「服従の心理」はスゴ本
この一言で、善良な市民が信じられない残虐なことをする。良心の呵責に耐えきれなくなると、記憶の改変を行う。「自分はまちがってない、あいつが悪いからだ」と平気で人をおとしめる。信じられるか? わたしは信じられなかった … 最初は。
たとえば簡単なバイトを思いうかべて欲しい。心理実験のバイトだ。
実験室に入ると、いかにも研究者然とした人が指示してくる。あなたは先生の役で、一連のテストを行うんだ。で、生徒役の人がまちがえると、罰として、電気ショックをあたえるのがあなたの仕事だ。
そして、何回もまちがえると、そのたびに電撃は強くなってゆき、最後には耐え難いほどの強いショックを与えることになる。生徒は叫び声をあげてやめてくれやめてくれと懇願する。あなたは心配そうに研究者を見やるが、彼は「あなたの仕事を続けてください、責任はわたしが取りますから」とキッパリ。
実をいうと、この実験の被験者は先生役の「あなた」。生徒は役者で、電撃はウソ、叫び声は演技。実験のテーマは「権威 v.s. 個人」なんだ。つまり、良心に反するような行為を強いられたとき、権威に対して、どこまで服従し続けるのかを見るのが、この実験の真の目的なんだ。
もちろん、40年前に行われた実験の結果は[ミルグラム実験]で確認できるが、あなたの予想を裏切っている。人は権威に命じられると、かなり非人道的な行為まで手を染めてしまう。良心の痛みは覚えるかもしれないが、あえて権威に逆らうようなことはしないという。
この結果は、あなたをかなり不愉快にさせるかもしれない。事実、この実験は、結果だけでなくプロセスの倫理的問題も含め、厳しい批判にさらされることとなった。
なぜなら、著者スタンリー・ミルグラムは、この結果でもって、ナチスのアイヒマンがやったことは「悪の陳腐さ」にすぎないとみなしたから。ユダヤ人をせっせとガス室に送ったアイヒマンは、悪魔でもサディストでもなく、権威にからめとられたただの官僚にすぎないと主張する。単に彼は自分の役割を果たしていただけであって、民族や文化、人格に関係なく、「あなた」にも起こりうる――そうした「問題」を突きつけてくる。
良心と権威の葛藤によるジレンマは、社会の持つ性質そのものに内在するものであり、ナチスドイツが存在しなかったとしても、われわれの問題となっただろう。この問題について、単なる歴史問題であるかのように扱うのは、それを実際以上に遠ざけようとすることになってしまうこれを、不愉快だと斬って捨てるのはもったいない。あるいは間違っているとナンクセつけるのも不毛だ。結果は結果として受け止めて、そこからどういう知見を引き出すのかが、読み手に求められている課題だろう。
わたしは、第11章「服従のプロセス」を注意深く読んだ。「被験者(先生役)が…」と表現されているところは全て「あなたが…」に読み替えて、わたしが同じ葛藤に陥ったとき、どのように「服従」していくのかを予見しながら、読んだ。
どうやら、わたしの場合、「責任の喪失」と「行動の連続性」に弱いらしい。つまり、権威ある人から「責任は取るから」といわれたとき、わたしはスイッチを押すだろう。そして、過去の行為を正当化するために、スイッチを押し続けるだろう。今やめたら、さっきまでやってきたことが「悪いこと」だと認めてしまうことになるからね。
そうした権威に対し、どうあらがうか?いや、その前に、自分が陥っている状況をどうやって客観視するかが課題になる。権力にからめとられたとき、目先の細々した作業にいっしょうけんめいで、その結果がどうなるか、それが倫理的に許されるか――なんて判断は放棄してしまうだろうから。
そんな場合、「そのとき、エンジニアは何をするべきなのか」[レビュー]で考えたことが役に立ちそうだ。「エンジニアとしてなすべき判断と、会社の期待がズレるとき、どうすればいい?」ときは、判断プロセスを共有化し、複数の意見を聴いた上で決める。「おおっぴら」にできないのであれば、それはそもそもしちゃいけないことなのだから。さらに、現状を知るためだけでも、「社外の目」は必要だろう。オフのつきあいを濃ゆくしないと。
――そんなフツーのわたしの読みと比べて、「訳者あとがき」の山形浩生氏の読みはスゴいぞ。おかしな話かもしれないが、最後の最後、彼の「服従実験批判」がいちばんおもしろい。翻訳仕事の余滴をもって、同じ実験結果から全く違う知見を引き出し、みごとに説明しつくしている。
その批判の着眼点が秀逸で、展開に説得力があるんだ。前提に揺さぶりをかけ、プロセスを別の観点から洗いなおし、最後は実験の解釈そのものをくつがえしてしまう。読み手は、ああっと言ったりおおっと呻いたりいそがしい。ラスト数ページでドンデン返しがあるなんて、ミステリみたいw
山形氏は「蛇足」と称するが、この十ページで本書から別のスゴ味を見出せた。「服従は信頼の裏返し」なんて、ミルグラムが示したぞっとしない結論からずいぶん救われたぞ。すばらしい洞察だと思う。
誉めたついでにおかしな点を挙げておく。
まず、実験の三者の表記が紛らわしかった。「実験者、被験者、被害者」と表記するので、「○験者」が共通し、「被○者」も共通しているため、字形のカタマリで読むわたしには、いつもここでつまづいた。
さらに、被験者は「先生」、被害者は「学習者」とも読みかえられているので、まぎらわしさに輪をかけている。案の定、p.161の図18で、「被験者」と書くべき人物が「被害者」になっている。
さらに、この実験への倫理的な批判に対する弁明文(p.261)で、腑に落ちない部分があった。次の太字で示した部分だ。文脈からすると、「いちばん悪いこと」ではなく、「いちばん良いこと」のような気がするのだが…
さらにもう一点。従順な被験者は被害者に電撃を加えたことについて自分を責めたりはしません。その行動は自分自身から出たものではないからです。そして従順な被験者が自分について述べるいちばん悪いことは、将来はもっとうまく権威に抵抗することを学ばなくてはならない、というものです。
実験が一部の被験者を刺激してこうした考えを抱かせたというのは、わたしから見れば(中略)実験の帰結として満足のいくことです
こんな瑣事はともかく、本書は「この本がスゴい2008」に入れるべきスゴ本。もう発表しちゃったので、覚えてたら来年版に入れよう。
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コメント
あとで新聞からきました。おもしろかった。
一番悪いことか良いことか
うまく権威に抵抗することではなく、
良心に従うことを学ばねばならないのではないでしょうか?
投稿: げん | 2008.12.07 02:28
>>げんさん
その「良心」を守るために、自分にウソをつく被験者の話もあるので、読むと衝撃をうけるかもしれません。
投稿: Dain | 2008.12.07 23:02
心理学の授業では必ず出てくる実験ですね。
スタンフォード大学のプリズンの実験のことも合わせて
考えると、権威についてよりよくわかります。
投稿: ライラ | 2008.12.09 10:38
>>ライラさん
映画は es[エス] ですねー、観たいみたいと思ってながら未見の映画です。
投稿: Dain | 2008.12.10 00:13
コメントありがとうございます。さて、p.261ですが、そこは「いちばん悪いこと」で正しいのです。原文も「the worst the obedient subject says of himself is...」です。
少々わかりにくいのですが、その被験者は自分があまり悪いことをしたとは思わず、最悪でも「あ、オレってちょっと空気に流されちゃってまずかったな、こんどからもっと権威に抵抗してみたほうがいいな」程度の後ろめたさしか感じない、という趣旨です。反省しているのでよいことに思えるかもしれませんが、反省するというのはつまり、自分が悪かったということを認めているわけなのです。
でも確かにわかりにくいので、増刷があれちょっと表現を見直してみたいと思います。ご指摘ありがとうございました。
投稿: 山形浩生 | 2008.12.23 00:40
追伸。あと、p.161 図18についてのご指摘はおっしゃる通りです。お恥ずかしい次第です。
投稿: 山形浩生 | 2008.12.23 00:43
>>山形浩生さん
解説ありがとうございます。それから、原文読まずにツッコミ入れてすみません。「ホントはもっと自分のやったことの重大さをを意識してほしいのに…」という著者の気持ちがにじんでいるんですね。
いま、amazonでは希少状態になっているようです。たくさんの人に読んでもらいたいのに、入手する機会が減って残念です。来年1月に出る週刊アスキーのブックレビューでもプッシュしますので、ますます手に入りにくくなるかと(そして古本は9,000円台に突入)。
投稿: Dain | 2008.12.23 09:43
えへへ、増刷決まりました。不労所得!
投稿: 山形浩生 | 2008.12.27 09:48
>>山形浩生さん
増刷おめでとうございます。
せどらーたちが暗躍する前にAmazonに並ぶといいですね。
投稿: Dain | 2008.12.27 22:52