最も古い「最近の若者は…」のソース
「近頃の若いやつときたら…」という枕詞は、「なっとらん」と続き、さらに「わしが若い頃は…」と説教モードになる。これは「たらちねの→母」や、「とりあえず→ビール」と同様、慣用句として扱われるべき。したがってこの場合は、「母」や「ビール」と言いたいように、「わしが若い頃は…」と自慢話がしたいだけ。
そんなジジイババア連中も、「若いやつ」だったときがあり、その当時は、やっぱり「最近の若者は…」とやり玉に挙げられてた。そして、耳に痛い「なっとらん」部分を更生しないまま、オッサンになり、ジジイになる、オバサンになり、ババアになる。
■昔から言われていた「最近の若者は…」
変わったのはツラの皮の厚さだけという爺婆に向かって、「そのセリフ、大昔から言われてたんですよね」なんて返すと、途端に防御の姿勢をとる。自分がそう言われていたことと、その「欠点」がエエトシこいても直っていないことに思い至るのか、顔を真っ赤にして「そんなの根拠のない言い伝え、都市伝説だよ」と怒り出す。
こっちは、「お互いサマですね」なんて含意を込めて言っているだけなのに、「誰がそんなコトいってる? 出典は?」ケンカ腰で詰め寄る。トシ取ると被害者意識が拡大するのか、それとも、いま目の前の人だけがそうなのかは、分からない。
そこで調べた結果を公開する。
ちなみに、調べた方法は図書館のレファレンスサービスで、google先生ではない。ネットには「質問の残骸」はあるが、今のところ、以下の文献までたどり着いていないようだ。似たような問いが発せられた場合はこのエントリを思い出してほしい。
切り口は、2つある。一つは、 古代ギリシアの哲学者が言ったというもの。もう一つは、エジプトで発掘されたというもの。
■ソース1 : プラトンの「国家」
ひとつめ、プラトンの著書にこうある。出典は「国家」(第八巻)560C-561Bで、「プラトン全集11巻」(岩波書店,1976)のp.604より引用している。太字はわたし。
「そうなると、この青年はふたたびあの蓮の実食いの族の中に入って行って、いまや誰はばかるところなく、そこに住みつくのではないかね。そして、身内の者たちのところから何らかの援軍が、彼の魂のけちくさい部分を支援しにやって来ると、あのまやかしの言論たちは、この青年の内なる王城の壁の門を閉ざしたうえで、その同盟軍そのものも通さないし、年長者が個人的に彼に語る言葉を使節として受け入れることも拒み、自分たちも闘って勝つことになる。こうして、<慎み>を『お人好しの愚かしさ』と名づけ、権利を奪って追放者として外へ突き出してしまうのをはじめ、<節制>の徳を『勇気のなさ』と呼んで、辱めを与えて追放し、<程のよさ>と締りのある金の使い方を『野暮』だとか『自由人らしからぬ賤しさ』だとか理屈をつけて、多数の無益な欲望と力を合わせてこれを国境の外へ追い払ってしまうのではないかね」
実は、プラトンの主張は単なる若者批判にとどまらず、もっと深い話になる。その辺の事情は以前のエントリに書いた→「たしかに、プラトンは「最近の若者は…」と言っていた、が…」。それでも、「若者が年長者の言葉に耳を傾けていない」ことを述べているように受け取れる。
■ソース2 : 柳田国男の「木綿以前の事」
ふたつめ、柳田国男の「木綿以前の事」(岩波文庫,1952)に収録されている「昔風と当世風」の1ページ目にこうある。
先年日本に来られた英国のセイス老教授から自分は聴いた。かつて埃及(エジプト)の古跡発掘において、中期王朝の一書役の手録が出てきた。今からざっと四千年前とかのものである。その一節を訳してみると、こんな意味のことが書いてあった。曰くこの頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしいことだ云々と、是と全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言っているのである。
そのまんまじゃないか。四千年前から「近頃の若い者は…」と嘆くジジイがいたんだね。だから近頃のジジイが何か言っても気にすることはないよ――
―― と続けたいのは山々だが、最近の老人は小学生の主張で反撃する。曰く「何年何月何日何時何分何秒に言った?」というノリで「それは柳田の伝聞だ、二次情報だ、四千年前のソースをもってこい」という。さすがにそのソース名には至らなかったが、柳田が聴いたという「英国のセイス教授」まではたどれたので、次に記す。
■英国の「セイス教授」に訊け
柳田が「昔風と当世風」の講演をしたのが1928年、その前年に来日した英国のセイスという教授は、アーチボルド・ヘンリー・セイス(Archibald Henry Sayce,1845-1933)という名前で、オクスフォード大学比較言語学、アッシュリア学教授で、広く未解読文字の研究を行っていたそうな(「外国人物レファレンス事典」日外アソシエーツ、「西洋人名辞典」岩波書店)。
彼の著書のうち、日本に存在するものは以下の通り。
- 「言語学」(セース著,上田万年・金沢庄三郎訳,金港堂,1898)1942復刻版あり
- 「The dawn of Civilization :Egypt and Chaldaea」(G.Maspero著,A.H.Syce編,Society for Promoting Christian Knowledge,1897,1974)
- 「Introduction to the science of language」A.H.Sayce著,K.Paul,Trench,Trubner&Co.Ltd,1900)
- 「Pecords of the past:being English translations of the anciet monuments of Egypt and western Asia:new series」A.H.Syce編,S.Bagste,1888-1892)
- 「The religion of ancient Egypt」A.H.Sayce著,T.&T. Clark,1913)
- 「The Higher Criticism and the Verdict of the Monument」(A.H.Sayce著,London:Society for Promoting Christian Knowlege,1894)
国会図書館、京都・熊本・東京神学・同志社大学で所蔵しているとのこと。イントロとして面白い話なので、どこかに書いてあるだろう。あとはヒマとパワーのありあまっている「最近の若者」に任せるとしよう。
おっと大事なことを忘れていた。レファレンスの回答では、この本には載っていないよというリストがあったので、ついでに書いておく。無駄骨折りたくないからね。
- 「古代エジプト文化とヒエログリフ」(ブリジット・マクダーモット著,産調出版,2005)
- 「ヒエログリフを書いてみよう読んでみよう」(松本弥著,白水社,2000)
- 「NHK大英博物館2」(吉村作治責任編集,日本放送協会,1990)
- 「エジプト聖刻文字」(ヴィヴィアン・デイヴィス著,学芸書林,1996)
- 「大英博物館古代エジプト事典」(イアン・ショー他著,原書房1997)
さらにも一つ。日本においてエジプトの研究といえば、以下の機関とのこと。電凸するのも、やっぱり「最近の若者」に任せるとしよう。
■まとめ : 最近のジジイどもは…
プラトンのソースから、二千年前から「最近の若者は…」と言われていたことが分かった。また、柳田・セイスのソースから、おそらく四千年前から似たようなグチが垂れ流されていたようだ。
―― などと延々と述べても、最近のオッサンには響かない。馬耳東風。あまりにも昔なので、想像力が届かないらしい。「昔」というのは、自分の過ごしてきた時代のうちの過去を指すらしい。トシ取ると、視野というか思考の範囲が縮小するものなのか、それとも、いま目の前の人だけがそうなのかは、分からない。
仕方がないので、このオッサンの入社年度を調べる。財団法人社会経済生産性本部の「新入社員のタイプ」[pdf]によると、「カラオケ型」と命名されたそうな―― 伴奏ばかりで他と音程合わず、不景気な歌に素直―― と、そのまま読み上げてやる。「そのまんまですね」というトドメは、武士の情けで言わない。
「まったく、最近のオッサンは、人の話をちゃんと聞けない!」と嘆くいっぽうで、このセリフは天に唾だとしみじみ。

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コメント
少し前に似た趣向の記事を書いている方がいました。
2006年10月10日 最近の若者は本当にいたか、とカントは言った、皆が本を書いている
http://d.hatena.ne.jp/MrJohnny/20061010
投稿: polytope | 2007.04.27 12:39
>> polytope さん
ご指摘ありがとうございます。実は、この「質問の残骸」をきっかけとして、ちゃんと調べてみようと思い立ったのです。悪魔の証明だと予め断ってはいるものの、ネットの検索だけでこと足りれりとする態度は、ガッコのセンセらしくないなぁ、と思ったり。
このエントリは、google先生だけで満足し、本屋の本だけが全てだと思考停止するわたしへの自戒も込めて書いているのです。
投稿: Dain | 2007.04.30 00:10