劇薬本「子どものねだん」で知る児童買春地獄
掛け値なしの劇薬、まじめに読むほど気分が悪くなること必至。最悪なことに、こいつがフィクションでないことを意識して読まされる。ふつうの人は読んではいけません。
「赤ちゃんの値段」があるぐらいだから、「子どもの値段」もあるだろうという安易な発想から見つけたのだが、これがスゴい。ヒドい。「人をモノのように扱う」は比喩だというヌルい感覚は吹き飛ばされる。言葉そのままの意味で「モノ以下」。子どもにとっては地獄そのもの。本書をタネ本とした「闇の子供たち」の方が、フィクションである分、ある種の「安心感」をもって読めたが、これはそれを許さない。
「小さな穴」を求めるオトナにとって、子どもの性別は関係ない。従順で、好きに扱え(暴力を含む)、未発達であるがゆえに締まりが良い穴であれば、関係ないのだ。自由を奪われ、ろくな食事を与えられず、暴行・暴行・暴行。そして、ちょっと言い表せないような性行為を強要される。HIV感染からAIDS発症になると、文字通り「売り物にならなくなる」―― わたしの子と同年代の子どもたち。
まともな本屋では置いてないだろうが、もし手にするならば、口絵のカラー写真を眺めてみるといい。折檻の傷痕を見ると、まともな精神でいられなくなるに違いない。「これが現実だ」なんて安易な台詞が押しつぶされる。
いちばんショックを受けているのは、著者マリーだろう。生々しい書き口に彼女の葛藤や苦悩が如実に出ており、読みにくい…が、分かるよ、誰だってこんな異常事態が日常になっている場所に行ったらなら、まともではいられない。
NGOの医療・教育活動に従事する著者は、キャンプから子どもが「消える」ことに気づく。やがて、タイの民間援助団体の仲間から、子どもたちは闇の組織の手で、あるいはキャンプを警備する軍人たちによって、バンコクの売春宿に売られていることを知らされる。
表向きは「そんなものは存在しない」のであるから、どの窓口にかけあってもナシのつぶて木で鼻。思いつめた彼女がとった最後の手段は、NGOのタイ人青年とカップルを装い、売春宿で「子でもを買う」こと。
売春地帯に潜入したマリーが出会った子どもたちは――
破壊される子どもたちの実態は、とても書けない、わたしがおかしくなる。ただ、「闇の子供たち」はフィクションでもなんでもなく、まだ控えめだってこと。ペドたちの言葉は忘れることができない。例えばこうだ
売春も、ここではどうってことないのさ。子供たちがからだを売るのは、そうやって経済活動に参加しているんだ。この国では父親たちが子どもにそういう手ほどきをしているんだ…
夜、サイゴンのカティナ通りで、6歳から11歳の子どもたちが声をかけてきた。10ドルで、連中は何だって、やる。もう10ドル出せば、ホテルのガードマンも目をつぶる。そんな子どもたちを集めるだけでいい。確かに、生きるために乞食だってやるでしょう、でもあの子たちが欲しがっているのは、愛なんだ。だからわたしが、与えてあげる必要があると、だから、それ以上はつっこまないでほしいね、アジアの子どもたちには愛の琴線ってものがある、性的本能が肌の下から顔をのぞかせている。わたしたちもあの子たちのからだが好きだし、あの子たちも大人の愛が好きなんだ
ペドフィルだけではない。HIVに感染し、AIDSが発症し、死を宣告された今になっても、「新しき愛」を得るために飛行機に乗る白人。数十人の若い女や少年少女を買い、一人でも多くの道連れを増やそうとする人がいる。
ストックホルムで1996年に開催された「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」で示されたユニセフの資料によれば、売春に従事させられている児童の数は、
フィリピン 65万人以上
インド 30~40万人
米国 30万人
中国 20万人以上
タイ 20万人
台湾 6万人
パキスタン 4万人
ネパール 3万人
スリランカ 3万人
ドミニカ 2万5千人
バングラデシュ 1万人
フランス 8千人
※ちなみに、ここでいう「児童」は18歳未満の男女を指している。観光と売春は、もはや各国での「闘い」と化しているとのこと。
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