入れがたくなっている。むしろ、「レイプは適応などではない」という主張があるならば、そいつを信じるほうが精神衛生上ラクだ。まさにその趣旨の論文がある。ジェリー・.コインとアンドリュー・ベリーが書いた論文で、「人はなぜレイプするのか」に真っ向から反対している。
Jerry A. Coyne and Andrew Berry
Rape as an adaptation? [URL]
その結論はこうだ。
レイプは進化生物学上に起源を持つという理論があるが、これは決定的に間違っている
そして、本書の説得力ある部分は、巧妙な修辞的レトリックに拠っているという。確かに本書では、二つの仮説「適応」「(偶然の)副産物」が展開されているが、実際の生物の行動を説明する段階では、「副産物」が全てではないかと指摘する。あらゆる人間のふるまいを副産物としてみなすのなら、ピアノを弾くのもレイプをするのも一緒で、即ち無意味だとしている。
ソーンヒル&パーマーは「適応」と「副産物」を両論併記する形で述べており、「人間のふるまいを説明するための"適応"」という議論の余地を残していたはず。わたしの読みが不十分なのかもしれないが、上記の反論は違う次元から行われているように見える。
コイン&ベリーの反論は続く。ソーンヒル&パーマーの適応から見たレイプの説明に対し、「レイプ被害者のトラウマは、相対的に生殖年齢層(12~44歳)に強い」ことに対し、疑いの目を向ける。生殖年齢以下である12歳未満の子どもの申告は、直接的なものよりも、その養育者からのものが多く、生殖年齢層の自己申告とそのまま比較するのは問題ありと指摘する。
さらに、生殖年齢層のほうが、そうでない層(12歳未満、44歳超)よりも、強くレイプ犯に抵抗するという、コイン&ベリーの主張に対し、異議を唱える。生殖年齢層のほうが、レイプにより強い恐怖感を抱いているためだという根拠に対し、「幼女や老女は物理的に抵抗力が小さいから」と反論する。そして、自説に都合のいい説明に固執しており、馬脚をあらわしたと批判している。
結局、「レイプは進化である」というのは主張であり科学ではないとし、根拠や再現性が薄い数字を並べただけの「ただそれだけの話(just-so stories)」だという。単なるお話だけというわけやね。人間のふるまいに対し、社会生物学的なアプローチは面白いかもしれないが、それは学問的な傲慢だという。
コイン&ベリーの反論は、確かに説得力を持っている。わたし自身、「人はなぜレイプするのか」を読んだとき、「これはトンデモ」と判断したものもあるから。例えば、「男は女を性交の相手としてしか見ようとしない、売春婦やポルノグラフィがその証拠だ」(p.86)とか、昆虫や鳥類の雄の雌への攻撃的行動を「レイプ」という表現で包む(p.269)ところがある。研究成果や参考文献を大量に引用し、慎重にアプローチしようとする姿勢は、その分、勇み足・浮き足的な瑕疵もたくさん出てくることになる。
しかし、そうした勇み足の一つを攻撃して、本書の全てを否定できたヤッホーと能天気に勝利宣言するほど、わたしはおめでたくない。あるいは、竹内久美子のエッセイのような「分かりやすさ」に飛びついてこと足れりとするほど、この分野の研究は進んでいない(はずだ)。だから、「進化・適応からレイプを説明する」可能性は残し、精進に励もう。
最後に。steel_eel さんのブックマークコメントをきっかけとして、上記の「反論」にたどり着くことができた。steel_eel さん、ありがとうございます。邦訳のあとがきは長谷川真理子が解説しています。そこで展開される彼女の主張「女の発情期の隠蔽化」は面白いのですが、本書とは全然関係してないので、あしからず。以下のエントリでは、わたしのよりも、より深く正確な議論がなされていますね。

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コメント
今日東京強姦センターに電話しました。ニフティーにも電話しました。裁きは彼等に任しています
投稿: にか | 2009.06.29 14:29
↑最高に痛いな
投稿: | 2009.06.30 03:29
↑*2
単なる書評が性犯罪だと仰るの?
最高にイカレた頭脳をお持ちのようですね
投稿: hage | 2009.07.01 11:08
昨日、こちらのブログにつながらない時間帯があったので、もしかしてこのエントリの件でブログが削除されたのかと不安に思っていました。
今日つながって安心しました。
今後も拝読させていただきます。
投稿: ER | 2009.07.01 14:55
>>ERさん
ココログにトラブルが発生していたようです、ご心配なく。
投稿: Dain | 2009.07.02 07:03
> ソーンヒル&パーマーの反論は、確かに説得力を持っている。わたし自身~
の節は、「コイン&ベリーの反論」でしょうか?読んでいてあれっと思ったので。
投稿: | 2009.07.02 22:48
>>名無しさん@2009.07.02 22:48
うあぁ、確かにそのとおりです、なんという初歩ミス…
ご指摘ありがとうございます。
投稿: Dain | 2009.07.03 06:43
こんにちは。ちょうど先週あたりにNewsweekに進化心理学批判の記事が載りまして、
http://www.newsweek.com/id/202789/page/1
ソーンヒルらの研究がやり玉に挙げられており、コイン自身もブログで便乗批判をしていました。
個人的には、科学者や生物学者自身もこの手の主張を「政治だ」とか「科学ではない」と言ってしまうのはちょっと驚きです。データの解釈や結論に問題があったとして、それについて双方が意見を戦わせればまさに科学の営みそのものだと思いますし、その結果結論が間違っていたとわかっても科学の世界では良くあることのはずですよね。感情抜きで論じるのは難しいってことですかね。それでもコイン自身、創造論論争に深く関わっていて、科学(的議論)とそうで無いものの違いはよくわかっているはずなのですが。
1つ前のエントリを拝見してもう一度本書を読み直してみたのですが、pp60-65あたりの遺伝についての主張はわかりにくいですね。通俗的な遺伝観(親と子が類似した表現型を持っている)とより厳密な生物学的遺伝(生殖を通した遺伝情報の伝達)を区別せずに遺伝という言葉を使っているような感じです。文脈からすると、文化的な活動にも遺伝的基盤があるのだと言いたいのでしょうけれど、混乱を増幅させるような記述だと思います。
投稿: huwahuwamohumohu | 2009.07.04 01:46
>>huwahuwamohumohu さん
教えていただき、ありがとうございます。
記事本文だけでなく、読者の議論が有益でした。ほとんどのコメントはイデオロギーと感情に満ちており、この種の議論はとても難しいことがよく分かります。児童虐待や優生学まで援用しているので、藁人形論法?と思ったのですが、似たようなツッコミがなされています(ex.patbarclay @ 06/22/2009 4:34:05 PM)。
> 文脈からすると、文化的な活動にも遺伝的基盤があるのだと言いたい
> のでしょうけれど、混乱を増幅させるような記述だと思います
まさにそう読み取りました。遺伝情報の伝達にあわせて、文化も「遺伝」するのだと受け取りました。ドーキンスは未読ですが、ミームのようなものだと考えたのです。勉強不足は否めないので、遅ればせながら「利己的な遺伝子」を読んでいます。さらに、以下を読もうかと考えています。
乱交の生物学(ティム バークヘッド)
進化論と倫理(内井惣七)
人が人を殺すとき(マーティン デイリー、マーゴ ウィルソン)
男とは何か(バダンテール)
投稿: Dain | 2009.07.05 01:01
前回エントリではお世話になりました。
あれからもう少し考えてみて、進化生物学の定義ではソーンヒルが説明する現象は遺伝ではないのではないか、と言う表現にすべきだったかなと考えているところです。
進化心理学という分野そのものを否定する気はありませんが、検証が非常に難しい割には安易に差別主義の材料に使われかねない危なさを感じますね。その事に自覚的である事を過剰なくらいに前置きしないと批判を浴びやすい分野なのだと思います。
投稿: hahi | 2009.07.09 11:00
>>hahiさん
> 検証が非常に難しい割には安易に差別主義の材料に
> 使われかねない危なさを感じます
はい、上記の「危うさ」についてはわたしも同意です。ただ、「過剰なくらいに前置き」は、「人はなぜレイプするのか」において実際に行われており、前提や定義で一章丸ごと使っています(第一章レイプと進化理論)。そして、「遺伝」と一言ですませている現象は、拡張されているように見えます。つまり、生殖を通じた情報伝達に限らず、文化も広義の「遺伝」として扱われていると受け取りました。
この問題についてもっと知るため、手始めに「利己的な遺伝子」を読んだのですが、「遺伝子」の範囲が伸び縮みしてて面白かったです。シストロンの一部だったのが、染色体になったり、ある特徴を遺す単位まで拡がったりして、たいへん興味深かったです。
投稿: Dain | 2009.07.10 01:38