現代的な神話「カッサンドラ」
もしも願いがかなうなら、透明人間になりたいと思ったことがある。
吐息を白バラに変えるとか、ちゃちなやつはご免だね。誰にも見とがめられず、あの娘やこのコの××なところを覗きたい――と妄想をたくましくしていたのだが、透明人間はモノを見ることができないと知った。光を像として結ばせるため、目の裏側の「闇」が必要なのに、肉体が透明なので、そこに光が入ってくる→見えないというわけ。
カッサンドラの場合は、予知能力を欲した。アポローン神の恋人になる代償として、予言の力を授かったのだが、ギリギリになって神を振ったのだ。袖にされた神は怒って、カッサンドラの予言をだれも信じないようにした。
裸を見れない透明人間と、誰にも信じてもらえない予言者と、どちらが不幸か?
そりゃ透明人間だろうと思うかもしれないが、どんなに警告しても、だれも信じてくれないんだよ? 「その木馬を入れてはいけない、トロイアが滅ぶぞー」といくら叫んでも、だれも耳を貸さない。まさに一人「志村後ろ」状態。そして、予言どおり滅亡するのだ。トロイアの王女の一人としてこれを受け入れねばならないとは、いかほどの悲嘆を要しただろうか。
戦争には陵辱がつきものだし、まして王女となれば「戦利品」として扱われる。神話の時代のトロイア戦争を陵辱される側――つまりカッサンドラの視点で独白する。全編これモノローグのオンパレード。すべて彼女の脳内再生となっており、「語り」の場所は動かない。だいたい、冒頭のページで、彼女があと数時間で死ぬ運命にあることが明かされる。「この物語を語りながら、わたしは死へと赴いてゆく」と、分かっていながら受け入れている。
では、そういうヤられっぱなしの人生なのかというと、180度ちがう。まるで逆だ。アキレウスをだまし討ちするために、おっぱいを見せる妹とは偉い違う。運命は変えられない、それは分かっているのだが、その中で必死に抗おうとする。主張する女性、反抗する女性として描かれている。ここに、女性を「モノ」として扱ったヨーロッパ三千年史をひっくり返そうとする著者ヴォルフの意図を垣間見ることができる。神話を扱っているのに、極めて現代的な小説となっており、興味がつきない。
あるいは、神様の役割がまるで違っていて、面白い。残虐行為に正統性をつけるために、ギリシャ神話では神々がふんだんに登場し、時には戦いの帰趨すら決めてしまう。人間の歴史にちょっかいを出してくるホメロスと異なり、ヴォルフの「カッサンドラ」ではほとんど神々が出てこない。予言能力を授けるアポローン神ですら、彼女の夢にでてくる「狼」の姿をとっている。神々に因らない彼女の姿を見ていると、最初からそんなものはいなかったのかとさえ思えてくる。そしてカッサンドラは、自らの運命を、自分で選び取ろうとあがくのだ――たとえそれが、いかに過酷なものになろうとも。
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