「黒い時計の旅」はスゴ本
2007年のNo.1スゴ本、幻想と現実が絡みつく、悪夢のような小説。
たいていの小説はdriveするように読んでいる。読むスピードやペース、展開の先読みをどこまで自分に許容するか、といったことを意識してハンドリングしている。ところがこれは、本に飲み込まれる感覚。物語に引きずり込まれ、その世界に放り出され、彷徨い歩く。driveされているのは「わたし」だ。
物語のイメージは夜、しかも真黒なやつ。読み始めるとすぐに、手で触れられる闇がねっとりと皮膚にからみついてくる。もちろん昼間のシーンもあるが、読み手は夜の中から覗き見ているような気分。重要な出来事は夜に起きる。歴史は夜作られる。
これは、もうひとつの二十世紀の物語。ヒトラーが死なず、1970年代になってもドイツとアメリカが戦争を続けている二十世紀。わたしたちの知る二十世紀と、もうひとつの二十世紀の間を、物語が振り子のように行き来する。
ストーリーを一言で表すなら荒唐無稽。だが、生々しい視覚性から紡ぎだされる圧倒的な幻視力で、熱に浮かされるように読む読む読む。本当に息が止まったシーン多数。
カート・ヴォネガットの文体に、オーウェル「1984」や多和田葉子の「容疑者の夜行列車」がフラッシュする。わたしの中を掴み取られ、別の記憶がOverrideするようで気分が悪い。史実に虚構が混ざっているのか、虚構のうえに史実をアレンジしてあるのか分からなくなる。訳者の柴田元幸は、この読中感覚を上手く言い表している。
現実の二十世紀と幻想の二十世紀を仕切る境界線は、必ずしも明確ではない。メビウスの輪をたどる指が、はじめは表をたどっていたはずなのに、いつのまにか裏側に達しているように、「黒い時計の旅」でも、現実はいつのまにか幻想に侵犯され、幻想もまたいつしか現実が浸透している
ただしこの小説、おそろしく読みにくい。別人を同じ一人称で示したり、同一人物を異なる人称で書いたり、時間軸と空間軸を軽がるとジャンプし、平行して物語を進めたりするからだ。読み手は「いま」がいつなのか、「わたし」や「おれ」が誰なのか、そして「ここ」はいったいどこなのか分らないまま振り子に翻弄されるかもしれない。
だが、それこそ語り手の思うつぼ。明日が休みなのを確認して、どっぷりとハマって欲しい。なぜなら、本書は、はてなの質問「徹夜小説を教えてください」でオススメいただいた作品でもあるのだから。

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コメント
driveするように読む。
driveされるのは自分。
うーん。この箇所に読み行ってしまいました。
I drive the bookであり
The book drives me crazyですものね。
投稿: ふる | 2007.05.13 20:24
>> ふる さん
そうです、この場合の drive は「翻弄」というニュアンスが入ってます。ほとんどの小説は(文字通り)掌の上で読んでます。が、本書は(文字通り)呑み込まれました。
それぐらいのスゴ本です。
投稿: Dain | 2007.05.13 23:29