狂気の浸透圧「セールスマンの死」
読書は毒書。とはいうものの、読者によって毒にもクスリにもなる。ローン背負って痛勤するわたしには、狂気たっぷりの毒書になった。やり直せない年齢になって、自分の人生が実はカラッポだったことを思い知らされて、嫌な気になるかもしれない。全てを捨て、人生をリセットしたくなるかもしれない。
かつては敏腕セールスマンだったが、今では落ち目の男が主人公。家のローン、保険、車の修理費、定職につかない息子、夢に破れ、すべてに行き詰まった男が選んだ道は――という話。だれもが自由に競争に参加できる一方で、競争に敗れたものはみじめな敗者の境涯に陥るアメリカ社会を容赦なく描き出している。
見どころは、このセールスマンの葛藤。
とても前向きで、強気で、ひたむきだ。人生の諸問題はプラス思考でなんとかなると押しまくる。今で言う「ポジティブシンキング」の成れの果てを突きつけられているようだ。自分に都合よく現実を解釈し、自らを欺き続ける主人公への違和感は、そのまま自分の人生への違和感になる。
そしてついに、目を背け続けてきた現実が、過去が、彼をつかまえる。自己欺瞞が徹底的にあばかれるとき、読み手は思わず自分を振り返りたくなる。わたしの人生はカラッポなんかじゃないって。同時に、彼がおかしい――いや、狂っているのかどうかも分からなくなってくる。いっそ「狂気」のせいにしてしまえれば救われるのに、と念じながら読む。
とても興味深いのは、彼が何を「売って」いるのかという疑問。
戯曲では、彼が持ち歩くサンプル・ケースの中身は明らかにされていない。彼が売っているのは委託された商品などではなく、「自分そのもの」であるという解釈が適切だろう。成果や結果を期待されながらも、結局は時間を切り売りしているわたしにとって、この解釈は痛い、痛いぞ。
彼の狂気がわたしに同期を取ってくる。彼の絶望がわたしに浸透してくる。「お話」と分かってはいても「ひとごと」ではないのだ。終盤、追い詰められれば追い詰められるほど、全てを捨てて、やり直したくなる。リセットへの誘惑の演出がまたいい。フラッシュバックを多用し、過去の人物と現在の彼との対話を繰り返す。彼がたどりついた結論はぞっとしない。
人生には、リセットボタンなどない。あるのは電源ボタンだけなんだ。
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コメント
人生にはリセットボタンは無い
電源ボタンしかない…
胸に刺さりました
うう…涙が…
投稿: のち | 2009.03.15 04:44
>>のち
あまりまっすぐに受け止めないよう…
このフレーズは、「ゲーム世代を批判する老人」への反語として、使ってやってください。
投稿: Dain | 2009.03.17 01:53
はじめまして、いや違います。私自身、この「私が知らない~」というサイトに出会ってから、もう1ヶ月がたちました。ズバッといえば、書物を紹介するサイトにおいて、私にとってもっとも最強な場所です。というのは、私はマンガやSF系ミステリー系は読まない傾向にありました。しかし、Dainさんのそれらをも読む好奇心の旺盛さにグッと感じ入るものがありました。また「本ばかり読んでるとバカになる」という言葉にものすごい説得力を感じます。
セールスマンの死は劇団民芸の滝沢修さんの舞台で観た事があります。
実は紹介したい本が2冊あります。まず、「アンリシャルパンティエの世界」という本。全国の都市部のデパ地下で洋菓子を製造販売するメーカーの軌跡本です。中身は、シャネルやルイビトンのような「美しさ」が満載です。見てるだけでも、おもしろい。
2冊目は、古屋兎丸×乙一の「少年少女漂流記」。マンガです。ですが「小説すばる」に連載されていたものを一冊にまとめたものです。テーマは「中二病」(笑)です。あと妄想がいい。空想という絵空事から真実に迫る感じが面白いです。
2冊とも、公立図書館で借り読みました。Dainさんのアドバイスは、「本の所有」から私を解放しました。気楽になりました。サンクスです。
投稿: 地獄シュークリーム | 2009.03.21 13:51
>>地獄シュークリーム さん
オススメありがとうございます。まず「アンリシャルパンティエの世界」を手にしてみますね。2冊目は「底」がなんとなく感じとれます(というか、乙一はパスの方向で)。
投稿: Dain | 2009.03.22 22:34
返信ありがとうございます。
>乙一はパスの方向で
了解しました(笑)。「セールスマンの死」のフィクションという名の真実の方が、グッときますね。金をかけず、所有せず、というスタンスでDainさんに何か紹介できればと思った次第です。
投稿: 地獄シュークリーム | 2009.03.23 06:38
>>地獄シュークリームさん
ありがとうございます。以前、「乙一がスキ!な方は面白い本が沢山あって幸せですねっ」なんて茶化してお叱りを受け、自重しているのです(↓のコメント欄参照)
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/11/post_cd85.html
投稿: Dain | 2009.03.23 23:58
コメント確認しました。私の中の乙一さん作品への疑問が、確信へと変わりました。乙一さんの「少年年少女~」は、自己満足オナニー大会です、一方で「セールスマンの死」は、最上級の愛情たっぷりのSEXです。追伸、丸尾末広の「絵」は好きだけど、ストーリーはイマイチかなぁ~あ!好きでしたらすいません、別に茶化すつもりはございませんよ(笑)。今度こそしばらく静観します。では。
投稿: 地獄シュークリーム | 2009.03.24 16:09