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世界はつぶやきに満ちている「灯台へ」

N/A

 中毒性のある文にハマる。

 ヴァージニア・ウルフは初読だが、こんなに魅力的な文だったとは。既知の形式ながら、ここまで徹底しているのは初体験。文の妙味は分かってるつもりだったが、小説でここまでできるとは知らなかった。わたしの精進の足りなさを自覚するとともに、小説の拡張性を具体例でもって味わうことができた。

 まず、地の文と会話文の混交がいい。ほぼ全て、登場人物の心情の吐露と会話に埋め尽くされているのだが、明確に区切らないのが面白い。つまり、対話をカギカッコでくくったり、地の文に埋めたりするのだ。普通の小説でもこれはやるのだが、この作品ではより徹底している。つぶやきに埋め尽くされた小説世界に没入することができる。

 おかげで読み手は、人物の思考と発話を選り分けながら読む進めることを余儀なくされ、よりその人に「近い」視点でその場にいることができる。「人物~作者~読み手」の真ん中が完全に姿を消しているのだ。面倒がる方もいらっしゃるかもしれないが、わたしには濃密で心地いい。

 直・間接話法の混在だけではない。「誰それが何と言った」のような説明が意図的に省略されおり、いきおい、読み手は話題そのものから語り手を見つけ出さなければならない。ともすると「その発言は誰なのか?」を追いかけるために行きつ戻りつを強いられることになる。ストーリーを追う形式なら、これは苦痛でしかないが、これはストーリーらしきものはない。十年間を挟んだ、二つの夏の日を描いたもの。

 そこには回想があり、空想があり、願望があり、後悔がある。人の心の内と外、過去と現在と未来は継ぎ目なしにつながっていることが分かる。ストーリーに取り残される心配をせず、好きなだけ「つぶやき」に同調できる(大きく動くときには、専用の語り部を用意してくれている)。

 わたしが読んだのは鴻巣友季子の新訳なのだが、よく考えられている。語りのリズムやスタイル、語彙を通じて、人物の思考をなぞらせようとするウルフの筆致を読み取って、その人物に応じた書き分けをしている。巻末の解説では「人物の声帯模写ばかりか、一種の思考模写」と評しているが、上手く伝わってくる。訳者は、いったんは作者の側に立って「声」の出所を考え、再び読者の側にもどって「声」の音量・音質の微調整に細心の注意を払っている。

 そのおかげで、主体の多様性を何層にもわたって味わうことができた。キャラの数だけ現実がある、といったレベルに限定せず、人物を超えた「語り」の声も聞かされるのだ。三部構成の第二部「時はゆく」で巨きなうねりがあるのだが、映像でたとえるならハイスピード撮影をひと息に見るような感覚に陥るに違いない。

 この技巧のおかげで、作者はきれいに作品中から見えなくなっている。わずかに残る痕跡を追うのも面白かったが、これは書き手・訳者の意図に沿って「見ないフリ」をするのがお約束というもの。ひらりひらりと思考が飛びうつる動きにシンクロしているうちに、この作品のテーマが見えてくる。

 それは、「幸せ」について。幸福を語るために、普通の小説なら「不幸→幸福」もしくは「幸福→不幸」という「流れ」をつくり、予定調和的になぞろうとするだろう。けれども、この「灯台へ」は違う。生活の中での幸福というものについて、具体的なエピソードや思考のひらめきを通じて伝わってくる。「伝えてくれる」「教えてくれる」のではない、人物に同期をとっているうちに、浸透圧がゼロになるんだ。一緒になって笑ったり怒ったり、心配したり喜んだりできる、そういう場に「いる」ことができる。

 ほとんどの読み手は、人物の性格や容貌、言動などから「自分との関わり・距離感」を測ろうとする。そのうえで、同情したり反発したりするのだが、これは違う。こうした距離感覚を排するため、巧妙に文を創っている。その結果、その人そのものでいられ、それでいて「読んで」いるという、不思議な経験をするのだ。

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受信: 2009.04.03 22:28

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