エンジニアのモラルを鍛えろ「そのとき、エンジニアは何をするべきなのか」
エンジニアとしてのモラルを鍛える一冊。
昨今のモラルハザードを嘆くよりも、反面教師としたい。本書を通じ、職業人としての倫理の根っこがどこにあるのか内省できる。つまるところ、エンジニアのモラルとは、Professionalism に拠って立っている(と思うぞ)。そいつに気づくか、気づかないかだけのこと。
例えば、タイシンギソー。「住まうわたし」視点からではなく、設計者や現場監督といった「エンジニア」の立場で考え直すと、本書がいきなり重たくなる。「IT業界だから」では済まされない。「技術者の倫理と社会的責任」が問われるタイミングは、かなり身近なところにある。
たとえば、プロジェクトを引き継いだらズサンな設計であることに気づいた。直している時間もカネもない。たしかに酷い設計だが、ひょっとすると問題が表面化しないかもしれない。もちろん設計の責任はわたしにあるが、会社は「ほっかむり」を暗に迫ってくる ―― どうする?
あるいは、会社が有害物質をタレ流していることに気づいた。法定の基準内には収まっているが、条例がザルだからであることを、あなたは知っている。会社のやり方に従うことで、給料をもらっているわけだし、今のところ査察が入る気配はない――どうする?
エンジニアとしてなすべき判断と、会社の期待がズレるとき、どうすればいい?
もちろん、それが安全上・道義上のラインまで届くようならば、あなたはためらうことなく自分の判断にしたがうだろう。モラル・ヒーローになりたいがためではなく、自らの Professionalism によって。「だってプロだもの」ってやつ。
しかし、上記のような明確な形を取ることはまれだ。「腐った設計」に見えるのは自分だけで、チームにうまく説明できないかもしれない(結果、疎まれる預言者になる)。経営層の期待は、あなたが瑕疵に気づく「前」に伝えられるかもしれない。最初は小さすぎて気づかないかもしれない。
さらに、モラルを超えたところで仕事をするエンジニアはどうなる? 倫理規定に「エンジニアリングは公衆の健康、安全、福利を最優先するものとする」が普通だが、爆弾や銃を開発するエンジニアは? あるいはエンジニアリングの決定を超えたところでなされた「スペースシャトル・チャレンジャー号の発射」は? (審議の席上で「技術者の帽子を脱いで、経営者の帽子をかぶりたまえ」はキツい)。
ユニークなことに、本書は小説仕立てとなっている。エンジニアの主人公が直面する「ビミョーな問題」が次から次へと出てくる。それこそリッピングからタイシンギソーまで盛りだくさん。さらにストーリーから派生した形で「ボックス」という名で短いコラムが大量に埋め込まれており、これが議論を深め/広めている。
いちばん唸ったのは、1972年ニューヨークに建てられたシティコープ本社ビルの場合(こーいうビルね→[THE CITICORP CENTER])。構造設計はウィリアム・J・ルメジャーひきいる会社が行っている。
ビルが使われるようになって6年後、ルメジャーは設計通りに作られていないことに気づく。筋違いの鉄骨が溶接されておらず、ボルト締めのため、16年に一度起こりうる斜めからの大風に崩壊する危険があることがわかった(ちなみに、建築方式の変更の手続きは規定どおりになされていたそうだ)。ルメジャーは、自らの選択肢を考えた。
1. 黙っていて、何も起こらないように願う
2. 自殺する
3. 自分自身で内部告発する
結局、ルメジャーはビルのオーナーのところへ行き、全てを明らかにする。そして、保険代理店、防災チーム、建築会社の協力を得て、建物の補修を行うことになる――
―― んだが、ポイントは「誠実さ」ではなく、「16年に一度起こりうる大風」にある。これが50年に一度だったら? 大惨事がおきるとき、ほとんどの関係者は他界しているだろう。あるいは、100年に一度だったら? つまり、どの時点でそのリスクを受入れることができるのだろうか(いつ acceptable risk になるのか?)。この短いコラムでは疑問の形で終わっているが、一番深刻なのは、リスク受入れレベルが「良心」の秤に乗っていること。もちろんどの建築プロジェクトにもリスク管理規定はある。しかし、その適用は当人の胸先三寸に拠っていることをお忘れなく。
実際のところ、「良心の秤」が試されるときがある。エイヤッて思い切れればなー、と思うときがある(もちろんあなただってそうだろう)。そんなときは、フルオープンにして、わたしの中で抱えないようにしている。関係者全員で共有することにより、保険をかけるわけだ。必ずしも共犯関係を築こうと考えているのではなく、「ここまでおおっぴらにしたら、ズルできないだろう」という思惑が働いている。
エンジニアとして仕事をする上で、さまざまな判断が求められる。技術的なものなら明白だし議論もしやすいが、倫理的な場合だと独りで苦悩するかもしれない。本書はそうした悩ましい事例を網羅し、「どうする?」といった疑問で形にしてくれている。迷ってから紐解いてもいいが、今から鍛えておいたほうが健康的かも。
願わくば本書に頼らなければならないような判断を求められんことを。
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コメント
紹介ありがとうございます。完全に見逃してました。
職業倫理という極めて実践的な立場。企業や国はその内に
多くの個人を抱えていて、日常生活における我々個人の倫理的判断や
行為と同様の考察は到底できない。そして現に行為するとき、
より良いと思われる判断を無視して経営者の帽子をかぶることも可能で、
そして事故が必ず起きるとも限らない。
自社製品(自動車など)の事故などで被る損失を、
やや安全性を軽視した製造によるコスト削減およびその製品の売上利益とを
秤にかけることは、言いかえれば消費者の命と利益(金)を秤にかけてるわけですよね。
でもこのような勘定は、企業にとってやはり必要・・・
難しいですね。改めてご紹介ありがとうございます。参考になりました。
投稿: ? | 2009.11.17 21:24
>>?さん
いえいえ、どういたしまして。
自身の体や家族・交友関係を壊してまで「仕事」に注ぎ込むことを回避できて、よかった一冊です。良識と仕事の利益が衝突しそうなときには、迷わず公け・相談するようになりましたから。
投稿: Dain | 2009.11.18 21:28