「石の花」はスゴ本
久々に徹マンした。これほどの濃度をもつ漫画は珍しい。「アドルフに告ぐ」級の傑作。
1941年、ナチスによって寸断されたユーゴスラビアを舞台に、戦乱に巻き込まれてゆく少年を軸にした群像劇。アウシュビッツ収容所で、レジスタンスの戦場で、二重三重スパイの現場で、極限状況にありながら理想を求める生き様が生々しく描かれる。
最初に釘刺しておく。読者がいちばん不満に思うのは、何らかのカタルシスが得られないだろう。というのも、善悪正邪の構図に片付かないからだ。悲痛な叫びもドス黒い血潮も、何も贖うことなく話は進む。
もしも、単純に「ナチス=悪」を討つといったハリウッド的展開であれば、もっと分かりやすかったかもしれない。「『地獄の黙示録』を凌駕する山岳戦」といった惹句があるが、そういう見所はたっぷりあるからね。大義名分は決まっているので、戦争活劇のフレームに押し込んでしまうこともできる。
しかし、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つのユーゴスラビアを描くには、そんなにカンタンな構図で収まるはずもない。それぞれの側で苦悩があり、希望と絶望がないまぜになっている。それぞれの立場で自己欺瞞にもだえながら、終わらない地獄絵図を歩み続ける。
いや、結局のところ、ナチスは滅び、ユーゴスラビアは解放されるのだから、そうした意味での区切りはあるといえる。あるいは、それぞれの運命が悲劇に終わったのか生き延びたのかによって終止符を打つことはできる。
しかし、彼らの苦悩は宙ぶらりんになったままだ。あの残虐な飢えが、あの一方的な殺戮が、あの地獄が何だったのか? と問うてしまうと、読者も一緒になって答えざるを得ない、「何も!何も生み出さなかったのだ、何も変わっていないのだ!」とね。
それでも、ギリギリのところでこう慰めてやってもいい。「生き延びること、命あっての物種なんだ」と。ラストの「石の花」の美しさは、それを見ている眼を通じて、生きていることのあたたかさを一緒になってこみ上げてくる。「石の花」とは、鍾乳石のメタファー。冷たい鍾乳石を「まるで花のように」感じられるのは人の眼だからだ。その石を現実として認めてしまったら、それまでなのだ。美しいと感じる心があるからこそ、生きていられる。
坂口尚の入魂の遺作、「あっかんべェ一休」もスゴかったが、本作品はそいつを超えている(「一休」連載当時から伝説扱いされていたし)。
圧倒的な物語は、ここにある。
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コメント
今、この本を取り上げてくださって、うれしいです。
私もつい最近読んだばかりだからです。
あとがきに、この本を読んでユーゴを専攻する学生が
出てきた、というようなことを東大の先生がおっしゃってますね。
ユーゴという国の現在はどうなっているのでしょうね。
投稿: honyomi | 2008.05.14 08:53
>> honyomiさん
その後のユーゴは、高木徹「戦争広告代理店」で知りました。「いかに国際世論を味方につけるか」というPR企業の手練手管が、ボスニア紛争の事例で詳細に紹介されています。
↓感想
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/post_8.html
投稿: Dain | 2008.05.14 23:45