学力低下の本当の原因
教育の荒廃が叫ばれている。
学校、保護者、子ども自身、そしてそれらを取り巻く環境――官僚、政治家、教育委員会、地域社会が制度疲労に陥っている。教育亡国論が喧しくとも思考停止と非難合戦、手をこまねいているばかり。教育現場は完全に活力を失っており、責任転嫁の応酬に明け暮れている。
■ 教育改革の担当者は誰か?
象徴的な例を、いくつか挙げよう。ひとつめは、NHK世論調査(※1)だ。「教育改革の担当者は誰か?」という問いかけに対し、こんな結果が得られた。
注目すべきは、教育のまさに現場にいるはずの「教師」と答えたのが、たった8%ということ。あまつさえ、「父母」と答えたのがわずか2%は情けない。いわゆる「お上」任せである。「教育」は政争の具に貶められ、人質化している。そして、いまどきの教師、両親は、当事者意識を完全に欠如しており、犠牲になるのは子どもたちだ。
■ 4本脚のニワトリ、絵の具でできる「きな粉」
もうひとつの象徴は、生きるチカラを失いつつある子どもたちだ。フライドチキンとしてあれほど食べ親しんでいるにもかかわらず、絵を描かせたところ、なんと4本脚のニワトリができあがった。一人二人ではない、小学校三年生の1クラス27人のうち5人が4本脚のニワトリを描いたのである(※2)。生きていく上で基本的な何かを欠如したまま大人になるということは、そのまま日本社会の崩壊につながっている。
フライドチキンは「料理するもの」ではなく、「買ってくるもの」になっている。子どもたちを取り巻く共同生活体が資本主義化され、弁当から惣菜まで商品化される昨今、子どもたちの現実への認識が抽象化されている。中学生とのやりとりを引こう。
教師「これは『きな粉』よ、なにからつくる?」
生徒「小麦粉/米/魚/絵の具の粉/じゃがいも/トウモロコシ…」
と珍答続出である。「大豆よ」と教えると、「ダイズってなに?」と続く(※3)
子どもたちは、つめこみとふるいわけの教育によって生きる能力を失っている。差別・選別の教育のなかで、子どもの人間的な成長と能力・学力の発達のゆがみが、できない子ども・授業についていけない子どもを大量に生み出している。
その結果、 現実的感覚の衰弱、学習意欲の喪失と学習に対する拒絶反応、生きがいと生きる喜びの喪失、非行・自殺の増加と低年齢化など、深刻な子どもの人間性の疎外が広がっている。
子どもは既にSOSを発信している。保健室からだ。多くの子どもたちは、保健室を学校の中で体も心もいちばん休まる、もっとも人間的な場所だととらえている。勉強がおもしろくなくて、頭が痛くなり、保健室で養護の先生と話をするのがいちばん楽しいという(※4)。
■ しつけができない親たち
学校教育と家庭教育を混同する父母があまりにも多い。しつけの責任を全うせず、教師に代役を求める、あるいは教師がしつけるのがあたりまえという親たち。
「先生、うちの子は食事のとき、行儀が悪くて困ります」
「口のききかたがぞんざいなので、しかってやってください」
「寝転がってテレビばかり見ているので、先生から叱ってやってください」
最近の親は、先生はサラリーマン的で十分なしつけをしてくれないというが、勘違いもはなはだしい。しつけは家庭でするもの。どうして親は子どもを放っておくのだろうと言いたくなる。人の話を聞くとか、食事の仕方とか、服の着方といった基本的なしつけを教師に任せないで欲しい。これは小学四年生担任の悲痛な叫びだ。
政府の調査報告(※5)によると、家庭のしつけは「このごろのほうがよくおこなわれている」は、わずか2割という。さらに、「昔の方がよく行われていた」4割の回答が得られている。文字通り、「昔はよかった」が現実になっている。
核家族化が進み、経験豊かな古い世代からの子育て経験の伝達があやふやになった。また、生活空間の狭さが家庭内の人間関係を必要以上に密接・濃厚なものにした。育児に対して自信がもてない母親が両極端に走り出している。ひとつは、自信喪失なまま子どもを放置し、他に依存する「無責任ママ」。いっぽうは、しつけがなんたるかをしらず、ひたすら子どもの幸せのみを願い、学歴社会のなかで「過保護教育ママ」となる。完全放置と過干渉に、子どもたちは宙づりにされている。
■ 無脳教師が国を滅ぼす
教師も問題がある。
都内の私立女子高で、日直の生徒が日誌に「今日は大掃除をした」と書いたところ、担任の先生が「誤字に注意せよ、掃除ではなく、掃事だ」と指摘した教師がいる。
また、成就を「じょうじゅ」と読んだ女生徒に対し、「せいしゅ」と読むのが正しいと言った先生は、クラスじゅうからクスクス笑われた。先生は気色ばんで「素直さがない」とその女生徒を戒め、クラスは大混乱になったという。
教師の人格や能力とは無関係に子どもも親も従順な態度を取るため、勘違いする教師が出てくる。あたかも権威が己自身にあると勘違いをし、自己満足の塊となり、小さな権力者の座に甘んじ、横暴な振る舞いに自ら陶酔している。子どもを人質に、小さな教室の女王、あるいは王たろうとしている。
教師が授業の事前準備をすることはない。業者が提供する、教師用指導書別冊、別名「赤本」で全てまかなえるからだ。この「赤本」は、教科書をベースに、教えるポイントが赤字で注釈されていることに由来する。
サボリが常習化している、いわゆる「サボ教」も問題である。都内の区立中学の教師を挙げよう。つっぱりの授業妨害を制止できず、タバコも注意できず、自責の念に駆られて気力が断ち切られ、挫折感に襲われる。酒を一杯ひっかけて勢いよくとびだそう――気づくと背広にネクタイ姿で酔っ払ってふとんの上にころがっていたという(※6)。教育者の前に人間的にいかがなものかという好例である。
その反面、教師のオーバーワークも指摘されている。一例を挙げよう。東京都港区で、生後6ヶ月の乳児をかかえる小学校の女教師が自殺した。「育児疲れでは…」と口を濁しているが、一部の母親が「規定いっぱい産休をとるような教師にうちの子を任せられない」と突き上げていた事実が明るみに出、その圧力が先生を死に追い込んだのだ(※7)。
小学生まで巻き込んでいる受験戦争へのあせりが、トゲのある言葉となって先生の心を傷つけている――
30~40年前の話だけどな。
1960-1980年代の教育論を読み漁ってみた。もし今の教育が失敗しているのなら、その原因は過去にあるはずだってね。
ところが、分かったことは、当時も今と変わり映えしないという事実。「自然との触れ合いの喪失が、衝動的な子どもを増やしている」とか、「若年の自殺の増加、残虐な犯罪を犯す若者の原因は、○○教育に尽きる」といった論ばかり。いま教育の荒廃を嘆いている連中は全滅だね。連中が「子ども」だった頃も、
子どもたちは落ちこぼれ、疲弊し、人間性を失っており
親は放任無視か過保護で、しつけすらできていない
教師は無能か意欲がないか、その両方
なのだから。これが事実かどうかは別として、マスコミはこんな論調だ。どこか荒れてる所に取材してはネタ化して、だから○○はダメだ、とくる。○○にはその時代の標的――臨時教育審議会、中央教育委員会、新学習指導要領、能力主義教育――が入る。つぎは「ゆとり」かね。ちなみに、臨教審の打ち出した「ゆとり教育」に当時のマスコミは大絶賛してたことを申し添えておく。自己批判の必要すら感じない無脳っぷりは、ぜひ見習うべし。
最近では朝日のAERAがいちばんの叩き屋だが、当時は読売新聞社会部が権勢を誇っていたね。花道からツマ弾きにされた連中が、社会正義の名を借りて、ウップン晴らしをしようとするのは、とても人間的だ。しかし、ちょっとは昔の記事を見ようよ。ホラ、常考すぎて今じゃ言う人もいなくなったけれど、ネットじゃこう言うぞ、「過去ログを読め」ってねッ
「学力低下」の本当の原因は、「学力低下」にしたい人たちがどこにいるのかを探すことで、見えてくるんじゃぁないかと。
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年を伏せてダマすような書き方をしてゴメンナー。注釈と出典は以下のとおり。
(※1)1967年のNHK世論調査。親も教師も、40年前から変わっていないね
出典:こんな先生はヤメテしまえ(佐藤弘毅著/日新報道出版/1976) p.223
(文部省39%、政治家39%、企業11%、教師8%、父母2%)
(※2)1963の調査、ちなみに10年後もほぼ同じ結果が出たそうな
出典:子どもの学力と能力(坂元忠芳/青木書店/1976) P.209
(※3)1982年の話。ウケを狙ったんじゃないかと
出典:子どもの重荷を共に背負って(小柳恵子/日本生活教育連盟/1982)
(※4)1960後半の調査報告。この頃、「保健室登校」という言葉がなかっただけ
出典:(※2)P.83
(※5)1971年の総理府の調査。30年前
出典:(※1) P.133
(※6)1984年6月読売新聞連載レポート。昔は「おおらか」だねぇ
出典:教師追跡レポート(読売新聞社会部/読売新聞社/1984)
(※7)1979年4月13日毎日新聞。今も昔も、教師の自殺は格好の新聞ネタ
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「いまどきの若者はダメだ」シリーズ、爺婆が「最近の若者は○○だ」と言い出したとき、思い出し笑いできるぞ。
最も古い「最近の若者は…」のソース
「最近の若者は本を読まない」本当の理由
近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について
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うん、もちろん「オマエに都合のいいデータだけを取捨選択しているからだろ?」というツッコミは正当だ。ただし、これがマスコミの口から出た瞬間、オマエモナー と撃たれることは言うまでもないけれど。
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コメント
いつも思うんですよ。
「~~を描かせたらとんでもないものが出来上がった」
っていう現代若者批判は目茶苦茶だと。
『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』を読め!(あ、これはスゴ本とは言えないですがバカ笑いを保証します。)
ためらいもなくカエルに眉を生やし、ペダルのない自転車を
生産する幼年中年老年のなんと多いことか、と言いたい。
投稿: 五九朗 | 2008.04.01 01:40
はじめまして、久保裕也と申します。いつも更新を楽しみにしております。
私は「学校評価」(ちくま新書)という本を共著で書き、関連して、オープンソースな普通紙マークシート作成・読み取りソフトを開発している者です。
(こんな形で、人さまのブログに自分の本の紹介を書き込む浅ましさをお許しください)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062173
http://sqs-xml.sourceforge.jp/
それぞれの学校現場ごとに、「ファクトをベースにしたデータ経営としての学校運営」を、行えるようにする必要がある。自分たちで仮説を立てて、調査をして、そうした仮説を検証していく。そうして「見える化」と「カイゼン」が回転するようになれば、地域社会の多様な関係者が学校に協力をしてくれるようになるのではないか、責任転嫁の応酬も止むのではないか……と。
で、この本が、これまでのところは、思ったよりも売れていないのですorz
世の多くの人たちにとって、「学校」の問題というものは、自分自身の身近な問題ではない、ということなのか、あるいは、書名に用いた「評価」という単語にネガティブなイメージがまとわり付いてしまっているせいなのか……。
そんな思いを抱えつつ、ひとりデスマで死にそうになりながらも、ソフトウェアの開発やユーザ支援の活動を続けてきました。苦節5年、現在までに、全国12県以上の自治体・教育委員会と、少なくとも400の学校に、ユーザが広がっています。最近、普及のペースが急激に上がってきているようにも感じています。
> もし今の教育が失敗しているのなら、その原因は過去にある
過去に学びつつ、未来の教育に責任を取れるようでありたいものですね。
投稿: hiroya | 2008.04.01 04:43
騙された!と思ったんですが、よく考えるとその通りですよね。
最近の若者は、学者は、政治家は、医者は、と言う人たちって大抵門外漢ですし。
テレビのコメンテータは専門家を使えばいいのに、ってよく思います。
投稿: mira | 2008.04.01 15:16
このブログが7時のニュースで流れればいいのに。
少し前、ネットには正確な情報なんて流れていないぞ、というのが世の常識だったかもしれないけれど
テレビだって正確な情報を流してきたって言えるのかな?
あ、もちろんネットは今も嘘が横行してますが。
投稿: | 2008.04.01 16:57
だまされた!ナイス!
投稿: | 2008.04.01 21:45
前半を読みながら、反論文を頭の中で組み立ててましたが、後半を読んで書くことがなくなってしまいましたw
お見事!!
投稿: oika | 2008.04.01 23:00
これはいい4月1日
投稿: | 2008.04.01 23:02
ぱちぱちぱち拍手!
エイプリルフールだと思って読み始めたものの、二回(気持ちよく)だまされました。
投稿: ほんのしおり | 2008.04.02 01:17
自分は現在進行形で「最近の若者は」と呼ばれている21歳です。
「最近の若者は」と言われるのは嫌ですね(同様にゆとり世代も)。でも、そう言われることが勉強や行動への原動力になってることも確かです。もちろん、「最近の若者は駄目」と暗示をかけられてやる気なくす人もいるし、イラッとくる場合もあるんですが。
メディアリテラシーを問うことは大事で、根拠の無い情報を流しているのは良くない。
ただ、この後が大事で「昔だって若者は駄目だったじゃないか」という事で安心するんじゃなくて、なら自分たちの時代から若者は変わらなければいけないと思います。そこにはもちろん自分も入るんですが。
「最近の若者は・・・」じゃなくて「昔の若者は・・・」って言えるようにんればいいなあと思う今日この頃です。「今も昔も若者は・・・」と知ることはスタートにやっと立てただけだと思うんで。
長々と書いたんですけど、なんか批判みたいになってるんですけど、まったくそんなこと無いですよ!
投稿: ヌギーバック | 2008.04.02 01:29
面白かったw
けどこの事実も容易に信じるようでは駄目なんでしょうね。
投稿: a | 2008.04.02 18:50
>> 五九朗さん
おおーそれは興味深いですね。
若者批判したい人は何だって理由にするでしょうし、理由に【したい】のでしょう。重要なのは理由ではなく、動機。時代に取り残される不安を裏返しているのではないかと。だから、若者批判の始まりは老いの始まりなのかも。
>> hiroyaさん
> ファクトをベースにしたデータ経営としての学校運営
> 自分たちで仮説を立てて、調査をして、検証していく
> そうして「見える化」と「カイゼン」が回転する
なるほど!教育システムのコンサルティングそのものですね。すばらしい仕事だと思います。わたし自身、学校教育を注目しているのは「わが子のため」という動機なので、親心をくすぐられると弱いかも…たとえば、「才能を掘り当てる学校をつくる」とか:-)
「先生を教育」したり「学校システムをカイゼン」することは、宝の山が埋まっているようですね(「ドラゴン桜」を思い出します)。
>> miraさん
ダマすような書き方をしてすみません。番組に都合のいい、かつ耳目を集めるコメントがもてはやされるのは昨日今日に始まったことではないかと。
>> 名無し@2008.04.01 16:57さん
被告は自分に不利な証言をしないものです。
>> 名無し@2008.04.01 21:45さん、名無し@2008.04.01 23:02さん、oikaさん、ほんのしおりさん
どういたしまして!ちょうど書き綴っていたのが4月1日に間に合ってよかったです。
>> ヌギーバックさん
ええと、あまり真正面に考えないほうがいいかもしれません。エントリの末尾に書いたとおり、「わたしの主張に都合のいいネタ」だけを集めているからなので。むしろ、「老若お互いさま」とか「明日はわが身」と苦笑しながら読んでいただくと幸いです。
21歳なら、この本なんて味わい深いかも。
「ナウなヤング」(水玉螢之丞/岩波ジュニア新書/1989)
20年前の若者批判とエールは、今でも立派に通用することを激しく請合います。
>> aさん
> けどこの事実も容易に信じるようでは駄目なんでしょうね
そうです!そうです!蛇足ながらラストの3行を書いてよかった。このエントリ自体、都合のいい事実を寄せ集めて仕立てているのですからね。
ある主張そのものよりも「どうしてそんなことをいうんだろう?」と考えたほうが、より真実に近いところにいることになります。ホラ、指差す月ではなく指を見ろってやつ。プロパガンダに犯られないための自衛策ですな。
投稿: Dain | 2008.04.04 01:12
30~40年前の子供と、今を比較して「昔も同じ」と安心するのは危険です。
ちょうどそのころから日本人というのはおかしくなったのです。
団塊の世代のちょっと下の、今40から50歳くらいの人です。
彼らが子供のころから生活が豊かになり始め、『生きる』ために『知恵を使う』必要性がなくなってきたのです。
おかげでバカになったのです。
そして今、ちょうど彼らの子供が、問題になっている『若者たち』の世代です。
彼らの『奇行』はレベルが一回り上がっている気がします。
日本人のレベルは確実に低下していると思います。
生意気な文を読んでいただきありがとうございました。
投稿: | 2008.06.06 14:48
>> 名無しさん@2008.06.06 14:48
ツッコミありがとうございます。「安心」というよりも「揶揄」が本心だったりして。
で、このテの話はすでに決着をつけてあります。
30年前
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/05/post_e353.html
700年前
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/05/post_fd4e.html
1,000年前
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/05/post_fd4e.html
あと、日本じゃないけれど…
2,400年前
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/04/post_7265.html
読むのが面倒でしょう、簡潔にまとめると、
「最近の○○は劣化している」が真ならば、かつて人は神のレベルだったんだね。
「いや、特にこの最近劣化しているんだよ」が真ならば、おめでとうございます、あなたは歴史に名を残している賢者・哲人を超えました。
投稿: Dain | 2008.06.06 23:34
上の名無しです。
私のくだらない意見をまじめに聞いてくださって、とても感激しております。
自分が『最近の若者は…体質』だったということをはじめて知りました。自分も若者なんですが…。
でも、「かつて人は神のレベルだった」というのは、半分本当にそう思っています。
特に芸術や工芸の分野を見るとそう思います。
でも価値観(頭を使う場所)が変化しただけかもしれないとも思い始めました。
勉強しなおしてきます。
投稿: | 2008.06.07 01:28
>> 名無しさん@2008.06.07 01:28
書き口から若い方だなーと思っていましたが、ほら、アレでしょう。「最近の大学生はバカばっかり」という大学生のようなもの。ええ、わたしも覚えがありますので^^;
そういう生態を抉り出しているいい本をご紹介します。
ナウなヤング(水玉 螢之丞、岩波ジュニア新書、1989)
題がアレ(笑)ですし古い本ですが、時代が変われども若者は変わらないと信じてオススメします。
投稿: Dain | 2008.06.07 08:09