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速読なんて読書じゃない「遅読のすすめ」

遅読のすすめ 耳に痛い、目にしみる。「本はゆっくり読め、速読なんて読書じゃない」、おっしゃる通りでございます。でもね、速く読める人はゆっくりでも読めるんだけど。そんなツッコミ入れながらイッキ読み。

 このごろハヤリの速読に、真ッ向勝負をかけてくる。立花隆や福田和也のような人が、毎日めまぐるしく本を読んでいるが、そんなものは「読書」じゃないとタンカを切る。情報を摂取して排泄しているだけだ、人生の無駄遣いだと言い張る。

 ああ、うん、わかる。死んだ親父の言を借りると、

   「それは本を読んでるんじゃない、見ているだけだ

だね。字面を追っかけ拾ってるだけで、そんなものは読書じゃない。そういう風に読まなければならないときもあるが、それは本にとっても読み手にとっても不幸なことだ―― と言いたかったのだろう。

 ここで終わればナットクなのに、古今東西の「遅読派」を探し出しては「ホレ見たことか」と騒ぐのが煩い。

 たとえば、エミール・ファゲの「読書術」に、「ゆっくりした読書に耐えられない書物は、そもそも読むべきではない」という一文を見つけ、立花と真逆だと狂喜する。あるいは、遠藤隆吉の「読書法」に、「濫読する人の目玉は乱れている」を傑作だと手を叩く。

 なんだかなぁ、五十過ぎたオッサンが、西田幾太郎やアンドレ・ジイド、川上弘美まで出してきて、遅読を奨励するというよりは、速読・多読に反発する。オトナゲないっす。

 さらに、「小説は速読に不向き」と立花自身が言っているにもかかわらず、小説を引き合いにしては速読をケナす。うっかり本書をゆっくり読むと、そんな論理破綻がよく見えて仕方がない。

 そんな矛先が狂ったのか、立花隆を「書生の読みで社会に通用しない」としたり、遅読と速読を「ゾウの時間とネズミの時間」に喩えてみたりする。気持ちは分かるがヒガみに聞こえる。

 恨み節をヤセ我慢に昇華させず、「勤め人になって、好きなだけ読めなくなって残念」とか、「立花や福田がやうらやましい」と素直になればいいのに。可愛くないッす。ゆっくり読みは、読了の山脈をいくつも築いてきた人が成せるワザ。さらに、速読ができる人は遅読もできるが、逆は不可であることに気づくべき。

 むしろ、透けて見える著者の怨言はうっちゃって、反面教師としたい。つまり、本に合わせて読むスピードを意図的にコントロールするんだ。わたしの場合、小説は息せき切ってイッキ読みする癖がある、先が知りたいからね。用心用心。古典なんざゆっくり読みの極地だろうし、論文はまとまった時間を作って読むべきだろうな。

 残人生で読める本が限られていることを意識すると、目の前の一冊とは、まさに一期一会であることが分かる。この秋は、アクセルベタ踏みの読書ではなく、セーフティ・リーディングを心がけてみるか。

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読むと呑みたくなる「百人一酒」

百人一酒 お酒、好きですか?

 こんな質問で始めるぐらいだから、もちろんわたしは大好き。ビール、日本酒、ワイン、カクテル、ウィスキー、焼酎なんでもイケる(ただし、自腹を切れるグレードに限定)。

 そして、お酒と同じぐらい「お酒を飲むオンナ」が好き。オンナは酔わせてナンボ。うつくしさと艶っぽさが、ぱっと開いたようで、体のにおいやら息からぐっと色っぽくなる。だから、嫁さんと酌み交わす深夜は至福の時間。上気する彼女みてるだけで癒される。

 … … 。

 ノロケさておき今回は、秋の夜長の酒のおともにピッタリの一冊をご紹介。歌人・俵万智さんが、飲み歩き、食べ歩く。あの「サラダ記念日」の…といって通じるだろうか? かなりの呑みスケであることは、本書で知った。一杯7,000円のシャルトリューズから、一品100円オールの居酒屋まで、なんでもござれの姿勢がいい。

 もちろん、一杯ン千円一本ン万円の代物なんて、おいそれと手が出ない。だから、彼女が酔ったはずみで語りだすエロ抜き過去バナを神妙に拝聴する。飲み屋で知り合った女のコ(微酔)の「あのね、むかしね、彼とね…」と一緒。読むと彼女を口説きたくなると一緒に飲みたくなるはず。

 酒飲みのウンチクは参考になった。宴席での小話としていいかも。いくつかピックアップする。

■1 酒を賛(ほ)むる歌

 「万葉集」に大伴旅人「酒を賛むる歌十三首」があるそうな。酒飲みは、千年前から変わっていないと分かって安心。現代訳が面白い、さすが歌人。

  • 験(しるし)なき物を思はずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
    (つまらない物思いをするぐらいなら、濁り酒を一杯飲んだほうがいいなぁ)

  • 賢(さか)しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするし優(まさ)りたるらし
    (偉そうに物を言うヤツよりも、酒を飲んで泣いちゃったりするヤツのほうが、俺はマシだと思うよ)

  • なかなかに人とあらずは酒壷に成りてしかも酒に染みなむ
    (なまじ人間なんかやっているより、いっそ酒壷になりたいね。そうして、どっぷり酒に浸りたいもんだ)

  • あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る
    (おー醜いこと。偉そうにして酒を飲まないヤツを見ると、猿にそっくりじゃん)
■2 酒と恋の歌

 歌人だけあって、呑むときも詠むことを忘れない。いや、逆か。詠むときにも酒を忘れてないというべきか。酒だけでなく、オトコを混ぜるとぐっとよくなる万智クオリティ。そのいっぽうで、苦しい恋も酒で詠んでいる。

    缶ビールなんかじゃ酔えない夜のなか
    一人は寂しい二人は苦しい

    「嫁さんになれよ」だなんて
    カンチューハイ二本で言ってしまっていいの

 歌人の回文も面白い。村上春樹に刺激され、いくつか自作の回文を紹介しているのだが、酒にまつわるヤツが秀逸。

    酔いごこちいい「いいちこ」濃いよ

    今酌んで今うまい「天狗舞」

 ちなみに、春樹のは「またたび浴びたタマ」というらしい。ことばで遊ぶだけでなく、ちゃんと酒にまつわる歌も詠む。鹿児島を旅したときは、「魔王」を詠んでいる。ああーそうそう、「魔王」はそうだと膝を打つ。意外だったのは「正しい焼酎のお湯割りのつくり方」を、彼女が知らなかったこと。

■3 正しい焼酎のお湯割りのつくり方

 酒飲みには常識だったと思ってた。

   1. グラスにお湯を注ぐ
   2. 焼酎を入れる

 香りの立ちかたが違うと説明され、「ホントだー」と無邪気に喜んでいる。ええと、単に熱対流で混ざりをよくするためでしょうに(あるいは水より比重が重いから、焼酎は後入れ)。ホントは黒ぢょかで入れたいなー(ただいま購入検討中)。

 酒飲み宣言してるくせに、ウンチク垂れるくせに、肝心なトコ抜けてるのがカワイイ。「ホラ、おじさんが教えてあげるよ」と思わず言いたくなる。彼女の方が年上なのに。

■4 これは旨い!「コーヒー焼酎」のつくり方

 本書で知った。ここだけでも読んだ価値あり。コーヒーのいい香り+味がまろやかになって、病みつきになる。コーヒーリキュールといって騙そう。

   1. ローストしたコーヒー豆を、焼酎に漬け込む(梅酒やハブ酒のノリ)
   2. コーヒー豆はモカがいいらしい
   3. 焼酎とコーヒーの割合は、4 : 1
   4. 豆の入れっぱなし厳禁、3~4日で取り出す
   5. カフェインがたっぷり抽出されるので注意(飲むほどに冴える)

 ネットで調べたところ、焼酎1リットルにつき、コーヒー20グラムが適当だそうな。コーヒー豆はフレンチ・ローストが最適だって。もっとカンタンに、「焼酎+コーヒー割り」か、「焼酎を燗してドリップ」もイケル(実験済)。

■5 「神の雫」のアレは本当らしい

 すごいワインを飲むと語りたくなるらしい。小生意気なワイン評論家をウサン臭く思っていた。

お、おお…おおおおお、なんということか!まるで清純そのもの乙女が振り返ったように。しかもその余韻を抱きしめる度に様々な表情を見せる。初めての接吻のはにかみ、そしておずおずと熱をもって開き、最後にはめくるめく官能が永遠に――

とか何とか。毎号毎号「ちくしょー、こんなワイン飲んでみたいなー」と悔しがると同時に、「味わいを言葉で伝えるなんてナンセンス」と思ってた。んが、「ワインスクール」なるもののレポートを読むと、どうやら間違っているのはわたしらしい。「ボルドー61シャトーを飲みつくす」講座でのこと。

日本を代表するソムリエが、シャトーの物語や裏話を交えながら、テイスティングコメントをしてくださる。言葉を与えられることによって、今、自分の味わっているワインの味が、「おお、なるほど!」と、急にあざやかになるのが楽しかった。

 ふ、ふーん…

「ブラックベリーの香りに黒コショウのようなスパイスの香り、それに黒い土や枯葉の湿ったような…」――こうやって文字を並べるだけだと、頭が痛くなるような香りの説明も、現物を味わいながらだと、結構よくわかる。それまでは、まったく意識できなかった「メントール系の香り」というのを、見つけられるようになった

う、羨ましくなんて、な、ないんだからー(涙目)。「神の雫」のおかげでデキャンタに移して飲む習慣がついたけれど、今度はテイスティングコメントを読みながら飲むとしよう。

 ちなみに、彼女の常備ワインは、チリワイン「カベルネ・ソーヴィニヨン・レゼルバ」(ウンドラーガ社)だそうな。値段に釣られサンライズばっかり呑んでるわたしは見習うべき。

■6 「牧水の酒の歌」には驚いた

 秋が深まり、しみじみ日本酒を飲むようなときにピッタリの歌を、若山牧水が詠んでいる。有名どころやね。

   白玉の歯にしみとほる秋の夜の
   酒はしづかに飲むべかりけれ

 うんうん、分かる分かる。未成年のときの感想は「ふーん」だったんだけど、しみじみ酒を飲むようになって腹にしみてきた歌―― なんだけど、実は、秘密が隠されているそうな。

 「なぜ、歯なのか?」お酒を飲んだとき、くーっと「しみとほる」のは、舌だったり喉だったりするわけで、どうして「歯」なのか? という疑問を呈する。「牧水って虫歯?」というボケもかましてくれるんだが、さすがは歌人、「おくのほそ道」の超有名な次の一首から読み解いてみせる。激しく納得。

   閑かさや岩にしみ入る蝉の声

■7 ボトルキープ薀蓄

 サラダ記念日にこんな歌がある。

   男というボトルをキープすることの
   期限が切れて今日は快晴

オトコは、時と場合によってオオカミになったりサイフになったりするが、ボトルになるとは面白い。この「ボトルキープ」は英訳されるとこうなる。

  The time limit on that man has just run out like a reserve bottle
  I'd keep in some private club

あるいは、

  Like a whiskey bottle on reserve too long that man's no longer mine

後者のほうが巧者に見えるが、ボトルキープは和製英語で「リザーブ」が本来の意味だって。そこからボトルキープについて調べてくれている。

 発祥は、昭和39年の北新地、サントリークラブでボトルキープ制が登場したらしい(「酒場の誕生」玉村豊男編)。世界を見ると、オランダの「ジンの樽キープ」、スコットランドのパブ「モルト樽キープ」があるそうな。ただ、樽には鍵が掛かっており、カギは客が持っている仕組み。

■8 べ、べつに羨ましいからってわけじゃないんだから…

 いっぽうで、残念というより情けなくって涙目になるところも、ある。

 味わいの描写が貧弱、貧弱ゥ~なのだ。酒であれアテであれ、極上の逸品を口に入れて、「まったりもっちり」「グッド」「幸せ」の評は、あまりにもったいない。押韻させた形容詞は愉しいが、歌人の手遊びにすぎない。

 極めつけは、ロマネ・コンティを飲んだとき。開高健とどうしても比較してしまい、ガックリ。たしかに格は違うんだが、歌人って、韻踏だけじゃなくもっと言葉を選ぶもんじゃないかなぁ…それとも、そいつは詩人や小説家の仕事なのかね。

 行間から酒の香が漂ってきそうだ。君が言った「この味がいいね」は、サラダじゃなくって吟醸酒に違いない。だから10月1日は日本酒の記念日。

 読むと必ず飲みたくなるので、お気に入りの一杯を側に、どうぞ

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釘宮病チェックリスト100

 ツンデレを嫁にするくらい好きなんだが[証拠]、まさか釘宮病にまで達しているとは思い及ばなかった。

 たまごまごさんのこのエントリには本当に感謝している。わたしは、「釘宮ぁ? ああ、アルフォンスね」ぐらいしか見ていなかったのだ。そんなわたしに、いかにこの声でこの言葉を待っていたかを気づかせてくれたから。今では一日一回は聞かないと眠れなくなっている。

 釘宮病のすごさについては、たまごまごさんが的確に表している。

釘宮病のすごさは、多分こういうM心あおる動画を見たあとに鏡で顔を見たら絶望するくらいになってしまうことと、同時に女の子に対して萌えでねじふせるだけの意欲を喚起させられること、かしら?

 激同、ニヤニヤが止まらない、リフレインが叫んでる。以下、水瀬伊織の罵倒台詞を挙げるので、ココロに挿入(はい)ったらチェックを入れてほしい。一つでも反応したら、釘宮病への免疫は無いし、ちょいとでもニヤニヤしたら、もう罹患していると思っていい。

1何でこんなところ来たのよーバカ!
2バカぁ~!
3バカ!バカ!
4バカ!バカ!バカ!
5バカいってんじゃないわよ!
6ほんっとうにアンタ、バカねえ
7バッカじゃないの?
8ふんふん、ふんだ!
9もーいいわぁっ
10ふんだ、イジワル
11ふんだ、アンタなんかと、もうクチきいてあげないんだから
12イラつくわぁっ、イライラするのはアンタのせいよ
13ああ~もぉ~イライラするわぁー
14なんかハラが立つのよね
15ムカつくわ
16ムッカー!ムッカー!
17な~んですってぇ~アッタマきたわ、もお!
18もお、何よそれ!
19何よ何よ!何いってんのよ~
20なぁ~んですってぇ~、もう一度言ってごらんなさい!
21ふざけるんじゃないわよ!早くいいなさいよ、そういうことは!
22それを早くいいなさいよ
23はじめっからそう言いなさいよ
24つまんないわよ
25ああ~暑い、暑苦しい
26きどってないで、アタマひねりなさーい!
27なに公私混同してんのよ!
28そんなわけないでしょ!そんなんじゃダメじゃないのー
29ドブ川で顔洗って、おめめ覚ましたほうがいいですよ
30化けて出てやるんだから
31やめてよね~やれるもんなら、やってごらんなさいよ
32言うことききなさいよね!分かってないわね、アンタは
33もうゼッタイに明日からは、私の後ろを歩かないでよね!
34あったまわるーい、どうせ中身からっぽなんでしょ
35もう少し、頭使いなさい!ほんっとなんにも考えてないのね
36このイジワルの役立たず!
37アンタ、おめでたいわね
38思ったことは、スパっと答えなさいよ!カッコ悪いったら、ありゃしないわ
39気がつかないって言うか、気が利かないわわね
40何でこんなとろで、アンタの冴えない顔を見なきゃいけないわけ?
41しっかりしてよね!ほんっとショボショボプロデューサーね、だっさーい
42致命的にヘッタクソでダサくてビンボーくさーい、ムカっぱらが立つわ
43もぉーっ、ハッキリしなさいよね
44ほんっとダメダメなんだから
45もぉー、余計なことばっかりするんだから
46もぉ、役に立たないわよね
47なんか、腹が立つのよね
48いいかげんにしなさーい
49いい加減なこというと、許さないんだから
50アンタの話なんか、聞きたくもない
51うるさーい、クチごたえしないの、言い訳は聞きたくありません
52ふん!ぞっとするわ、全部あんたのせいだからね
53視界から消えてよ、二度とその顔、見せないでくれるかしら
54大キラーイ!
55あんたには正直、ガッカリよ
56ウンザリ!
57期待して損したわ
58うーん、もぉー、サイテー!サイアクー
59ふーんだ、もぉ、ぜーんぜんダメじゃない
60なーに寝ぼけたこと言ってるのよ
61なーによ、みっともない
62情けないわよねー
63プロデューサーのウソツキ
64ウソツキはキライよ
65うるさいうるさーい
66鬼!悪魔!
67鬼!悪魔!人でなしーっ!
68信じられなーい
69ちょっと、もー
70もーイヤっ!キモっ!きもち悪いわね
71キモいだけじゃなーい!きたないわね!汚らわしいわよ!
72あんたねー、どこ見てんのよ!痴漢かと思ったわ
73彼女なんて、一生できないでしょうしっ、カワイソー
74いかにも犯罪者っぽいものね
75そろそろ下僕の心得、分かったかしら
76土下座しなさーい
77足、けっとばしちゃうわよ
78机の下で足を踏んづけてやるわ
79アンタにまたがって、オシリ叩いてやる
80アンタなんか、百叩きの刑なんだからーっ!
81あんたの頭つかんで投げちゃうわよ!
82川につき落としてやろうかしら
83せいぜい夜道は気をつけて帰りなさいよね
84惨殺するわよ!
85死んじゃえ!
86このヘンタイ
87このヘンタイ、ドヘンタイ
88このヘンタイ、ドヘンタイ、ザ・ヘンタイ
89このヘンタイ、ドヘンタイ、DOヘンターイ
90このヘンタイ、ドヘンタイ、大ヘンターイ
91このヘンタイ、ドヘンタイ、エロヘンターイ
92ヘンタイ、ドヘンタイ、ヘンタイたーれん!
93なんとか言いなさいよ!
94にっ二度といわないんだからーっ!
95わっばっ、バカいってるんじゃないわよーっ
96ヘンなこと言うと殴るんだから
97別にアンタのことなんか、これっぽっちも考えちゃいないわよ
98なにニヤけてるのよ、もぉ、バカっ
99あ、ありがと…
100か、カン違いしないでよね、別に感謝してるとか、そんなんじゃないんだからね、じゃっ

 左端の「済」マークは気にしないでよろしい。わたしのリアルで罵倒を受けたチェックリストだから。ついでに、独男ツンデレラーに驚愕の事実をお伝えしよう。こうした罵倒文句は、独身よりも、パートナーがいる方が、より耳に触れ、肌で味わうことができる。罵倒のシャワーを浴びてフリフリ体ゆすれば、今夜もぐっすり眠れる、All Right!

 おそらく、このリストを全部「済」にするのが残りの人生の目標となる、かもしれない。「アンタにまたがって、オシリ叩いてやる」だとか、「ヘンタイたーれん!」といった難易度の高い台詞があるが、better late than never! 挑戦あるのみ。

がんばれ、ツンデレラー!負けるな、ツンデレラー!!

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「DS文学全集」レビュー

DS文学全集 ポケットに文学全集、こんなん欲しかった。

 類書、というか類ソフトはいくつか出ているが、これが決定版だな。いま夢野久作「少女地獄」が終わったところ。選書がいい感じなのと、Wi-Fiで新しい本をダウンロードできるところがツボ。

■1 操作性は良いが、満員電車に向かない

 このテの電子書籍は、おもちゃのようなガジェットが浮かんでは消えている。本書(というか、本ソフト)を読みながら、「買わなくてよかった」としみじみ。消えていったガジェット、いくつか店頭で試してみたことがあるが、「使うのにマニュアルが必要」というのが第一印象だった。

 ページをめくる、戻す、特定の箇所までパラパラ送る。今のページ数と、あと何ページあるかを見る。しおりをはさむ、しおりまでたどる。ただ本を読むのに、実にさまざまなことをやっている。

 DSでいいのは、こうした様々な操作を、タッチペンで直感的に扱えるところだろう。感覚的なスライド+タッチで全部まかなえる。もちろん、マニュアルは開いていない。

 ただ、わたしの読書タイムは混みあった電車で立った状態なので、十字キーだけで済ませている(あそこでタッチペン落としたら藁山に針になるし)。

■2 すいすい読める仕掛けいろいろ

 文字は大きめ(14ポイントぐらいかね)。持った形が文庫本のように読めるのはいいが、1ページの文量が少ないので、スラスラ読める。「これって速読?」「オレって天才?」感覚が味わえる。それこそ舐めるように読める。その分、ページ数がハンパじゃないけど。

 すいすい読みのために、「あらすじ」機能がある。全部の小説に、それぞれ「あらすじ」がついているので、横着者には読まずに済ますことも可能だ。この「あらすじ」、不要かと思うが、「ブンガク」のとっつきにくさを排して物語へ入るツールとしていいかもしれん。

 そのときの気分によってオススメを教えてくれる機能もある。いつ何を読むのかは勝手でしょ、と天邪鬼は思うのだが、いわゆる「初心者」がすいすい読むのに役に立つに違いない。

 BGMやページめくりの音、背表紙や表紙のグラフィックなど、細かいところに手を出している仕様は、人により評価が割れるだろう。わたしなんざ、「そんなデータより、もっと本を詰め込んでくれ」だね。

 Wi-Fiを使って読者ランキングやレビューに参加できる仕掛けも面白い。デスノートな「人間失格」(集英社)や、ハートカクテルな「虞美人草」(角川)など、若手を意識した表紙にすることで年齢層を押し下げるのと一緒やね。「日本文学ランキング」なら、カウントダウンTVが放っておかないだろう。

■3 二つの不満

 ラインナップ以外の不満は2つ。

 一つ目は、注釈が無いこと。読み慣れた作家ならともかく、明治の小説を初めて読むのであれば、(旧かな→新かな以外に)注釈が要るんじゃないかと。大銀杏は「いちょうの木」じゃないし、お歯黒は特定のステータスを指している。もちろん調べれば済むんだが、著作権がからむのでスルーしたんだろうね。

 二つ目は、残念なことにサイズ「小」で画数が多いと、文字がにじんでしまうこと。潰れてしまう、といったほうがいいかも。DS液晶の限界がここに。新潮文庫のクッキリとした印字が好きなわたしにこれはツラい。これは泡沫に消えていったガジェットや「モバイルPC+青空文庫」に軍配が上がる。

 この二つ目は、人によると致命的。昔の本のモノホンの活字が目に焼きつく感じが好きなので、液晶のぼんよりにじんだのが耐えられなかった。当然、読み方も変わる。一行一行を追うというよりも、液晶画「面」を舐めるような動かし方になる。同じ素材でも、調理が違うと受ける印象がガラリと変わる。たとえば、漱石の「猫」は、文庫、古書、復刻版と複数の調理で味わってきたけれど、液晶だとどう変わるか、期待半分、不安半分。

■4 きっとあなたもツッコミたくなるラインナップ

 いわゆる「定番」にとどまらない。「その作家で、あえて(?)そいつを持ってくるのかー」と思わず唸るセレクト。リスト眺めているだけでも愉しい。

 たとえば、鏡花なら「高野聖」がピカイチだろうが、究極の恋愛小説「外科室」が嬉しい。昨今のヌルい「もどき」が裸足で逃げ出すレベル。泣きたいときは芥川「奉教人の死」だし、怖がりたいなら八雲「耳なし芳一」よりも「鳥取のふとん」がガチなのにーと呟く。

 さらに、ずっと先送りしてきたのが「これでようやく読める!」と快哉あげたのもある。

 たとえば、安吾「桜の森の満開」が嬉しい。そういや、一葉「たけくらべ・にごりえ」は旧かなづかいにつっかえたなぁ、新美南吉「花のき村と盗人たち」、林芙美子「放浪記」なんて読んでなかったよ!葉山嘉樹や北條民雄になると誰? という感じ。

 いっぽうで、「なんでこれが入ってないの?」がある。

 たとえば、川端康成・谷崎潤一郎が一切ないのが解せん。太宰の最高傑作は「満願」なのに、入ってない!中島敦は全部入りだろ。漱石は「猫」と三部作で充分じゃね? その分、寺田寅彦と内田百間を入れろよ、賢治なら「グスコーブドリの伝記」と「春と修羅」は外せねぇぇぇ…、夢野は「少女地獄」よりも「瓶詰地獄」の方を読むべし、岡本かの子「老妓抄」を入れるなら、「金魚撩乱」は欲しい。乱歩が無い!乱歩はブンガクじゃぁねぇの? 夢野がよくて乱歩はダメなの?おかしくね? 尾崎翠、石川淳、稲垣足穂、幸田文、三島由紀夫、寺山修司が無いのはなんでじゃぁぁぁ!そういや「歌」がねぇじゃん!岡本かの子と正岡子規を入れているのに「歌」じゃないし、賢治「あめゆじゆとてちてけんじや」をもっぺん見たら絶対泣くのにー、そもそも石川啄木や与謝野晶子が無いぞ、詩歌はブンガクじゃないのかーッ!?

 はぁはぁ

 はぁはぁ

 はぁはぁ

 はぁはぁ

 おそらく、「ブンガク」といっても古典を入れると膨大になるからパス、川端・谷崎の巨人を入れるとガチガチになるので(今回は)パス、底本が青空文庫という制約もあるだろうし、「定番中の定番」をあえて外した「あそび」も欲しい…と痛し痒しの中で選書したんだろうなぁ。

 では、DS文学全集のラインナップを、どぞー

  1. 羅生門 (芥川龍之介)
  2. 地獄変 (芥川龍之介)
  3. 奉教人の死 (芥川龍之介)
  4. 杜子春 (芥川龍之介)
  5. 藪の中 (芥川龍之介)
  6. トロッコ (芥川龍之介)
  7. 河童 (芥川龍之介)
  8. 或阿呆の一生 (芥川龍之介)
  9. カインの末裔 (有島武郎)
  10. 生まれいずる悩み (有島武郎)
  11. 或る女 (有島武郎)
  12. 外科室 (泉鏡花)
  13. 高野聖 (泉鏡花)
  14. 婦系図 (泉鏡花)
  15. 夜叉ヶ池 (泉鏡花)
  16. 野菊の墓 (伊藤左千夫)
  17. 蠅男 (海野十三)
  18. 東京要塞 (海野十三)
  19. 海底軍艦 (押川春浪)
  20. 老妓抄 (岡本かの子)
  21. 玉藻の前 (岡本綺堂)
  22. 金色夜叉 (尾崎紅葉)
  23. 夫婦善哉 (織田作之助)
  24. 死者の書 (折口信夫)
  25. 子をつれて (葛西善蔵)
  26. 檸檬 (梶井基次郎)
  27. 城のある町にて (梶井基次郎)
  28. 父帰る (菊池寛)
  29. 恩讐の彼方に (菊池寛)
  30. 藤十郎の恋 (菊池寛)
  31. 俊寛 (菊池寛)
  32. 「いき」の構造 (九鬼周造)
  33. 牛若と弁慶 (楠山正雄)
  34. 武蔵野 (国木田独歩)
  35. 牛肉と馬鈴薯 (国木田独歩)
  36. 出家とその弟子 (倉田百三)
  37. 耳無芳一の話 (小泉八雲)
  38. 五重塔 (幸田露伴)
  39. 無惨 (黒岩涙香)
  40. 蟹工船 (小林多喜二)
  41. 堕落論 (坂口安吾)
  42. 桜の森の満開の下 (坂口安吾)
  43. 夜明け前 (島崎藤村)
  44. 次郎物語 (下村湖人)
  45. 古事記物語 (鈴木三重吉)
  46. 瀧口入道 (高山樗牛)
  47. 日本三文オペラ (武田麟太郎)
  48. 富嶽百景 (太宰治)
  49. 走れメロス (太宰治)
  50. 斜陽 (太宰治)
  51. 人間失格 (太宰治)
  52. オリンポスの果実 (田中英光)
  53. 蒲団 (田山花袋)
  54. 黒髪 (近松秋江)
  55. 狂乱 (近松秋江)
  56. あらくれ (徳田秋声)
  57. 縮図 (徳田秋声)
  58. 不如帰 (徳富蘆花)
  59. 山月記 (中島敦)
  60. 李陵 (中島敦)
  61. 土 (長塚節)
  62. 吾輩は猫である (夏目漱石)
  63. 坊っちゃん (夏目漱石)
  64. 草枕 (夏目漱石)
  65. 三四郎 (夏目漱石)
  66. 門 (夏目漱石)
  67. 彼岸過迄 (夏目漱石)
  68. 行人 (夏目漱石)
  69. こころ (夏目漱石)
  70. 明暗 (夏目漱石)
  71. ごん狐 (新美南吉)
  72. 手袋を買いに (新美南吉)
  73. 花のき村と盗人たち (新美南吉)
  74. 新版 放浪記 (林芙美子)
  75. セメント樽の中の手紙 (葉山嘉樹)
  76. 夏の花 (原民喜)
  77. たけくらべ (樋口一葉)
  78. にごりえ (樋口一葉)
  79. 学問のすすめ (福沢諭吉)
  80. 浮雲 (二葉亭四迷)
  81. いのちの初夜 (北條民雄)
  82. 美しい村 (堀辰雄)
  83. 風立ちぬ (堀辰雄)
  84. 病牀六尺 (正岡子規)
  85. 注文の多い料理店 (宮沢賢治)
  86. オツベルと象 (宮沢賢治)
  87. よだかの星 (宮沢賢治)
  88. 風の又三郎 (宮沢賢治)
  89. 銀河鉄道の夜 (宮沢賢治)
  90. セロ弾きのゴーシュ (宮沢賢治)
  91. 伸子 (宮本百合子)
  92. ヰタ・セクスアリス (森鴎外)
  93. 雁 (森鴎外)
  94. 阿部一族 (森鴎外)
  95. 山椒大夫 (森鴎外)
  96. 最後の一句 (森鴎外)
  97. 高瀬舟 (森鴎外)
  98. 少女地獄 (夢野久作)
  99. 蠅 (横光利一)
  100. 機械 (横光利一)

     既読モノは再読したくなるやつ、未読モノは「おっ」というやつばかりでしょ? 「なんでコレがないんじゃー」という叫びは共咆しよう。

     上記がデフォルトで、現在のところ以下の作品がダウンロードできる(以下続々出てくる)。追加料金みたいなケチくさいことは無い。早速ダウンロードして、「半七捕物帳」にとりかかる。不思議だね、積読本があるのに、DS開いている俺ガイル…

  101. 半七捕物帳 一 (岡本綺堂)
  102. 赤外線男 (海野十三)
  103. デンマルク国の話 (内村鑑三)
  104. 夢十夜 (夏目漱石)
  105. 蜘蛛の糸 (芥川龍之介)

公式サイト : DS文学全集

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千賀さんはとんでもないものを教えてくれました、「カイト・ランナー」です

カイト・ランナー 乗車率200%の痛勤電車で嗚咽が止まらない。

    For you, a thousand times over
    きみのためなら1000回でも

 瞼の裏が頬→喉に直通、胸からそのまま熱いやつがあふれる。揺れているのは電車でなく、わたしの心、酒に強く酔ったようだ。要するに、あまりに強い感情に襲われて、立っていられない。

 最初に断っておく。これは、今年No.1スゴ本、自信を持って、オススメできる(ナンバーワンがいくつあんねん!というツッコミ勘弁なー)。呵責と償いの極上のストーリーを堪能してほしい

 敬愛する千賀サマが、「全米が泣いた 私は泣いたよ」と太鼓判押したのが"The Kite Runner"、勇んで買ったはいいけれど積読山へ(英語の小説は優れた導眠剤)。で、橋の下をたくさんの水が流れ、ようやく邦訳を読めたというわけ。

 アフガニスタンの激動の歴史を縦軸、父と子、友情、秘密と裏切りのドラマを横軸として、主人公の告白を、ゆっくりゆっくり読む。描写のいちいちが美しく、いわゆる「カメラがあたっているディテールで心情を表す」ことに成功している。

 話の展開は、千賀さんの言う「John Irvingを、ウェットかつエスニックにした感じ」まんまですな。エピソードの語り口は、むしろ「アンジェラの灰」が近いような。amazonはこう紹介している。

小さい頃、わたしは召使いであるハッサンとよく遊んだ。追いかけっこ、かくれんぼ、泥棒ごっこ、そして凧あげ。わたしはちゃんとした学校へ通っていて、読み書きもできる。しかし、ハッサンは世の中の「真理」をすべてわかっているようだった。真理とは、愛や慈悲、そして罪、というものについてだ。12歳の冬の凧合戦の日。ついにそれが起こる。

記憶の底に決して沈めてしまうことのできない罪…。他人を救うことの困難さ、友情、愛、畏れについて深く考えさせる、アフガニスタン出身作家の鮮烈なデビュー作。

 イントロで展開が読める、しかも、はやりの御涙ちょーだいの「かわいそう話」ではないのも分かる、でも止まらない。涙腺の弱さは折り紙つきのわたしだが、まるで感情の蛇口が壊れてしまったようだ。

 本書は、ニューヨークタイムスのベストセラーに64週ランクインし、300万部の売上に達したという。アフガニスタンが舞台の物語としては異例だ。おそらく、「父と子」、「友情と裏切り」、「良心と贖罪」といったテーマの普遍性が、読者層を厚くしているのだろう。

 しかし、これほどの売上は移民の読者層が増えている証左なのかも。

 祖国を離れアメリカで生活をしている人にとって、二つのスタンダードに挟まれることは想像に難くない。本書の主人公は、むしろアメリカ流に飲み込まれ、過去を深く埋めるほうを望む。この「過去」は特殊かもしれないが、ダブルスタンダードを意識する人にとって、本書は別の意義をもち始める。

 本書には、二つの「ダブルスタンダード」が折りたたまれている。一つは、戒律の厳しいアラブの男の「ダブルスタンダード」。「嘘と贖罪」の過去が暴かれるとき、気づかされる仕掛けとなっている。もう一つは、イスラム法を厳格に守る(守らせる)集団、タリバンの「ダブルスタンダード」。映画や小説で見知ったベトナムやカンボジアと重なる。

 二つの祖国を持つ苦悩なんて、山崎豊子の小説でしか知らないわたしと異なり、U.S.に移住した人は、また違った思うところがあるんじゃぁないかと。千賀さんだと「ニッポンは平和ですね」と微笑み返すんだろうなぁ。ともあれ、すばらしい本を教えていただき、千賀さんに大感謝。

 最後にもう一度。これぞ今年のNo.1スゴ本、自信を持って、オススメできる

 そうそう、「人前で読むな」と忠告しておかないと。周りの迷惑になるので、独りのときに、どうぞ。

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ローマ人の物語IX「賢帝の世紀」の読みどころ

 古代と現代は、こんなに離れているのに、遺跡や美術品は、そのままで美しいと感じることができる。同様に、「物語」を介することでもっと身近に感じることができる。納得できる不思議さやね。

 「賢帝の世紀」では、トライアヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウスの三皇帝に焦点を当てている。塩野氏一流の、絶妙な隠喩が愉しい。

■1 ローマの「空洞化政策」

 たとえば、「空洞化対策」。パクス・ロマーナをこの言葉で表現しようとする諧謔というか、感覚は面白い。

 本国は中小企業で、属州は大企業社会という感じだったらしい。資産家(元老院階級)は収益率の高い属州に流れ、その反面で本国(ローマ)がどんどん空洞化し、格差が広がっていったそうな。

 で、トライアヌス帝が実施した施策は、ずばりアリメンタ(Alimenta)法、育英資金による人口の回復だそうな。今風に言うならば「子育て援助」かね。成年に達するまで、以下の育英資金がもらえ、かつ返却は求められていなかったそうな。軍団兵の月給が75セステルティウスであることを考えると、それなりの額だろう。

  嫡出男子──16セステルティウス/月
  嫡出女史──12セステルティウス/月
  庶出男子──12セステルティウス/月
  庶出女史──10セステルティウス/月

 フェミニストが援助額の男女差を指摘する前に、塩野氏は素早く先回りする。

現代の女権論者ならば男女の援助額の差を非難するかもしれないが、1900年前の昔、女子をふくめたことだけでも前進であり、そのうえ、援助額で差をつけられようと、庶出の子まで加えられていたにいたっては画期的でさえある。

で、返す刀でキリスト教をサクっと。

神に誓った正式な結婚によって生まれた子しか認められなかったキリスト教の時代は、このローマ時代の後に来るのであり、そのキリスト者の国家でも庶子の遺産相続も可能になったのは、つい最近のことでしかない。

■2 論旨破綻してても「カエサル至上主義」

 ダキア戦記の捕虜は、徹底的に殺されたそうな。コロッセウムで剣闘士と対決させたり、捕虜同士で殺し合いをさせたり、野獣v.s.人間の闘いに供されたりしたらしい。しかも見世物として百二十三日間つづいたそうな。これぞ「パンとサーカス」に適用すべきネタなのに、見事にこの語をスルーしている。

 カエサルの敗者同化政策とは完全に反対なんだけれど、塩野氏はこう述べる。

カエサルによる敗者同化政策と、トライアヌスの敗者「非」同化政策は、手法ということならば完全に反対のやり方になる。だが、成果となればこの二つは同じく成功したのである。ダキアは、一個軍隊しか常駐させなかったにもかかわらず、ローマの中央政府を心配させることの少ない属州になる。

で、なぜ上手くいったかは一切説明なし。もし失敗したならば「カエサル流でなかったから」と一刀の元に断ずるだろう… 最初から引き合いに出さなきゃいいのに、わざわざ持ってくるから話が通らない。これだけでユニークな論文がゴロゴロありそうだね。

■3 コネ上等!

 コネ擁護論が愉しい。帝政時代のプリニウスでも共和時代のキケロでも、書簡を読むとコネのことばかり書いてあるそうな。

 じゃぁコネは害悪なのかというと、「システムとしてそれほど悪いものであろうか」と反論してくる。ローマ人は、中国の科挙のような制度を作らなかった。その代わり、人材登用にコネを重視したのは、現実主義的傾向のあらわれの一つなんだってー。

 つまり、コネとは、責任をもってある人物を推薦することで。優れた人が推薦する人物ならば、良い人材に違いないというリクツでくる。詭弁論 修辞法を目の当たりにする感じ。ものは言いようだね。

■4 なり代わりメソッドは女の超能力なのか

 嫁さんと議論になるとき、思い知らされるのは、その想像力。わたしが言ったことではなく、わたしの抱いていた感情を鋭く追及する。曰く、「揚げ足を取ってやろうと思っていたはず」とか「怒っていたからこそ、そんな言い方をした」とか。

 「思ってない」「怒ってない」と、本人が目の前で否定しているにもかかわらずだ。おまえはオレか!とツッコミたくなる。このなり代わりメソッドは、嫁さんの「個性」なのか? と心配していたが、塩野氏のおかげで払拭された。

 皇帝の不倫についての議論で、塩野氏はこう断言する。

私は、この二人の間にセックスは介在していなかったと確信する、介在していなかったからこそ、ハドリアヌスの胸のうちには、プロティナが生きつづけていたのだと思う。

塩野グッジョブ!言い切った。ローマ時代の史家たちは、皇帝の不倫が肉体関係を持ったものか否かを追求して、結局失敗しているという。それに対し、

それは、セックスが介在していたか否かだけを問題にしているからである。プロティナは、教養が高く誇りも高い女だった。このような女にとっては、愛情とは常にイコール性愛ではない。

不倫が露見した場合の女の遠島と男の死刑を恐れたのではない。性(セックス)が介在することによって、普通の男女の関係になってしまうのを惜しんだのだ。(25巻p.33)

おおーすげー、二千年の刻を超え、本人よりも本人のことを「確信」するさまは、潔いというよりも、単なる妄想のしすぎ。「あの娘がチラチラ見るのは、ボクを気にしてるからさッ」という発言に、「きんもーっ☆」と返されるのと一緒。幸運なことに、二千年前の話だから確認のしようがないわけなんだけどね。

■5 コピペ元の方が明らかに優れている場合(その1)

 そうした妄想に呆れながら、それでもつきあっているのは、彼女の読書量がハンパじゃないから。巻末文献もそうだし、所々に示される引用元は莫大な量になる。わたしが自分で読む代わりにゴクゴク消化して、オモシロどころを教えてくれる。ありがたやありがたや。

 たいていは、長々と引用した後、「…というが、本当だろうか?」とツッコみ、自説(?)を開陳し、「~と思う」で締める。根拠は探すだけムダ、なぜなら、「ローマ人の物語」なんだからねー

 これが、名だたる史家のキケロやタキトゥスを引き合いにするなら、v.s.権威主義として構図も決まるんだが、現代の同業者の場合だと、塩野氏のほうが見るまに色あせてくる。噛ませ犬に食い殺される様子は、別の意味でハラハラする。

 それは、皇帝ハドリアヌスの陰謀論。反対派を裁判無しで粛清したことについて、事故か故意か、迷うところがある。このあたりの機微が、ユルスナル「ハドリアヌス帝の回想」から引用している。読めば分かるが、こいつぁ面白い。25巻のp.55からの数ページは、引用元が引用先を「喰って」しまっている。

 本書よりずっと面白い「ハドリアヌス帝の回想」は、ぜひ読んでみようと思いつつ、塩野氏の反応を見ると、むべなるかな、殊勝にもこう言う。

まことに美しい場面である。ペンで勝負する者同士としては脱帽するしかない。「ハドリアヌスの回想」の中でも、最も美しい場面ではないかと思う。(25巻p.63)

と、いったんシャッポを脱ぐ。しかし、

しかし、ほんとうに話は、このように進んだのであろうか。

…ビール噴いたね。そこまでするかーって。以後、「――だろうか。」「――に過ぎない。」「――と思う」の三段論法(?)でヘコました気分に浸る。さらに追い打ちのつもりなのか、「私ならこう書く」と宣言、同じシーンをなぞるのだが、筆力が「だんち」に違うのがよく見える。うーん、編集段階で誰も指摘しなかったのか、できなかったのか… ケンソンのつもりではなく、逃げ道として「歴史のプロではない」と自認する塩野氏だが、文筆家としちゃプロだろうに… 気の毒なり。

■6 コピペ元の方が明らかに優れている場合(その2)

 ローマ軍団の本質を、具体例を挙げて衝いているのは「ユダヤ戦記」だな。ちょこちょこ抜粋してくれているおかげで、いかに優れているかがよく分かる。失礼ながら孫引き。

ローマの兵士は、戦時になってはじめて武器を取るのではない。平和である間は人生を享楽し、必要になるや武器を手に戦場に出向くのではない。まるで武器を手に生まれてきたかのように訓練を怠らず、実践で試す機会を待ってさえもいないとでもいうふうに、訓練と演習にはげむ日々を送っている。

(中略)まったく、ローマの兵士にとっての軍事訓練は、流血なしの実践であり、実践は流血を伴う訓練である、と言っても誤りではないだろう。(26巻p.37)

「ユダヤ戦記」からの引用+塩野氏の解説の方がすいすい読めて、分かりやすい。おまけに、これまでここからコピペしていることが明瞭なので、底意地の悪い愉しさを味わえる。

■7 「粗暴なローマ人と、虐げられたユダヤ人」という神話

 「アニオタ=ロリコン」だとか「若者=ジコチュー」といった、マスコミによる刷りこみは意識して回避しているが、歴史にもそういうトラップがあったとは。真偽はともかく、気づかせてくれて感謝感謝。

 「わたしの円を踏むな」文句をいったアルキメデスを殴り殺したローマ人、イエス・キリストをヤリで突き殺したローマ人、ローマ人は粗暴で武に訴えるといった「イメージ」が焼きついていたね。いっぽう、迫害者、殉教者、文字どおり、ディアスポラ(離散)の憂き目に遭った気の毒なユダヤ人といった「イメージ」が刷り込まれていたようだ。

 読みどころは、26巻も後半にさしかかった「ローマ人とユダヤ人」論だろう。両者が反目しあうようになった理由について、言葉を選びながら、「イメージ」を切り崩そうとする。

 そこには、小狡く立ち回るユダヤ人と、政策を誤ったローマ為政者という構図が浮かび上がるんだが、この期におよんで「カエサルなら…」が飛び出てくる。まだカエサルかよ!と叫ぶ。こうなったらもう、誰にも止められないね。

 むしろ、古代史のプロフェッショナルに突っ込んでもらいたいのが、次の「カエサル流ユダヤ対策」だろう。

これがユダヤ民族ならば、その特殊性を全面的に受け容れて、つまりは彼らの悲願を認めて、パレスティーナに政教一致のユダヤ教国家の建設を許すことの不都合製はどこにあったろう。幸いにも、選民思想のユダヤ人には、自分たちの生き方を他民族にも広める意欲が少なかった。数が増えすぎては、神に選ばれたる民というありがたみが薄まるからである。

(中略)また、ユダヤ人の経済上の権利をギリシア人と同じ線に引き上げたカエサルの政策も、思い起こす価値は充分にある。宗教に従属する生き方のおかげで孤立しがちなユダヤ社会と帝国を結びつける「血管」は、ユダヤ人にとっては経済活動であるからだった。カエサルがユダヤ民族の孤立を防ぐ必要を感じたのは、人道上の理由からではない。孤立は、過激化の温床であったからにすぎない。(26巻p.94)

すごい、すごいよ。カエサルよりもカエサルのことをよく分かっている。「カエサルか!」と。そして、研究家たちを次のまっぷたつに斬り落とす。
  1. いかにユダヤがローマによって弾圧されつづけてきたかの実証に努める人
  2. いかにローマがユダヤに対して忍耐強く寛容政策をとり続けたかの実証に努める人
でもって、キリスト教文化圏内から脱出した立場で相対化している。塩野氏に手をとられてローマを見て回っているが、このメタな観点は嬉しい。どちらかに染まった目で見なくて済むからね。「私だけが分かってるのよ」という態度は、プロフェッショナルたちからすると非常に鼻につくだろう。それでもスパスパ「分かりやすい構図」で斬ってくれるおかげで飽きずについていくことができる。

 次はインフラの話か。たのしみ~

ローマ人の物語24ローマ人の物語25ローマ人の物語26

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人と人をつなぐ技法「チームビルディング」

チームビルディング 「チームはできるものではなく、つくるもの」。この視点はありがたい。チームをまとめる立場なら、この視点+技法は必須。プロジェクトチームから町内会まで使える。

 好むと好まざるとにかかわらず、社畜でいるかぎり、三十路も後半になると、一匹オオカミでいさせてくれない。「面倒みてやれ」という暗黙のメッセージとともに、何人か付けられる。たいていは、数回の毎朝ミーティングでチームらしくなってくる。

 これが10人、20人のプロジェクトチームになると話が違ってくる。さらに、「思惑」「肩書」パラメータが追加されると厄介だ。以前のわたしは、アイスブレイクをいくつかと、赤ちょうちんぐらいしか知らなかった。仕事を通じてチームは形成されるものだと思っていた。

 ところが、本書では、チームをつくる方法があるという。短期間で活性化したチームとして機能させるためのメソッドが紹介されている。[アジャイルレトロスペクティブズ]がチームの「ふりかえり」とすると、これは、チームの一体感の「予習」のようなもの。仕事に揉まれる前にチームをonにできるのは嬉しい。

  1. 「人組み」と「場づくり」の方法(グルーピングやレイアウト、タイムチャート)
  2. アイスブレイク(時間・人数・道具ごとでケーススタディ付き)
  3. チームエクササイズ(合宿や研修でビジョンを共有する)
  4. 硬直した空気を「かきまわす」
  5. 問題児への対処法
  6. チーム文化を継承する
 特に、アイスブレイクとチームエクササイズは別冊付録に特盛りで紹介されている。文字通りよりどりみどりだが、こうしたファシリテーションものは、あちこち漁るよりも、得意技を徹底して身に付けたほうがよいかと。

 チェックインや他己紹介、トラストフォール(目をつぶって倒れる一人を皆で受け止める)は経験済みだが、わたしがモノにしてみたいものをいくつか紹介してみよう。全てホワイトボード必須なり(めざせ白板マスター!)。

増えるもの/減るもの

チームの中で「これから増えるもの(more)」と「これから減るもの(less)」を列挙して、Tチャートにまとめる(例 : 競争が増える、顧客が減る)。チャートを見ながら将来のチームの姿を話し合い、問題や課題に対しどう対処していくか、そのとき何を大切にするかを議論して、ビジョンにまとめる。数が多い場合は、重要度によるランク付けや内部/外部といったグルーピングをして議論する。


SWOT

分析のためのSWOTというよりも、チームや環境認識の共有のツールとして使う。強み(strength)、弱み(weakness)、機会(opportunity)脅威(threat)のマトリクスを描き、一項目ずつ順番に意見を出し合う。「機会を使って、強みを強化/弱みを克服できないか?」「強み使って、脅威に打ち勝つには?」と問いかけながら、チームのビジョンをまとめていく。強み→資源/長所、弱み→課題/短所、機会→追い風、脅威→向かい風と言い換えると吉。他のフレームワークとして、「will/can/must」の3つの重なる円や、3C(company/customer/competitor)が有効。


タイムマシン法

未来から現在に戻ってくるつもりで。まず、N年後の自分たちの姿を想像して、そのときどうなっていたいか、どういう状態が望ましいかを出し合う。次に、それを実現するためにはN/2年後にどうなっていればよいかを、さらにN/4年後にはどうなっているべきかを出し合う。これをつなげて、明日からすぐ動けるアクションプランにまで落とし込む。ビジョンをつくりながら、そこへ至るロードマップまででき、しかもビジョン実現への責任感が強まる優れた方法。必ず将来を先に決めてから、現在に戻るところがミソ。おそらく、最初は気楽に語り合っていたのが、年限が近づくにつれ現実味を帯びてきて、チームの中に葛藤や抵抗が生まれるはず。そうなっても、できるだけ元のビジョンを修正せずに、決意を高める方向へ促す。

 説得のための分析技法が、チームのビジョンを共有するツールになることに気づいたのは収獲。課題を抱え込んだりせずに、チームで揉めばいいわけね。

 ただ、チームをつくる際、「まずゴールの共有」と考えているわたしにとって、いいヒントがあった。逆説的だが、「やってから考えろ」という。つまり、目的やゴールはさておき、まず作業にとりかかり、しばらく進めていくうちに、目的に意識を向けるように促す。

 やる前にゴールやプロセスを議論しても、観念的で散漫になりがち。だから、具体的な作業を経てから、ゴールを共有してみては、という提案は腹に落ちるものがあった。そういや、PMBOKでも「WBS作成はチームメンバーで共同化しろ」とも言っていたなぁ。「プロセス作成はマネジメントだけで」と凝り固まっていたのかもしれん。

 試してみる。

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「チベット旅行記」はスゴ本というより、スゴい人の冒険譚

チベット旅行記(上) 週末はこれを読んだ、めっぽう面白かった。

 著者は、河口慧海(えかい)。明治時代の坊さんで、鎖国中のチベットに単独で入国した最初の日本人だそうな。ロクな装備もないのに、氷がゴロゴロする河を泳ぎ、ヒマラヤ超えをする様子は、「旅行記」ではなく「冒険記」だな。

 ではこの坊さん、どうしてチベットまで行かなければならなかったのか?

 慧海が25歳のとき、漢訳の一切経を読んでいて、ある疑問に突きあたったという。漢訳の経典を日本語に翻訳したところで、はたして正しいものであるのか? サンスクリットの原典は一つなのに、漢訳の経文は幾つもある。同じ訳もあれば、異なる意味に訳されているものもある。酷いのになると、まったく逆の意義になっている。

    サンスクリット語の原典 → 漢訳 → 日本語訳

 翻訳をくりかえすうちに、本来の意義から隔たってしまっているのではないか? それなら原典にあたろうというわけ。インドは小乗だし支那はアテにならん、だから行くという。

 まるで三蔵法師!こいつバカスギー笑いながら読む読む。住職を投げ打ち、資金をつくり、チベット語を学び始める。周囲はキチガイ扱いするが、本人はいたって真剣。しかも、普通に行ったら泥棒や強盗に遭うだろうから、乞食をしていくという。

 この実行力がスゴい。最初は唖然とし、次に憤然としているうちに、だんだんと慧海そのひとに引き込まれる。これはスゴい人だ、と気づく頃には夢中になっている。ヒマラヤの雪山でただ一人、「午後は食事をしない」戒律を守る。阿呆か、遭難しかかってるんだって!吹雪のまま夜を迎え、仕方がないから雪中座禅を組む。死ぬよ!

チベット旅行記(下) と、前半がツッコミどころ満載のボウケンジャーで、後半はチベット入国後のハラハラドキドキ話になる。というのも、支那の僧に化けているため、いつバレやしないかとヒヤヒヤものだから。捕まれば死刑。

 さらに、学識もあり医術の腕もたつので、周囲がほうっておかない。ラサの大学に入学し、評判を聞きつけたダライ・ラマに会うことになる。身一つでここまでくるとは… どこかの立身出世物語を読むみたい(実話だけど)。

 チベット文化の紹介もスゴい、というかヒドい。今はもちろん改まっているだろうが、当時は――

  • 体を洗い清めないことが至上とされた。「一度も体を洗ったことがない」が自慢話になる。だから、垢で真黒な顔をしている
  • けれども、手のひらだけは白い。なぜか? チベットでは、麦こがし団子が主食だから
  • 団子を作るとき、それぞれ、手のひらで練って丸める
  • つまり、麦こがし団子には少なからず垢が練りこまれている、という寸法
 うわあ。「寿司を握る手が変色!」という笑い話が笑えない。人糞処理や鳥葬の習慣、近親婚など、人の描写は容赦なし。その一方で、景色や鳥獣に目を向けると、それはそれは美しいそうな。あまりの素晴らしさに、要所要所で歌を読んでいる(ヘボ歌だが)。

 しかし、そんな日々も終わりがくる。日本人であることがバレて…とここから急展開する。追っ手を逃れ、5つの関所を知恵と勇気で突破する脱出譚は、ハラハラドキドキ、手に汗握る。にもかかわらず、自分のことなのに恬淡と書いている。とぼけているというよりも、腹括っているんだろうねぇ… 器の大きさをしみじみ実感する一冊なり。

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数式なしでわかった気になれる「ゲーデルの哲学」

ゲーデルの哲学 岩波文庫で撃沈したが、本書から攻めたらすんなり入れた。数式を使わずアナロジーを用いることで、不完全性定理のイメージを上手く伝えている。同時にゲーデルの生涯を追いながら、不完全性定理の哲学的帰結までたどっている。

 哲学的帰結は以下のとおり。

全数学を論理学に還元することは不可能である
全数学を公理化することも不可能である

 この完全な理解にはほど遠いものの、感覚的に分かった。おかげで、あれほど確固なものだった「数学」が、実は「信念」を積み重ねた楼閣に見えてしようがない。わたしは、「数」を信じるように、不完全性定理を信じる。

■01 受験数学の呪い

 「要するにどういうことか」は、理解をすッ飛ばして記憶した。数学は暗記科目――受験数学の呪いは骨の髄まで浸透している。公理と定理を暗記して、adaption パターンを習得するのが「数学」だと思い込んでいた。

 そこには、自ら定理を導出する喜びや、新たな定理を発見する興奮なんて、まるで無い。「受験数学」という巨大なスプレッドシート、そこにびっちり埋まった定理・証明を、いかに効率よく網羅するかがポイントだった。

 究極の数学とは、A1からIV65536の全てを定理・証明で埋めることだと思っていた――ここで止めておけばよかった。そうすれば、少なくとも数学に対する信頼感は揺らぐことはなかっただろう。

■02 第1不完全性定理のイメージ

 しかし、このトシになってゲーデルに興味を持ってしまったのが運の尽き。疑うことなく信じてた(記憶した)足元がくずれはじめる。なぜなら、A1からIV65536の中に、「証明不可能」のセルがあることが分かったから。

 たとえば、ゴールドバッハの予想(4以上の偶数は素数の和)、あるいは、奇数の完全数の未解決問題。これらは未だに証明も反証もされていないという。いやいや、それは人手や非力なコンピュータだったからであって、そのうち、そのセルは「証明済」になるはず。

 では、じゅうぶんな時間をかけて立派なコンピュータを用いれば、全てのセルを「定理・証明済」にできるのかというと―― そいつを先回りしてダメ出しをしたのがゲーデル。

 つまり、わたしが知っている数学(公理系)が、Excelシートの個々のセルに展開されるとき、証明も反証もできないセルが、必ず存在することをゲーデルが証明したわけ。これは65535行の制約を外しても、わたしの知らない数学(公理系)まで展開しても、一緒。

■03 第2不完全性定理のイメージ

 ほとんど直感に近いところで理解した(つもり)。言葉をかえると、「あなたが矛盾しないことをあなたは証明できない」になる。Wikipediaはもっと精確に、次のように述べている。

自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない

 自分が矛盾しているか否かは、確定された別の客体によって証明されるもの、というのは感覚的に分かる。しかし、それだけではないらしい。

さらに、ゲーデルは、数学が公理系によって正当化されることを認めた上で、その公理の正当性を認識するのは、「数学的直感」に基づくという新たな見解を述べている。彼は、「諸公理は、それらが余儀なく真であることを、私たちに強いるのである」という

 「強いる」と太字化したのはわたし。この一言にガッツンとやられた。いまの数学が正しいと信じていられるのは、わたしが人間だからなんだね。ん? すると数学的直感をもたらしている「外側」は、一体どこからなんだろうね? と考え始めると、薄ら寒くなって、思わず背後をふりかえる。数学的対象が、人間精神から独立した存在で、その真理性を保証しているのは「神」にしたくなる。

■04 ゲーデルの哲学的見解

 1960年頃に書かれた、ゲーデルの哲学的信条は、以下のとおり。

  1. 世界は合理的である
  2. 人間の理性は、原則的に、(あるテクニックを介して)より高度に進歩する
  3. すべての(芸術等も含めた)問題に答えを見出すために、形式的な方法がある
  4. (人間と)異なり、より高度な理性的存在と、他の世界がある
  5. 人間世界は、人間が過去に生き、未来にも生きるであろう唯一の世界ではない。
  6. 現在知られているよりも、比較にならない多くの知識が、ア・プリオリに存在する
  7. ルネサンス以降の人類の知的発展は、完全に理性的なものである
  8. 人類の理性は、あらゆる方向へ発展する
  9. 正義は、真の科学によって構成される
  10. 唯物論は、偽である
  11. より高度な存在は、他者と、言語でなく、アナロジーによって結びつく
  12. 概念は、客観的実在である
  13. 科学的(厳密な学としての)哲学と神学がある。これらの学問は、最も高度な抽象化概念を扱う。これらが、科学において、最も有益な研究である
  14. 既成宗教の大部分は、悪である。しかし、宗教そのものは、悪ではない
 なんて素敵なオポチュニストなんだろう、うらやましいなぁ(死にざまはペシミスティックだったが)。ともあれ、数学がもっと柔らかいものであることに気づかされた一冊。ちなみに、神の存在証明の全文が紹介されていたが、理解不能、他から攻めてみよう。

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川端康成ホラー傑作選

Kataude_kawabata 世界に誇るロリ小説の大家は、幻想的な怪談を書いていた、という話。

 彼ほど美少女を描くのが上手い小説家はいない。そして、彼ほど美少女を追い求めた作家はいないだろう。

 すごい美少女って人間ぽく見えない。あまりに整いすぎている見目は、人外いう言葉が似合う。しかも、あかりを消して見る女の裸は、この世のものとは思えない。夜の底に沈む白さは、冥土への途なのか――うつくしい女は、どこか化け物じみている。究極のおんなは、もののけなのかも。

 やはりというか、当然というか、白眉はこれ。

「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と娘は言った。そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。

この文からはじまる幻視的な一夜は、何度読んでも恐ろしい。むかし観たB級ホラー(題名失念)で、腕が持ち主を探す場面を思い出す(白い蜘蛛のように這いまわっていた)。

 話者が見聞きしたイメージを重ねることで、心情を表現するのが非常に上手い、そしてエロい。「眠れる美女」と同等、いやそれ以上にフェチ臭い。美少女は、本体よりもパーツの方がうつくしい―― ここでナイフを使うのはサイコパスだろうが、川端はもっとスマートに欲望を満たしているね

 かなり怖かったのが「ちよ」→「処女作の祟り」の2連コンボ。「処女作の祟り」だけ既読だったが、「ちよ」と重ねて読むと、読後感が一変した。さっき読んだ作品が幻だったのか、あるいは今読んでいるのが幻なのか、という気になる。

 両作品は以下のようなメタ構造になっている。

   {(「ちよ」の話者の小説) ⊆ (「処女作の祟り」の話者)} という小説

「ちよ」は、「ちよ」という名の娘に取憑かれた若者を描いた川端の処女作。そして、「処女作の祟り」は、「ちよ」という名の娘の運命を支配する作家の回想録。ちなみに、修善寺で全裸になった、あの踊子の名は「ちよ」という。

 作中作で自作を語るのは珍しくもないが、つなげて読むと、「さっきわたしが読んだのは本当?」と不安になってくる。この仕掛けは上手い。

 他にも、サイコキネシスやテレパシー、オーソドックスな幽霊奇譚、サイコ・ホラーの先がけといった怪談噺で山盛りだ。どれも女の話ばかりなので、通しで読むと、うつくしい女は、どこか化け物じみてくる。気のせいなのか、それとも、ひょっとすると…

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嘘つき愛くんには痛んだ彼女たちがお似合い「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2」

いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
かみさまのうそつき
いちめんのしたい

いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
こわれたまーちゃん
いちめんのしたい

いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
いちめんのしたい
ちみどろまーちゃん
いちめんのしたい

 という素晴らしいシーンがフラッシュバックする「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」。物語として完成度高いなー、と思ったのは、本作が一回限りの「嘘」に支えられているところ。みーくんの戯言的会話や、まーちゃんの狂いっぷりは、この「嘘」のおかげで救われている(わたしのレビューは[ここ])。

 …もちろんネタバレしないので、安心して続きを読んでほしい。

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2 で、その「嘘」がウソとして暴かれるとき、このネタは使えなくなるはず…だったのに、だったのにーッ、 まさか「2」が出るとは! しかも読んで二度ビックリしたのは、きちんと叙述系の続編に仕上がっていること。

 入口はこんなカンジ、時間軸は「1」の続き、ネタは過去に遡及する。

入院した。僕は殺人未遂という被害の末に。マユは自分の頭を花瓶で殴るという自傷の末に。
二人が入院した先では、患者が一人、行方不明になっていた。
その事件は当初、僕にとって問題となるべき事柄ではなかった。数日後に起きた出来事のほうがよっぽど衝撃的だったからだ。
数日後。マユは、頭部と花瓶を再度巡り会わされた。自傷じゃなく、誰かの手によって。マユは病室で血塗れになり、今回も気絶することなく自前の足で歩き、医者に治療を依頼した。
そして、治療から帰ってきたマユは、本題とは関係の無いことを僕に発表した。
死体を見つけた、と。
また、はじまるのかな。ねえ、まーちゃん。

 あいかわらず、二重底の一つ目はすぐ分かるんよ、「犯人」が誰かってね(この手の奴は、話としていちばん面白いキャラを犯人にする)。それで安心して読み進めると、二つ目の底にひっくり返されるんよ、うわー、そうキたかーってね。

 しかもやんわり心惹かれているだけに、人物相関の残酷さが余計に刺さるんよ。嘘だろーって、口走っちゃうんよ、人死にが出るんじゃなくて、最初から死体とご対面なんよ、そしてサイアクなことに、事件はちっとも解決しないんよ。嘘だけど。

 そうそう、「2」の表紙、まーちゃんの眼(まなこ)はしっかり見ておくように。瞳孔が縦長になっているのは、夜行性の特徴なんだそうな、爬虫類の。

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わたしの7つの「ふりかえり」

 [チームリーダーは「アジャイルレトロスペクティブズ」から盗め]の続き。わたしの「ふりかえり」をふりかえってみる。

■01 定期的に、ふりかえる

 実は、定期的なふりかえりは、したことがない。たいていは、プロジェクト終了直後や、さらにずっと後になって、「あんな時代もあったね」と語ることはあっても。ただし、「笑って話せる日」は絶対こない。笑わず小声で真剣に「あの二の舞だよ」、あるいは「まだ学習してへんのかッ」と刺す。

Agileretrospectives そういうチーム運営を定期的にふりかえる必要性に気づいただけでも、本書に感謝しないと

 まずいチーム運営は、トラブルという見えやすい形でフィードバックをもらっていた。メンバーの不満や、作業プロセスのボトルネック、品質チェックの不備は、プログラマの喧嘩や明白なサボタージュ、収拾のつかないバグズライフに化す。

 そして、「トラブルの対処」という形で皆の不満を吸い上げたり、手順書を見直したり、試験観点を追加していた。遅きに失する「ふりかえり」だが、やらないよりはやったほうがマシなことを、経験的に知っている(better late than never!)。

■02 わたしたち v.s. 問題

 のらりくらり言い逃れるクチをつまんで、「おまえのバグじゃボゲェ!」と怒鳴りたい。ヘラヘラ笑ってるか、逆切れしている顔を張り倒してその上でツイスト&シャウトしたい―― という非常に強い欲求に支配されることがある。

 こういうとき、わたしは何をするか?

 やおら背を向けて、ホワイトボードに書き出す。なければ巨大なクリップボード(いつも持ち歩いている)に絵を書き始める、「問題はこういう構図なのかなぁ?」といいながら。そして、「まずいところ」をギザギザ型にして、見せる。すると、どんなに逃げ回ってる奴でも、必ず見てくれる。

 「わたし v.s. あなた」の対決になるとどうしても感情的になってしまう。「攻撃 v.s. 防御」か、あるいは攻撃は最大の防御とばかりに、問題の押し付け合いになる。たがいに、「問題は相手が持っている」とみなすわけだ。

 これを回避する魔法の道具がホワイトボード。

    (問題)わたし   →→→ × ←←←   あなた(問題)

相手の向こう側に「問題」があるので、相手を口撃してしまうのが、ホワイトボードに書き出すことで、

    ホワイトボード(問題)  ←←←←← 「わたし and あなた」

アート・オブ・プロジェクトマネジメントに化ける。嘘だと思う方は、騙されたと思ってお試しあれ。火事場プロジェクトに落下傘部隊よろしく降下するとき、必ずこのやり方を使っている。だから、配属されて真っ先にする作業は、「ホワイトボードを確保して、自席の近くへ持ってくる」だね。(このへんの話は、アート・オブ・プロジェクトマネジメント」読書感想文に書いた)

 余談になるが、火を噴くプロジェクトは必ずといっていいほど、ホワイトボードがない。(あっても使っておらず、古い情報が消されずに残っている)。だから、配属された2番目の仕事は、「パリパリに乾いたインク跡を、丁寧に消す」やね。

■03 「問題」を持って、歩き回る

 「アジャイルレトロスペクティブズ」では、みんなが一緒の部屋で「ふりかえり」をしている。これも、あまり馴染みがない。みんないるところで、どんどん意見が出るものだろうか? 「アジャイル…」では、そうさせる仕掛けが紹介されているが、わたしのやり方は「問題を持って歩く」につきる。

 上の「■02 わたしたち v.s. 問題」で見える化したクリップボードを持って、ホットな人に会いに行く。メールも電話も×。直接会って「これについて、あなたの考えを伺いたいのですが、お時間をいただけますか」とお願いする。

 ポイントは、「これについてなんですけど…」と言いながら、問題の絵を見せるところ。チラっとでも見たらこっちの勝ち(人は字を読まないけれど、マンガは必ず見てしまう)。ホントに忙しかったら、空いている時を確保してくれるはず。しかも、人は「教えてください」に弱いもの。

 話が聞けたら、赤ペンでその「問題の絵」に書き足す。自分の意見が重視されるのは気持ちがいい。これを、チーム全員分する。わたしの場合、せいぜい5~6人のチームなのでこのやり方が可能だが、もっと大人数だったらどうしようかなぁ。

■04 人を集める

 ここまで下ごしらえした上で、メンバーを集める。全員分の意見・アイディアは書き出され、「○○というのがあなたのアイディアで合ってる? 足りないトコない?」という聞き方で進めるつもりで。

 開口一番は「○○の問題を解決するために、この場を設けました」で始め、かつホワイトボードにでっかく問題文(目的)を書いておく。また、全員の意見が書いてある「問題のマンガ」があるから、しゃべりすぎの奴にキッパリ「ちょっと黙って(ろこのタコ!)」と言える(丸カッコ内は心の中)。

■05 よい質問

 心がけている問いかけは、以下のとおり。

  • いま取り組んでいるのは、どんな問題なのかな
  • その問題が解決するとはつまり、○○ということになればOKなんだよね
  • 「○○になった」のは、どうやったら分かる?
  • それはいつ分かる?
  • それは誰が分かる?
  • あるいは、わたしが分かるためにはどうすればいい?
 ポイントは、問題を言い替え・分解すること。一言で「問題の対処」とはいっても、「原因を特定し、直す」ことと、「もう二度と発生させないようにする」ことと、「起きても無効化する」ことは、それぞれ分けて問いかける。超重要なのは次の二つ、
  • 他にない?
  • むかし、似たようなことがなかったっけ?
 この質問にどれだけ救われたことか。複数のインタフェースに跨るバグや、チームを横断する作業プロセスの改善は、似た事例が必ずあった。見たこともないような問題が立ちふさがり、スーパーな人があっという間に解決するのは例外で、でかい問題は昔から根を張っており、時間をかけて解きほぐす必要があるもの。

■06 お菓子は、重要なのかもしれない

 昔は、机の引出しにお菓子を常備している奴をバカにしたものだが、なかなかどうして、これは使える。議論が白熱してきたとき、お菓子(キットカットや一口チョコ、アメ)を出して、休憩にする。

 これはわたしの経験則なんだけど、一緒にモノを食べてると、敵じゃないという気になれる。なぜか説明できないが、食べながら話しをすると生産的になれる。口に甘いモノを入れていると、相手に寛容になれる。少なくとも喰ってる間は黙ってるし。

 昔は、赤ちょうちんで一杯やりながら同僚と「この仕事のやり方ではダメだダメだ」とサラリーマン模範生のようにクダ巻いてられたが、一杯やってるヒマすらない。そんなとき、この小道具は使える。

自分の小さな「箱」から脱出する方法■07 Getting out of the Box

 「ふりかえり」の際、一番陥りがちなのが、お互いが「箱」に入ってしまうこと。

 だから、まずわたしが、「箱」を意識して、その外に出ていること。「自己正当化の正当化」の罠にハマらないこと。自己欺瞞→自己正当化→防御の構え→他者の攻撃→他者のモノ化のルートに陥らないこと。

 メンバーを感情的な目で見るとき、どうしても「問題に対する自己防衛本能」が働き、その結果、相手の言動をそのまま受け取れなくなる。真意の底に悪意を探し始める。いわゆる「箱の中に入る」やね。

 その「箱」を意識することで、無効化させる。大丈夫、燃えるプロジェクトが飛び火して火だるまになっても、うんこプロジェクトの残糞を舐めとらされたりしても、死ぬわけではない。罵倒されようが無能呼ばわりされようが、構えない。

 なぜなら、わたしは、問題を解決するために、ここにいるのだから。

――「箱」って何のこっちゃ、という方は「自分の小さな「箱」から脱出する方法」を激しくオススメ(レビューは[箱1][箱2]

 以上が、わたしの「ふりかえり」のふりかえり。緊急度が比較的低く、チームで根気よく取り組む問題は、こんな風にやっている。もっと緊急度が高いトラブル(パターン青!使徒です!)の場合は、「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」で5原則を説明してある。

  • 原則1 : 情報を集める場所と、判断する場所を、物理的に分ける
  • 原則2 : 重大な問題が発生したとき、メンバーをどのタイミングで休ませるか? を最初に考える
  • 原則3 : トラブルの原因を探す/被害を最小限する/プロジェクト目標へ軌道を戻す目的を分ける
  • 原則4 : 「外の目」を取り入れる
  • 原則5 : 現場を責めるな!
 成果物に出る「問題」と、作業プロセスに生じた「問題」を混ぜて書いてしまったが、両者を分けられない。プロジェクト・メンバーの士気と、「ていどひくい」バグの発生率は、かなりの相関関係があると思うぞ、測ったことないけど。

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