好奇心は少女を殺す「少女が知ってはいけないこと」
「そりゃやっぱり×××でしょうゲヘヘ」なんて邪な心で読んだら、豪快に投げられた。
少女論のフリをしているものの、本書は物語論、しかもアニミズム的説明知まで深堀りしている学術寄りの論文集。ギリシア神話や北欧伝承、古事記、ディズニー映画「美女と野獣」を読み解いて、「説明知としての物語」を詳らかにしている。
amazonにある惹句「大人のための物語論」は絶妙で、「眠れる美女」が起きないことをいいことに、イタして孕ませたりする伝承や、天真爛漫な「ラプンツェル」を○○して××する挿話など、「オトナの」要素に事欠かない。(余談だが、「ラプンツェル」は、ディズニープリンセス映画として来夏に公開される。○○して××するところは物語の性質上不可避なので、どう演出されるかが見所)
実は、お題そのものに欺瞞が隠されている。「知ってはいけない」という禁止は、禁止対象を示すことになり、そもそも知らずに済んだことをわざわざ伝えることになるから。さらに、禁止することで好奇心はかきたてられ、どうしても「知りたくなる」から。
エヴァ、パンドラ、プシュケ、そして青ひげの処女妻を例にあげ、禁じられたからこそ強烈な誘惑が生まれ、その意味を丹念に追いかけていく。
もしも、本当に食べて/開けて欲しくないのであれば、最初から果実/鍵にアクセスさせなければよかったのだし、禁止の言葉も不要だったはずだ。
しかし、「知ってはいけない」と禁じられる。青ひげの小さな鍵が象徴的だ。鍵は禁忌と同時に侵犯のメッセージを与えている。つまり、「開けるな(=開けろ)という二重のメッセージ」を伝えているというのだ。この二重のメッセージから、エヴァを誘惑した(とされる)蛇の正体が明かされるのだが、それを知ったときは本当に驚いた(蛇とは侵犯のメッセージを伝える神自身)。
もちろん、そんな深読みをせずに、フェミニストが喜びそうな方面にも目配りしている。すなわち、奴隷としての結婚システムを成立させるための、仕組まれた「無知」だ。
女性の体の性的所有や、相互束縛の契約としての結婚システムを成立させるためには、女は無知であるほうが望ましいとされていた。その戒めとして、「知ろうとする」女が災厄を招くストーリーが生まれたのだという。知を得ようとする女の侵犯こそが、人類のさまざまな不幸の根源にしたい意思こそが、そういう物語を生んだんだとするんだ。
つまり、「無垢な少女」が市場価値を持つために、肉の悦びや妊娠出産、結婚生活の現実を「知ってはいけない」とするオスイズムを読み取ることができる。
でもって、ディズニー映画「美女と野獣」を紹介されると、とても意味深に見えてくる。ヒロイン・ベルは、「読書する女」なのだから。女性の「知」は男性にとって不都合だったはずじゃないの?という視線で追っていくと、著者が「ベルが手にしている本をよく見ろ」と指し示す。何度も見たことがあるが、気づかなかった!(本書と映画の両方のネタバレになるので、ここもマウス反転にするね)
アニメをよく見ると、彼女の読んでいる絵本は、実は『美女と野獣』の絵本そのものだと気づきます。彼女は、彼女自身の物語に読みふけっています。そして、ストーリーに魅了されているのです。「彼女はすてきなプリンスにであう/でも第三章前には気づかないのよ」。もちろんこれもベル本人の運命なのです。
彼女が浅薄なのか、気づかない「運命」なのか。その行く末はもちろんご存知だろうが、著者はプラトニックと肉欲のパラドクスからも読み解いている。解説手法はいささか強引にもかかわらず、次にDVDを見るときは何倍も「興味深く」なっているはずだ。
よく知っているはずの童話が、まるで見慣れないものに化ける。「少女が知ってはいけないこと」に込められた意図を、ご堪能あれ。

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