プロフェッショナルの書評「読書の階段」
以前は興味の赴くまま荒食いしてたのが、プロのオススメに目を凝らすようになった。つまり、出会い系である本屋でとっかえひっかえするのを止めて、書評欄のやり手婆の口上に耳をかたむけるようになったのだ。
もちろん、やり手婆はしっかり選ぶが、シュミは任せる。自分のシュミだけを読みつづけると、打率は上がるが、どんどん先鋭化していき、最後には視野狭窄に陥る。小さい自分の世界で偉そうにする愚が、分かった。
やり方を変えた結果、打率は下がったが、あたれば強打になった。さらに、真芯が太くなった(食わず嫌いが減ったともいう)。面白いといえる本が金脈ごと見つかって、嬉しい。
そういう、わたしとシュミが異なる人に、荒川洋治さんがいる。
言葉の達人である詩人の書評なので、読んでて心地よい。
しかも、いちばんの読みどころの「良さ」だけ伝えて、中身はわざと書いていない。快い憎さ。本の紹介ではなく、その本と読み手との交歓をストーリーに仕立てている。例えば、お尻の博物誌である「アナル・バロック」(秋田昌美)を、こんな風に紹介している。
恥ずかしいことをキッパリと「愛らしい」と言い切る。こっちが赤らんでくる。書評読んで、昔見たいろいろなお尻を思い出すことなんて、そうない経験だね。これは、レビューされている本を読んでても味わえないだろうなぁ。お尻は性と排泄、快楽と羞恥の中間に位置するもの。「この曖昧でどっちつかずの淡色のゆらぎのなかに」エロスがあるのでは、と著者はいう。(中略)そういえば、どんな人にも、その人というものと、その人のお尻というものが、あるように思う。ふたつはときにはなればなれのこともあり、その落差が面白い、はずかしい、愛らしい。
同じ本を読んでも、わたしには書けない。いわば、プロフェッショナルの書評。
書評の「妙」というのをハッキリと感じ取れる一冊。
オススメだけど、先にも述べたように、「わたしのシュミ」とはかなり違う選書なのでご注意。違うのがイイ、という方はぜひ玩味くださいませ。ちなみに、同著者のエロさ満点の書評は、こっち→[ラブシーンの言葉]
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