だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」
「だめな奴は何をやってもだめ」という箴言は、国にもあてはまるのかもしれない。
すなわち、「だめな国は何をやってもだめ」。国家まるごと腐りきっており、大統領から警官まで賄賂と蓄財に勤しむ。国家経営は破綻し、令状のない逮捕、裁判のない拘留、嘘選挙がまかりとおる。行政機関は国家資本を強奪するために存在し、軍部の武器は国内に向けられている。
まず、資本が流出し、次に教育のある労働力が逃げ出す。大統領命令でお札を刷りまくり、「超」のつくハイパーインフレになる。援助は指導者の蓄財にまわされ、海外の銀行に貯め込まれる。社会資本として回転しないから、経済の発展もない(アフリカ最貧国の指導者の多くは、世界でも超富裕階級に属している)。
そして、外からの非難に対し、大統領は「レイシスト」だと反撃する。国家の荒廃は「元」宗主国の陰謀だと断じ、仮想敵をつくりだすことによって自分への不満をすりかえる。結果、部族間の殺し合いから大殺戮に至る。地下資源をめぐる殺し合いが続き、子ども兵が跋扈する。利権から排除されたグループとの対立は激化し、部族間憎悪から内戦へ。
では、反政府の立場ならよいのかというと、そうでもない。反政府運動という美名の陰に「ビジネス」見え隠れする。暴利をむさぼった大統領が選挙に負けると、今度は政府を追及する立場になる。しかも、ためこんだ莫大な資金を使って。
いまの行政を司る人「だけ」が問題なのではない。他に代えても同じ腐敗を別の人が招き、やるだけ無駄。カネをかせぐ血縁者にぶらさがる体質が「文化」なら、誰を指導者にしても、その地縁・血縁者が群がり、たかり、国家資本は毟られる結果となる。
全てとは言わないが、こうした「失敗」から逃れている国は極めて少ない。政府が比較的「まとも」で、まがりなりとも国づくりを進められているボツワナ、ガーナ、ウガンダ、マラウィが例外中の例外だろう。
(日本の)新聞雑誌で知った気になっていたが、ここま酷いとは。「アフリカ 苦悩する大陸」と併せて読むと、アフリカの貧困は文化病なのかと思えてくる。
アカウンティングも知らず、モラルのかけらもないような奴が国家財政を担うなんて、オオカミにヒツジの番をさせるようなもの。このカリカチュアを笑えたらいいのだが、残念ながら現実なのだ。山形浩生氏が中央公論で「自業自得」と言っていたのはひどいなぁと腹立ててたが、ああ、たしかにこれは「自業自得」だ。
こうした実態が徹底的に解説されている。読んでる自分の目を覆いたくなる。著者は、失敗国家から脱出できる「期待値」を計算している。59年だという。それぐらい時間がかかるということは、もう何をやってもだめなんじゃないの?
本当だろうか。ホントに、何をやっても無駄なのだろうか? 著者は、「私たちの手ではそれらの国を救済することができない」と断りを入れておきながらも、
1. 公的資金を活用する独立サービス機関(行政の卸売り的組織)
2. 予算の出入り、監視、および追跡調査する体制
3. 常備組織としての軍部の編成と、素早い軍事介入
を提言する。そしてこれらを裏付ける組織的なバックアップとしてG8の活用を提案している。どれも強力な効果がありそうだし、部分的には実績を挙げてきていることも理解できる――しかし、インセンティブがないのだ。国家運営に対し、憲章の必要性を訴えるが、強制力がない限り、画餅にすぎない。
動機はいろいろあれど、先進国が「動く」ときがある。たとえば、外交ポーズや利権支援の批難をかわすため、カードのように予算がきられる。あるいは、着々と油田やレアメタルの開発契約を進めている中国を牽制する動機もありうる。地下資源に誘引され、資本投下のために警察国家の必要性が謳われ、実現されることもある。
しかし、それはパワーゲームやビジネスの産物としてであって、貧困をなくすために国家として本気で取り組もうとしているわけではない。著者は人道的配慮や安全保障がインセンティブになりうるといっているが、誰がそれで自軍を動かすだろうか。ルワンダは国際的な利権がないから軍事介入がなかったんじゃぁなかったっけ?
軍隊はカネだ。国益にならない限り、どこの国もビタ一文も出せない。かろうじて国際協調の免罪符である平和維持軍があるが、3.でいう臨機応変で素早い介入は実現できるのだろうか。「世界政府」「ビッグ・ブラザー」の単語がとても魅力的に見えてくる。
じゃ、民間は?
たとえばNGO。著者は、NGOがつくる幻想を「えせヒューマニズム」と断じている。「貪欲で豊かな世界が貧しく弱い世界にルールを強制している」というNGO主張こそが自己満足あり、短絡的な道義的闘争の場をでっちあげているというのだ。
あるいは、セレブリティたちのチャリティは、先に述べた外交ポーズを演繹するための一手段にすぎないのかも。先進国の指導者たちにとって、セレブリティたちと同じカメラ・フレーム内に納まることがインセンティブになるのかね。
そうした援助も、「ない」よりはマシなのだろうか。援助が軍事費に化け、指導者たちの私腹の肥やしになる様を見せ付けられると、「だめな国は何をやってもだめ」という文句がふたたび浮かぶ。収入の1%を寄付してきたけれど、全く無駄なことだったのではないかと思えてくる。
そんな「お作法」や「お上品なお手続き」を一切カッ飛ばして、私設軍隊を編成して国家丸ごと乗っ取るほうが、早い安い上手いんじゃぁないの? このプランは小説のように奇だが現実にあった(失敗したけど)。チャリティのカリスマである元ロックスターは、ぜひF.フォーサイスを見習うべき。
いずれにせよ、だめな国の現状も将来も、絶望的に見える。本書のどこを読んでも希望なんてない。だからこそ、アフリカの発展に尽力している山形浩生氏には頭が下がる。何の縁もないのによく頑張れるなぁ、と尊敬する(たぶん彼は「それが私の仕事だから」とか言いそうだけど)。
いま松本仁一「アフリカ・レポート」を読んでいるが、この絶望感を加速してくれる。より具体的に「だめ」さ加減が分かる。「だめな国は何をやってもだめ」――ああ、わたしが間違っていますように。誰か反論してほしい、この認識が誤っていると。
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コメント
こんにちは、いつも楽しく拝見させて頂いております。アフリカ・レポートは私も読みました。
> より具体的に「だめ」さ加減が分かる。
私の入り口はTVのドキュメンタリーでした。「小学校で、テストの採点に賄賂を要求される(勿論?先生が生徒に要求します)」という話を見て、非常に暗澹とした気分になりました。それで、アフリカ関連本を読み始めた次第です。
今のところ、アフリカ関連本が私にとって劇薬本になっています。(Dain さんの劇薬本リストは回避リストとして活用させて頂いています…書評のちょっとしたスリルでお腹いっぱいです)
それでは。
投稿: jolyholy | 2008.10.21 23:29
この本って欧米人が書いたんですよね。
アフリカの指導者層って欧米帰りで
流暢に英語仏語を話す欧米化された連中なのに
なんだか無責任な切り捨て方ですよね。
投稿: む | 2008.10.22 19:01
>>jolyholyさん
「テストの採点に賄賂を要求する小学校の先生」ですか――世も末はここにあるのか…と思う一方で、ひょっとするとわたしの価値観を押し付けているのではないのかとも。
つまり、その「先生」は先生なんかじゃないし、「賄賂」も賄賂ではなく、かの地ではもっとアタリマエに行われている「文化」じゃないの?とまで考え込みます。
このエントリには記さなかったのですが、「アフリカ・レポート」で伝えられているとおり、中国の存在感が強大になっていますね。魚心水心というやつでしょうか…
>>むさん
はい、そういう見かたもできます(し、してました)。
いまは、そのステージを超えているようです。
投稿: Dain | 2008.10.22 23:17
はじめまして。
偶然たどり着きまして、
すごい!読みたい本がたくさんある!
と興奮しております。
掲載されている本は読んでおりませんが、カンボジアも似たような状況ですね。
大臣のポストが金で買え、大臣になると益々旨味は増え、今や首都プノンペンの国有地や大学の敷地が、大臣の一存でどんどん企業に売却されたりしています。
車の関税が200%なのに、プノンペンの街中をなぜか高級4WDの新車が走っています。
それも結構な数。
テストの採点に賄賂、ということは聞かなかったですが、公務員の給料が低すぎて先生のなり手がいない、
先生になっても、小遣い稼ぎに放課後に私塾を設けて、その授業に参加しないとテストで点数取れない、とかね。
文化病、というより、人間の性というか
個々の人間性はさておき、ある程度のマスになると、
ある特定の状況下では、人間多かれ少なかれこんな風になっちゃうのかも・・・
なんて思ったりしましたけど。
これは本で読んで得た知識ではないので
適当な本をご紹介できないので、申し訳ないのですが・・・
投稿: sky | 2008.10.23 10:41
>いまは、そのステージを超えているようです。
そうですか?
かつて中国、インドがどう言われていたか考えたら
(いや実際に酷かったんでしょうが)
条件が揃えば経済成長のチャンスはあるはずなんですけどね。
投稿: む | 2008.10.23 22:32
反論するにも値しない愚劣きわまる意見だと斬って捨てたくなりますが、とりあえずブックマークコメントでもお読みになったらいかがですか?
怒りで吐き気がします。手も震えております。
どうしてくれるんだ、おい。
ひとつだけ指摘させていただくならば、失敗国家を脱する期待値計算で「59年かかる」という試算が出たから何をやってもだめというのはどういう了見でしょうか? 日本がかつて、不平等条約を完全に改正するまでに何年かけたかご存知でしょうか。「国家百年の計」という言葉がありますように、国家運営は非常に長期的な視野で行なわなければなりません。それこそ、ひとひとりの一生など超えた、数世代かかる事業などざらです。
うっかり、人間の一生スパンで59年という数値を推し量ってしまっていませんか? それで、「絶望した!」という悲劇の美酒に酔ってしまっていませんか?
覚えておいてください。人間の一生など、最長平均寿命でもたかだか70年だか80年だかという非常に短いものなのです。数百年に及ぶことがまったく珍しくない国家の歴史において、ひと世代分など短期的な問題にすぎません。
そういう視座を持てば、アフリカの現状が数百年来の欧米の暴虐の結果であること、われわれはただ「だめな国は何をやってもだめ」などと嘯いていれば済まされるものでは到底ないことにはごく自然に思い至るでしょう。
反論のハの字にも至らないごく初歩的な指摘ですが、怒りをもって表明させていただきました。
投稿: Yuu Arimura | 2008.10.24 14:24
そんなにアフリカに絶望しているのなら、福沢諭吉のように「アフリカの悪友とは手を切るべきだ」とでも仰ればよいのではないでしょうか。手も切らず、途上国の資源に依存しながら「あいつらは何をやってもだめだ」と言い放つ貴方は、失礼ながら冷静さを欠いているように思われます。
西洋における近代化は社会文化の領域から始まり、政治へと波及し、経済的近代化へとたどり着きました。19世紀から20世紀にかけて近代化に成功した国の多くはこのルートを辿っています(日本の場合も、明治維新を民主主義革命と見ることができます)。
一方、これから近代化をやろうという国はまさにその逆、経済的近代化の道へ進むことを余儀なくされ、ついで政治、最後に社会的近代化を行おうとしています。この違いは非常に重要で、社会的近代化が未成熟な状態(例えばジプシーのように住所の確定しない人が大半を占める状態)で経済的近代化を進めようとすれば、国民を土地に縛り付けるための暴力や、伝統的村社会を解体するための国家権力の行使が必然的について回ることになるでしょう。
このような、国内の近代化された部分とそうではない部分との対立は社会的緊張を高め、それを抑えるために政府権力が強化され、さらに抵抗が強まると政府は全体主義的支配に移行し、結果として近代化そのものの遅れないし停滞、などなどの悪循環を引き起こします。
後発国の近代化は、このような「遅れてきた」ことによる機能障害を克服することなしには達成できないのです。
思うに、途上国の発展の遅れを非難する人たちが犯している過ちとは、途上国は先進国がかつて経過した発展段階の「途上」にいると考えていることではないでしょうか。そうではなく、彼らは私たちとは全く異なる経路によって近代化を行わなくてはならないのだという事実を受け止めることから、この問題を考えなくてはいけないのだと思います。
投稿: tukinoha | 2008.10.24 19:19
>>skyさん
ご新規の方ですか、ありがとうございます。
人心の荒廃や貧困が内戦を生み、内戦が荒廃や貧困を生んでおり、ニワトリタマゴの状態です。さっくり「原因」→「結果」と割れるのであれば、対策の見通しも立つというものですが…
「最底辺」には、対策とされる「援助」そのものが搾取や内戦の原因となっている仕組みも紹介されています。また、地下資源が国を豊かにするかというと、そうではなさそうです。利権をめぐって部族間の対立→内戦か、一部の独占→国民に行き渡らないのいずれかになる可能性が高いです。
対策じみたものは提言されており、うまくいく場合もあるのですが、期間・場所は限定的です。アフリカ関連の書籍は、読めば読むほど絶望的になります。
>>むさん
> 条件が揃えば経済成長のチャンスはあるはず
はい、その通りだと思います。
そして、部分的に上手くいっている例は、「アフリカ・レポート」で見ることができます。ただ、その「条件」をクリアすることがかなり難しそうです。「最底辺」の著者は、中国や東南アジアが採ってきた労働集約的なやり方は通じないだろうと述べています。グローバルレベルで既に労働市場が確立されており、アフリカ諸国が参入するには、かなりの障壁となっているそうです。
>>Yuu Arimuraさん
まず、怒りであれなんであれ、反応をいただき、ありがとうございます。なぜなら、「斬って捨て」られていたら、気づかないままですから。
ご指摘は重く受け止めます、そして、その意見は正しいです。「アフリカの現状が数百年来の欧米の暴虐の結果」であることは、事実です。「国家の運営をひとの一生スパンで推し量るのはマジでやめよう」も、その通りですね。
では、どうしたらいいか? わたしにできることは? と、細々ながら援助してきました。ここの3冊を読んだのも、「できることを探す」ことが動機でした。
ところが、その手を止めてしまうほどのことが書いてありました。マスコミやチャリティやNGOで知ったつもりでいましたが、この3冊を読んで、最貧国の現状にいかに無知であることかを思い知らされました。援助が軍事費に化け、その銃口が内側を向いているのであれば、わたしは何をしたらいいのでしょう?
たとえば、「アフリカ・レポート」には、現地で起業する日本人の例が紹介されていますが、わたしにはとてもマネできません。「最底辺」では、「先進国が圧力をかけろ」とあります。わたしには、日本の有権者として投票する際、立候補者をよく調べることぐらいしかできません。それでも、最低国の裕福な大統領の「レイシスト!」でおしまいです(欧米が手を引いた後は中国が入ってきます)。腐敗した実力者が大統領の座について、やりたいほうだいしているとレポートされています。彼は三十代だそうです。この件を読んだとき、嫌な言葉ですが「○ねばいいのに」と口に出していました。大金持ちで、権力者で、きっと長生きするでしょう、あと59年ぐらいは。
読みながら、何度「募金なんかやめてしまおう」と思ったことか。
「 そ の 認 識 は 間 違 っ て い る ! 」
と、どうか言ってください、おまえは間違っていると。わたしは、もうなにしても無駄なんじゃないかと思い込んでいます。おっしゃるとおり、悲劇の美酒に酔っているのかもしれません。
酔いが醒めたら、どうしよう。毎年年末に寄付していますが、今年は…
>>tukinohaさん
確かに冷静さを欠いていたのかもしれませんね、あまりに酷い現実が述べられていたので。そして、このご指摘はとても重要で、充分に考えるべきだと思いました。
> 途上国の発展の遅れを非難する人たちが犯している過ちとは、
> 途上国は先進国がかつて経過した発展段階の「途上」にいると
> 考えていることではないでしょうか。そうではなく、彼らは私たち
> とは全く異なる経路によって近代化を行わなくてはならないのだ
> という事実を受け止めることから、この問題を考えなくてはいけない
わたしの認識が間違っているという観点を示していただき、感謝しています。シエラレオネの子ども兵の話を聞くと、確かにわたしたちとは全く異なる歴史をたどっていると確信がもてます。
子ども兵──「見えない」兵士たち
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2006/08/post_078c.html
「私たちとは全く異なる経路によって近代化を行わなくてはならない」について、もっと具体的に知りたいです。この観点からアフリカの現状をとらえなおしている書籍・論文をご存知でしょうか? 図書館のレファランス等を使って調べますが、ご存知でしたら教えていただけるとありがたいです。
投稿: Dain | 2008.10.24 22:28
こんばんは、Dainさん。
ODAの資金をすべてグラミンのような小額融資に使うようにしろという提言を読んだことがあります。
私たちにできることは、そういう政治方針の方に投票することぐらいでしょうか。
アフリカがかつての日本と同じような発展ラインに載っているとは私にも思えません。周囲の国が今までと同じ態度である限り、このままだと思います。
グラミンフォンという奇跡
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862760139/
は既読ですか?
あるいは、これももし既読でないなら、
貧困の終焉
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4152087234/
などもお勧めです。方法はあると思います。
投稿: akira | 2008.10.25 20:15
私も、半端な心構えではアフリカはどうにも出来ないと思います。
一体こんな果てしない問題のバーゲンセールを、誰が?いつ?どうやって?解決に導いてアフリカを救うというのか・・・「チョコレートの真実」とか「現代アフリカ・クーデター全史」も機会があれば読んでみてください。
絶望するだけじゃ誰も救えないですし、絶望することを無批判に非難したところでやはり誰も救えないでしょう。アフリカから海の遥か向こうのこの国で分かったような気になって喧々諤々と議論したところで何も変わらないのです。本当に何かを動かしたいなら、現実にアフリカへ乗り込んで、アフリカの人々と自立するための努力をしていかなくてはならないと思います。それですら途方も無い、余りにも困難な道のりではありますが。
今はただ静かに見守って考え、しかるべき時に本当に必要な援助が与えられるような、そういう社会を先進国側が作っていくべきではないでしょうか。極端にいうのなら、国際社会が成熟していないがために、アフリカの現状を許容せざるをえないという見方もあると思います。例えば元々ややこしいアフリカの紛争を各国の利権が絡んで混沌としたものにしているのもその一端でしょう。何十年、何世紀先になるかは分かりませんが、結局最後は自分達で立ち上がらなくてはならないのですから、我々はその助けを担う準備をしておくべきです。
いやあ、でも核戦争とかでアフリカ以外が石器時代まで還されたりしていたらどうしようw
投稿: jackal | 2008.10.25 22:26
>>akiraさん
ありがとうございます、具体的に示していただき、非常に助かります。両方とも未読です。
> ODAの資金をすべてグラミンのような小額融資に使うようにしろという提言
マイクロファイナンスについてはニュースで知っている程度でしたが、この提言については知りませんでした。投票の際の判断要素として、調べます。
…どうやら、わたしは、ひとりでダメだと思い込んでいるだけのようですね。
まずこの2冊から、もう一度勉強します。
投稿: Dain | 2008.10.25 22:31
>>jackalさん
オススメありがとうございます。貧困と格差を前提としたコーヒー・カカオについての本はいくつか知ってはいますが、どれも未読です。問題解決よりもむしろ現状報告としてのレポートだと思いますが、この機会に手にとってみます。
ただ、わたしが取るべき次のアクションは、もっと具体的なものにしたいと考えています。akiraさんのコメントで、ODAへの提言の存在を知りましたので、ネタ元を調べて次の投票につなげます。
それから、「収入の1%の寄付」は、続けることに決めました。
投稿: Dain | 2008.10.25 22:49
はじめまして。
ちょうど最近アフリカの貧困のことと、寄付のことについてブログに書きました。
貧困についての記事のベースには、akiraさんがご紹介されている『貧困の終焉』で学んだことがあります。
お考えの一助になれば。
http://d.hatena.ne.jp/hsksyusk/20081015/BlogActionDay2008
http://d.hatena.ne.jp/hsksyusk/20081017/donation
投稿: hsksyusk | 2008.10.27 22:09
>>hsksyuskさん
ありがとうございます、読ませていただきました。
「貧困の終焉」は読み始めたばかりなので、hsksyuskさんの感想は大変ありがたいです。
著者はジェフリー・サックスだったんですね…彼の活動は、以下の翻訳記事で知っている程度です。あれから一定期間が経っているので、その実効性とともに検証できそうです。
アフリカを貧困から救うすばらしき7箇条。
http://cruel.org/economist/africa7.html
投稿: Dain | 2008.10.28 22:32
ハッキリ言えば、民主主義の限界。
援助したって武器買うだけだし、当事者が解決するしかない。
投稿: とおり | 2008.11.10 03:31
>>とおりさん
はい、確かにそうした事実も記載されています。
いっぽう、それが全てというわけでもありません。
まだ、やり方はあるはず──
投稿: Dain | 2008.11.10 23:44
ルワンダ問題の本は読みましたがアフリカ単体の勉強はしてないのでそこにはコメント辞めておきますね。
80年代中盤から10年ほどNGOの活動の手助けをしてました、主に街頭募金から事務実務一般ほぼ全部です。
(これ書くとお前何処の系列だ!とか言われるけど無視)
私がNGOから受けたイメージ。
活動家「理想論が多い」
実務系「政治色が強い」
今では普通に行われているプリペイドカードや不要葉書の換金ですが、当初日本では国連、NGO、省庁、も全く行っていなくて集めるは良いが倉庫に山と詰まれてました…それも数年も。
国連系、省庁、海外系NGOに聞いて凄い数たらい回しにされて判ったこと。海外では一部の財団や富豪が直接換金しているのでそこに送付しないとお金にならない。
日本では海外の状況を聞き齧ってきた誰かが始めたらしいですね。もうちょっとでその窓口しそうになりましたよ、ようやく動く人が現れたって!資金やツテなんてないのに。(^-^:
寄付や支援ってホントに地味な実務です。お金や技術の支援なんだからある一定規模じゃないと効果ないんですよ。そういう基本的な取り組みが別の思惑でスポイルされる事が多いので呆れて足を洗いました…
理想は判るが一人じゃ無理。横の協力は?
個人的な取り組み方が多いから問題も個人的な事が多い…せめて欧米並に支援や寄付の問題を教育に入れないとこの状態のままでは日本独自の考えとかに行き着かないですね。
ただやり方は幾らもあるのは事実…アフリカだけでなアジアや中米の問題などなど今後の若い人に期待して。
投稿: STしん | 2008.11.12 23:40
>>STしんさん
NGOの現場について、とても参考になります、ありがたいです。
要するに、お役所的/内向きなのですね…
ただ、集まってくる金額はハンパじゃないので、うまいインセンティブを見つけ出すことで逆転は可能だと思っています――というよりも、信じています。
具体的にはビジネスの視点でしょう。援助がビジネスになる実例を探してくるか、立ち上げて利益を得ることで、良い範になるかと。例えば、ビル・ゲイツ財団は巨大すぎて把握しきれませんが、そこで育った人材がスピンアウトして、NGOとのパイプ役になる未来が待っているような…
投稿: Dain | 2008.11.13 22:33
>「だめな国は何をやってもだめ」――ああ、わたしが間違っていますように。誰か反論してほしい、この認識が誤っていると。
あなたは間違っています。
私たちが生まれ住んでいる世界は、これを支配し秩序付ける、誰かが勝手に作って決めたのではない、天然自然の法則が存在しない、でたらめにできているのではありません。
また、善意で努力すれば必ず上手く行くという法則もありません。
誰かが例えば貧しい人たちが豊かになるのを妨げているから彼らは豊かになれないのではありません。
しかし、左翼かがった人たちは、世界中どこのヒトでも、この簡単な事実を知りません。
結論的に言うと、私たちが生まれ住んでいる世界の中では、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きによる唯一・絶対・普遍的な支配の下に、否応無しに生まれて生きています。
これにより、自動的かつ必然的に何をするのでもそれをする正しいやり方や上手のやり方が決まっています。
幸い、何かを正しく上手にする方法は一つではありません。例えば、お茶を飲むためにお湯を沸かす方法。
しかし、いい年になっても、こんな常識的なことを自覚的な知識にしていない人たちが少なくありません。
その人たちは、量が質に転換する弁証法的な法則があるとか、嘘でも百万回つけば真実になるとか、この世界の成り立ちと仕組みを唯一・絶対・普遍的に支配している自然法則には何の根拠も無いことを言います。
中国と韓国が今現在あるのは、隣国に日本という科学的な文化・文明を持つ国がいて、善意からその近代化を支援しようと介入した成果です。
一般法則論のブログを読んでください。 一般法則論者
投稿: 一般法則論者 | 2010.08.05 16:32
横レスしますが
>一般法則論者 さん
>三位一体不可分の存在
物事がそんなに簡単に説明できればどんなに世の中マシか。
そもそも自然法則∋エネルギー じゃないですか?
三位なのに唯一というのも変だし。
>お茶を飲むためにお湯を沸かす方法。
だれもがお茶を飲むわけじゃありません。お茶というものを知らない人もいます。
普遍的な常識が存在するという思想(宗教)こそ誤りだと気づいてください。
投稿: ななし | 2010.08.07 00:59