絶望的な状況を脱出するリーダーとは? 「エンデュアランス号漂流」
極限と、そこからの生還がある。月並みだが、「事実は小説よりも奇」を地でいく。ただしこの場合、「奇」ではなく「危」だな。あるいは「飢」か。
動機は、「大英帝国が南極点到達に遅れをとるなんて!」→「ならば南極大陸横断だ」と、まことに不屈魂(endurance)あふれるもの。無線は実用化されておらず、ましてや雪上車? なにそれ? の時代、つまり1914年に決行している。
当時としては最も頑強な「エンデュアランス号」は、南極大陸の手前で氷に閉じ込められ→圧砕→沈没。5,000人から選び抜かれた28名は氷板の上で生き延びるも、破砕→漂流。食料不足、極寒の嵐、凍傷、病気… 次から次へとくる危機的状況に、真正面から立ち向かう。写真を見る限り、冒険自体が狂気の沙汰としか思えん。
本書の中盤あたりから、誰が死んでもおかしくない状況がの連続。いや、全員死亡もありうる。それでもページをめくらせるのは、本書がノンフィクションで、28名の全員が生還していることが、予め分かっているから。いったいどうやって、この難局を乗り切ったのか、知りたくてたまらないから。
そこに何を読むか?
南極の異質な自然の暴威に驚嘆し、冒険野郎のタフネス&ユーモアに顔をゆがませ、耐え忍ぶことで道は開けるといった教訓を得る―― なによりも、めっぽう面白いノンフィクションに夜をかけて挑む(徹夜本だし)。
さまざまな読み方があるが、わたしの場合、「絶望的状況を脱出するリーダーとは?」という問いを立てた。リーダーというより、「ボス」と呼ばれたシャクルトンの「言動」に注目する。
■不屈(endurance)の自信
シャクルトンの不屈の自信は、悲惨な状況であればあるほど輝く。
九死に一生を得るリーダーとしては、シャクルトンが一番らしい。しかし、そもそも危機的状況にならないようにリスクヘッジをする能力については、疑問符がつくようだ。特に、最近出た「シャクルトンに消された男たち 南極横断隊の悲劇」で意を強くした。科学的な指導力ならスコット、素早く能率的に旅をすることにかけてはアムンゼンが抜きん出ている。だが、もしあなたが絶望的な状況にあって、なんら解決策が見いだせないときには、ひざまずいてシャクルトンに祈るがいい
■楽観主義とプライド
シャクルトンの楽観主義は、状況から目を背け、都合のいいものしか見ないことではない。自分の無敵を心から信じており、挫折するとしたらそれは能力がないせいだと考えていたそうな。一種の自意識過剰とも言えるうぬぼれの強さが、断固とした決断力とカリスマ性の源だった。
そして、このうぬぼれの強さのために、他人の意見に耳を貸さなくなり、現実を見誤ることもあった。探検そのものの失敗、エンデュアランス号を失ったこと、氷上の行進(しかも徒労に終わった)―― これだけ失敗が続けば、プライドはずたずたにされるだろう。一時的に神経過敏になって「過度の緊張からくるのだろう、何も考えず心身を休めたい」と日記にある。
しかし、失敗をする度に目標を切り替え、その目標が達成できなかったら、さらに別のゴールを立てて…と、常に目標に向かおうとする姿勢は絶対に変えなかった。失敗したら、目標を変えればいい。最後の目標「全員を生還させること」は成功している。シャクルトンに言わせれば、目標を掲げなくなったときが「終わり」なんだろう。
■トラブルメーカーに気を配る
シャクルトン独特の仕事の進め方だなぁ、と思ったのがコレ。進退を決めるような重要な話し合いや、チームを分けなければならないとき、いわゆる「トラブルメーカー」となりそうな人を、常に手元においていたそうな。なぜなら、
氷はどうしようもない、嵐もいかんともしがたい、マイナス18度も、英雄的行為によって変わることはない。リーダーは外部要因を変えることはできないが、メンバーに働きかけることはできる。そして、メンバーがバラバラにならないようにするには、まず不満分子が集まらないように物理的に先手を打っておく。これがシャクルトンのやり方。「人」のリスク管理は一流だなぁ。シャクルトンは肉体的には全く恐いもの知らずだったが、その実、状況を把握できなくなることを病的なまでに恐れていた。これは、彼の強い責任感によるところが大きかった。隊員をこのような状況に追い込んだのは自分なのだから、何としても全員無事に脱出させなくてはならないと考えていた。その結果、全体の調和や団結を乱す可能性のある潜在的トラブルメーカーに対し、たえず厳しく気を配っていた。もし隊員たちのあいだに不和が生まれ、全員の力が存分に発揮されないようなことがあれば、これは生死を分けるような結果になりかねない。
■ユーモア、ユーモア、ユーモア
これはシャクルトンに限らない。どうしようもない状況は変えられないが、とらえかたを変えることはできる(コップ半分のたとえ)。状況を冗談にするようになればずっと良くなる。
たとえば、救助を求めるボートに選ばれた隊員に、「足を濡らさないように」と注意したり(もちろん全員ずぶ濡れ)、島に着いたら後から救出される仲間のために女の子を残しておくことを約束させたり。お互い、もう二度と会えないかもしれないということを知りつつ見送る状況で、こうした冗談を交わすのは文化の強さだね。
さらに、救助を求めるボートが凍りつき、水がなだれ込んでいるような状態で、舵取りを交代する際、「素晴らしいお天気ですね」とニコニコ嬉しそうに言ってのける。悲惨な状況でユーモアを言えるということは、人間の強さだね。
シャクルトンのユーモアは、隊員を戒める際に表れている。冒険の初期、びくともしないエンデュアランス号は、どんな氷の圧迫にも耐えうる、とクルーたちが自信満々に話している場面に出くわして、シャクルトンが口を開いた――
あるいは、南極探検隊を募集した広告にも洒落っ気がある。事実は小説よりも「希」、なのかもしれん。シャクルトンの話は、居酒屋に住むネズミの物語だった。ネズミはある晩、割れ目の入ったビール樽を見つけ、思う存分、ビールを飲んだ。酔っ払ったネズミは、ひげをひねくりまわしながらあたりを見回し、こうのたまわった。「さてと、ネコのやつはどこにいる?」
MEN WANTED
for Hazardous Journey,
Small Wages,
bitter cold,
long months of complete darkness,
constant danger,
safe return doubtful.
Honor and recognition in case of success――Ernest Shackleton.
求む男子
至難の旅
僅かな報酬
極寒
暗黒の長い日々
絶えざる危険
生還の保証なし
成功の暁には名誉と賞賛を得る――アーネスト・シャクルトン
最後に。本書は、linboseさんの「女王陛下のユリシーズ号」の[書評]に推されて読了。素晴らしい本を教えていただき、ありがとうございます、linboseさん。それから、「エンデュアランス号」のディメンジョンならば、「復讐する海」をオススメ。

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コメント
「スゴ本さん」(と呼ばせていただいている)にreferしていただき、恐懼しています。私のサイトは、書評なんてものではなくて、メモ又は感想にすぎませんが、スゴ本さんのような楽しい書評が書けたらいいなといつも思っています。私はまだ「図書館派」への脱皮ができていないので、「復讐する海」を見つけるのに時間がかかるかもしれないなという気もしますが、「見つける楽しみ」が増えました。わたしが知らないスゴ本は、きっとスゴ本さんが紹介してくれると思ってますので、これからも良い本をご紹介ください。では。
投稿: linbose | 2007.08.31 22:31
>>linbose さん
「エンデュアランス号」は、いわゆる「題名を知ってるけど敬遠していた本」でした。linbose さんのコメントのおかげです。「○○が良いというなら、△△なんてどう?」というのがスゴ本への道です。わたしが知らないスゴ本は、linbose さんが読んでいた、というやつですね。
投稿: Dain | 2007.09.01 10:20
お願い:良く考えて見て下さい
題:漂流するボートに居た4人は・・・
キリスト教は、「(キリスト教の)神の義があれば」という言い訳を与え、
人間を「物と同様」に考えて良いと教える。そして、「(キリスト教の)
神の義があるなら、人を殺して良い」 と言う。
そのキリスト教の教えで、他人を殺戮し、略奪する行為が、累々と人の
命を奪うキリスト教の歴史が、展開される。
現代でも、この悲惨な行為は 行われている。
聖書に「異教徒を殺せ」「魔女は生かしておいてはならない」等の
「殺人指令」を厳然と存在させている。
事 例 :
漂流するボートの中に置かれた4人のキリスト教徒は、このキリス
ト教の教義が思考形態の中にある。
そして、なんだかんだと意味付けし、ある一人の人間の命を奪う。
そして、自分の糧とする。
その中のある者が日記に記す
「 『 朝食 』 を食べている時、
発見され、救われた」・・・と。
(NHK,2010・4・24、am1:05,ハーバード白熱教室を見て思う)
ーー(若い方達へ)ーーー
キリスト教は 贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は 特にご注意ください。
虐殺や戦争の事例が実に多い 宗教です。
それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
他人を絶対にあやめてはいけません。
間違った宗教に幸せな未来はありません。
キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が亡くな
った戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。
そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。
どの宗教も同じという話は無くなると思います。
やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。
投稿: なんだかんだと糧にする | 2010.05.23 04:33
題 : 感受性の強い子供の心を、
結果的に、
弄(もてあそ)ぶような事が起きています
今、キリスト教のお祭り「ハロウィン」が、
日本で、無邪気に行われておりますが、
そして、
この魔女が関連するこのお祭りに、
小さい子供が参加していますが、
また、
小学校では「国際感覚を身につけよう」という美名のもとに、
公的小学校も含めて「ハロウィン」が行なわれ、
キリスト教系の学生が、
喜々として駆けつけ、
一緒になってやっていますが、
これは美名の下の「キリスト教の巧妙なる伝道行為」です。
アメリカでも問題となり、
裁判事例の多い「巧妙なる伝道」です。
そして、
この魔女が関連しているこの事例で、子供たちに何が起きたか?、
影響したか?という事例です。
キリスト教には「 神を恐れよ 」という教義があります。
魔女事件の場合、
キリスト教はこの教義によって権威を得ようとしました。
また、
教勢を拡大したいとしました。
その為に、
「魔女を生かしておいてはならない」の教義があるキリスト教は
「死も辞さない」という姿勢でした。
「死も辞さない」と言っても自分ではなく、
相手を死に至らしめる行為でもって権威を得ようという行為です。
この結果、
キリスト教は、周りに死の影や戦争が満ち、まとわり付いた歴史
となりました。
魔女事件の場合、
年端(としは)の行かない3歳・5歳・7歳・12歳の子供達が憑依
(ひょうい)しました。
悲しい事です。
これは、広がりやすい性質を持っていました。
17世紀、キリスト教司教領で、
子供だけでなく、
地域全体が憑依するという事件となって起きました。
魔女だと言われた女性が、
自(みずか)らキリスト教聖職者の居る魔女委員会に申し出て、
「多くの人々の体内に悪霊を祈り込んだ」
と言いました。
すると、
町に憑依した、憑(つ)かれた主婦や子供達、
大勢の群れが、
この司祭領や隣接する地域にさ迷い出て来ました。
憑依した人たちは未成年者が多い状況でした。
町は混乱しました。
飛び火しやすいこの現象は、飛び火して行きました。
スウェーデンの場合は、プロテスタントの村でした。
憑依した子供たちが現われました。
子供達は、意外と大人が何をやっているかを知っていました。
大人たちの言動から魔女とはどういうものかを見聞きし、
よく知っていました。
日頃から、キリスト教聖職者は魔女の定型を話をしていました。
怖い事に感受性の強い子供達は、特に、憑依しやすい状況で、
親たちは自分たちで救う事を断念するくらいでした。
親たちは、
当局へ原因の魔女の撲滅をする様にと押しかけるという騒ぎ。
国王の調査委員会が取り調べるという事になり、
騒ぎはますます拡大して行きました。
また、
多くの他の村々へ伝染して行きました。
憑依した魔児は、
無数の大人たちを告発しました。
「魔女の踊りをしていた」「悪魔のシナゴーグへ行ったりしてい
る」、
それを見たと。
ある村は、
70人の女性と15人の子供が火炙りとなりました。
これは、
国境も越えて広がって行きました。
ドイツで起きた事例では、
ほとんどが10歳以下の子供でした。
子供達は、
キリスト教の教義と魔女を自己流に織りなして語りました。
想像力の強い子供達は、
「魔女のサバト」「天国の幻視」「最後の審判と地獄の使者」を
語り、告げるという状態でした。
驚くことに「デーモン(悪魔)との性交渉」の詳細な証言に裁判
官(キリスト教裁判所の聖職者の裁判官)もびっくりしている状況
でした。
「ハッピー・ハロウィン」と仕掛け人は、洗脳いたしますが、決
して「ハッピー」ではありません。これは洗脳のための言葉です。
(参考)とし‐は【年端/年歯】 年齢のほど。年齢。としのは。
「―のいかない子」
(参考)ひょう‐い【憑依】 [名](スル) 霊などがのりうつるこ
と。「悪霊が―する」 」
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/
投稿: 名無しのひつじさん | 2012.07.12 01:40