川端康成ホラー傑作選
世界に誇るロリ小説の大家は、幻想的な怪談を書いていた、という話。
彼ほど美少女を描くのが上手い小説家はいない。そして、彼ほど美少女を追い求めた作家はいないだろう。
すごい美少女って人間ぽく見えない。あまりに整いすぎている見目は、人外いう言葉が似合う。しかも、あかりを消して見る女の裸は、この世のものとは思えない。夜の底に沈む白さは、冥土への途なのか――うつくしい女は、どこか化け物じみている。究極のおんなは、もののけなのかも。
やはりというか、当然というか、白眉はこれ。
この文からはじまる幻視的な一夜は、何度読んでも恐ろしい。むかし観たB級ホラー(題名失念)で、腕が持ち主を探す場面を思い出す(白い蜘蛛のように這いまわっていた)。「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。
話者が見聞きしたイメージを重ねることで、心情を表現するのが非常に上手い、そしてエロい。「眠れる美女」と同等、いやそれ以上にフェチ臭い。美少女は、本体よりもパーツの方がうつくしい―― ここでナイフを使うのはサイコパスだろうが、川端はもっとスマートに欲望を満たしているね。
かなり怖かったのが「ちよ」→「処女作の祟り」の2連コンボ。「処女作の祟り」だけ既読だったが、「ちよ」と重ねて読むと、読後感が一変した。さっき読んだ作品が幻だったのか、あるいは今読んでいるのが幻なのか、という気になる。
両作品は以下のようなメタ構造になっている。
{(「ちよ」の話者の小説) ⊆ (「処女作の祟り」の話者)} という小説
「ちよ」は、「ちよ」という名の娘に取憑かれた若者を描いた川端の処女作。そして、「処女作の祟り」は、「ちよ」という名の娘の運命を支配する作家の回想録。ちなみに、修善寺で全裸になった、あの踊子の名は「ちよ」という。
作中作で自作を語るのは珍しくもないが、つなげて読むと、「さっきわたしが読んだのは本当?」と不安になってくる。この仕掛けは上手い。
他にも、サイコキネシスやテレパシー、オーソドックスな幽霊奇譚、サイコ・ホラーの先がけといった怪談噺で山盛りだ。どれも女の話ばかりなので、通しで読むと、うつくしい女は、どこか化け物じみてくる。気のせいなのか、それとも、ひょっとすると…
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