愛書家へのプレゼント「図書館 愛書家の楽園」
「図書館」というお題であるものの、公的施設に限らない。個人的な蔵書、私設ライブラリーも、「愛書家の楽園」であることに変わりないから。図書館というよりは、図書室、しかも、シンと静まりかえった夜の図書室がお似合いかも。
夜もふけて本棚の前に立つとき、目になじんだ背表紙が語りかけてくる。それは、入手したいきさつや、書名からつむぎだされる連想、読了したときの感動を呼び起こす。さらに、そこに仲間入りさせたい「ほしい本」の装丁を想像し、ならべ方は著者順がいいのか関連性を重視すべきなのか、独り思いめぐらす。
そうなんだ、原書のタイトルは "The Library at Night" といって、深夜に本棚の前に立ったときの、あの静けさと饒舌さそのままがエッセイとなっている。もちろんその "The Library" とは、スタートは著者マングェルの図書室になる。その縦横無尽な語り口から察するに、とてつもない読書家ですな。
それから"The Library"は、古代アレクサンドリア図書館、ネモ船長の図書室、ヒトラーの蔵書と強制収容所の図書室、ラブレーやボルヘスによる架空の書物などに拡張する。現実・空想を隔てなく語りつむぐ人と書物の歴史は、饒舌をはるかに過ぎて奔放というべき。
ただし、書き手の発想は連想から連想へと跳んでおり、秩序だった時系列や分類を求めている読み手は、寄り道と閑話休題に途方にくれるかもしれない。章だてを見ればわかる。
神話としての図書館
秩序としての図書館
空間としての図書館
権力としての図書館
形体としての図書館
…
こんな切り口で網羅的かつ徹底的に、人類の外部記憶装置としての図書館を考察する。その博覧強記っぷりに、ちょっと近寄りがたくなるが、親しみのもてる所もある。たとえば、カフカの「掟の門」を図書館の門になぞらえているあたりで、強い親近感をいだいたぞ。わたしだけではないだろう、この「掟」を「知」と読み替えたのは。
気になったエピソードをいくつか挙げよう。まずはヒトラーの蔵書から。
ヒトラーの個人蔵書は一万六千冊ほどあったといわれている。うち七千冊は戦争史、一千冊以上は芸術関係の評論、一千冊は大衆小説で、ポルノ小説もいくつかあったそうな。有名どころなら「ガリヴァー旅行記」、「ロビンソン・クルーソー」、「ドン・キホーテ」もあったが、ヒトラーお気に入りの作家カール・マイによる冒険小説は、ほぼ全巻そろっているという。
ヒトラーのコレクションはワシントンのアメリカ議会図書館に収められている。「本棚は人をあらわす」というのであれば、この本棚こそみるべきなのだが、不思議なことに、第三帝国を研究する歴史学者からは無視されてるんだって(もったいない)。
次に、図書館と情報技術の考察が興味深かった。たとえば、Googleが図書館プロジェクトを断念していたことは知らなんだ。
Googleの図書館プロジェクト、すなわち "Google library Project" とは、世界を代表する図書館――ハーヴァード大学図書館、ボードリアン図書館、スタンフォード大学図書館、ニューヨーク公共図書館――と連携して、蔵書をスキャンし、オンラインで読めるようにするという計画で、2004年の発表当時はえらく興奮したものだ。「知」がネット共有されるってね。
ところが、本書によると、予算や運営の問題で、Googleは2005年7月にプロジェクトを断念しているという(p.77)。いまではスケールダウンして、図書カードを拡張した程度の検索カタログにとどまっている[参照]。また、NIKKEI-NETの「ネットも本も」覇権握るグーグルによると、著作権をめぐる訴訟がプロジェクトを阻んでおり、Googleのフェアユースに対する抗弁の成否がキーとなっているそうな。
情報技術に対するマングェルの視線は、いささか冷ややかだ。書籍情報のデジタル化によって、検索や調査効率が飛躍的に向上することは認めるものの、デジタル化された「メディア」への信憑性は、イギリスの「ドゥームズディ・ブック・プロジェクト」で疑問符をつきつける。
「ドゥームズデイ・ブック」とは、11世紀に作成されたイングランドの土地台帳のことで、千年の歳月を経たメディア――書籍の形でいまも読むことができる。1986年、BBCは250万ポンドを費やして、コンピュータ仕様のマルチメディア版「ドゥームズデイ・ブック」を製作した。
この、電子版「ドゥームズデイ・ブック」には25万の地名、2万の地図、5万の写真、3千のデータセットと60分の動画が含まれていた。このプロジェクトには100万人以上が協力したという――しかし、16年後の2002年3月、その情報を読み出そうとしたが、できなかった。データを復旧させようとさまざまな試みがなされたが、どれもうまくいかなかった。
ディスクやCD-ROMの寿命はせいぜい10年。情報のデジタル化は便利をもたらす一方で、深刻な危険性をはらむと指摘する。そのいっぽうで、紙メディアである書籍をさりげなくもち上げているところにニヤリとする。
解決策がないまま、現在も膨張しつつある人類のコンピュータ上の財産は、いつ消滅してもおかしくないという深刻な危険を抱えている。それとは対照的に、およそ千年前、紙の上にインクで書かれたオリジナルの「ドゥームズデイ・ブック」はロンドン南西にあるキュー公文書館に完璧な状態で保存されており、いまでもはっきりと読むことができるもちろん「夜の図書館」なので、「闇」の部分――焚書や禁書についても語られる。有名なアレクサンドリア図書館の炎上エピソードにも紙幅を費やしているが、2003年にイラクで行われた略奪・焚書は目玉ひんむいて読んだぞ。
ときには図書館が意図的に破壊されることもある。2003年4月、イラクに米英軍が駐留していた間に、バグダッドでは国立公文書館、考古学博物館、国立図書館が略奪された。数時間のうちに、人類史上で最古の部類に入る記録のほとんどが忘却の彼方へと追いやられた。現存する最古の書物である六千年前の草稿、サダム・フセインの部下たちによる略奪を免れた中世の年代記、寄進財務省に保管されていた幾多の美しいコーラン――それらすべてが、おそらく永久に消えてしまった。ほかにも、カリグラファーの手による美しい写本の数々は消失し、10世紀の書籍商が残した「千夜一夜物語」などの貴重な説話集も失われたという。いわゆる時事的な視点――人道的問題や駐留軍の財政難、地政学的均衡といったネタばかり追いかけていた。が、そんな文化的狼藉がなされていたなんて知らなかった。焚書は前時代のもの、と考えていたが、おめでたい奴だったね、わたしゃ。
つまみ食いで紹介してきたが、本書の1/1000にも足りない。本好きであればあるほど、本書は魅力を発揮する。人はなぜ書物を収集したがるのかという根源的な問いからはじまり、自分好みのライブラリーをつくりたいという欲望、さらには、棚や部屋の物理的な大きさと、無制限に増殖したがる本にはさまれた葛藤までが、歴史的エピソードを交えて紹介されている。
ある本を選ぶということは、別の本が選ばれなかったということ。なんてエロゲ的な。すべてを包含しようという欲望と、排除しようという矛盾にはさまった碩学の悩みは、とても近しい。
書物を愛するすべての人に。
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