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放浪の天才数学者エルデシュ


 天才はどこか浮世離れしているとはいうものの、エルデシュは群を抜いている。

 しかも、その奇行っぷりは数学者の育成に大きく貢献しているときたもんだ。驚異的な言動を追いかけているうちに、エルデシュとは、異世界から地球にちょっと立ち寄った人っぽい「現象」だったのではないかと思えてくる。まるで、数学の進歩を促しにきたかのように。

 もちろん、3歳で数学と出会い、自力で負の数を見つけだしたとか、論文数が史上2番目に多いとか(1位はレオンハルト・オイラー)、ほとんど眠らず、1日に19時間も問題を解く毎日だったとか、どのページを開いても桁違いの話ばかりだ。読み手は、驚いたり笑ったり、ちょっとホロリときたり、かなり忙しいだろう。

 けれども、一番心うごかされたのは、エルデシュのスタイルだ。彼は「みんなで」問題を解こうとした。世界中に散らばった数学仲間と、同時進行でたくさんの問題に取り組む。粗末なスーツケースひとつで四大陸を驚異的なスピードで飛びかい、大学や研究センターを次々と移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ、こう宣言する。

    「わしの頭は営業中だ、君の頭は営業中かね?」

で、その数学者の家にころがりこんで、一緒に問題を解く。その数学者が音を上げるか、エルデシュが飽きるまでひたすら問題を解き続け、その後、次の家へ向かうといった按配。

 彼と共同研究した人は莫大な数になり、ユーモアと尊敬をこめて「エルデシュ数」が作られたぐらいだ。つまり、エルデシュと共著を出した研究者はエルデシュ数1とし、エルデシュ数が1の研究者と共著を出した人はエルデシュ数2となり…といったぐあいだ。wikipediaによると、エルデシュ数が1の研究者は511人にのぼるという。

エルデシュはただ適切な問題を出すだけではない。ちゃんと適切な人物に向けて出すんだ。かれは、きみが自分にどれほどの能力があるかを知る以上にきみを知っているんだ。どれほどたくさんの人たちが、エルデシュの問題を解くことから研究の道に入ったことか。かれは数学者としてスタートを切るぼくたちの多くに必要な自身を与えてくれたんだ

 そのために、生涯のすべてを数学に捧げた。数学のために最大限の時間を割けるよう生活を作りあげていた。かれを縛る妻も子も、職務も、家さえ持たなかった。エルデシュが作った「エルデシュ語」によると、女とは「ボス」、男は「奴隷」であり、結婚は「捕獲された」になる。

 エルデシュの軌跡は数学の歴史と重なっている。アインシュタインやラマヌジャン、ゲーデルとのかかわりを読み解いていくと、彼の生涯を追っているのか、超人を次々と紹介されているのか、わからなくなってくる。

 著者も心得たもので、要所要所に数学にまつわる偉人や、面白い命題・エピソードをちりばめてくる。最も美しいオイラーの公式や、モンティ・ホールのジレンマ、あるいは単位分数ネタを興味深く読んだ。

 なかでも面白かったのが、素数のふるまいについて。エルデシュが貢献した素数定理の話も出てくるのだが、大丈夫、難しい式は一切ない。むしろ、数一般で興味深いふるまいをしているものに着目すると、何かの形で素数とつながってくるところが可笑しい。神様のイタズラに見えてくる。

 そして、神様の皮肉とも取れるのだが、素数の有用性について。古来、数学者たちは数学が実社会に「役立たない」ことに誇りを抱いてきたという。

ユークリッドは素数を調べていたとき、それがギリシャ人の生活に全く役立たないことを誇りにしていた。G.H.ハーディも自らの無益さを吐露している。「わたしはなにひとつ『有用』なことはしてこなかった」かれは弁明ではなく、公然と言い放った。「わたしの発見は直接的にしろ間接的にしろ、善きにつけ悪しきにつけ、世界の快適さにいささかの変化ももたらさなかったし、今後ももたらすとは思えない」

 このハーディは強硬な反戦論者で、自分の専門分野である数論が決して軍事利用に転用されないことを誇らしげに語ったといわれている…が、その素数あってこそ、今の暗号化技術があることを思うと、フクザツな気分になる。2,300年間有用性を見出せなかった素数が、軍事をはじめ民間でも無くてはならない「鍵」としてごしごし使われているのだから。

 エルデシュその人の伝説だけでなく、こうした挿話のおかげで、わたしにも数学の素晴らしさを感じ取ることができる。エルデシュ自身は数学の美しさをこう語っている。

「それはなぜベートーベンの交響曲第九が美しいのかと尋ねるようなものだ。なぜかがわからない人に、他の人がその美しさを説明することはできない。数が美しいことをわしは知っている。数が美しくなかったら、美しいものなど、この世にはない」

 数学をひたすら愛した天才の、たぐいまれなる人生がここにある。『放浪の天才数学者エルデシュ』の原題がすべてを物語っている。

     "The man who loved only numbers"

 

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コメント

立て続けのコメント失礼します。
エルデシュの本、とてもよかったので
トラックバックさせていただきました。

どうもありがとうございました!

投稿: しろいまちこ | 2008.09.04 00:36

>>しろいまちこさん

トラックバック先を読ませていただきました。
惹かれる絵本が紹介されていますね。
武田美穂さんの「モモちゃん」シリーズは、わたしもファンです。

投稿: Dain | 2008.09.05 22:41

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受信: 2008.08.13 08:34

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