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この本がスゴい2008

 今年もよい出会いがあり、それはあなたのおかげ、とても感謝しています。

 ここでいう「あなた」とは、親切にもコメント欄よりオススメいただいたアナタだけでなく、某所で罵倒しまくってたキミも含まれる。なぜなら、「○○がスゴいんだってーフフン、じゃぁ△△読んでないだろ」なーんて教えてくれたから。

 ありがたいのはまさにソレ、「そんならコレを読め」と言ってくれる方は、○○も△△も読んでる。わたしが知らない△△を、わたしが読んだ○○から教えてくれるのだから、これほど有益なものはない。

 わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる所以はここにある。反面、これができずに唯我独尊を貫くと、非常に限定された世界の読書王となる。なまじ蓄積があるだけに、外からのアドバイスが受け入れられず、読書はすべて自意識の確認作業となる。気の毒だけど、よい反面教師だ。この道は、いつかきた道。わたし自身が陥らないよう、用心用心。

 ことし読んできたなかで、「これはスゴい」とスゴ本認定したものから、さらに選びぬいたものを紹介する。ベスト10とかムリで、かなりのボリュームになったぞ。すべて、「あなた」の縁を経ている。はてなで、amazonで、2chで、そしてこのblogを通じて知ったベストだ。昔の「今年のベスト」と比べるとよくわかる、「あなたのオススメ」を集めると、こんなに豊かなリストになるということを。

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│□□□ この小説がスゴい2008
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 今年「も」小説はあたりどしだった。いい小説読むと人生トクした気分になれるのだが、知らない人は残念無念。たとえるならば、ウマいメシ喰っった後に、頭頂から垂れてくるナニかのように人性をハイにさせてくれるもの、といったら分かるか。

 いい小説は人生を変える、はホントだ──そういえるスゴ本群はこれ。

■ ルーツ(アレックス・ヘイリー)  [レビュー]

ルーツ1ルーツ2ルーツ3

 親子七代、200年に渡る壮大な物語から描かれた米国の黒人奴隷の歴史に圧倒される。あらゆるものを奪いつくされ、失いつくしたとしても、それでも一歩一歩、自分の生活を築いていく系譜が、ここにある。合衆国の黒歴史ともいえる黒人奴隷の問題を描いた本書は、1977年のピューリッツァー賞を受賞し、世界的ベストセラーとなり、TVドラマ化され、一大センセーションを巻き起こした。「クンタ・キンテ」といえば、ご存知の方もいらっしゃるかと。

 白人社会の黒人への仕打ちは、かなりショッキングだ。どうかフィクションであってくれと祈りたくなるような強烈さだ(なかでも奴隷船の描写はかなりキツい。ここだけ劇薬指定)。肉体的な暴力もさることながら、精神的文化的なダメージも大きい。しかも、問題は「色」だけではないのだ。裕福な白人と貧乏白人、奴隷と自由黒人、先住インディアンと混血、メソジストとバプチスト、開拓民と新興移民――「色」に限定されない差別問題がわんさとでてくる。合衆国の問題の根っこがドラマティックに見えてくる。

■ 存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)  [レビュー]

存在の耐えられない軽さ 物語の体裁をした長い長いクンデラの独白。「プラハの春」を歴史背景に、愛し合う男と女を鮮烈にエロチックに描いている。新訳で10年ぶりに再読できた。物語を読んでいるのに、「人生の一回性について」という哲学の問題を考えさせられる。未来からの重みを感じれば、一回きりしかない人生はとてつもなく重要に思えてくるだろう。しかし、わたしたちはそれを確かめるすべを持たないのではないか? 著者クンデラは物語の合間合間に、そんな疑問をナマで問い合わせてくる。

人生が一度きりなら、そして予め確かめるどんな可能性もないのなら、人は、みずからの感情に従うのが正しいのか、間違いなのかけっして知ることがない。それでも彼・彼女はよく考えたり感情的になったりして、かなり重要な決定を下す(あるいは下さない)。結果が偶然なのか必然なのかは、わからない(著者は指し示すだけ)。

 肝心なのは、その「決定」だ。結果によって「決定」が運命になったり偶然に扱われたりするのなら、未来によって選択の軽重が決まってくる。結果は重いかもしれないが、決定は(決断すら思い及ばず偶然の連鎖も含めて)下されるそのとき分からない

 読み手はぐるぐる回りながらも、この問い合わせに応えることができない。そんな読者をよそに物語は転んでゆく。塞翁が馬と片付けられればいいのだが、それはそれ、男と女の物語なのだからそうはいかない。

■ 巨匠とマルガリータ(ミハイル・ブルガーコフ)  [レビュー]

巨匠とマルガリータ 現実と幻想が濃厚に融合している怪作。ケタケタ笑って読んでもいいし、いくら深読みしても耐えられる、軽薄かつ堅牢なつくり。小説としてしっかりしていれば、その容器(うつわ)に何を入れても許される好例。

 単なるファンタスティックに走り出さない。リアリズムからつかず離れず、一定の間隔をおいている。この距離感が絶妙なので、ナザレ人のイエスが蝿まみれになって死んでゆく様が異常なほど克明に見える。さらに、モスクワじゅうを大混乱に陥れる荒唐無稽さをたぐり寄せてゆくと、 スターリン時代の恐怖がズルズル剥けだしてくる。裸エプロンのメイドや全裸のメイドが豚に乗って飛び回るシーンが圧巻。非常に映像的で、疾走感覚あふれまくりで、アドレナリンだかドーパミンだか脳汁があふれ出すこと請合う。

 不遇をかこち、ついに日の目を見なかった著者ブルガーコフの強烈なカウンターとして読んでもいいし、「夢に出るリアル」を味わってもいい、傑作認定。

■ アブサロム、アブサロム!(ウィリアム フォークナー)  [レビュー]

アブサロム、アブサロム 「文学」なのにもかかわらず、どろり濃厚なミステリとして読んだ。物語そのものが語りだす声を訊くことができるぞ

 舞台はアメリカ南北戦争の時代。「ある出来事」を要に、独白・告白・伝聞を用いて、語り手のさまざまな立場で述べられる。同じ描写、同じシーンが、微妙に異なる視点でくりかえし述べられている。ジグソーパズルを外側から埋めていくように、行きつ戻りつ「繰言」がくりかえされる。

 複雑に張られた伏線と設定を読み解き、「出来事」そのものに到達するのも喜びながら、その出来事が「なぜ」引き起こされたのかを推し量るのも本書の醍醐味だろう。

 ただし、最近のエンターテインメントに甘やかされた読者には、ちと辛いかも。物語は複数の語り手の視線によってさらされ、吟味されているのだから。ストーリー消化率を高める「何でも知ってる説明役」は出てこない。だから、たとえ三人称であってもだまされるなかれ。聞き手の内省であったり対話(!)だったりするのだから。

■ 虎よ、虎よ!(アルフレッド・ベスター)  [レビュー]

虎よ、虎よ! 「スペース・ファンタジー」というべきSF。あるいは、「この未来はもう見ているぞ!」と叫びそうになる。

 1956年に発表されているので、その影響を受けた作品から間接的に知っている世界に既視感覚ありまくり。石ノ森章太郎の「加速装置」や、スティーヴン・キングの「ジョウント」の本家はこれだったんだーと狂喜乱舞する。他にも説明抜きでじゃんじゃん投入されるアイディアは、ぜんぜん古さを感じない。

 物語自体が強烈な迫力と磁力と理力を帯びたハリケーンみたいで、ぼんやり読んでると跳ばされる。男の情念の炎にゃ、読み手の「手」も焼かれること間違いなし。冒頭で突きつけられた、主人公を燃え狂わせる「動機」は物語全体を横切り、結末にぶつかって粉々になる。その軌跡がスゴい

 ブッ飛んだSFに、振り落とされないように読むべし。

■ ザ・ロード(コーマック・マッカーシー)  [レビュー]

ザロード ピューリッツァー賞を受賞した傑作…だけど、昨年のスゴ本2007に入れた「血と暴力の国」とは手触りがちがう。運命なんてクソの役にもたたないものだと思い知らされたわたしにしては、このラストは衝撃を受けた。マッカーシー「らしくない」ってね。

 終末世界で人として生きるのは、かなり難しい。カタストロフ後の世界を旅する、父と子の物語。強奪と喰人が日常化した生き残りを避けて、南へ南へ――食べ物を求めて? 食べられないように? 残った弾丸の数を数えながら、こんな地獄ならいっそ―― わたしと同じことを、この「父」も考える。

 文体はかなりクセがある。地の文から句読点を外し、会話をくくるかっこ「 」を廃した、全編独白のような文体は、慣れるのに苦労するかも。来年あたり、マッカーシーのNo.1と誉れ高い"Blood Meridian"の邦訳が出てくるだろうか――ここ数年はマッカーシー祭りになりそうだな。

■ シャドー81(ルシアン・ネイハム)  [レビュー]

シャドー81 スリルとスケールたっぷりのスゴ本。

 プロットはシンプル。最新鋭の戦闘機が、ジャンボ旅客機をハイジャックする。犯人はジャンボ機の死角にぴったり入り込み、決して姿を見せない。姿なき犯人は、二百余名の人命と引き換えに、莫大な金塊を要求する。

 シンプルであればあるほど、読者は気になる、「じゃぁ、どうやって?」ってね。完全武装の戦闘機なんて、どっから調達するんだ? 誰が乗るんだ? 身代金の受け渡し方法は? だいたい戦闘機ってそんなに長いこと飛んでられないよ!――なんてね。

 本書の面白さの半分は、この表紙を「完成」させるまでの極めて周到な計画にある。一見無関係のエピソードが巧妙に配置され、意外な人物がそれぞれの立場から表紙の一点に収束していく布石はお見事としかいいようがない。

 そして、もう半分は、表紙が「完成」された後だ。ハイジャッカーと旅客機のパイロット、航空管制官の緊張感あふれるやりとりや、大迫力のスペクタクルシーンなど、見所たっぷりだが、時代がアレなだけに映画化不能だね。

■ 妖女サイベルの呼び声(パトリシア・マキリップ)  [レビュー]

妖女サイベルの呼び声 極上のファンタジー

 キャラとイベントで物語を転がす濫製ファンタジーの対極にある。「ファンタジー」なんて、しょせん剣と魔法、光と闇の活劇でしょ? ――なんて、ファンタジーを見くびってた。誤ってた。

 予めお約束のコードがあって、そいつをどんなパラメーターでなぞるかでヴァリエーションを増やす。そんな固定化した観念がまるっきり見当違いだったことを思い知らされる。この物語はファンタジーでしか書けないし、テーマはファンタジーを、(少なくともわたしが勝手にファンタジーだと思いこんでた範囲を) 完全に超えている。

 かといって、テーマが深遠だとかフクザツだとかいうわけではない。魔法使いサイベルが、人の心と愛を知り、そしてそれゆえに苦悩し、破滅へ向かおうとする話。お約束の台本どおりに進まない心理劇を眺めている気分になる。

Calling_

 粗製乱用ファンタジーに慣れきった人が読むと、アタマガツンとやられる。ピンとこない人には、ハヤカワFT(ファンタジー)文庫の第一作だったことや、世界幻想文学大賞が創設された1975年、最初に受賞したのが本作だったことを指摘しておく。そうそう、「コーリング」という名前でマンガ化されているが、こいつも極上だったぞ。

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│□□□ 劇薬小説・トラウマンガ
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 ことしの劇薬モノは、即クるものではなかったな。読んでて、即、吐気におそわれるよりも、後々になって歯痛のように引っ張るものばかり。読むときは、覚悟してどうぞ。

■ ジェローム神父(マルキ・ド・サド×澁澤龍彦×会田誠)  [レビュー]

ジェローム神父 澁澤龍彦の「ホラー・ドラコニア少女小説」の5冊をイッキ読みしたんだが、なかでも最もエロティックかつ残虐・極悪・非道なのがコレ。エロスって幻想的で具体的だな、と実感できる。あるいは、「まっとうな狂気」に出会える

 まず表紙。ポニーテールの少女(全裸)が、アッケラカンとした笑顔で見上げている。ただし両手足は切断されており、ぐるぐる包帯からにじむ血肉(腐肉?)と蝿が生々しい。あるいは挿絵。少女の腹を指で押すと、股間の割れ目からイクラがぽろぽろと出てくる「とれたてイクラ丼」は目を見張る。

 んで、中身。恋人どうしの若い男女を連れ出し、まず男を射殺。そして女を姦するのだが、ただじゃすまないのがサド節。小枝やトゲのある蔓で女の柔らかい場所を刺したり痛めつける。男の死体を切り裂いて、そこから心臓を抜き取り、娘の顔を汚す。あまつさえ心臓の幾片かを無理やり娘の口のなかに押し込んで、噛んでみろと命令する。

 ただ処女をレイプするだけじゃもの足りなくて、自分がイク瞬間に女をメッタ刺しにする。悶死する肉体がケイレンし、収縮するさまが、えもいわれぬ恍惚感をひきおこすそうな。普通人はドンビキする話なので、読・ん・で・は・い・け・な・い・。

■ ブラッドハーレーの馬車(沙村広明)  [レビュー]

ブラッドハーレーの馬車 Wikipediaによると、「赤毛のアンのような作品を描きたい」という作者の希望により連載が開始されたそうだが、「赤毛のアン」を陵辱する、読み手の心を引き裂く話

 はじまりは、孤児院。身寄りのない少女たちの憧れは、ブラッドハーレー歌劇団。1年に1度、容姿に恵まれたものが選ばれ、資産家・ブラッドハーレー家の養女として迎えられる。貴族としての生活や、歌劇団で華々しく活躍することを夢見る少女たち。

 本気で読む気なら、予備知識はこのくらいで。ただし、「劇薬注意」とだけ添えておく。帯の説明は地雷なので、外しておこう。沙村広明版「キャンディ・キャンディ」のつもりで扉を開いた。おかげで、こうかはばつぐんだ。

 第一章を読んだだけで、みるみる顔色が変わっていくのが自分でわかる。血の気が引いて、戻ってこない。体が冷たくなってくる。どうやったって「おもしろがって」読めないし、フィクションだよね、ネタなんだよねとつぶやきながら見る・観る・視る――目が張り付いて離れない。陵辱の陰惨さだけでなく、よくぞこんな話をつくりおったとため息がとまらない。

 不慣れな人は手を出さない方が吉。劇薬好きは――もう読んでるね。

 本書は「たまごまごごはん」さんとこで知った。「帯はネタバレ」予告ありがとうございます、おかげで血の凍る思いをしました。さらに、プリキュア等におけるスパッツ女子主義は開眼させられました、ぱんつや中身に拘泥していた自分の未熟さを思い知らされます。

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│□□□ このマンガがスゴい2008
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■ 石の花(坂口尚)  [レビュー]

石の花1石の花2石の花3

 「アドルフに告ぐ」級の傑作。読め(命令形)。

 1941年、ナチスによって寸断されたユーゴスラビアを舞台に、戦乱に巻き込まれてゆく少年を軸にした群像劇。アウシュビッツ収容所で、レジスタンスの戦場で、二重三重スパイの現場で、極限状況にありながら理想を求める生き様が生々しく描かれる。

 最初に釘刺しておく。読者がいちばん不満に思うのは、何らかのカタルシスが得られないだろう。というのも、善悪正邪の構図に片付かないからだ。悲痛な叫びもドス黒い血潮も、何も贖うことなく話は進む。

 もしも、単純に「ナチス=悪」を討つといったハリウッド的展開であれば、もっと分かりやすかったかもしれない。「『地獄の黙示録』を凌駕する山岳戦」といった惹句があるが、そういう見所はたっぷりあるからね。大義名分は決まっているので、戦争活劇のフレームに押し込んでしまうこともできる。

 しかし、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つのユーゴスラビアを描くには、そんなにカンタンな構図で収まるはずもない。それぞれの側で苦悩があり、希望と絶望がないまぜになっている。それぞれの立場で自己欺瞞にもだえながら、終わらない地獄絵図を歩み続ける。

 圧倒的な物語を、読むべし、読むべし、読むべし。

■ おもいでエマノン(梶尾真治 + 鶴田謙二)  [レビュー]

Emanon_8 彼女とのわずかなひとときと、その「おもいで」を大切にして生きること。

 すんなり伸びた肢体、長い髪、おおきな瞳、そばかす――ちょっとエキセントリックな彼女には、くわえ煙草が似合う。鶴田謙二氏が「SFオールタイムヒロイン」というのもむべなるかな。わたしのSFオールタイムヒロインのベスト3はこれ。

  エマノン(おもいでエマノン/梶尾真治+鶴田謙二)
  コーティー・キャス(たったひとつの冴えたやりかた/ティプトリーJr.)
  芳山和子(時をかける少女/筒井康隆)

 傷心をかかえた「ぼく」と怖いくらい共鳴しながら読む。物語を消費するのではなく一体化する感覚。思い入れが強すぎて、レビューよりも、思い出話をしたくなる。マンガ読んでこんなに切ない気持ちになったのは久しぶり。そうそう、月刊COMICリュウで再開してるね。カラー見開きで「あれ」みて鼻血たれたことは秘密だ。

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│□□□ 世界観をひっくりかえすノンフィクション
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■ 中国臓器市場(城山英巳) [レビュー]

中国臓器市場 中国の臓器移植は、「早い・安い・うまい」だという

 まず、早さ。肝臓や腎臓移植であれば、早くて1週間、遅くとも1ヶ月以内、心臓や肺移植でも1ヶ月以内にドナーが決まる。主要都市まで飛行機で数時間、ドナーが出れば、その場で飛べる。

 次に、安さ。腎臓移植を日本人が米国で受けると、1,600-2,000万円だが、中国なら600-750万円。肝臓移植の場合、米国7,000万-1億円に比べ、中国なら1,300-1,800万円でいける。渡航費や滞在費も考慮すると、圧倒的に安い。

 そして、うまさ。腎臓移植の場合中国国内で年間5000例以上、米国に次ぐ世界第2位の移植大国。移植医療は数をこなしてなんぼの世界、一大市場を築く中国は、物量共に他を圧倒している。

 この移植先進国を支えているのは、毎年1万人執行される死刑囚だという。交通事故などによる「不慮の死」によって突発的にドナーがもたらされる某国とは、かなり違う。実際、中国のドナーの9割が死刑囚で、そのメリットは大きい。

 要するにこうだ。若くて健康な臓器が用意でき、事前検査を行うため、肝炎やエイズウィルスなどの感染リスクはないし、死刑執行の日時や場所が事前にわかるため、摘出直後の移植が可能だ。おまけに、死刑は毎年大量に執行されるため、ドナーが途切れることがない。

 まさにオイシイとこだらけなのが中国臓器市場。その光と闇が徹底的に描かれている。もちろんドナーを求める代表は日本人だ。眉をひそめる方もいるかもしれないが、いつ自分もどうなるかわからない。揺さぶりをかけるように、中国での移植サポートをしている日本人は、こう問うんだ。

  アメリカで移植を受けると美談として扱われ、
  フィリピンで移植すると臓器売買だと罵られ、
  中国だと倫理問題はどうなのだと問い詰められる

 自分の問題だと意識しにくい場合は、自分の子を思い浮かべてみる。すると――劇薬小説「闇の子供たち」と同じ悲劇になるかと。

■ 冷血(トルーマン・カポーティ) [レビュー]

冷血 謳い文句は「ノンフィクション・ノヴェルの金字塔」。アメリカの片田舎で、一家4人が射殺された。父、母、息子、娘はロープで縛られ、至近距離から散弾銃で顔や頭を破壊されていた。犯人は二人の若者で、彼らの運命も既にわかっている。著者カポーティは、感情や評価を極力廃し、徹底的に事実を積み重ねる。「what」や「how」を追求することで「why」をあぶりだしているのがスゴい

 犯行状況を時系列の外に置き、調書を取る対話で生々しく表現したり、「なぜ若者が犯行に及んだか」はズバリ書かず、手記や調書から浮かび上がるようにしている。「書き手である自分」を、地の文から取り除くことに成功している。カポーティはノンフィクション・ノヴェルと呼んでいるが、レポートやドキュメントを読まされる感覚。読んだ「あなた」が判断せよ、というやつ。

■ コンゴ・ジャーニー(レドモンド・オハンロン) [レビュー]

コンゴ・ジャーニー上コンゴ・ジャーニー下

 コンゴの奥地へ恐竜を探しにいく、とんでもない旅行記。臨場感たっぷりの破天荒さに、最初は小説だと思ってた…が、これが本物のノンフィクションだと知ってのけぞった。

 著者のレドモンド・オハンロンは、筋金入りの探検家。いわゆる、イカダで太平洋を渡ったり、犬ぞりで極北を目指すジャーナリスティックな冒険家ではない。「○○が見たい、だから行く、どんなことをしてでも」と、自分の好奇心を満足させるために全財産を投げ打つようなタイプだ。

 蚊、ノミ、ダニ、シラミ、ナンキンムシ、アブ、ブユ、ツェツェバエ――血と汗を吸い、皮膚の下にタマゴを生みつけようとするやつら。爪の間や性器に入り込もうとする線虫・回虫・寄生虫もあなどれない。そしてゴキブリ!ベッドマットを持ち上げたらゴキブリがざーっとあふれ出る場面は全身トリハダ立ちまくり。

 マラリア、眠り病、梅毒、イチゴ腫、エイズ、エボラ出血熱、コレラ―― 描写のいちいちが克明で、読んでるこっちが痒くなる。風土病や感染症だけではない、人を襲うヒョウやワニ、ニシキヘビといった猛獣について、いちいち挿話とウンチクを並べ立てる。その恐怖におののきながら、いそいそと出かけるところは笑うところなのか?

 狂気と笑いが伝染してくる。後半、「旅行記」からスピンアウトしはじめる。著者狂った? と思えるような描写もしばしば。この地に白人が長くいると、おかしくなるのかもしれないね。

 本書は、「悪漢と密偵」のBaddieBeagleさん経由で知った。スゴい本を教えていただき、感謝しています。いつも冷静に淡々と紹介しているのに、「コンゴ・ジャーニー」だけ妙にチカラこめていたのが印象的でした。

■ アフリカ 苦悩する大陸(ロバート・ゲスト) [レビュー]

アフリカ苦悩する大陸 「なぜ、アフリカは貧しいままなのか?」という問いに、ひとつの結論が出る一冊。

 アフリカの貧困問題に対し教科書どおりに答えるならば、植民地時代からの搾取、不安定な政府、内戦や伝染病、人種差別、部族主義や呪術主義、インフラや教育の欠如からHIV/AIDSの跋扈――と枚挙に暇がない。

 著者はこの質問に明快に答える。すなわち、政府が無能で腐敗しているからだという。私腹を肥やす権力者、国民から強奪する警察官、堂々とわいろを要求する官僚――これら腐りきった連中がアフリカを食い物にし、援助や支援が吸い取られる。資源に恵まれた国であっても同様だ。奪い合い→内戦化→国土の荒廃を招くか、あるいは、外資が採掘場所を徹底的に押さえ、オイルダラーが国民まで行き渡らない構造になっていると一刀両断している。

 最貧困層のためにあるはずの援助の実態は違っており、「援助とは富裕国の貧困層から、貧困国の富裕層への富の移転にすぎない」という皮肉は、残念ながらあたっているという。ではどこへ?

わかりやすく言えば、高級ホテルで行う会議や、議員先生たちのワシントンへの出張旅費、それに外国人の援助スタッフを連れまわすためのランドクルーザーの購入費に、援助資金の多くが費やされているのである
 もちろん本書だけでもってアフリカ問題を語りだすのは危険だし、そういう思考の失敗も見せてもらった。非常に興味深いことに、自説を強固に主張する方であればあるほど、その一面的な観点から一歩も出られないことがわかった。同じ愚を犯さないために、(相反する)類書をいくつか読んだが、それはそれだけアフリカ問題の巨大さを実感することとなった。

   だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」
   「アフリカ・レポート」から行動する
   良いニュースです、「貧困の終焉」が可能であることが証明されました

 議論よりも行動、自戒を込めて記す。

■ 17人のわたし(リチャード・ベア) [レビュー]

17人のわたし 虐待で多重人格障害となった女性が、精神科医の助けにより、人格を統合する。

 不謹慎な言い方だが、そこらの小説より遥かに面白い。多数の人格が生まれた理由、記憶の共有や人格の入替えメカニズム、人格を統合する方法など、物語形式で500頁みっちりと詰まっている。

 彼女は発狂するか、自殺しかねないような凄惨な体験を重ねている。辛すぎる現実に潰されないよう、「自分」を守るため、恐怖や痛みを引き受ける人格がどうしても必要になる。ほとんどの人格は年を取るのをやめ、成長を拒絶し、異なった時期で時間が止まっている。そして、その時点で起きていたこと――たとえば、レイプされたこと、親が「死ねばいいのに」と言っていたこと――の中で、ずっと時をすごしている。

 著者は、そのひとりひとりと話し合う。同情し、励まし、慰めるが、時には強く出ることもある。おかしくなってしまった「人格」に対してセラピーをすることもある。その過程で明らかにされる「カレン」の人格システムがスゴい。人間の強さと心の柔軟さを痛感させられる。さらに、「カレン」の統合エピソードを通じて、人格とはすなわち記憶そのものではないかという気になってくる。

 本書は、渡辺千賀さんの紹介で知った、感謝感謝。「誰にも勧めないすごい本」と絶賛されていたが、ああ、確かに。劇薬耐性がないとツラいかも。

■ 夜と霧(ヴィクトール・E・フランクル) [レビュー]

夜と霧・旧訳夜と霧・新訳

 これはホロコーストの記録。強制収容所に囚われ、奇蹟的に生還した著者の手記。限界状況における人間の姿が、淡々と生なましく描かれる。高校のときに手にした記憶がまざまざとよみがえる(「あの写真」があまりにも恐ろしく、読むことができなかったのだ)。

 目を覆いたくなるのは、その姿の痛々しさや残酷さだけではない。そんなことを合理的に効率的に推し進めていったのが、同じ人間だという事実―― このことが、どうしても信じられなかった。

 でも大丈夫、今回読んだ新訳版では、「あの写真」はないから。だからといって、悲惨さはいささかも損なわれていない。丸刈り・個性の剥奪、強制労働、飢え、飢え、飢え、「世界はもうない」という感覚、ガス室、鉄条網へ向かって走る―― さまざまなメディアにコピられ、反すうされているから、隠喩としてのアウシュヴィッツのほうに馴染みがあるかも―― ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での "ethnic cleansing" なんて最優秀コピーだろう。

 ホロコーストの悲劇そのものよりも、そんな狂気の状況で著者がたどりついた結論のほうに目がいった。つまり、死や苦しみそのものの意義を問い、そこに無意味しか見出せないのであれば、収容所生活をサヴァイヴすることに意味などないのだ、と言い切る。もちろん、生きること、生きのびることを至上と考えるわたしには、とてもマネできない。ただ、そこへ至った著者の思考は非常に明晰で、いかなる狂いも歪みも見出せないことがわかる。

 「人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」――なぜ生きるのかを知っているものは、どのように生きることにも耐えうる――ニーチェの箴言を実践した一冊。

■ 数学で犯罪を解決する(キース・デヴリン) [レビュー]

数学で犯罪を解決する 天才数学者が犯罪者を追い詰める。アメリカのドラマ「NUMB3RS」の話だけれど、実際の事件をベースにしている。科学捜査官ならぬ数学捜査官。そのエピソードを糸口にして、元ネタとなっている様々な数学概念を解説するのが本書。サスペンスのドキドキ感と数学のエウレカ!を楽しみながら読む。

 しかも、ドラマの紹介と思いきや枕にすぎず、データマイニング、オペレーションズ・リサーチ、ベイズ確率、ゲーム理論、暗号、指紋とDNA鑑定の尤度など、「数学という武器」が縦横無尽に活躍している。ドラマとはいえ、ホントに「囚人のジレンマ」を使って数学による裏切りの説得をするトコなんて爆笑もの。理論的な下支えといった裏方的仕事ではなく、数学が直接現場に役立っているところがスゴい。

 もちろん、数学を武器として扱うため(捜査に役立たせるため)には、地道な裏取り調査や正規化された膨大なデータが必要だ。しかし、そうしたデータの大海から結果を出すためには、数学的にアタマを使う必要がある。

 つまり、重要な要素だけに集中して、他は無視すること。一見複雑な問題を、少数の主要変数に還元すること。変数の振る舞いから、問題の本質をつかまえ、表現すること。言うのはカンタンだが、やるのは難しい。パターン化って言い換えてもいいかも。

 文字どおり、数学を武器にする一冊。わが子が「数学なんて役に立たない」なんて言いだしたら渡そう。本書は、山形浩生さん経由で知った。スゴい本を教えて(訳して)いただき、感謝、感謝。

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│□□□ 仕事に使える純度100パーセントの原液
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 本屋に行って、ビジネス書がひしめいている棚を眺めるのは愉しい。赤・黄・緑、デハデハしい表紙に極太ゴシックの書体や、顔・キャラ・惹句など、ありとあらゆるマーケティング手法が駆使されており、非常に勉強になる。

 で、半年ぐらい経ってから、同じ棚に行ってみるとさらに愉しい。生き残っているものは壊滅状態で、目に付くものといえば、半年前に目に付いたものと同じ本だから。時間は残酷だね。

 ここでは、そんな時間の淘汰に耐えうる/耐えてきたスゴ本をご紹介。そのまま仕事にコピーできるようなヤワなやつじゃなく、咀嚼が必要。紹介した以上、わたし自身、猛精進しないとね。

■ 影響力の法則(アラン・R・コーエン) [レビュー]

影響力の法則 肩書、権威はないが、うまく周りを巻き込んだり上司を動かして、結果を出せる人がいる。いっぽう、呼び名は何であれ、その役職名に見合った影響力を発揮できない人がいる。いわゆる、「部下をちゃんと使えない上司」というやつ。両者の違いが戦略レベルで理解することができる。

 本書は、当人の肩書・権威とは別に、仕事をする上で充分な影響力を行使するための法則と方法がまとめてある。やり方を知っている人にはアタリマエというか、当然のコトばかりなんだけれど、ここまで徹底しているのは初。

 チャルディーニ「影響力の武器」という名著がある。いかにYESを言わせるかを徹底分析しており、人間が社会的証明、権威、希少性などひっかかりやすいことが、これでもかというほどあらわにしている。これは人間関係間の影響力について「開いて」書いてある本で、交渉や対話の場に応用できるテクニック本として有益だろう。

 いっぽう本書は、ビジネスの場に「閉じた」指南書で、より具体的で実践に即したものとなっている。個々の対話ではなく、より戦略的に相手に影響を与えるための方法論なのだ。「武器」が個対個を想定したナイフや銃器であるならば、本書は爆撃機やミサイルなど、より広範囲なパワーを行使する、さしずめ「影響力の兵器」といったところ。

 サブタイトルが「現代組織を生き抜くバイブル」とあるが、看板に偽りなし。

■ プロパガンダ(アンソニー・プラトカニス) [レビュー]

プロパガンダ 「だまされた」と思わせずに大衆を騙すテクニックがわんさと紹介されている。

 広告・政治宣伝のからくりを見抜くスゴ本。コマーシャルで衝動買いしたり、連呼されるワンフレーズ・ポリティクスに洗脳されることはなくなるだろう。マスメディアの欺瞞を意識している方なら自明のことばかりかもしれないが、それでも、ここまで網羅され研究し尽くされているものはない。

 もちろん、チャルディーニの「影響力の武器」と激しくカブってる。その研究成果が幾度も引用されており、暗黙のお返しを求める返報性の罠や、小さなものから大きなコミットメントを求める一貫性の自縄自縛のテクニックなんて、そのまんまだ。

 しかし、破壊力が違う。「影響力の武器」を一言であらわすならば、「相手にYesといわせる」ことを目的としているが、本書はそれに加えて「相手を説得し、積極的に賛同させる」ことがテーマなのだ。さらに、一人ふたりではなく、大衆レベルで実現しようとしている。あたかも自分自身の考えであるかのように、自発的に受け入れるように仕向けるテクニックが「プロパガンダ」なのだ。

 誉め言葉としては最悪かもしれないが、ナチスやカルトを興すノウハウが沢山ある。広告や政治家に騙されないことを目的としている本だが、それに限らず、自分の営業活動に応用したり、モテるテクニックとして悪用(?)も可能だ。

■ マネジメント(P・F・ドラッカー) [レビュー]

マネジメント1 ビジネス書というより鈍器だったドラッカーの主著が、新訳で4分冊のハンディタイプで出た。これはニュースといってもいい。

 マネジメントとは何か、生産性とは何か、企業とは、責任とは――マネジメントの原則がわかる、いわば原液のような本がこれ。

 「生産性とは何か」について、ドラッカーの答えはシンプルだ。「生産性は、貢献で測れ」という。そして、何がどう貢献したかについて、マネージャーが注意深く考え直すことで、生産性について正しく定義できると述べている。

 つまり、生産性を定義づけるものは、企業にとっての貢献であり、何を貢献と見做すかは、企業によって違うはず。ホントにコードを量産するだけで許されるような企業なら――もしあればだけど――単位あたりのコード量こそ生産性を測るモノサシとしていいだろう

 そして、「貢献」という言葉を使うとき、必ず「○○に貢献した/する」と目的語が必要だ。その目的語こそが、目標になる。そして、目標を決める際、「自社の事業は何か、将来の事業は何か、何であるべきか」という問いを元にせよという。

 この問いは、幾度も読み手に突きつけられる。既存の製品、サービス、業務プロセス、市場、最終用途、流通チャネルなどを体系的に分析し、現在も有用性を備えているだろうか? 今後も顧客に価値を届けているだろうか? 人口構成、市場、技術、経済の見通しに、適合しているだろうか?

 その答えが「ノー」なら撤退せよという。あるいはそれ以上資源を使わずにすます方法を考えろという。この問いを真剣に、体系的に追求し、その答えを受けて経営層が動く必要がある。ビジネスの現場をちょっと便利にするような薄っぺらな本ではなく、本書が使えるようにふるまいなさい、そう後押しされる本。

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│□□□ 2008年のNo.1スゴ本
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 え、選べねぇ…ジェニファー・ビールスとジェニファー・コネリーとジェニファー・アニストンから選ぶくらい難しいので、3つ挙げる。そのうち、ムリヤリつけるなら、3つめが今年のNo.1になる。

■ なぜ私だけが苦しむのか(H.S.クシュナー) [レビュー]

なぜ私だけが苦しむのか ひとサマに向かって命令口調で上から目線で、「ぜったい読め!」という本は、あまりない。なぜなら、シュミも考え方も違うあなたに、「ぜったい」なんてないのだから。

 けれども本書は例外だ。「たったいま、ぜったい読んでおけ」と言い切れる。なぜなら、あなたの人生は平凡で順風である保障はないから。トラブルも悲劇も無縁なままだとは限らないから。耐えられないほど辛いめにあったとき、心が壊れそうな気持ちにとらわれたとき、本書のことを思い出してほしい。ひょっとすると、そんなときはほぼ錯乱して書名すら覚えていないかもしれない。

 だから、いまのうちに読んでおいて欲しい。そう断言できる。本書はあなたの保険になるんだ

 心に痛みを抱きながら、日々なんとかしのいでいる人がいる。あるいは、「なぜ私がこんな酷い目に遭うのか?」と悲嘆に暮れている人がいる。突然、わが身に降りかかった災厄──病や事故、わが子や配偶者の死──から立ち直れない人がいる。そんな人にとって、伝統的な宗教はあまり役に立っていない。「神がいるというのに、なぜ、善良な人に悪いことが起きるのか?」 この問いかけに答えたのが本書。

 そんな人びとにとって、いちばん重要なのは、ただ「あなたは一人じゃない」と伝えることだという。ただ、一緒にいて、黙って聞いてあげる。苦しむ人がなんの罪もなく、何のいわれもなく不幸に見舞われていることを認めてあげる。時には、そうした不条理そのものを共に苦しみ、共に怒りを燃やすこと。そして、「あなたは孤独ではない」と伝えること――そこに至るまでの思考が、著者自身の辛い経験を交えて語られる。

 本書は、苦しいことにであったときの「処方箋」ではない。苦しいことは避けることもなくすこともできないのだから(できる程度の苦しみなら本書は不要)。本書は、苦しいことにどう応ずればよいのか、そのヒントを与えてくれる。自分の人生のなかで、ゆっくりと読んで使って欲しい。もちろん、本書が役立たないような人生なら、これほどありがたいことはないのだが…

 これを教えてもらったのはfinalventさん、ありがとうございます。「○○がいいなら△△を読め」なんて、finalventさんの十八番ですな。

■ アラビアの夜の種族(古川日出男) [レビュー]

アラビアの夜の種族1アラビアの夜の種族2アラビアの夜の種族3

 おもしろい物語を読みたいか?
 ならこれを読め!【完徹保障】だッ!

 ――と自信をもって断言できる身も心もトリコになる極上ミステリ。物語好きであればあるほど、本好きであればあるほど、ハマれる。抜群の構成力、絶妙な語り口、そして二重底、三重底の物語…このトシになって小説で徹夜するなんて、実に久しぶりだ。

 これは、陰謀と冒険と魔術と戦争と恋と情交と迷宮と血潮と邪教と食通と書痴と閉鎖空間とスタンド使いの話で、千夜一夜とハムナプトラとウィザードリィとネバーエンティングストーリーを足して2乗したぐらいの面白さ。そして、最後の、ホントに最後のページを読み終わって――――――驚け!

 それまで、検索厳禁な(amazonレビューも見てはいけない)。それから、明日の予定がない夜に読むべし、でないと目ぇ真っ赤にして、その予定をキャンセルすることになるから、もちろん続きを読むために、ね。

■ 銃・病原菌・鉄(ジャレド ダイアモンド) [レビュー]

銃・病原菌・鉄上銃・病原菌・鉄下

 「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」の第一位。

 世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか? たとえば、なぜヨーロッパの人々がアフリカや南北アメリカ、オーストラリアを征服し、どうしてその逆ではないのか? この究極の問いをとことんまで追いかける。

 最初は違いがなかったはずだ。今から13,000年前、最終氷河期が終わった時点では、人類は世界各地でみな似たり寄ったりの狩猟採集生活をしていた。それが16世紀には、南アメリカ大陸のインカ帝国をユーラシア大陸からやってきたスペイン人が征服するまでになる(表紙にもあるとおり、インカ帝国の絶対君主であったアタワルパの捕獲は、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服を象徴している)。

 その直接の原因は、スペイン人が持ってきた「銃・病原菌・鉄」であった。銃で殺し、結核で殺し、サーベルで殺した血の歴史になる。だが、著者は地球を逆回転させる。「では、なぜ『銃・病原菌・鉄』を持てたのか? 紀元前11,000年から西暦1,500年の間で、何がおこっていたのか」を突き詰める。

 その謎解きがスゴい。単に仮説を積み重ねてストーリーをつむぎだす「物語作家」ではなく、科学者が見た人類史であるところがミソなんだ。必ず客観的データによって検証を行っている。仮説を裏付けるエビデンスのひとつひとつは、炭素年代測定法やDNA解析を用いた科学的手法に裏付けられており、強い説得力を持っている。

 数千~数万年単位の歴史を、猛スピードでさかのぼり、駆け下りる。大陸塊を横長・縦長で比較しようとする巨大視線を持つ一方で、たった16キロの海峡に経だれられた文化の断絶ポイントを示す。時間のスケールを自在にあやつり、Google Earth をグルグルまわす酩酊感と一緒。

 地球酔いしそうな人類史から明かされる「富の偏在」の謎――それは、驚くとともに納得できるだけの理由をもっている。

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│□□□ おわりに
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 昔の「この本がスゴい!」をならべてみるとわかる。みてくれ、昔のリストは質量とも貧弱だったのが、あなたのおかげでこんなに充実するようになった。

  この本がスゴい!2007
  この本がスゴい!2006
  この本がスゴい!2005
  この本がスゴい!2004

 もちろん請われるがままに諾々と読んできたわけではなく、自分好みの取捨選択と偏りがあったことはいうまでもない。けれども、自分がつくった壁の内側で深堀をつづけ、自分の世界の王様気分に耽るよりは、その壁を破り・超え・無効化できた。

 それは、わたしが知らないスゴい本を教えてくれた、あなたのおかげ。偏り上等!煽り上等!ただし、重心をどんどんうつしていこう。来年も、あなたを探して、信じて、あおられて、スゴい本を見つけていくよ。

 なぜなら、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのだから。

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疲れやすい人は「耳」を疑え

 「さいきん、疲れがたまって」はオッサンの常套句かもしれないが、そうとは限らないぞ。ちょっと革新的なことを起こしたので報告する。

 わたしの読書タイムは電車内。痛くて臭くて苦しいけれど、外部からの情報をシャットアウトして、本に集中する。むしろ、本に「逃げこんでいる」のが正解か。スゴ本に三昧してる間は、親爺の暴力的なワキガも女子高生の暖かい大臀筋も、微風ほども感じない。

 ただ、車内放送だけはいただけない。

 頭上からガナりたて、混んでいて申し訳ないとか、次の停車駅では1分ぐらい停まるとか、しようもないことをフルボリュームで強制的に聞かせる。しかも切れ目なく延々と。乗客を不愉快にさせることが目的なのであれば、かなり成功しているね。

 どうしてもガマンできないので、イヤーマフを試してみる――Peltorという工事現場用のものなんだが、 これが大正解。隣とまともに会話できないレベルが、すべてくぐもって聞こえる。完全防音ではないが、「静か」な環境を手に入れることができた。

 1週間ためした結果。まず単純に、本を読むスピードが上がった。当社比1.5倍といったところか。本に集中しているとはいえ、完全に遮断しているわけではなく、選択的にアナウンスを拾っていた。その振り向けている意識のうち、車内放送からムリヤリ引き剥がす必要がなくなったため、より集中できるようになったのだろう。

 たとえば、騒がしい雑踏でも、友人の声を選択的に聞き取ることはできる。同様に、騒音というより轟音というべき車内でも、本を読みながら必要なアナウンスを聞き取っているのは、耳からの音情報を取捨選択している。これは無意識でやっているとはいえ、かなり「耳」というかアタマを酷使していたのではないかと。わたしは、耳から入ってくる情報にあまりに無頓着だったといえる。

 それから、(こっちの方が重要なのだが)あまり疲れなくなった。「疲れ」は数値にしにくいが、症状でいうなら、肩コリが解消した、寝覚めスッキリ、肉体的などんより感覚がなくなったね。こころみに、イヤーマフを外して「音」にしばらくさらしてみたら、気づいたんだ、口のなかの血の味に。歯を食いしばるんだね、わたし。さらに、肩にえらくチカラこめていたことにも。カラダに負担かけて、「音」を拒絶していたんだね。

 数千円のイヤーマフで、これほど快適になるとは気づかなんだ。世の中にはノイズキャンセリング・ヘッドホンという素晴らしいガジェットがあるが、いかんせん手が出ない。安物もあるが、文字どおり安かろう悪かろう。スペックを見る限り、同質の環境を手にしたいなら、Boseの数万円するやつになる。フトコロに余裕がある人はどうぞ。お金かけないなら、耳栓だけでも一定の効果がみこめるかと。

 氾濫する広告からは目をそむけて、DSなりケータイみてればいいし、ひどい臭いはマスクでガードする人もいる。しかし、否応なしに耳に入ってくる「音」は盲点だった。「音」がストレスをうみ、ストレスが疲労をうむ。だから、「音」を遮断することで毎日の疲れを激減させることができるんだ。

 「疲れやすい」を自認する方は、まずご自身の「耳」を疑ってみてはいかが?

※参考になったリンク先
  イヤーマフ、耳栓比較体験記
  教えて!goo「耳栓・イヤーマフ について」


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カオスで懐古で「カルトな本棚」

カルトな本棚 ただただ、ひたすら、なつかしい。そんな本がザックザク。

 コリン・ウィルソンや森山塔あたりを「懐かしい」なんていえるなら、夢中になって眺めまくるだろう。いっぽうで、ぜんぜんお馴染みのないカルト本の数々に出会うことができた。「魔法使いサリン」なんて、幻のスゴ本なんだろうね。世に出たのは1997年なので、今となっては手に入らないすごい本の書影は、目の毒かも。

 唐沢俊一氏が案内人となって、濃い口の人生を送っている方の本棚を紹介する。暴力的なまでに乱雑な本棚もあれば、整然と「SMスナイパー」が並んでいる棚、エロマンガ山脈でできたベッドなど、その人まんまのスタイルがあふれ出していて笑ってしまう。

  山本弘
  睦月影郎
  串間努
  立川談之助
  佐川一政
  奥平広康
  唐沢なをき
  竹熊健太郎
  唐沢俊一

 各人のインタビューがまたスゴい。捨てられない本への愛着や変わった読書法、特殊な読書遍歴、ウンチクが尽きることなくたれ流されており、食あたりになるぐらい。仕事柄、全員「本は買う派」なんだが、特に竹熊健太郎氏のこのひとことは、「買う派」を勇気付けてくれる。

自分が買ったということは、自分が何かしらそこに価値を見いだしたわけで、たとえ読まなくても買ったという行為自体に何か意味があるわけですよ。いつか役に立つかもしれないと思って買ったのもあるし、なんか気になるから買ったとか。そこにやっぱり自分が介在しているわけですよ
 奇妙なことに、このセリフはみうらじゅん氏のポリシーと一致していて面白い。ヒヨコ舎の「本棚」[レビュー]で、みうら氏は積読は結構なことで、「本は買った時点でもういい」んだと断言する。本への興味は本を買った時点で完結するのだから、読む読まないは別問題なんだって。だから、
オレがこの本に興味があるってことがわかったんですから。わかることが大事なんで。いくらかでもお金を出して買うってことは相当ハードル高いですからね。金出してまで買うってことは相当興味あるんだなーって自分が思うんですよ
 達観してる…本棚は脳の外部記憶装置なだけでなく、アイデンティティの再確認装置なのかもしれないね。

 だから脳には「あの本はあのへんにある」というポインタだけが張ってあって、「あの本のあのへんに、これこれしかじかの記述がある」ことがパラパラ検索できればそれで事足りるのかと。ああ、たしかに図書館派のわたしの場合、本とは一期一会であって、能動的に残さないと何ももたらさないまま、自己満足だけが残る罠があるわな。

 しかしだ、その結果「買う派」の本棚はどうなっているかというと――見るも悲惨な混沌なのも事実。いや、本棚に収まっているなんてかわいらしいシロモノではなかろうに。それがだ、竹熊氏の本棚は違うんだ。整然+不統一感なならべ方に、かなり惹かれるに違いない。しまいにゃ著者、唐沢俊一氏ご自身の本棚まで出てくる。本棚というよりも、自宅全体が書庫に占領されている、そんな"棚群"だ。

 カルトな本棚とは、カオスな本棚なんだとつくづく思い知らされる。本のバリエーションそのものよりも、氏の仕事の雰囲気がなんとなく感じ取れて面白い。一見、雑多なごった煮の"辺域本"たちも、スキミングされ編集されていくうちに、カルトなネタに化していくのだろう。氏の本棚感がとてもユニーク&腑に落ちてきて面白いぞ。

現在3万冊近くの本がありますが、その一冊一冊に出会いやエピソードがあるわけです。そういう本と一緒に暮らしているというのは、好きになった女性と一緒に暮らしているみたいなものです。秦の始皇帝が阿房宮に何千という妾を囲ったという話がありますが、僕も好きな女性を本棚の中に囲っているんだなという気持ちです。僕にとって本棚とは、阿房宮みたいなものですね。
 変わったひとは、本棚もヘンだし、面白いひとは、本棚もオモシロイ。

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良いニュースです、「貧困の終焉」が可能であることが証明されました。悪いニュースです、それにはお金がかかります

貧困の終焉 たてつづけに読んできたアフリカ関連の本が、ことごとく悲観的だったため、「なにをやってもダメ」なのかな、と考えるようになっていた。

   だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」
   「アフリカ・レポート」から行動する

 いやいや、絶望するには早すぎやしないかと、コメントでアドバイスをいただいた。akiraさん、ありがとうございます。非常に参考になりました。本書は、「極度の貧困は終わらせることができる、しかもわれわれの世代で」と断言する一冊。もろてをあげて賛成したいが、はげしく首をかしげる箇所もあって、なかなか興味深い読書になった。

■ 2025年までに世界の貧困をなくす

 最初に、著者ジェフリー・サックスは言いきる。本書は、私たちが生きているあいだに世界の貧困をなくすことについて書かれた本であると。そして、2025年までに極貧をなくすことは可能であり、そのために何ができるのかを説明しているのが本書であると。

 結局のところ、著者の主張は「カネ」だ。先進国は債務を帳消しにして、約束した援助額を出し惜しみしなければ、貧困を根絶することができるという。技術援助や人的交流、公衆衛生、インフラ、ガバナンスへのサポートもあるが、何はともあれ、出すものを出さないから成果が出ないんだと容赦がない。IMFや世界銀行には、怨み辛みがそうとう積もるようで、名指しで批判されるほうはたまったものじゃないだろう。

 その舌鋒はさることながら、提言が具体的であるところがいい。立ち読むなら12章「貧困をなくすために地に足のついた施策」をどうぞ。科学的農法やマラリヤ対策の費用から公衆教育の施策、財源の確保(なんとアメリカ富裕層から取れという)まで、いちいち具体的で金額まで示しているところが考えやすい。いかにも厨房の考えそうな、「世界の軍事費を振り向ければ~」的な発想とは異なり、金持ち連中の税金対策まで目配りしているところはさすが経済学者か。

■ 援助の卸売り(wholesale charity)、援助の小売り(retail charity)

 そう、このテの提言に圧倒的に足りないのはインセンティブ。「名誉」だの「ノブレス・オブリージュ」だけでは不十分だろう。感情に訴えかけて財布を開かせるといった現状の仕掛けに加え、税金のように自動的に振り分けるシステムが必要になる。そうするほうが(金・時間・地位・モロモロの何かで)メリットがあると思わせる動機付けをビジネスとして展開する。ビル・メリンダ財団の「援助の卸売り(wholesale charity)」はまさにこれをやろうとしているのではないかと。

 余談だが、このインセンティブを「援助の小売り(retail charity)」でやろうとしているのが、12月から実施される「Say Love 2008」。日経オンラインによると、複数のブランドや企業、NPO法人がスクラムを組み、大規模なチャリティーキャンペーンを実施するそうな。寄付意識が高まる年の瀬に、気軽にチャリティー(ちょいチャリ)に参画できる機会を提供し、「寄付文化」の定着を狙う試みなんだって[ネタ元]

 これは、「ほっとけない世界の貧しさ」を放りだした某団体と異なり、援助金はきちんと流れるようだ。ブランド力を高めたい企業、活動資金を集めたいNPO、「援助」という消費が選べる消費者の三者にメリットがもたらされるらしい。ヘタにセレブリティを使うと、「ま・た・お・ま・え・か」と拒否反応を起こしそうだね。この仕掛けがビジネスとして回りだすと、チャリティあっせんを専業とする団体・企業がでてくるんだろう。

■ 貧しい人びとはDVDで教育を!でも電気は?

 閑話休題。サックスの情熱はすさまじいし、説得力もある。しかし、合いの手よりもツッコミを入れたくなる部分もある。例えば、公衆衛生の知識の普及のためには、「村の集会などで、教育的なCDやDVDを使うようにすれば、ほとんどコストがかからない」という。うーむ、電気もないような集約には、DVDプレイヤーはないと思うぞ。あるいは、アフリカに足を踏み入れたことのないわたしが言う資格はないのかもしれないが、それでもメディア越しに見える情景と感覚を異にしている。

 さらに、ガバナンスが劣悪な国や、腐敗した政府に対する態度も首をかしげざるをえない。汚職政府は援助を受けるに値しないといい、その近隣の統治の良好な国を支援せよと主張する。極貧国の政府は往々にして無能・腐敗していることがあるので、そこの国民はみせしめですかそうですか。

 また、ガバナンスの改善と国の所得はニワトリタマゴの議論だと思い込んでいたが、著者にいわせると因果がハッキリしているらしい。国の所得が先にあり、ガバナンスは結果として改善されるという(p.431)。アフリカ諸国が低い経済成長にあえいでいるのは環境や地理的条件であって、ガバナンスが原因ではないという。

世界の別の地域にある同程度のガバナンス評価の国々とくらべて、アフリカ諸国は経済成長の速度が遅い。したがって、いくらガバナンスの質を改善しても、アフリカは他の地域のような急速な成長は期待できない。原因はガバナンスではなく、地理的な条件と環境のせいだ。

 そして、同じ所得水準の他国と比べて、アフリカの腐敗が格別に多いわけではないと主張する。腐敗はどこにでもあるだろうし、腐敗の「多さ」や「劣悪さ」は比較するのは難しいだろう。だからといって、腐敗が低経済成長の原因「ではない」と言い切るのはかなり苦しい。

■ エコノミストの実験場

アフリカ苦悩する大陸 これは、「アフリカ 苦悩する大陸」の著者ロバート・ゲストの主張と真逆で面白い。彼は、アフリカの貧困はずばり腐敗した無能な政府に原因があるという。。私腹を肥やす権力者、国民から強奪する警察官、堂々とわいろを要求する官僚――これら腐りきった連中がアフリカを食い物にし、援助や支援が吸い取られる。資源に恵まれた国であっても同様だ。奪い合い→内戦化→国土の荒廃を招くか、あるいは、外資が採掘場所を徹底的に押さえ、オイルダラーが国民まで行き渡らない構造になっているという。そのうえ、最貧困層のためにあるはずの援助の実態は違っており、「援助とは富裕国の貧困層から、貧困国の富裕層への富の移転にすぎない」というスタンスを取っている。わたしのレビューは[ここ]、あわせて読むと面白い。

 同じ目標「貧困を解決したい」を掲げて、どうしてこうまで違うのだろう(立場かね、やっぱ)と考えると、非常に興味深い。おそらく、どちらが正しい/誤りというわけではないのだろう。それぞれ著名エコノミストとしてのキャリアを歩み、外側からも内側からもアフリカの貧困に関わってきたのだろうし。どちらも自信たっぷりに断言しているのは、エコノミストの性(さが)なんだろか。

 しかし、彼らの主張が大きくちがうのは、アフリカの巨大さの証拠であり、その貧困の多様さ複雑さを示しているのだと考える。尻尾にふれた人は尻尾を、耳をさわったヒトは耳こそが象だと信じるように、おのが経験こそが「真実」だと言い張るのは充分考えられる。

 したがって、入手した情報から分かるのは、それがたとえ俯瞰的・統計的な視点を持っていたとしても、ある一面を削りとったに過ぎないと考えなければ。さもなくば、そのカケラでもってすべてを推し量ろうとする愚を冒すことになるね、そう、わたしみたいに。

■ 前提から抜け落ちているもの

 それでも疑問は残る。貧困に「原因」が存在し、それを追求し、取り除くことによってしか解消できないという考え方から一歩も動いていないことだ。もはや変えられない「原因」が存在するならば、それは「原因」とみなさないつもりなのだろうか。

 このスタンスに固執している時点で、植民地時代に欧米列強がやらかした歴史を見事に無視しているといえる。なぜなら、その「強奪の歴史」は、書き変えることも取り除くこともできないのだから。このスタンスに由っていることで、植民地主義という「原因」は、華麗にスルーされている。サイードか、ソンタグあたりで言われてそうなので、これは宿題だな。

 サックスもコリアーもゲストも、植民地主義の歴史に触れることはあっても、現状まで結びつけて因果を説明する件はなかった。つまり、現在のアフリカの惨状は、その宗主国が元凶であると認めている部分は見出せなかった。「前任者のいたしたことですので」なのか、これまでの開発投資・援助・インフラで贖罪済みなのか。かれらセンシンコクのエコノミストにとって、あまりにナイーブで触れないほうがいいネタなのか、わたしの不勉強なのか。これも宿題だな。

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見たあとに跳べ「Google Earthでみる地球の歴史」

GoogleEarthでみる地球の歴史 衛星軌道から地球史の旅を楽しめる、Google Earthのすばらしい成果。

 わが子の教育目的でGoogle Earthを遊ばせている。国境線をとっぱらって上下逆転させた「地球」を、文字どおりオモチャがわりに弄っている。ただ漫然とまわっていると飽きるので、架空のツアーを組んだり紙の地図と組み合わせて遊んでいる。居ながらにして世界旅行を味わえるのは愉快だが、あくまで観光気分だけ。

 それが、[たつを]さんとこでいいのを教えてもらった。それが本書、「Google Earthでみる地球の歴史」。なにがいいかというと、「見たら必ず行きたくなる」ところ。宣伝惹句に偽りはなく、紹介されている「場所」へジャンプしたくなること請合う。

 まず、「自然をみる」。

 グランドキャニオン、モニュメントバレー、デビルズタワー、エアーズロックなどの最適ポイントを紹介し、侵食にともなう地形が独特の景観をつくりだしている過程を解説している。たとえば、デビルズタワーは「未知との遭遇」の舞台となった場所で、(Google Earthで)行ってみると、片隅の駐車場のクルマが米粒ぐらいにみえる。さらに、リンクされているスナップ写真を見ると、のぼった人多数…

 奇怪な景色や変わった地形ばかりを集めたサイトがあったけれど、本書はそうした地形が「なぜ」うまれたのか、どうなっていくのかも含めて説明している(著者は地質学者なのだ)。マヤ文明が繁栄した理由を「水源」から考察し、その源は6500万年に衝突し、恐竜を絶滅させた天体衝突のクレーターに溜まった雨水だと説明するなんて、本書で始めて知った驚きの事実。

 次に、「災害をみる」。

 四川大地震やインド洋大津波が地球にのこした痕を確認することができる。四川大地震の巨大さは、活断層を画面に入れた縮尺でドラッグすると実感できる。日本列島が比較対象にちょうどいいのだから。さらに、インド洋大津波の爪痕は、津波の引き波によって砂が大量に抉り取られた様を見ることができる。

 縮尺のため「見えない」が、このフレームにおさまっているおびただしい死者のことを思うと胸が痛む。そして、そうした死者を写さないぐらいの巨大なちからが働いたのかと考えて、あらためて愕然とする。

 最後は、「地球史をみる」。

 初期の地球の姿(38億年前)から、大気中に酸素を大量発生させたシアノバクテリアの繁栄の跡(27億年前)、白亜紀の温暖期(1億4500万年前)の跡、地球寒冷期(200万年前)の原因となったトバ火山――と、Google Earthを用いることで、地球の生い立ちをパノラマ的に眺めることができる。すでに人間の小ささはじゅうぶん思い知った上に、さらに人類の歴史の短さを実感する。

 都市や街並といった人の跡ばかりを眺めてきたわたしには、いい刺激になった。著者はいう、「奇妙で不思議な光景には、必ず地球科学的な意味がある。グーグルアースを見るということは、じつは、地球の歴史をみることでもあるのだ」。たしかにそのとおり、地理的な空間だけでなく、そこに刻まれた時間も同時に読み取る視点をくれるのがいい。検索パネルの「ジャンプ」は、場所だけでなく時間をも跳躍しているんだね。

 これは、Google Earthの解説本ではなく、Google Earthの成果本。アフリカと南アメリカ大陸の海岸線から気づいたアルフレート・ウェゲナーのように、Google Earthから気づく人がでてくる――そんな時代にいるんだと思うと、ちょっと震えてくる。

 とりあえず、今年のクリスマスは地球儀かな…

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未来の再読が深まる「座右の名文」

座右の名文 やさしい口ぶりですっぱり斬りおとすレビューに、おどろいたり、ほほえんだり。

 高島俊男氏が選んだ10人の文章家のレビュー。書評というよりも人物評というべきか。辛口のイメージを持っていたけれど、「すき・きらいがはげしい」というべきかも。とはいえ、膨大な読書量に支えられた分析は、信じないよりも信じたほうが、だんぜん面白い。

 氏が選んだ10人とは、

   新井白石
   本居宣長
   森鴎外
   内藤湖南
   夏目漱石
   幸田露伴
   津田左右吉
   柳田國男
   寺田寅彦
   斎藤茂吉

 そうそうたるメンツだ。だけど氏にかかると、おいしく料理されてしまう。全員が全員、キャラ立ちすぎに描かれていて、可笑しい。例えば本居宣長。闘争的な人物だったらしいが、「玉勝間」を出してきてそんなことはないという。「おだやかで、むしろ常識的な人」らしい。

 そういうもんかと信じかけると、それは「玉勝間」だけの印象で、ほかの著作だと違うと言い出す。

ほかの著作をみると、これはなかなか常識的どころではない、非常識もひどいもので、ほとんど頭がおかしいんじゃないかと思われるくらいの神がかりのようなことを、金切り声で言いたてている
 まさに「これはひどい」を地で行く人だったんですな。面白いのはこれで終わらず、氏は「玉勝間」しか読まないという。つまり、本居宣長がどうとかというよりも、「玉勝間」がすきだから、それを読む。文句あるかという態度が透けてみえて、ほほえましい。あるいは、「せめて死ぬまでのわずかな間、勝手に読ませてもらうよ」といった頑なさも一緒に感じ取ることができる。そう、これは書評、人物評とともに、氏の口ぶりも楽しめる。

 なんて、ほほ笑んでいると、ぎょっとするような「読み」を見せつけられてトリハダが立つ。漱石の「坊ちゃん」だ。氏に言わせると、「坊ちゃん」は探偵小説であり、恋愛小説であるという。さっぱりとした性格のはずの坊ちゃんの態度や心理に「異様さ」を見つけ出し、容赦なく突きつける。キャラクターの一貫性のなさをあばいて、その薄気味悪さを指摘されると、なるほど「探偵小説」として読むと面白いかも、という気になってくる。

 ここの読み解きがミステリのネタバレのように面白いので、立ち読みするなら漱石の章をどうぞ。きっと「坊ちゃん」を再読したくなるぞ。

 森鴎外も面白い。彼の人生は結局のところ、「役を演じつづけた生涯」なのだという。軍人の鑑、理想的な父親、良き夫、子煩悩の家庭人――鴎外は、どこから見ても非のうちどころがない人だったという。その反面、彼自身は、「自分は演技をしている」という意識を持っていたと分析している。つまり、期待される人物たらんという自意識こそが、鴎外の外見を作っていたのだと。

自分が生きたいように生きるということはついにできなかった。つねに他人の期待どおりの人間になろうとして、そのとおりにやってきた。これがほんとうの自分であろうか、ほんとうの自分はちがうんじゃないか、と思うこともある。この意識がはっきり出ている「妄想」という作品がある
 「妄想」、読みたくなるでしょ? 大丈夫、すぐに引いてくれているから。で、引用を読んでみると確かにそうかも、という気になる。わたしが読み落としていた面を、まるまる補ってくれて、たいへんありがたい。再読を深めさせてくれるし、全読に挑戦してみたくもなる。いいひと教えてくれたマグナたん、ありがとう。

 これから手を出す人も、再読する人も、手元においてレファランスしたい一冊。

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「ハッピーダンスコレクション」が家族で奪い合いになっている件について

ハッピーダンスコレクション 「ゲームで子育て」シリーズ最強の一本。

 ゲームって独りでするものだと思ってた。せいぜい対戦・共同プレイするぐらいの閉じたものだと(ネット越しになっても同様)――が、この一本で完全に覆された。これは「場」というか雰囲気そのものを生み出すゲームだな。まさに、Wii のコンセプトそのものが具体的な形になっている。

■ 園児から三十路まで、かんたん、たのしい、けど深い

 操作はリモコンもって踊るだけ。プレイ中はボタン不要。中学2年のアイちゃんの動きに合わせてリモコンを振る。次にどう動くのかは矢印で知らせてくれるので、かんたんカンタン。バラードにあわせて大きく輪を描いたり、ポップにくるくる回したり、とにかくやってて愉しい。

 しかーし、「振るだけ」だと甘くみてるとペケ。パラパラのように「手だけ」で動かすとミス判定されやすい。リモコンの「位置」を補足しているようなので、高得点(8割以上)を狙うなら、カラダぜんぶ使ってアイちゃんと動きを合わせよう。数曲踊るとハァハァできるぞ。「判定がシビア」などとおっしゃる方がいるが、あれはアイちゃんへの愛が足りない。もっと彼女を感じて、シンクロ率を上げるんだ。

■ 嫁と「ごまえー」

 「家庭用ゲーム機で育って、いま子どもがいる世代」を狙った選曲なんだろうけれど、見事にツボに入った。ラインナップの一部はこんなカンジ…

夏祭りジッタリン・ジンでなくてWhiteberry
Choo Choo TRAINZOOでなくてEXILE
TogetherポケットモンスターDP
プリキュア5 スマイル go go!Yes! プリキュア5
ハッピー☆彡きらりんレボリューション
赤いスイートピー/夏の扉松田聖子メドレー

 恥ずかしいのは最初だけ、すぐにノリノリになる。同時プレイは2人までなんだが、観ているほうもシているほうも、いっしょになって笑って踊れる。カラオケ字幕になっているので、子どもがオドって親がオケるもアリ。

 わたし的には、嫁さんがテレながら「ハニー☆フラッシュ」を決めたときにゃ萌えたね。あと、「Go my Way!」をネコミミつけて踊ったのは思い出しただけでドキがムネムネするね、まったくヘンタイだったらありゃしない。同様に「嫁とモー娘」や「嫁と聖子ちゃんごっこ」もイケる。

■ ギャルゲとして楽しむ「ハッピーダンス・コレクション」

 主人公のアイちゃんがいい、ほっぺたが落ちるほどカワイイんだこれが。

 ストーリーモードでは、彼女のサクセスストーリーになる。ほら、少女育成ゲームとかで「稽古事」とかあるだろ。あの、やらせるほうはコマンド選ぶだけという不合理を解消している。つまり、少女の出世を目指すなら、オマエが踊れYO! 一緒になって――というやつ。

 うまくいかないときもある。目標点に到達できず、「どーしよー」と泣きぬれる彼女に己が非力を感じるときもある。コンサートを大成功させて「アンコールッ」の大合唱にうれしさを爆発させる瞬間もある。彼女と一緒に汗をかき、彼女と一緒に涙を流す。苦しさも感動もわかち合う、これぞ育てゲーとしてのギャルゲの到達点ともいえる。

 さらに、着せ替えが鬼神のごとく充実してる。ステージや曲・客層にあわせ、衣装や靴、アクセサリーをとっかえひっかえするのだ。色やイメージの統一性もちゃんと評価されているようだ。「Choo Choo TRAIN」のとき、ZOOっぽいやつ(ジャミロクワイみたいな帽子)にしたら高評価だったw

 ただし、この衣装やアクセも無料(タダ)ではない。同じステージを再挑戦することで、いわゆる経験値のように「稼ぐ」必要があるが、それがまた楽しい。で、湯水のごとく買い与えるのだ。この感覚、(やったことはないけれど)アイマスキャラに服を買ってやるのと一緒なんだろうね。あるいは、自分の娘が大きくなったら同じことする馬鹿親になるんだろうね、わたしゃ。

 恋人、同居人、親・子、パートナーがいる方には、まちがいなくオススメ。リビングが楽空間になること請合う。ひとりもんは――恥ずかしさをクリアすればおk

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幻の写本に隠された、とてつもない数学「解読!アルキメデス写本」

アルキメデス写本 古文書解読の緊張感とアルキメデスの解法のカタルシスを味わう一冊。

 ボロボロの祈祷書に、アルキメデスの「C写本」が隠されていた、という話。最新の画像解析技術により、幻の写本の全貌が現れる。

 この写本、かなり数奇な運命をたどっている。970年ごろ羊皮紙に書かれ、1229年ごろリサイクル本として消され上書きされ、さらに削られた上に絵が描かれている。保存状態は劣悪でカビまみれ。言及されてないものの、「におい」も相当だろうね。

 これを解読するんだ。X線画像化技術、古文書学、文献学、数学などの知識を総動員したチームが組まれる。あらゆるコネとツテをたどって、粒子加速器シンクロトロンを使ったスキャニングまで成し遂げている。

 そのプロジェクト進捗が笑ってしまうほどリアルなんだ。つまり、カネと時間を食いまくりで遅々として壁にぶつかって急展開で、不謹慎だが面白すぎる。また、プロジェクトマネジメントの真髄(専門家を集めたら、信じて任せる)が裏方から描かれており、妙な親近感がわいてくる。どこのプロジェクトも似たようなもんなのね。

 本書の構成はとてもユニークだ。奇数章と偶数章で著者が異なり、ひとつのアルキメデス写本をふたつの観点から追いかけている。

 奇数章では、写本の運命と解読プロジェクトが述べられており、ここだけでも充分読み応えがある。パピルスの巻物から羊皮紙の冊子本へメディアが「アップグレード」していく過程は、知の自然淘汰を目の当たりにさせてくれる。さらに、かろうじて読み取れる文字から文を拾い出すところなんて、解読の瞬間に立ち会っているような臨場感に、こっちまでドキドキさせられてしまう。

 では偶数章は?

 偶数章はアルキメデスの数学のオーバービューと、写本解読の成果が解説されている。この「アルキメデスの数学」がスゴいんだ。説明のしかたが上手くて、勉強不足のわたしでも「あっ」と驚ける。

 アルキメデスの数学の魅力は、どんでん返しのミステリを読み解くようだ。その特徴を著者は、「円を正方形にするとてつもない数学」だと評する。「円を正方形に?」もちろんわたしは半信半疑だ。そんなまなざしをヨソに、アルキメデスは何かとんでもない求積をやると宣言し、説明しはじめる。

 一見したところ、本題とは無関係にみえる作図や思考実験を深めていく。ひとつひとつのステップは疑いようもなく明らかで単純なんだけれど、もとの話とかけ離れている(ように見える)。だから疑うというよりも困惑してくる、これが一体、なんの証明になるのかと。

 どんどん積みあがった作図と論証にいいかげんウンザリしてきたころ、アルキメデスは、いきなり全ての論証がどう組み合わさっているのかを見せつける。あれほどバラバラに見えていた証明が、実は最初の求積問題のための巧妙な伏線だったことに気づく。

 何かばかされているような気になって、もういちど論証を最初から読んだ瞬間、「わかる」。一気呵成に理解が押し寄せてくる。一瞬、宙に浮いているようなめまい感に襲われる。

 たとえばわたしの場合、放物線の切片の求積問題がそうだった。幾何学的な図形を物理的な物体とみなし、物体を数学的に扱うことで、解に至っている。まとめると簡単そうに見えるのだが、実際その「エウレカ」の瞬間は、文字通り手品を、しかもタネもシカケもないやつを見ているようだ。ミステリ読んでて、ラストのどんでん返しが鮮やかすぎて、思わず冒頭から読み直したことはないだろうか? あんな感じ。

 プロジェクトの大部は[アルキメデスのパリンプセスト](英語)から見ることができる。また、解読された内容の解説は、「よみがえる天才アルキメデス」にある。読むべ。

 本書は、[冒険野郎フンボルトと数学王ガウスの物語「世界の測量」]のコメントで金さんさんに教えていただいた。素晴らしい本を紹介していただき、ありがとうございます。金さんさんのレビューは、[読了『解読! アルキメデス写本』]。「アルキメデスが積分の概念に到達していたとは!」と驚いているが、わたしの勉強不足でそのスゴさが分からなかった(読んだら沁みた、そのスゴさ)。同様に、数学の得意な人なら、この惹句になるだろう。

2001年、アルキメデスが実無限を知った上で数学に応用していたことがはじめて明らかになった


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その釘宮は咬まない

本を読むのは痛勤電車で、感想書くのは深夜になる。

書くのに飽きると伊織ちゃんと踊る。ニコニコ動画の新しい使い方だ。最近は「水瀬伊織 だ~いせっき~ん☆」、動きに合わせて踊るのだ。某通販の強制運動DVDとは違う。ムサいオッサンの汗じみや、胸=筋肉の女の子を眺めてて楽しい? アイマスMADで汗のエフェクト入れてくんないかなーと妄想するが振り払う。アイドルは汗をかかない。

アイドルマスター☆ブートキャンプで汗だくになっていると、嫁さんが入ってくる。露骨に嫌な顔で「うるさいうるさいうるさい」と言ってくる。ツカツカと近づいて、足を踏みってしてくる。おお、釘宮キャラのようではないか。なんか大変お怒りのようだ。「クギミヤって誰?」と訊いてくるので、いつぞやのNHK-BSの釘宮特集を見せてやる。アルフォンスやルイズなら知ってるだろう。

   「なんだ、ブタじゃん」

耳がヘンだな。きっと聞き間違いだ、何つったの?

   「だからブタじゃん、ブヒブヒ!」

!!な、なんですとー!!自分の血の気が引いてくるのが分かる。わかった、殺意の色は白だ。すごい白色だ。怒りのあまり、光景全部が輝いて見える。白、白、白…愛する嫁さんを殺すには忍びない。でも伊織ちゃんがなんか叫んでる――「惨殺するわー惨殺するわー土下座しなさーい」あぁ、へんたいたーれんだ…毎日聴いてると自由に脳内再生できて便利だ…いや、いかんいかん。現実に戻らないと。「二次元趣味を罵倒されカッとなり…」はかなりニュース性が高そうだ。大丈夫、二次元と三次元は違う。だからお互いに干渉はしない、OK? 気を取り直し、改めて聞いてみると、これだそうな。あああああああああ、確かに釘宮は豚だ。リンク先を見ながら、「この豚がっ!犬がっ!」と、釘宮voiceを脳内再生すると、より感慨深い。ため息をついているわたしの腕に頭をもたせかける嫁。おいおいwww などとニヤけている間もなく、激痛が走る。腕だ、左腕だ。ひしゃげた視野から見えるのは、わたしの腕にしっかりと食らいついている嫁さんの歯の一部。食い込んできてほとんど見えない。痛い痛い痛い。痛いってば。

   「ふふぉははいへ」

「動かないで」と言っているのだろうたぶん。動けないんだって!仕方がないからじっとしている。嫁さんは顎の力を強め、ギリギリと噛みしめてくる。やヴぁい、おかしくなったか? これ現実? ――1分ぐらいだろうか。ようやく口を開いてくれる。二の腕に歯型が彫られている。鋭くえぐられた痕は、けっこう深い。

   「動いたら、血まみれだったんだよ」

   「ぎりぎり血が出ないぐらいに咬むって、難しいんだよ」

なにを言い出すのかねこいつは。なんでこんなことするんだよ、痛いじゃないか、バカじゃないの、狂ったの? あほ、ばか、ちょっとはこっちの迷惑も考えてみろ、なんてことしやがるんだ、このぉーッ!

   「その釘宮は咬まない」

え?

   「もう一度いうよ」

彼女は立ち上がり、ふりかえり、インタビューに答えている声優を指差して、それからこっちに向き直る。

   「あんたの大好きな釘宮は、咬まないんだよっ」

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